第13話 聖域

「寒い冗談、ってわけじゃないのか」

「今、協力を拒むのは賢明ではないのです。契約者を見殺しにした相手でも、出来る限りの力は貸しましょう」


 レムが何の話をしているのか、ヨスガには分からない。


「見殺しってどういう――」

「自ら姿を現し、介入してきたのは、タチガネの業剣を利用するため。おそらく当初の目的は、消滅したキャストールから業剣を回収することだったのです」


 タチガネの業剣。聞き覚えのない言葉だが、それがヨスガの右腕に宿る剣の名称だと察することは出来る。


「ワタシが知る限り、ルーラハを無力化する炎など業剣に備わってはいなかった。メアト・フリジエルがその力を知る機会があるのなら、キャストールが襲われていた最中でしかあり得ないのです」


 淡々とした口調だが、レムの言葉に若干の棘があった。


 つまりメアトは、ヨスガとスヴァイドの争いをずっと傍観していたということだ。


「まぁ別に否定はしない。ただこうしてる間にも、ミトロスニアの業は広がっていくよ? 一人が十人、十人が百人に、そう長くない内にマルクティアに同化は蔓延する。いずれはフォルフヨーゼ全域が浸食されるね」


 そうだ。言い争いをする場合ではない。ヨスガにはメアトを追及するつもりもなかった。


「一分一秒だって惜しい状況だ。今はさ、そんなことよりも――」

「消えた司教の行方、メアトさんに心当たりはないんですか?」


 考えなければいけないのは司教の居場所だ。ヨスガは話を戻す。


「……あぁ、グランドマルクティアが探知できない。つまりミトロスニアは、本当にこの世界にはいないことになる。だとしたら擬制の柱は……――そうか」


 だからギルベールが……と、メアトは小さく呟いた。そのまま目を閉じて静かに考え込む。


 そこでヨスガは異変に気付いた。


「……静かだ」


 木霊していた破壊音は、いつのまにか消えていた。その代わりとして微かに聞こえてくるのは、ぐちゅぐちゅと何か柔らかい物を貫き、かき混ぜているような音だ。


 作業場の入口に視線を送ると、その隙間から血液が湧き出るように室内へと流れこんでくる。


 その真下には、レムとメアトがいた。


「レム、メアトさん!」


 呼びかけと同時に躰が動いていた。レムは咄嗟の掛け声でも反応して避けてみせたが、思考中だったメアトは一歩遅れてしまう。


 そんなメアトを突き飛ばし、代わりにヨスガが全身に血液を浴びる。


「――キャストール」

「大丈夫だよ……。なんともない」


 躰中にまとわりつく、嫌な気配と懐かしい感覚。それは硝煙によって蒸発する血液と共にゆっくりと消えていく。


「ミトロスニアとなった人間の血液。ルーラハが含まれた血を送り込んで、この場にいる全員を同化させようとしています。業欣の鍍金が、その浸食を防いだのでしょう」

「でも、こんな量をどうやって……」


「教団騎士の他に、戦力としては劣るマルクティアの市民が大勢いたのです」

「じゃあこの血は――」


 血液の出どころを理解したヨスガは、拳を強く握りしめる。


 突き飛ばされて座り込んだまま、メアトは言う。


「……さっきの話、聞こえてたよね? おたくが殺されそうになった時、俺は何もしないでずっと見てたんだけど。そんな奴さ、後先考えずに助けちゃっていいのかな?」

「助けますよ。メアトさんがどんな人でも」


「寒いね。そういう勢いだけで、他人を助けない方がいいよ」

「ボクがそうしたいだけですから」


 手を差し伸べたヨスガ。


 自力で起き上がったメアトは真剣な眼差しをヨスガに向ける。それも一瞬、すぐに飄々とした雰囲気に戻った。


「まぁ、おかげで助かった。奴の居場所に心当たりがついたのに、同化して言えないところだったよ」

「本当ですか!?」


「あぁ。この世界にいないなら、別の世界にはいるかもってさ」

「…………」


 ヨスガとレムはメアトの話に耳を傾ける。


「ずっと大昔から、フォルフヨーゼは異界と繋がってる。律業の系譜とその関係者だけに知らされる機密事項だ。秘匿された異界の名は聖域――そう呼ばれてる。マルクティアには、その聖域に至る道があるって聞いたことがあるよ。もし奴がそこにいるなら、存在を感じ取れないのも納得できる」


