第8話 世界を侵す律業術
イェフナと住んでいた家に戻るわけにはいかない。当然、フォルネリウス達に警戒されているだろう。
だから、行く所は一つしかなかった。
レムを連れて戻った一週間ぶりの工房。外はもう夜で室内も真っ暗なため、ヨスガは微力な業光を使うことで光を放つ装置を使う。
明るく照らされた部屋。微かに埃をかぶった仕事道具が、暫く留守にしていた事実を実感させる。
「身体、動かせそう?」
「はい……なんとか……」
工房内の寝具に横にさせたレムが、半身だけ起き上がろうとする。
ヨスガが傍に寄り添うと、すがるようにボロボロの服を掴まれる。
「ここまでは……」
接近したレムの顔。外見は人間そのものだ。整った顔立ちを間近で見て、改めてそう思う。顔を合わせると、妙な緊張感を覚えた。
「……キャストール」
苦しそうにしながら、レムは服を掴む手に力をこめる。
「契約の、対価を求めます……」
「分かった。ボクに出来ることなら、何だってするよ」
レムとは対等な協力関係だ。柱の破壊を手伝ってもらったお礼をしたい。
「どうすればいい?」
レムと真っすぐに視線を合わせる。
「アレを、注いでください」
ヨスガは考える。しかし、レムの言うアレが何を指しているのか分からない。
「キャストールのでなければ……満足できないのです」
「……アレか」
一体何を求めているのか、真剣に考えても見当がつかなかった。
切なげな表情を浮かべつつ、彼女はあるモノを欲している。思考を巡らせながら、しばらく硬直していたヨスガ。
反応が遅く待ち切れなかったのか、レムは距離を詰めてくる。
「大丈夫……少しだけ、じっとしてもらえたら、すぐに済みます」
柔らかな感触が唇に伝わった。レムからの突然の口づけを、ヨスガは受け止め続ける。
ようやく唇を離したレムの表情は、どこか昂揚して見える。
「ルーラハの補充は、この方法が一番です……」
「これで、レムが元気になるってこと?」
「はい……ですが、まだ足りない……」
「でも、これはちょっと恥ず――」
「いいから、もっとです」
両手で顔を固定され、力づくで行為を続けさせられる。そのまま躰に力が入らなくなるまで、レムによるルーラハの補充行為は続いた。
「ふぅ……。やはり、随分と溜まっていましたね」
レムは寝具から起き上がると、腹部を手で押さえて満足そうにしていた。
「よ、よかった……」
対照的にヨスガは抜け殻ように倒れこむ。
「キャストールのルーラハであれば、一度の供給で全て搾り取れそうです。勿体ないので我慢はしますが」
普段の涼しげな表情に戻ると、冗談なのか本気なのか分からない。
「……ちょっと、手を貸して」
今度はヨスガが寝具に座り込んだ。レムは室内に唯一置かれた椅子に腰を沈め、手を足の前で組み丸まった。
口づけを交わした後だ。何となく気まずさを感じてしまう。雰囲気を変えるため、ヨスガは質問をすることに決めた。
「契約に違反しない範囲でいい……。律業の系譜と律業の巫女について、知っていることを教えてくれ」
そう言ってヨスガは頭を下げる。イェフナの業、『偽りし王冠』についても知っておきたい。
「……律業の系譜とは、巫女の血を引き継いだ者。その血を覚醒させた人間の呼称なのです」
言葉を選びながら、レムは慎重に説明していく。
「ヨスガさんは、系譜の扱う業をどう理解していますか?」
「その人だけが使える、特別な力。ルーラハを使って、不思議な現象を起こせる?」
この世界のあらゆる物体に含まれ、空気と同じように存在する力の粒子。
これまでの体験を経て、業光が関係しているのはまず間違いない。そう確信している。
「概ね正解なのです。律業の系譜が扱う業というのは、ルーラハを媒介に世界を侵す力。物質に小径を繋いで、その人間の因果を現象として発現させる。それを律業術と呼びます」
ミトロスニアの場合、それが擬制の柱だった。
「なら巫女の聖煉は、律業術とは違う力ってことか」
「聖煉は、この世界のあらゆるルーラハを昇華させるのです。セラフィストが扱い、巫女の力を受け継いだ者のみに赦された、業とは似て非なる御業。セラフィストはその御業によって、荒れ果てた大地に清純な業の光を溢れさせた。グランドマルクティアは、その時に造り出されました。ルーラハを吸収し、溜め込む機能を備えた装置が必要だったのです。豊かな大地を延々と存続させていくために」
「……それが、この国に伝えられてきた伝説。律業の巫女は本当にすごい、偉大な人だ」
壮大すぎて、変な笑いが出てしまう。
ルーラハという万能の力。
それを思いのままに扱える律業の巫女と、その血を覚醒させた律業の系譜に、改めて畏敬の念を抱く。
「それじゃあ、司教はどこで巫女の力を手に入れたんだろう」
「偽りし王冠の業によって、直接授けられたのです。それは仮初の巫女にしか行えない」
「でも違う」
即座に否定する。
「根拠はない……けど。何か理由があったとしても、イェフナは誰かを巻き込んだりしないよ」
ヨスガの脳裏に思い返される、雰囲気が一変した司教の姿。あの時感じた気配には、違和感がある。
「律業の系譜達が抱える業は当人の問題。どんなに親しい間柄でも、完全に理解するのは難しいのです」
レムは椅子から立ち上がる。そして様々な思考を巡らせていたヨスガの隣に腰を下ろし、単調な動作で頭を撫でた。
その不器用な気遣いに、心が軽くなる。
「ありがとう」
「……ゴウレムの処世術なのです」
「そうだとしても、感謝してる」
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