第25話

 日暮れ時に差し掛かる頃、急に視界が開け、広い草原地帯に出た。視界がいい。

「今夜はここで野営しよう」

一行は馬車を止めた。

 御者を務めていたホクトがフーッと大きく息を吐く。

「お疲れ様」と声をかけつつ、カリスは積んであった薪を下ろした。川から水を汲み、鍋を火にかける。ゴトラを荒っぽく捌き、脂身を次々と鍋に放り込んだ。

「手伝いますね」

ミナミが浮いてきた脂を丁寧にすくい、容器に入れていく。

「わたしも手伝うわ」

ケイコは脂に灰汁を加え、それを型に流し込んだ。固まると石鹸の完成だ。

「化学の実験みたいで楽しいね」とミナミ。

 ホクトは少し休憩をとった後、近くでまばらに生えている木を切り始めた。野営で火を絶やすわけにはいかず、日頃から十分な薪を補充しておかなくてはいけない。

 グラディウスとマモルはすでに日課となった訓練を始めていた。

 やがて日没となり、空は星々で溢れかえった。

 この景色も、ミナミにとっては特別なものなのだろうか? カリスはちらと彼女を見てみる。ミナミは満足げに空を見上げていた。その表情はとても幸せそうに見える。

 辺りが暗くなったので、みんなが火の周りに集まり、夕食をとる。

「俺からケイコに言いたいことがある」

グラディウスが急に立ち上がった。

「え?! 何?」

「俺の妻になってくれ」

「おお!」とマモルが歓声を上げる。

「ちょ、ちょっと待って! いきなり過ぎない?」

ケイコは耳を真っ赤にして恥ずかしがっている。その様子だと、まんざらでもないようだ。

 馬車から降りた時、カリスはグラディウスに「ケイコがお前のことを気に入ってるってさ」と耳打ちしておいた。——が、いきなり求婚するとは思ってもみない。

(本当、グラディウスは自分に正直に生きてるよなぁ)

呆れながらも、少し羨ましいと思っていた。

「ね!! おケイどうするの?」ミナミが回答を促す。

「え、えーと、結婚は早いから、まずは恋人で……」お願いします、と小さな声でつけ加えた。

「おっしゃああ!!」

グラディウスは両手を突き上げ、天を仰いだ。

「静かにしろよ。魔物が寄って来るぞ」

カリスは火に薪を焚べた。

「じゃあ、お前ら、今夜から俺はケイコと寝るからな。そのつもりでいろよ」

それを聞いてケイコの顔が急激に険しくなる。

「何? グラさん、わたしと寝るのが目的だったの?」

「そりゃ、それも目的だが、俺はお前を愛しているから——」

「最ッ低!!」

「誤解だ! ケイコ! 話を聞いてくれ!」

「あなたの話なんか聞きたくないわ!」

「なあ、ケイコ頼むって!」

かなり時間をかけて弁解し、ようやくケイコは落ち着いた。

 めでたく二人は恋人同士となったわけだ。

「はやる気持ちもわかるが、ケイコと同衾するのは次の街まで待て。野営で嬌声なんか聞かされる方の身にもなってみろよ」

「すまん」

グラディウスが頭を下げる。ケイコはというと、顔を真っ赤にして俯いていた。

 見張りは二人ずつ交代で担当することにした。最初はカリスとホクトの番だ。残りの四人は、男性と女性で二台の馬車に分かれて眠った。

 ペアがホクトで良かった、とカリスは思った。グラディウスとマモルは身体がでかいから、一緒に寝ると窮屈な思いをすることになる。今頃、二人はギュウギュウになって眠っているのだろう。

 ホクトはじっと焚火を見つめていた。

「何を考えているんだ?」

カリスは話しやすいように、ホクトととの距離を少し詰めた。

「ちょっとケイコのことを。あいつ、向こうの世界じゃ彼氏を作らなかったから、良かったなぁって。マモルも、グラさんに稽古をつけてもらって、すごく充実してるみたいです」

「ホクトは充実してないのか?」

「ええ、まぁ……」

「帰りたいか? 戻ろうと思えば、戻れるんだろう?」

ホクトはハッとして顔を上げた。

「やっぱり、カリスさんは気づいたんですね。その通りです」

「君たちが隠す理由はわかる。この世界の人間をそっち世界に入れないためだな?」

ホクトはコクリと頷いた。

「カリスさんたちのことは信用してるから心配していませんが。他の人には言わないでください」

「わかっている」

パチパチと火の粉が舞う。

「今日、ミナミと話したが、彼女は彼女なりにこの世界を楽しんでいるみたいだぞ」

「ええ、聞いてました。でも、僕は将来のことを考えると、手放しで楽しめないというか……。無駄な時間を過ごしている気がして」

「じゃあ、帰ればいいじゃないか」

「それはそれで嫌なんです。中途半端に投げ出してしまうみたいで。他の三人を置いていくことになるし」

「はっきりしないな。結局、ホクトはどうしたいんだ?」

「さあ、どうしたいんでしょうね?」

見張りの交代には、まだ少し時間がある。他に話題もないので、カリスはもう少し掘り下げてみることにした。

「『将来のことを考えると、手放しで楽しめない』と言っていたが、ホクトは今後、何か決まった役目を務めないといけないのか?」

「いや、そういうわけじゃありませんが……。キチンとした職業に就いて、家庭を持って、とかそんな感じです。とにかく、ちゃんとしていないといけない、みたいな。でも、僕はこの世界で旅をしていて、そういう方向に進んでないから、不安なんです」

「向こうの世界じゃ、就職や結婚が義務化されているのか……。それはそれで窮屈だな」

「いやいや、誤解してます。別に義務化はされてません」

「ん?」カリスは首を傾げた。「別に義務じゃないなら、そんな不安に思うことないんじゃないか?」

「いや、でも、何というか、周りの目がそれを許さないというか……。仕事や家庭を持たない男は一人前じゃないみたいな雰囲気があって」

「雰囲気だけ? それで不安になるのか?」

「まあ、そういうことになります」

「それ、自分で言ってて、変だと思わないか? 本当に仕事や伴侶を見つけないといけないと思うなら、帰って探せばいいだけの話だろう? でも、それは義務でも何でもない」

「確かに——。なんか、話していると、自分がどうして悩んでいるのか、わからなくなってきました」

「もしかしたら違うかもしれないが、ホクトの漠然とした理由のない不安感は、『こうしたい』という意志がないことからきていると思う。今、自分がしていることに自信が持てないんだろう?」

ホクトはカリスの言葉を噛みしめるように頷いた。

「カリスさんの言う通り、僕には『こうしたい』というものがありません。この世界に来たのだって、マモルに誘われるがままでした」

カタカタと片方の馬車から物音がしたかと思うと、ケイコとミナミが降りてきた。

「そろそろ交代するわ」

カリスとホクトは馬車の中で横になった。

「カリスさんには『こうしたい』っていう目標はありますか?」

「ある」

「そうですか——。羨ましいです」

「別に羨ましいことなんかじゃない。目的があれば、それはそれで悩みも多いからな」

「確かにそうでしょうね」

「思うんだが、目標なんて無理に見つけなくてもいい。目標が無いのなら、今の状況を素直に楽しんだらいいんじゃないか? それこそミナミのように」

「そうか……、そうですね」

ホクトの声が元気を取り戻したのがわかった。

「さあ、もう寝よう」

「そうですね。おやすみなさい。今夜カリスさんと話せてよかった」

「おやすみ」

「なんか、あの二人、わたしのことを話してない?」と、外でミナミがケイコに尋ねる声が聞こえた。

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