第33話

 ようやく到着した目的地の村は、すでに廃墟と化していた。

「おかしいですね。地図にはちゃんと載っているんですが……」

ホクトが改めて地図を開く。

「直近の情報が更新されてなかったんだろう。それとも、古い地図だったのか。どうやら近くに村は無さそうだし、今夜はここに泊まろう」

いち早く馬車を降り、周辺の様子を確認していたマモルが戻ってきた。

「おい、なんかおかしい! そこら中が人骨だらけだ! ここは危ないんじゃないか?!」

村の中まで進んで行くと、確かにマモルが言った通り、夥しい数の骨が散らばっていた。

「ねぇ、気持ち悪いよ。早く離れよう」

ミナミが怯えて馬車に戻ろうとする。

「ここの人たち、どうやら魔物にやられたみたいですね」ホクトが骨を確認して言った。所々に齧られた跡がある。

「どうします?」

「日が暮れてから進むのは危険だから、どのみち遠くには行けない。野営するより、建物の中の方がまだマシだと思う。明日の朝は出来るだけ早く出発しよう」

カリスの提案に全員納得し、比較的状態のいい家屋に荷物を運び込んだ。

「——あのさ、悪いんだが、俺とケイコは他に泊まっていいか?」グラディウスが柄にもなくおずおずと願い出る。「最近、二人きりになることがなくてさ」

「ダメですよ。ここは安全じゃないみたいだし」

ホクトが作業の手を動かしながら、表情を変えずに言う。

「いや、まあ、いいんじゃないか? グラディウスとケイコなら、大抵の魔物は何とかなるだろうし。ただ念のため、寝所を決めたら、後で知らせてくれ」

「すまん、ありがとう」

そう言って、二人は建物を出て行った。

「いいなー、師匠は。彼女連れで旅をするとか、羨ましすぎ。なあ、ホクト」

「ああ——、そうだな」

ホクトは少し不満げだった。

 もしかしたら、ホクトはケイコのことが好きなのかもしれない。もし、そうだとしたら、グラディウスが加わってからの旅は、ホクトにとって辛いものだったろう。

(今になって気づくなんて、俺ももっと周りを見ないとダメだな……)

 支度ができるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。グラディウスとケイコは、村はずれに良さげな家屋を見つけたらしく、つい先程、報告に来て、また出て行った。

