第7話 砡眼のメアト

「……律業の系譜、第4罪徒。砡眼のメアト・フリジエル。いつから、そこにいた。我々の邪魔をするならば、その業ごと魂を解放して差し上げるが……?」


「お寒い紹介ありがとう。……なら試してみようか?」


 メアトの左眼が青く発光する。自らの業光と周囲の物体を小径で繋いだ。


 突然現れた律業の系譜と司教のやり取りを呆然と眺めていたヨスガは、只ならぬ気配を感じ取った。


 慈悲なき冷気の業

「砡眼の冷砂――レイシクル・ガン」


 業光を得た数多の小石。青い輝きを放つ石のつぶてを、メアトは一斉に射出する。


「たかが石ころ! その程度で我わ――ぶぅッ!」


 高速で発射された無数の青い光砡は司教の身体を貫いていく。急所は守りきったようだが、力なくその場に崩れ落ちた。


 虫の息になった新生ガイアナークの司教。そこに慈悲のない数多の青い弾幕を、メアトは放たとうとしている。


「もういい!」


 ヨスガは躊躇うことなく間に割って入った。メアトは光砡の発射を止め、疑問の表情を浮かべている。


「こいつを生かしても意味ないよ。それとも、律業の力を得た経緯を聞き出したいのかな?」

「……ただ嫌なだけです。目の前で人殺しなんて、見過ごせない」


 大勢の人間を巻き込んで傷つけた司教だが、だからと言って見殺しにしたくない。


「このままだと、やっかいなことになるよ。その前に殺さないと」

「柱は壊しました! この人は生きて反省させるべきだ!」


 擬制の柱はレムが破壊してくれた。一方的な血液の搾取は止まっている。


 強情なヨスガを目の前に、メアトは困った様子で頭を掻く。


「血液の搾取は、終結共鳴の前段階だ。本当にヤバいのは……」


 ヨスガの背後で、司教が立ち上がる気配を感じた。


「その気高き魂に感謝を……――ありがとうね? お陰様で、傷を癒せたわ――」


 これまでの司教と何かが変わった。いや、司教の中に何かが生まれた。


 力づくでヨスガをどかしたメアトは、すぐさま慈悲なき冷気の業を撃ち込む。


は、はははっ!――ふふふ―― 我々は、我々のためなら命を奉げられますよ――私のために、命をかけて――!」


 放たれた砡眼の冷砂。だがそれは白光の業光と共に現れた数人の教団騎士の壁によって防がれる。


 偽りし王冠の業

「擬制の柱――終血共鳴コーリンク。……ふふっ、何と残酷で――冷酷な魂――でしょう」


「……司教じゃない。この雰囲気は――」

「これが偽りし王冠の律業術、本来の特性だよ……」


 様変わりした雰囲気の司教を視界に収めたまま、メアトは状況が理解できないヨスガに語りかける。


「偽りし王冠の業は、律業の巫女になることだ。あの律業術は、巫女の聖煉な力の一部を与えて同一の存在に造り変える、擬制同化の柱さ」


「擬制、同化……。それじゃあガイアナークは、ここにいる全員を律業の巫女にさせるつもりで……」


「それを防げたまではよかった。ただ同化の浸食が深くなるほど、今みたいに人格まで変わっていく。そして完全同化を果たした奴は柱そのものになって、この世界に律業の巫女として新生するんだ」


