05:月兎

 呆然自失の体で、フラフラと部屋へたどり着く。

 脱力するようにベッドに腰掛け窓の外を見ると、道路向かいにある悠の家が見える。丁度真向かいにある部屋が悠の部屋。しかし昨日からしっかりとカーテンが閉じられている。まだ陽も高いのに。


『二度と俺の前に顔見せるな』


 あの声が、言葉が、深雪の中に反響し続けている。狭い空間をバウンドし続けるピンポン玉のように、それは止まることを知らない。弾むたびに深雪の心臓や胃や皮膚がビクっと震える。


 気づくと、深雪の頬に涙が流れていた。

 あとからあとから、止まることなく流れ続けている。あまりに静かに流れ出るため、当の深雪自身もしばらく気づかなかった。


「うっ…、ふ、ふ、ふえぇぇぇん…」


 とうとう声を上げてしまった。

(どうして?どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…どうしてこうなったの?この前までは、ずっと変わらない悠だったのに…)

 二度と戻らない幻を追いかけるように、少し前までの悠の優しさ、気遣い、言葉を思い出す。その瞬間さっきの言葉が稲妻のように胸を刺し貫く。

 懐かしさと恐怖に挟まれて、深雪はベッドにうずくまり、そのまま眠ってしまった。


◇◆◇


 気が付くと部屋は真っ暗だった。

(そっか、寝ちゃったんだ私…)

 覚醒したことを気づいた瞬間、眠りに落ちる前の辛さがフラッシュバックした。

 ビクっと震えたとき、柔らかい何かが深雪の膝を叩いた。


「深雪、おい、深雪」

 へ…?

 誰もいないはずの部屋に、自分の名を呼ぶ存在がいる。

 とっさに

(ぎゃー!幽霊?!)

 飛びのきそうになったが、柔らかい何かがポフっと深雪の膝に飛び移り、立ち上がって深雪を見上げていた。

「こら、こっちだよ。僕だよ」

「む、ムーちゃん?!え?喋ってる?!ムーちゃんが喋ってるー!!!」

「お、おい!大声出すな!深雪にしか聞こえないんだから」

「え、だってだって、ムーちゃんでしょ?モフモフだよ?いつケージから出たの?あ、ご飯まだだったね、ちょっと待ってて…」

「こら!ご飯は後でいいから、少し落ち着け」

 落ち着けって…。

 飼い兎がいきなり喋りかけてきたのに、落ち着けるはずはない。

 もう自分の身に何が起こっているのかさっぱり分からなくなった深雪は、冷静にパニックだった。

「ムーちゃんがいけないんだよ、急に喋るから」

「僕のせいじゃない。深雪が泣くから…」

 短い前足を深雪の胸に当てて、背伸びをするように顔を近づける。

 見た目はいつものムートン、ムーちゃんなのに、喋ってる…。

 泣くのも忘れてまじまじ見つめてくる深雪に、ひげをそよがせて、ムートンは苦々しい顔をする。

「言っておくけど、今の僕はムートンじゃないよ。月兎って言って精霊の一種なんだから、ちょっとは敬ってよね」

 えへん、と言いたげなしぐさで名を名乗るが、モフモフもこもこの見た目はいつもと変わらないから、深雪の態度も変わらない。

「ねーなんで喋れるの?ていうか喋れたの?ずっとそれ黙ってたの?」

「聞いてる?…もういいや。僕が急に喋れるようになったのはね、深雪のせいだよ」


 …私の?

 事態に全くついていけない深雪は、更に大きな「?」マークを顔に浮かべた。

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