21:静香

 結局あれから乃愛と一言も会話出来ないまま、乃愛を一人残して、深雪は下校した。

 とぼとぼと、普段の倍ほども遅い歩き方で家へ向かっている途中で、ガン、と頭を殴られるような光景に出会った。


(悠だ…)


 それは信号の向こう側のカフェ。窓際の席に座っているのは間違えようもない、悠だ。

 そして、その向かいに座って談笑している相手は…。

(本当の、彼女…?)

 会ったことはない。容貌について詳しく聞いたわけでもない。ただ、悠の優し気な顔が、その女性への好意を示しているようで、深雪は衝撃でその場に立ち尽くしてしまった。


◇◆◇


 悠は、ふと視線を感じて窓外を見遣る。

(あれ…?)

 何故か信号が青なのに渡らずに立ち尽くす女の子。

(深雪だ)

 しかし深雪と認めた次の瞬間には、彼女の尋常ならざる空気に気づき、思わず腰を浮かす。

「…悠くんどうしたの?」

 同席している相手が悠を不審そうに見つめる。

「ちょっと、すみません」

 席を立って店を出た。また赤信号になったので、変わるまで待って、まだ固まっている深雪の許へ走った。


「深雪!」

 自分の名を呼ぶ声と、走ってくる人物を認めて、深雪は驚いた。

「どうしたんだよ」

 とても心配そうに覗き込んでくる悠を、深雪は正面から見ることが出来ずに思わず顔をそむけた。

 その仕草を気に留めず、悠は深雪の手を取る。

「今あの店で知り合いとお茶してるんだけど、お前も寄っていかない?」

 深雪は驚いた。彼女と二人で過ごしている場所へ、自分を連れていくの?

「お前のこと、紹介したいし」

 

(そうだ、今は、私が悠の彼女なんだ…)


 半ば引っ張られるようにして歩いて、カフェに入った。悠が向かう先には、ロングヘアの綺麗な女性が座っていた。


「すみません、静香さん。突然出てって…」

「ううん。大丈夫。…お友達?」

 静香と呼ばれたロングヘアの女性は、視線を深雪に転じて、ニコッと笑いかけてきた。

「はい、あの、この前話した幼馴染の…」

「ああ、深雪ちゃん?初めまして」

「あ、は、はい。あの…柊深雪です」

「柊、って木に冬って書く、柊?」

「はい」

「綺麗な名前ねぇ…。良く似合ってるわ。…悠くん、幼馴染じゃなくて、彼女、でしょ?」

 悪戯を見つけた母親のように軽く悠を睨んで笑う。

 悠はばつが悪そうに、先に深雪を座らせて、その隣に腰掛ける。

「あ、まあそうなんすけど…。幼馴染だった期間のほうがずっと長いから」

「そうかもしれないけど、他人に紹介するならちゃんと言わなきゃだめよ」

 そう言って、深雪にメニューを差し出しながら自己紹介を始めた。

「安西静香って言います。は…神崎くんとは最近図書館でよく合うの。神崎くん若いのに年寄臭い本ばかり読むから…」

「って、ちょっと!」

「あはは、ごめん。…で、たまに自分が読んで面白かった本を教えてあげたりしてるの」

「年寄って…。深雪、何か飲む?」

「…あ、じゃあ、ミルクティー」

 深雪に代わって悠がオーダーしてくれる間も、静香は優しく話しかけてくれた。

「…左側の頬っぺた赤いけど、大丈夫?」

「あ、これは…」

「こいつすぐ怪我するんですよ。またどっかにぶつけたか?」

 本当のことを説明せずに済んで、深雪はホッとしつつ、大丈夫であることを二人へ告げる。

「近くの大学に通ってるの。もしまた会えたらお茶しようね」

 悠ではなく、深雪に向かってそう言うと、三人分の伝票をさり気なくつかんで、静香は帰っていった。


「あー、また奢らせちゃった…。素早いんだよな、伝票取るの」

「ごめんね、私まで…」

「いや、今度俺からお礼言っとくから。つかマジでその顔どうしたよ?」

「これは…」


 嘘は吐いてはいけない。でも本当のことを話せば、悠は乃愛を怒る。

(乃愛は、ただ悠が好きなだけなのに…)

 言葉に詰まって、深雪は立ち上がった。


「ごめん、私、帰るね」

「えっ、おい、深雪?!」


 まだ深雪が頼んだミルクティーは来ていなかった。

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