 なぜレムが、ガイアナークの司教に巫女の業光を感じたのか。その疑問が明らかになった。


 偽りし王冠の業。イェフナの力は、人間を無差別に律業の巫女の身代わりに変えてしまえるのだ。


「フォルフヨーゼ全ての民を――私にしてみせる――この世界を、救済する……必ず、その使命を果たします」


 抉り落とされた腕ごと律業の楔を回収すると、司教は業光の裂け目に姿を消した。


「……あとはよろしくね」


 ヨスガに後を託す言葉を言い残し、メアトの姿も一瞬で見えなくなる。


 小石の弾丸を撃たれ、倒れた騎士が起き上がる。その身体が泥状に液体化し、人ならざる存在に変異していった。


 降誕祭で起きた災厄。その中で、ヨスガには一つだけ確信できることがある。絶命した女性が怪物となったこと。それだけは、決して自分が原因ではない。


 変異を終え、ヨスガに襲い掛かる顔の消えた怪物達。すれ違いざま、剣のように伸びた腕が脇腹と腕を掠めた。


 だが以前とは違い、損傷個所は硝煙と共に修復されていく。


「ここで倒さないと、誰かが犠牲になる……」


 ――イェフナと同じような光景を、もう二度と目にしたくない。


「そんなことさせない、絶対に!」


 人を守るために人は殺さない。だが人間の脅威となる怪物は、見過ごすわけにいかなかった。


 ヨスガが命を奪う覚悟を決めた、その時。右腕の鍍金が瞬時に熔け、手のひらに業欣で造られた剣が復元された。


 仕事道具に使う鏨に酷似しているが、僅かな形状の違いからか、これが武器だとヨスガには理解できる。


 裂けていく口元から獰猛な獣のうめき声。ヨスガを蹂躙するべく怪物達が身構えた。


 ヨスガは思考を後回しに、再び襲い来る怪物達を業欣の剣で振り払っていく。


「――ボクだって!」


 手のひらから連続して伝わる重い衝撃。


「戦えるんだ!」


 怪物の肉体が砕ける感触に、恐怖を抑えつけるよう叫ぶ。


 与えた衝撃に動かなくなる怪物。そのまま全身が泥のように熔け、液状の染みとなった。


 その様子をただ呆然と眺めていると、鏨状の剣が右腕の鍍金に戻って消える。右腕を確認するが元通り変わった様子はない。


 詳しく確かめたかったが、レム達の様子が気になり主を失った柱から飛び降りた。


「レム!」


 傷だらけの状態で怪物を退けていたレム。


 ヨスガの掛け声に反応した隙をつくように襲い来る怪物の頭を掴み、大地へ叩き付けた。


「何でしょう?」

「えと……よかった、無事で」


「キャストールも、やり遂げたのですね」

「……それは、何とか……」


 先ほど起こった事実を伝えるのが難しい。自分でもまだ理解が追い付いていないのだ。


 ヨスガが話すべき言葉を探していると、柱の強制採血によって倒れている多くの市民達を見てレムが言う。


「負傷した人間への治癒は、既に済ませています」

「……ありがとう。レムのおかげで、この人達を助けられた」


「頑張ったのです」


 若干得意げな澄まし顔を浮かべたレムに、思わず苦笑してしまう。


「ですが、ルーラハが変質して泥化する人間。未知の現象なのです」


 どうやらグランドマルクティアにも分からない異常事態のようだ。


 少ない情報でも話しておくべきだと、ヨスガは先ほど起こったありのままの事実をレムに伝える。


 ………………………………

 ……………………

 …………


「擬制同化により巫女とみなされた者。そして姿を見せた律業の系譜、メアト・フリジエル。……偽りの律業者が、彼女のルーラハを抱いた経緯は把握できました」


「泥みたいな見た目の怪物……あれはきっと、イェフナの力とは関係ない。上手く説明出来ないけど……そう感じる」


 かつて腹部を裂かれた記憶が、微かに脳裏によぎる。


「同意します。泥化した人間……いえ、あの状態は人間と呼べない。泥人形とイェフナ・ミトロスニアに関係はないのです」


 レムに断言されてヨスガは安堵する。


「しかし、偽りの律業者は泥人形を従えている。その因果関係を明らかにするのは、現状では不可能でしょう」

「……うん。それと、もう一つ聞いておきたいんだ。業欣の剣のことで……」