「四人だから、今夜の見張りは一人ずつにしよう。最初はわたしが担当する」

カリスはランプを消し、見張りに備えた。火ではない明かりは、却って魔物を呼び寄せてしまう危険がある。

 蒸し暑い夜。風もない。じっとり重苦しい大気が、まるで村全体を押さえつけているようだった。

 外に気配を感じたのは、ホクトたちが寝床についてすぐのことだった。闇夜に紛れて、ウォアアー、という魔物の声が幾つも重なり合って聞こえる。

「みんな、起きてくれ。魔物がいる」

ゆっくりと窓に近づいて外を窺うが、暗くてよく見えない。

 他の三人も、それぞれに窓の外を見ようと目を凝らした。

 少しすると、雲間から月明かりが差し込み、辺りの様子を照らし出す。

「おいおい、嘘だろ……」

マモルが絶句した。周辺には数えきれない程の魔物が蠢いている。まだ、奴らにこっちに気づいた素振りはない。全員、窓辺から離れ、部屋の中心に集まった。

「……どうします?」

ホクトの声が恐怖で震えている。

 これまでに何度も魔物と戦ってきたが、今夜の状況はまったくの異次元だ。

「とにかく、物音を立てないように。ちょっと考える時間がほしい——」

「音を立てなくたって、そのうち奴ら、匂いで気づきますよ!」

ホクトが焦りのあまり声を荒げた。

「わかっている。頼むから静かにしてくれ」

暗い部屋の中を沈黙が支配した。外からは、低い魔物の唸り声と、奴らが周囲を練り歩く足音が聞こえる。

 カリスは隣でミナミが震えているのを感じた。きっと、怖くて、口を開くこともできないのだろう。

「一体どうするんだよ、カリスさん……」

マモルが沈黙に耐えきれなくなり、カリスの指示を仰いだ。

「——仕方ない。君たちは元の世界に帰れ」

「え——?」

ホクトたちの顔が強張った。

「生き残るには、それしか方法はない」

「でもそれじゃ、カリスさんが死んじゃう!」

ミナミの声はほとんど悲鳴と言ってもよかった。

「このまま全滅するより、ずっといい……。こういう時のために、その腕輪があるんだろう?」

「嫌、嫌だよ。ねぇ、お兄ちゃんからも何か言って!」

ホクトは口を開かなかった。それは、他にどうしようもないことを悟っているからだ。

「ねぇ、嫌だよ……。きっと何か助かる方法があるよ。諦めないで。ね?」

「……ミナミ、もう止せ。カリスさんの言う通りだ。この数はどうにかできるレベルじゃない」

「お兄ちゃん?」

「僕だって、カリスさんを置いて行くのは辛い。でも、もう、どうしようもないんだ……」

「嫌! そんなの絶対に嫌!」

「すまない。ミナミ、わかってくれ」

「嫌……」

「カリスさん、ケイコのことだけど……」

「ああ、ケイコはグラディウスから離れないかもしれないな。君たちが帰ったら、様子を見に行ってみるよ。もちろん、無事に二人のところにたどり着ける保証はないけど——」

「すみません……」

ミナミのすすり泣く声が聞こえる。最早、誰も口を開かなかった。

「——さあ、ここが見つかる前に早く行け」

「わたし、帰らない」ミナミが毅然として言った。「ここに残る」

「ミナミ、帰るんだ。君まで死ぬことはない」

「妹を置いて行けるわけないだろ。いい加減、わがままを言わないでくれ」

「わたし帰らない!」ミナミは繰り返した。

「——マモル、そっちの手を押さえてくれ」

腕輪を庇っていたミナミの手をマモルが引き剥がす。

「嫌! 止めて!」

ホクトが三人の腕輪にあるボタンを押した。

「緊急事態だ。帰還する」

「ID番号とお名前を仰ってください」

不思議なことだが、まるで中に人が入っているかのように、腕輪から声がした。きっとこれも異世界の技術なんだろう、

「ID567012コウサカホクト、ID567013コウサカミナミ」

「ID5065478クサナギマモル」

「ID、氏名、確認。座標、特定」

「カリスさん、ありがとう。こんな別れになって、すみません。あなたと旅ができて良かった。実はずっと尊敬してました」

ホクトは目に涙を浮かべていた。

「師匠に会えたら、ありがとうって伝えてください。一生忘れない、って」

「カリスさん、ごめんなさい。わたし、本当はカリスさんのことが——」

ミナミが最後まで言い終える前に、三人の姿はまるで霧のように消えてしまった。

 カリス独り取り残された家は、しんと静まり返っている。

 ふーっ、とカリスは大きく息を吐いた。それからランプに火を灯し、ベッドの埃を払い、寝る準備を整える。

 覚悟はしていたが、仲間を騙すのは辛い。

 外には魔物がウヨウヨしている。だが、奴ら——リッカーは交尾の相手を見つけるべく彷徨っているだけであり、今夜に限っては人間に興味を示さない。

「ただいま。母さん」

カリスは玄関に転がっている髑髏に挨拶した。

 この村は故郷のソクラ村、この家はカリスが生まれ育った家だ。

 カリスは母の頭蓋骨を大事そうにテーブルに置き、ベッドに横になった。だが、なかなか眠れそうにない。昔この村に起きた悲劇と、ミナミたちへの申し訳ない気持ちが、交互に押し寄せてくる。

(すまない——。本当に…………)


朝、ドアが開く音で目が覚めた。グラディウスとケイコだ。

「みんな帰ったのね……」

「ああ……」

「寂しくなるけど、グラさんと一緒にいるには、こうするしかなかったわ」

ケイコは腕輪を外した。

「使い方は昨日見たわよね? わたしのIDは腕輪に書いてある。フルネームはキタムラケイコよ」

「わかった」

「これを渡すには条件があるわ。向こうの世界に行ったら、三人に会って、昨日の夜のことを謝ってほしいの」

カリスは頷いた。

「特に、ミナミには絶対会ってね。あの子、あなたのことが好きだから」

「必ずそうするよ」

ケイコが差し出した腕輪を受け取る。

「すぐに向こうの世界に行くの?」

「いいや、一旦王都に戻る。持っていくものがあるからな)

「お前一人じゃ危ないだろうから、俺たちも王都までついて行く」

「ああ、助かる——」

三人は手早く準備をすませ、王都に帰るべく出発した。

 カリスの胸に、ミナミたちへの想いが、ずっしり重たくのしかかっていた。それは、グラディウスとケイコも同じに違いない——。

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