出向
翌日の早朝、ケルディン達は防衛兵が用意した馬車に乗り、北部の集落、ミヘラに向かって出発した。
馬車の操縦は、防衛兵の二人が交代で担当してくれるようだった。彼らが言うには、ミヘラには休憩なしで向かえば一日で行けるそうだ。しかし、生徒たちを気遣ってか、今回は途中で野宿をし、明日の昼頃に到着する予定らしい。ケルディン達調査隊には、到着までの間、休息をとるように防衛兵の二人から指示が出た。
出発して十分もたたないうちに、ウィルとミオンは馬車の幌に背中を預けて眠ってしまった。ウィルに至ってはのんきにいびきをかいている。
「こいつら、きっと大物になるな」
呆れたようにサロメは言った。御者台に座って手綱を取っているショーンは何も言わず、黙々と馬車を操っている。
「すみません……」
レベッカが申し訳なさそうに小さな体をさらに縮こまらせた。昨日から、彼女はウィルのことで謝ってばかりだった。
「レベッカは面倒見がいいんだね」
レベッカが驚いたようにケルディンを見る。
「そんな風に見えていますか、私」
「見えますよ。あんな馬鹿放っておいたらいいのに。先輩には失礼ですけど」
ザックは辛辣な口調で言った後、言い訳をするように小声で付け加えた。
先ほどから彼は、調査隊に支給された騎士剣を丁寧に手入れしている。この剣は、魔法騎士団が使っているものと同じものらしい。
「私は別に、ウィル君のためにやっているわけじゃあありません。ただ、人に非難されるのが嫌で……。だから、これは面倒見がいいとかそういうのじゃなくて、自己防衛です」
レベッカは下を向いて自信なさげに話す。自分を卑下するその言い分や、他人との接し方は、良くも悪くも、目立ってしまうのをひどく嫌っているように感じられた。
人の秀でた部分がすべての人間に羨望され褒められるほど、善良な世界でないことをケルディンは十二分にわかっていた。だからこそ、レベッカのような生き方は好きではなかった。『バケモノ』の忌み名を恐れて、実力と弱さをひた隠しにしていた昔のマリーを見ているようだった。
「でも、止める人がいないとウィルは他人と衝突するでしょう。レベッカの行動は、意味があるものだと思うよ」
「あ、ありがとうございます。でも、ウィル君にはいつも『うっせぇチビ』って怒鳴られちゃいますけど……」
「バカは素直じゃないねえ」
ザックが呆れたように言う。
その会話を聞いていたサロメが起きている三人に向かって問いかける。
「君たち、やけに仲がよさそうだが、初対面なんだよな?少なくとも俺は爺さんからそう聞いているし、ケルディンも同じようなことを言っていたが」
爺さんというのは学園長のことらしい。
「ウィルとレベッカ以外は初対面だと思います。そもそも、学園では他学年との関わりはないですから。サロメさんの時は違ったんですか」
「いや、そうだったな。王都を追い出されてだいぶたっちまったからな。忘れていたよ」
サロメの言葉に引っかかったレベッカが彼に向かって問いかける。
「追い出されたとは、どういうことですか」
「おっと、余計なことを言ってしまった。忘れてくれ」
誤魔化すサロメに、レベッカは困惑した表情を浮かべる。ケルディンも同じだった。王都を追い出される、とはどういうことだろうか。
「騎士団に入れなかったものは、防衛兵となって、金輪際王都には入れない。今回みたいな特例がない限り、な」
これまで黙って手綱を引いていたショーンが投げやりな口調で言った。前方を向いているせいで、彼がどんな表情をしているのかはわからない。自分が誤魔化したことをショーンがあっさり口を割ってしまったせいか、サロメは非難するように彼の名を呼ぶ。
「別に隠すことでもないだろう。そのうち知ることになる」
「そういう問題じゃないんだよなあ……。君たち、今のは聞かなかったことにしてくれ」
「はぁ……、わかりました」
何一つ腑に落ちなかったが、不承不承といった感じでケルディンはうなずく。他の者も異論を唱えなかった。
話が一段落着いたところで、ミオンが目を覚ました。目元をこすり、大きく背伸びをする。それをきっかけにして、サロメが御者台のほうへ向かった。どうやら、ショーンと交代するらしい。
しばらく馬車に揺られていると、急に馬車が動きを止めた。サロメが御者台を降りる。
「どうしたんですか?」
ザックの問いに、ショーンが答える。
「検問だ。全員降りろ。寝ている奴も起こせ」
ケルディンは言われた通りに、馬車から降りる。ザックがそれに続き、少し遅れてミオンが目を擦りながら降りてくる。
馬車は王都の防壁にある関門で停車していた。ケルディンが度々抜け出してマリーと登るのは、ここではなく、学園の近くの防壁だ。既にずいぶんと学園から離れてしまっているようだ。
