第16話 試練

 辺り一面が真っ白な光で満たされた空間。目を開けると、ヨスガは階段の途中に立っていた。左右には厳かな彫刻が数多く建造されている。


「ここが、聖域に続く道……」


 白く清廉な聖域は、息苦しさを感じてしまう。階段は、まだ上に続いている。ヨスガは一歩一歩ゆっくりと足を進めていった。


 途中、大広間のような地点に辿り着く。先に見える階段は、道のりがまだ長いとヨスガに悟らせた。


 尚も進み続けると、階段の中央に一人の男が静かに座っているのが見える。


「あの――」


 ヨスガは近づきながら声をかけた。


「…………行け」


 ただならぬ雰囲気を纏う男は短く告げて、立ち上がる。


「…………お前の試練だ」


 興味が失せたのか、男がそれ以上何も語ることはなかった。ヨスガは一礼だけすると、先を目指していく。


 階段を登っていくにつれ、ミトロスニアの感覚は強まっていった。

 

 途方もなく長く感じる距離。それでもヨスガは足を止めることなく、ひたすら上を目指す。


 そうすれば、いずれ必ず辿り着ける。擬制の柱を造り出している司教の元に。

 

 ようやく最上部に辿り着いたヨスガが見たのは、空を覆う巨大な門。そして全身が石化し、自らが擬制同化の柱そのものとなった司教の姿だった。


「あれを破壊すれば……」


 マルクティアに広まった擬制同化を止められる。


「この場で、ボクにしか出来ないことだ」


 改めて覚悟を決めたヨスガの右手に、タチガネの業剣が現れる。


 擬制同化の柱と変わり果てた彫刻の元へ、ヨスガは駆け足で歩みよっていく。徐々に足早になっていきながら、右手の業剣を強く握りこむ。


 目は逸らさない。柱そのものになってしまっていても、人間として生きていた者を終わらせる。その事実から見てみぬ振りなどしない。


 緋色に輝き始めた剣先。ヨスガはそれを振り下ろす――


『 殺さないでくれ! 』


 直前に聞こえた声に、腕が止まる。


「……生きてる」

『 死にたくない――私はこんなところで、一人孤独に――嫌だ、絶対嫌だ―― 』


 ヨスガは斬金の業剣を掴む右手を、短く引き戻した。


『 私は私だった、オリィヴ・フラッド、我々じゃない、我々になれない――器には、彼のようには―― 』

「――……っ!」


 宙に留まった緋色の剣は簡単に振り下ろすことができる。それでミトロスニアの業は、柱と共に無力化される。


『 助けてくれ、助けて――頼む、お願いします――見捨てないでくれ、救いを―― 』


 オリィヴ・フラッドの凶行は、簡単に許されることじゃない。だが人間としての意識が残っているなら、柱を壊すことは人殺しと同義だ。


 どんな理由であれ、人を殺すなんて絶対にしない。右手の鍍金は元に戻り、タチガネの業剣は消えていた。


「……それなら――」


 左手を擬制の柱となった司教の中心に添え、ヨスガは意識を集中させる。手で触れて感覚で分かる。全身を覆っているのは業欣だ。


 業欣を取り除き、柱としての機能を果たせなくなれば、司教の命を奪わずに律業術を止められる。イェフナやマルクティアの人達も救うことができる。


 そのために、原型鋳造を成功させてみせる。


「リキャス――ぐッ!」


 突如、柱となった司教から造り出された突起物を叩きつけられ、ヨスガは後方へ吹き飛び転がった。


『 違う――我々の意志が¥うlp;@$&¥?!! 』


 業欣は泥のように熔けて膨れ上がる。密度を増して司教の形を失わせた。そのまま形が造り替わっていくと、巨大で禍々しい芋虫のような姿と変貌する。


 獣のようなうめき声が空間に響き渡る。白の聖域に不釣り合いな邪悪さ。


 何度も目の当たりにしてきた、怪物に変異する現象。


 口から大量に吐き出された黒茶色の液体にヨスガは呑み込まれるが、力を振り絞ってその場に踏みとどまる。


 硝煙と共に修復されていく鍍金。ヨスガは立ち上がり、変貌を遂げたオリィヴ司教を見上げた。


「あの時に比べたら」


 グランドマルクティアと対峙したを思い浮かべる。恐怖はない。絶望もしていない。無力で何も出来なかった、あの時とは違う。


「アナタを助けて、皆を救う!」


右手には、再び緋色の剣が握られていた。


『 ――¥@たす。:$て#%&し?!!! 