「その聖域って場所、どうすれば行けますか」


「正確に言うと、聖域自体には辿りつけていないはずだ。異界に足を踏み入れるには、道の管理者による承認と王の赦しがいる。厳重な封印が施されて、それ以外の手段で侵入するのは不可能らしい」


「それじゃあ、司教も聖域にはいない――」

「だね。だけど、その異界に通じる道になら入り込めるかもしれない。そう仮定したら辻褄は合う。道も、この世界とは異なる領域なんだよ」


 確かに納得はできる。聖域に繋がる道も異界なのだとしたら、レムがミトロスニアと同化した司教の業光を探知できない理由にも説明がついた。


 司教は聖域に続く道にいる。


「道に辿り着けば、ミトロスニアを倒せる」

「――いや」


 ここまで情報を与え、結論へ導いてきたメアト。


「それは少し違うね」


 そのメアト自身が、否定の一言を発した。


「残念だけど、その道がどこにあるのか知っているのも、王家と一部の人間だけだ。それ以外には知らされてないからね」


 現状でこの事態を治める最適な案を、メアトは続けて語る。


「だから大本を叩くしかない」


 ミトロスニアの大本。唯一の家族の顔が、脳裏によぎった。


「巫女の聖煉な血晶を宿す、本当のミトロスニアを殺そう」


 そう言って微笑んだメアトに、ヨスガは強い危機感を覚える。


「えぇっと……確かイェフナちゃんって名前だ。今はガーデンの一件で治療中だよ。場所は俺が知ってる。案内するから、やっぱりここは全員で切り抜けようか」


 会話を区切り、背を向けたメアト。背中ごしにヨスガは話しかける。


「……その人は巻き込めない」


 ヨスガの拒否で空気が張り詰めた。


「俺らにできるのは、もうそれしかないよ。ここにいたら、俺はミトロスニアに汚染される。戦力が減れば状況を打開するのがそれだけ難しくなるって分かるよね?」


 だがメアトは、あくまでも優しくなだめるように諭す。


「全ての人間を救うなんて、誰にもできないんだよ。いくら頑張ったところで、失わないと救えない命は存在する……必ずね。今は割り切って一人を犠牲にするしかないんだ。そうすればこの街を、フォルフヨーゼを救えるんだよ」


 ヨスガに突き付けられたのは、フォルネリウスと対峙した以来の過酷な選択だった。


「――けど……」


 誰か一人と国を天秤にかけた場合、メアトの発言は正しい。人間を守る剣は、苦渋の決断を下すべきなのだ。


 しかしヨスガには、イェフナを犠牲にする選択肢を選ぶことが出来ない。


「その人は、もう十分マルクティアの犠牲になってる……だから――ッ」

「はぁ……。なら仕方しかないね」


 メアトは笑みを浮かべたまま、砡眼の冷砂を天井に撃ち放つ。夥しい血液と共に、無残に切り刻まれた市民の亡骸が落ちてきた。


「メアト・フリジエル。凍てついたルーラハを抱くに相応しい行為なのです」

「はは、助けない方がよかったでしょ?」


 メアトは忽然と姿を消した。


「メアト!」


 身体を掴もうと伸ばしたヨスガの腕が空を切る。


 瞬く間に作業場を埋め尽くしていくミトロスニアの人形達。ヨスガは成すすべもなく、血液の溜まる床に押し付けられた。


「――ぐっ」


 ミトロスニアとなった大勢の人間に見下ろされる。


 同化の浸食が深いためか、巫女の業光を強く感じて手を出せないレムは、その場で立ちつくしていた。


「レム……逃げろ。グランドマルクティアは、きっと教団に利用される……っ」


 レムが擬制同化の力に堕ちてしまえば、最悪な展開に陥ってしまう。


 もしグランドマルクティアだと判明すれば、偽りの律業者となった司教は必ず利用するだろう。再び暴走の真似事をさせる可能性だってある。


 それは何としても避けなければならない。


「この場を離れなければ、ワタシは隷属を強いられる。ですが契約者を置いては行けない。いえ、正確には……行きたくない? きっとこの感覚は、契約の影響なのです……」


 それも理由の一つだろう。だが困惑するレムの様子を見て、不思議と感じ取ってしまう。


 レムは無自覚にも、ヨスガのことを見捨てたくないと思ってくれている。だから、こんなにも動けずにいるのだ。


「――心配しないで――」


 抑えつけられたままのヨスガの耳に、優しい声が届いた。


「キミは……」

「――ずーっと、会いたかったの――」


 フォルフヨーゼに混乱を招く張本人が、見知った姿で笑みを浮かべている。


「……律業の巫女」

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