第10話 因縁生滅

 普段通りの仕事の肯定。型を造って素材を熱し、溶けた液体を流し込む。それだけでもある程度長い時間を使う。


 ヨスガは夜の作業場で一人、同様の工程を何度も繰り返していく。


 案の定、鋳造作業の間は他の情報や考えが入ってくる事がない。ただ目の前の作業に没頭し続けることが出来た。


 詳しい時間帯は分からないが、もう大分夜も深くなっているのだろう。レムもとっくに帰って来ているはずだ。


 頭の片隅で考えながら、鋳物人形を型から取り出すために金づちを振り上げる。


「こ、こんばんは……」


 不意に聞こえた第三者の声。驚いて、振り下ろす力加減を間違えた。鈍い破砕音が空しく作業場に響く。


「ああっ、す、すみません。ノックは……何度もしたのです、が……反応がなかったもので……」


 どうやらレムは、まだ帰ってきていないようだ。


 深夜に現れ、工房に入り込んだ人物。


 作業場へ入る扉の前にいたのは、黒いフードを目深に被る、修道服の人間。新生ガイアナーク教団の騎士だった。


「夜分に失礼、します。私はガイアナークの教団騎士……スヴァイド」

「どうして、ここが……?」


 見事に砕けた鋳物人形の顔が、虚しく空を見上げている。


 残骸を片付けつつ、なにが起こっても反応出来るように警戒する。


「しゃざ、゛っ――謝罪をしに、来ました」


 スヴァイドと名乗った教会騎士。その喉から漏れた不快な音が耳に残る。


 ゆらりとした足取りで、教団騎士はヨスガに近づいてくる。


「あの時、ガーデンで……私は止められなかった」

「謝る相手、間違ってるよ。ボクに言うことじゃない」


「ゆ、赦してください……罪に、塗れたこの身では、教団の意向を変えられない。どうしようも、なかった……」

「悪いと思ってるなら広場で悲しんでいた人達と、グランドマルクティアに謝ってください」


 ヨスガは冷たく言い放つ。謝罪に来たという教団騎士に言えることは、それだけだ。


「グラ、゛っ――グランド……マルク、ティア?」


 使い古された台に陳列された、養父とヨスガが造ってきた鋳物人形。


 スヴァイドはそれに軽く手を触れて移動しながら、徐々にヨスガとの距離を詰めてくる。


「もう、出て行ってくれませんか」


 それでも来訪者はゆらりとした足取りを止めない。


「……そうだ、選ばれタのは……わた、゛っ――わタシ……貴方ではなかっタ……」


 ヨスガは椅子から立ち上がり、スヴァイドの挙動を観察し続ける。


 先程から話が噛みあっていない。それだけではなく、言葉の合間に聞こえる不協和音が胸の奥に不快感を溜めていく。


「か、゛っ――神の僕、この身こそ……彼女の契約者ニ、相応シイんだ……」


 彼女の契約者。教団騎士は、はっきりとそう口にした。


 この来訪者の謝罪とは夕方の一件ではなく、もっと前の――


「我が御業で、証明シないと」


 スヴァイドが立ち止まっている場所。そこには仕事で使う大量の工具が置かれている。


 教団騎士の手には、既に金槌が握られていた。


 スヴァイドはそれを頭上に掲げ――


「ァガッ――アッ……」


 次の瞬間には、自らの頭を叩き割っていた。


 肉と骨が潰れる音を響かせた後、だらりと力なく降ろされた自殺者の手。


 ヨスガは、一部始終を茫然と眺める事しか出来なかった。


「うゥっ…………くっ、ふ……ふふふふふ……」


 血と肉がこびり付いたフードをめくり、スヴァイドは目の前で笑っている。


 確実に頭蓋を砕いた致命傷。だが白と赤毛が混じった髪の男は一命を取り留めている。


 本来なら温和な顔つきであったろう表情は、狂気の笑みで歪み切っていた。


「ほらぁ、゛っ――これが゛っ――グランドマルクティアに選ばれた証ィイッ!」


 だが今のヨスガにとってはどうでもいい。


「返してください」


 近づいて、教団騎士の手から仕事道具を受けとる。


「……゛っ――?」


 そしてもう片方の腕で、体重を乗せた拳をスヴァイドに叩きつけた。


 吹き飛んだ教団騎士。


 地下から上へ続く階段に何度も身体を打ち付けながら、入口の扉を突き破り、工房の外へ転がっていく。


「これは傷つける道具じゃない」


 ヨスガも追いかけるように作業場を出て、壁に打ち付けられていたスヴァイドを見下ろした。


「アナタは、病院に連れて行く」

「……命を、生かすも殺すも……神のご意思……。なので、必要ありません……」


「怪我を治すんじゃない、心を治す病院です。アナタは多分、一生出て来れませんね」