「ここ、どこですか……?」
寝ぼけ眼のミオンが言う。寝起きだからか、少し声のトーンが低かった。
「防壁の真下だね……。学園の近くにもあるけど、こんな近くまで来たのは初めてだ」
物珍しそうに、ザックは防壁を見上げる。
頻繁に防壁に上って夕陽を見ていることは、規律違反でもあるので黙っておく。
起こされて不機嫌そうなウィルを引っ張りながら、レベッカが馬車から出てくる。
「これで全員か」
関門にいた、関門に作られた、簡易的な詰所から男が出てくる。純白のシャツに、銀の刺繍が施された黒色のジャケット。襟元には金のラペルピンが輝いている。その装いと、襟元に輝く王国の紋章が、彼が特別な存在であることを示している。それらを纏えるのは、魔法騎士団の団員である証だ。
「ああ。この五人はキュリアの学生だ」
男は五人を一瞥すると、黙って馬車の中に入っていく。馬車の荷台を調べるらしい。ショーンが彼の後を追う。
「あれが騎士……。初めて見ました。なんというか、同じ人間とは思えないですね」
レベッカの言葉に、ケルディンはうなずく。彼女の言うとおり、彼は特別に見えた。装いだけではなく、そのたたずまいや在り方は自分たちとまるで違う。
騎士が馬車から出てくる。何も言わず、詰所へ戻っていく。
「馬車に乗れ。出発だ」
ショーンが言った。彼はすでに御者台に座っている。ケルディン達は慌てて馬車に乗り込んだ。
関門を抜け、馬車は平民街に入った。
ケルディンは、関門に到達するまでの間に防衛兵の二人が言ったことを、頭の中で反芻した。
防衛兵の存在自体は、もちろんケルディンも知っていたし、生徒たちの間でも周知の事実だ。しかし、彼らが王都に立ち入ることを許されていない、というのは初めて聞いたことだった。
それに、サロメの様子からは、そのことを知られることは都合の悪いことのように感じられる。なぜ、防衛兵は王都に入れないのだろう。ケルディン達と同じ貴族であるのに。そして、それを隠す理由はなんだろうか。
考えても、答えは出てこなかった。
ケルディンは気晴らしに、幌の隙間から外を眺めた。思えば、平民街に出るのは初めてのことだった。今までは防壁の上から眺めるばかりだった。特別、王都と違うところはない普通の風景だった。
外から目を離し、思い思いにくつろいでいる同乗者たちを見る。ミオンは未だ眠そうに目をこすり、ザックは幌にもたれかかって目をつむっている。レベッカは、膝を抱えてただ静かに座っていた。彼女の視線の先では、ウィルが未だ起きることなく、いびきをかいて眠っていた。
その日の夜は、人里から離れた平原で、野宿をすることとなった。
前日の防衛兵二人との打ち合わせで言われたことだが、民との接触はできるだけ避ける方針らしい。そのため、町に入って宿を探すわけにもいかず、外で一夜を過ごすこととなった。
町に入らない理由を説明されていないケルディン以外の面々は、口々に文句を言っていたが、ケルディンと防衛兵二人が交代で見張りをすることを提案すると、しぶしぶ了承してもらえた。
ケルディンが一番初めに見張りをすることとなり、防衛兵の二人は仮眠をとっている。ミオン、ウィル、レベッカは食事を終えると早々に寝る体制に入り、しばらく焚火を囲んで、一緒に見張りをしてくれていたザックは次第に声が聞こえなくなり、起きているのはケルディンだけとなった。
ケルディンは眠ってしまったザックの身体に毛布を掛けてやった。話し相手もいなくなり、手持ち無沙汰になってしまったケルディンは、ぼんやりと焚火を眺めた。今頃、学園の皆はどうしているだろうか。いつもだったら夕食を終えて、各々自由に夜を過ごしているころだろう。なにも言わずに出てきてしまったが、レオは同居人であるケルディンの不在をどう思っているだろうか。調査隊に行ったのだと察しているのだろうか。
ふと、昨夜のマリーのことを思い出す。あんなにも不安そうな顔をした彼女を、ケルディンは見たことがなかった。
優しい彼女のことだ。自分よりも弱いケルディンが危険な場所に行くことを、案じていたのだろう。調査を終えて、無事な姿を早く彼女に見せてやりたいと思った。
何かが草木を踏みしめる音が、静寂を破った。ケルディンは咄嗟に身構えたが、音がしたのは皆が寝ているほうだった。
交代には早い、と思いながら音がした方に目を向けると、立っていたのはレベッカだった。どこか頼りない歩みでこちらにやってきた彼女の顔を、焚火が茜色に染める。
その目元には、かすかに雫が光っていた。
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