「業欣の、剣――?」

「ゥ……っ」


 微かな声が聞こえ、続く会話を中断するヨスガとレム。


「一人、目を覚ましたようです」


 レムが視線を向けた先に、新生ガイアナークに勇敢に立ち向かった少女の姿が映った。


 意識を失っていた金髪の少女が、目を覚ましたらしい。少女を介抱するため、ヨスガはレムと共に駆け寄る。


「ん……わたくしは……どうして……」


 少女が心配で顔を覗き込む。するとみるみる顔が赤くなった。


「あっ! あの、これ――」


 勢いよく起き上がった反動で近づく少女の頭。


「きゃう!」


 頭突きをくらったヨスガに、覆いかぶさるように凛々しい少女が倒れ込んだ。


「いったぁ~……も、もうしわけありません……わたくし、取り乱してしまっ――」


 取り繕い顔を動かした少女。だがそれはヨスガも一緒だった。


「ご、ごめんなさ――~~~ッ!」


 再び少女に突き飛ばされ、ヨスガの後頭部が地面に叩き付けられる。


「いま、わたくし――……っ」

「発情してますね」


「してませんけど!」


 一連のやり取りを見ていたレムの指摘に、金髪の少女がすぐさま否定する。


 元気に会話している姿を見て、ヨスガは頭の後ろを抑えながら安堵した。


「元気そうで、安心した」

「へっ? ……そ、そうです……わたくしは、突然身体に力が入らなく……」


 徐々に凛とした雰囲気に戻っていく少女。広場で倒れこむ人々を心配そうに眺めている。


「皆も無事だよ。レムが治療してくれたんだ」

「そちらの女性が?」


「……この程度、造作もありません」

「意識が朦朧として、あまり覚えていないのですが……。ガイアナークの不届き者を追い払い、わたくし達を助けてくれたのですね」


 凛とした雰囲気の少女は座り込んだまま頭を下げる。


「お礼が遅れてしまい、申し訳ありません。わたくしはリーゼと申します。このたびは本当にありがとうございました。お二人はわたくしや、マルクティア住民の命の恩人ですわ」


 リーゼは綺麗に下げた頭を、ゆっくりと元に戻す。


「わたくしも負けずに、葬儀がやり直せるよう力を尽くさねばなりません……」


 追悼の儀を行うはずだった荒れ果てた広場を見て、リーゼは呟く。


「今回は台無しになってしまいましたが、日を改めて必ず。でなければ、残された人々は前に進めませんもの」


 リーゼも大切な誰かを失ってしまったのだろう。


 本当なら謝りたい。


 唯一異変に気が付いた自分が、降誕祭を止められたら。今ここで悲しみに暮れる人々もいなかった。


 その事実はやはり、いくら後悔してもしきれない。


 不意に一陣の風が吹き抜けたのは、葛藤するヨスガを心配したリーゼが、口を開こうとした時だった。


 ヨスガの視界に黄金の羽が一枚、ふわりと横切る。


 直後に天から差し込む、三つの太い光の束。それが広場の跡地に建造されていた、半壊状態の巨大な彫刻に降り注がれる。


「この光はアレクセイ……アレクセイ・アークエンジェムですわ」


 安堵した表情で神々しい光の束を見つめるリーゼ。ヨスガとレムも、それが何の予兆か理解出来ていた。


「キャストール。この場、は――」


 レムの身体が大きくふら付く。危うく倒れそうになったレムを支えるが、明らかに様子がおかしい。


 ヨスガにもたれ掛かったまま動かず、瞳も虚ろになっていた。早く離れなければ、二人とも確実に拘束されてしまう。


「わたくし共のことは、どうかお気になさらず……行ってください」

「けど――」


 傷ついて倒れたばかりのリーゼや街の人々を放っておけない。


「アークエンジェムに見つかると、なにか不都合があるのでしょう? 理由は聞きませんわ」


 リーゼは凛とした態度で、指をさして促す。


「御使いが来られたなら、もう安心です。ですから、お早く」


 ヨスガは頭を下げ、レムを背負って歩き出す。翼使の彫刻を振り切るため、身を隠せる場所を求めて歩き続けた。

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