 力なく頭を垂れ、壁を背もたれに崩れ落ちているスヴァイド。


 ヨスガは瀕死の重傷を負った男に向かって手を伸ばす。


「……謝罪――」


 教団騎士が儀礼剣の柄を握る。


「――シます」


 伸ばした手を目がけて振るわれた一閃。


 ヨスガは後ずさるように躱した。頬をかすめた個所から、硝煙が上がっている。


 頬の傷が修復する間に、蹲っていた教団騎士は立ち上がった。


「わたシが赦されるのは、全てをやり遂げてから、゛っ――だ」


 儀礼剣を握る手の裾から、灰色に光る茨のような物体が伸びていることに気付く。


 それは手を伝い剣に絡みついて、禍々しい形へと変わっていった。


「御業の証明は、済ませタ……これ以上、彼女との邂逅を邪魔するならば゛っ――」

「……会わせないよ。誰にも」


 この男を野放しにはしておけない。ヨスガは直観的にそう感じる。


゛っ――ならば、゛っ――わタシに謝罪シなさイ!」


 だらりと茨の剣を掴み、スヴァイドはヨスガに真っ直ぐ近寄ってくる。


 乱雑に振るわれる茨の剣。ヨスガはそれを避けながら、狂気に満ちた教団騎士を無力化する手段を考える。


 スヴァイドは深手を負っている。その傷は塞がっているように見えず、瀕死の状態であるはずだ。


 未だ争いに慣れていないヨスガだったが、相手が負傷者ならば遅れはとらないだろう。


゛っ――――」


 雑な剣撃を見きり、スヴァイドの鳩尾に拳をぶつける。


「ガっ――ぶふぅッ!」


 腹部に衝撃を受けて直線に吹き飛ぶスヴァイド。


 地面に転がり倒れこむが、仰向けの状態から反動も無く起き上がる。


「今ので、まだ動けるのか……」


 立ち上がり向かってくるスヴァイドに、ヨスガは焦りを隠せなくなる。


「やはり、赦されなイ……」


 負傷を意にも返さず、教団騎士は一直線に近づいてくる。突き出された茨の剣を躱し、スヴァイドの顔を狙って殴りかかる。


 ヨスガの拳を、スヴァイドは手のひらで受け止めた。


「この痛み……この怪力、はッ……!? 骨が、砕かれて……!」


 ゴウレムの契約者となった恩恵。その一つである身体能力の向上。怪力がスヴァイドの手を押し潰していく。


「痛めつけるつもりは、ないんです……!」


 必要以上に傷つけたくはない。


 仕事道具を身勝手に汚した相手でも、怪物と対峙した時のように非常にはなれない。


「降参するなら――」


 ヨスガはスヴァイドの腕から伸びる灰色の茨に気づいた。不気味な蠢きで、拳を伝って這い寄ってくる。


 掴まれた拳を振り払うが、続けざまに茨の剣がヨスガの肩に食い込む。


 茨の鉄線を纏った儀礼剣は、そのまま斜めに斬り進み、鍍金を抉り剥がしていく。


 スヴァイドを不格好に蹴り飛ばし、無理矢理に引きはがす。


 硝煙が立ち上がり修復をし始めるが、想像を絶する痛みが躰の隅々に広がった。


 鍍金で覆われた躰にも関わらず、思わず膝をついてしまうほどの苦痛が全身に刻みこまれた。


゛っ――この程度の痛みで、わた゛っ――わたシは止まれなイ!」


 拳を受け止めたスヴァイドの手は、骨が突き出て形を保っていない。


 重傷を気にすることなく襲いかかってくる相手と、まともに争っても無意味だ。


 自分の状況と照らし合わせつつ、ヨスガはスヴァイド自身が漏らした言葉を思い返す。


 痛みを感じているなら、痛覚は通常の人間とあまり変わらないはず。


 つまり許容できないほどの痛みを与えれば、自分と同じように動けなくなるはずだ。


「わタシを赦し、赦しを与えられるのは……!」


 儀礼剣を振り回すスヴァイド。


 痛みを堪えながら斬撃を避けていっても、そこから伸びる灰色の茨が服をかすめて鍍金を剥がす。


 鉄線のような茨で抉られるたび、心が折れそうになるほどの苦痛が与えられていく。


「彼女ニ……! グランドマルクティアに会えば……会えれば、わタシは!」


 このガイアナークの教団騎士は、今のグランドマルクティアの姿を知っている。


 教団の人間が固執する理由も納得だ。


「ボクにも、レムが必要なんだ!」


 狂気に満ちた教団騎士を、レムに会わせたりしない。


 会って何をするつもりかは分からない。だが直感で、レムとスヴァイドを引き合わせたくないと思った。


 この危険人物を遠ざけることが出来るのは、契約者となった自分だけだ。

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