  ―――――――――――――! 』


 怪物の咆哮が躰中を震わせる。頭の中にも意味を理解できない大声が届いた。聖なる空間に吐き出された液体から、人型を模した怪物が生まれ続けていく。


 ヨスガは邪悪な怪物と化した司教の元に向かって駆ける。緋色の剣で怪物を薙ぎ払いながら、力を込めて思いきり飛び込んだ。


 その跳躍はヨスガの想像以上の高さで、ミトロスニアの怪物を上空から見下ろす形になる。


 驚くほどの身体能力の向上を感じつつ、意識を切り替えて怪物を見据えるヨスガ。再び吐き出される液体を、緋色の剣で押し切るように裂いた。


 飛沫となって左右に散った液体から、幼虫のような生き物が造り出される。


 空中で襲い掛かってくる、裂けた口が特徴的な幼虫。捕食される躰を構うことなく、ヨスガはそのまま芋虫の怪物の上に着地する。


『 ――@¥:?%&$#! 』

「絶対に助ける!」


 まずは余分で邪魔な業欣を削り落とす。膜を張るように膨れ上がった業欣の中央に、強くミトロスニアの気配を感じた。


 緋色の剣を突き刺し、業欣を半分液状に熔かしながら押し進む。


 鍍金に覆われた躰と、熔けた業欣が混ざり合う。細かな虫の手が無数に伸びてヨスガの全身を掴み、這って溶け合おうとする。


「あと少しで――ッ!」


 中心に届く。躰中の不快感と強烈な熱気に包まれつつも、己を鼓舞して押し進む。


 鍍金によって肉体に直接痛みが届きづらいのは幸いだった。もし生身の身体だったなら、痛みと熱に晒されて助け出すことが出来なかった。


 自らの硝煙と怪物から発せられる蒸気で視界が霞む中、ヨスガの左手が中心に至る。


「全身を包む、業欣を……本来の形へ戻す!」


 作業自体に時間はかからない。ほとんど一瞬で済む。しかしその際の集中は、精神を大きく疲労させる。


 今、ヨスガ自身と芋虫の怪物は半分ほど溶け合っている。それをはっきり区別して認識しなければ、原型鋳造を行った瞬間、躰の鍍金も完全に消失する。


 結果、今まで通り鍍金が修復するかどうかヨスガには分からない。


 ただならぬ緊張感。未熟なヨスガにとっては命がけの行為。全ての要素をひっくるめて、自らを奮い立たせた。


「戻れッ……――」


 全ての人を救うなんて、きっと誰にも出来ない。


「戻ッ……れ……――」


 失わないと救えない命は、必ず存在する。


 全身を這う幼虫に傷つけられながら――なら、その時に失うぎせいは自分でいいと、


「――戻れぇぇええええええええッ!」


 ヨスガは己の存在をかけて鋳造術を行った。


 自分と怪物を区別する境界線。原型鋳造の刹那、ヨスガはそれを契約者として繋がっているレムに見出したのだった。 


 一際巨大に膨らんだ芋虫の怪物。次の瞬間、弾けて舞った泥のような液体が聖域を汚した。


 怪物の姿は消えてなくなり、その場には手をついて座り込むヨスガと、大の字で倒れる司教の姿があった。


「私は……生きている、のか……」


 ゆっくりと身体を起こそうとする司教を見て、ヨスガは安堵する。白で支配されていた聖域は、綺麗な朝焼け色となっていた。


 ヨスガは司教に近づいて、その身体を支えた。


「大丈夫、ですか……?」

「……きみのおかげだ、きみのおかげで、私は生きている……」


 元の姿に戻った司教に肩かして、泥のような液体の中を移動する。


「擬制同化から……解放されたんですね」


 彫刻に寄りかからせるように座らせて、ヨスガも息をついた。


「あぁ、今は意識がはっきりしているよ……私は私だ、律業者ではない」


 同化に侵されていた司教の意識は戻っている。


 柱となっていた司教は解放された。これでイェフナの姿をしたセフィライト・ミトロスニアも消え、世界は危機を乗り越えたはずだ。


「あとは、元の世界に帰る方法を……――」


 強い嫌悪感。それを覚えた時には、ヨスガの躰は泥状の液体に包まれていた。

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