20:痛み

 部屋へ戻っても、まだ深雪の頭はぼーっとしていた。

(悠と、キス、しちゃった…)

 まさかあのタイミングで悠がああいう行動をとるとは思っていなかった。

(今までだったら頬っぺた引っ張るとか鼻摘むとかだったのに)

 これが、“恋人”と“幼馴染”の違いなのか。

 抱き寄せられた時も驚いたが、その比じゃない。

 思い出すだけで、幸せで体がふわふわ浮き上がりそうになる。

(そ、そうだ。ごろごろしてないで宿題の続きやらなきゃ!)

 慌ててカバンから教科書とノートを引っ張り出して広げる。しかし教科書を見て朝の悠との自習を思い出すと、連鎖的に帰り道の出来事まで思い浮かんでしまい、結局宿題には手を付けることは出来なかった。


◇◆◇


 翌日の放課後、珍しく乃愛が真面目な顔で「話がある」と言ってきた。

 普段はニコニコして自分から何かを発信することが無い乃愛からの申し出に、深雪は少し面食らいながらも、悠に先に帰ってほしいと伝えて乃愛の後ろに従った。


 乃愛は深雪を連れて、今はほとんど使われることが無くなっている3階の美術室へ向かった。

 中に入ると、布が掛けられた備品が所狭しと並んでいる。

 来慣れない部屋で落ち着かない深雪を中に入れると、乃愛は後ろ手に扉を閉めた。


「ここ、初めて来たかも。今は物置みたいになってるんだね」

 部屋を見回しながら乃愛に話しかけたが、返事はない。

 いないのかと不思議に思い、振り向いた瞬間、パアン!と乾いた音が深雪の頬で弾かれた。


 痛みより驚きで、深雪は自分を叩いた相手―乃愛―を見つめた。

 しかし叩いたはずの乃愛が、大粒の涙をぼろぼろ流して泣き始めた。


「っ、なんで、なんでよ!いつもいつも、深雪ばっかりっ…」

 しゃくり上げながら涙を流し続ける乃愛に、深雪は何も出来ず立ち尽くした。

「深雪なんて…いつも我儘ばっかり!気分で周りも悠くんも振り回して、みんなを困らせて、でも謝ったり悩んだりするのは私たち!深雪は何もしない!反省もしない!」

 怒涛のように溢れてくる深雪への怨嗟に圧倒されて動けない。

「それっ…それでも!悠くんは深雪がいいって!そのままの深雪がいいって…そんなの、そんなのずるいよー!」

 

 言って、わーっと泣き崩れる乃愛を、深雪は黙って見ているしか出来なかった。


(そっか、乃愛は…)


 きっと、ずっと悠のことが好きだったのだ。

 悠が好きで、深雪の尻ぬぐいばかりしている悠が不憫で、悠の負担を減らすために私のそばに居て、悠の代わりに色々面倒を見てくれていたのか。


 友達だと思っていた乃愛の本心と悠への想いに圧倒され、深雪は一言も発することが出来なかった。動くことも、出来なかった。

 乃愛に打たれた頬の痛みが徐々に引いていくことすら、自分が罪から逃れようとしている証のようで、辛かった。

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