第23話

 翌朝、本格的な旅立ちに向けて、カリスとグラディウスは買い出しに来ていた。寝袋や保存食といった、細々としたものだ。必要なものは手に入れ、宿に戻る途中だった。

「なあ——」とグラディウスが不意に話しかける。「お前、ケイコに手を出すんじゃないぞ」

「はあ? 何言ってんだ?」

「だから、ケイコに手を出すな、と言ったんだ。あれは俺の女にする」

「お前、そんなことを考えていたのか……。本当に自由な奴だな」とカリスは呆れた。

「何を言ってるんだ? 俺は自由だ。当たり前だろう? お前だって自由だ」

はた、とカリスは足を止めた。

 子どもの頃は武器商人の仕事、大人になってからは王政府の仕事をしてきた。両親を殺した魔物のことは、いつも頭に残っていて、片時も忘れたことがない。いつか、自分が奴らを根絶やしにしなくてはならない。そう思い込んでいた。だから、恋愛に走ったり、趣味に没頭したこともない。

 王政府を離れて、今はただの旅人になった。"しなくてはならない"ことなんて、何もない。自分は自由だ。カリスは何だか気が軽くなった。

「そうか、自由か。そうだな」

自然と笑みが溢れる。

「何で笑っているんだ? 変な奴だな」

でも、自由だからって、プランCを諦めることはしない。この世界を魔物の恐怖から解放したい。この想いは、最早自分らしさの一部だと思う。

「何でもない。ありがとう」

宿に戻り、みんなで昼食を取ると、午後一に出立した。

 一行は二台の馬車にわかれ進んだ。前の馬車には、ホクトとミナミ、ケイコが、後ろの馬車にはカリスとグラディウス、マモルが乗っている。それぞれ、ホクトとカリスが御者を務めていた。

「移動している間はどうやって過ごしたらいいんだ?」

暇を持て余したグラディウスがマモルに聞いた。

「さあ。ケイコとミナミはずーっと話をしてるけどね。よくもまあ、あんなに話すことがあるもんだと思うよ。僕とホクトは特に何もしないかな」

「そうか。時に、ケイコは決まった相手がいるのか? 結婚してるとか?」

「何? ケイコのこと狙ってんの?」

マモルの表情が一気に和らいだ。

「いいから教えろ」

「いないと思うよ。元の世界にも、彼氏はいなかったみたいだし」

「それはいい情報だ」

「ケイコのどこがいいの?」

「いいところだらけじゃないか。美しい、強い、気さく、強い」

"強い"が二回も出てきた。

「ちょっと!」噂をしていたところ、当のケイコが前の馬車から顔を出した。「前に魔物がいる! 突っ切るけどいい?」

「何匹?! どんな姿だ?!」

カリスが聞いた。

「八匹! 馬くらいの大きさで、目が黄色くて額に一本角が生えてる!」

「突っ切るのは危ない! そいつはたぶんゾロだ!」

カリスは魔物対策局に十年以上務めた。これまで確認された魔物の名前と特性が、全て頭の中に入っている。

 ゾロは素早く反射神経がいい。家族で狩りをする魔物だ。無理に突っ切ろうとすると、すれ違いざまに馬が襲われる可能性が高い。

「全員降りるんだ!」

馬車を降りて前方に回ると、確かに八匹のゾロがこちらを伺っていた。

「前衛はグラディウスとケイコ、ホクトは支援、わたしは後衛につく。マモルとミナミは他の魔物が現れないか、周囲を警戒してくれ」

王都を拠点に狩りをしているのとは違う。この状況では、不測の事態となっても逃げ込める場所などない。攻めだけでなく、守りも考える必要がある。

「何を指示している? 俺が指揮官だぞ!」

「もう、指揮官じゃないだろ」

「心は指揮官だ」

「魔物との戦闘経験はわたしの方が多い」

「ちっ!」と舌打ちしてグラディウスも位置についた。あれくらいの魔物なんか俺一人で十分だ、などと言って突っ込んだりしない。元軍司令のグラディウスは、戦いにおいて数の持つ重要性を理解している。相手は八匹、こっちは六人だ。

 カリスたちの陣形を確認したゾロたちは、距離を保ったまま、ゆっくり周囲を取り囲むように動いた。

「こっちも陣形を変える。馬車を中心に前グラディウス、右翼ケイコ、左翼ホクト、わたしは後ろだ。マモルとミナミは左右で援護を」

指揮をしながら、カリスはこのパーティーのバランスの悪さに気がついた。遠距離射撃三人は難しい。ミナミは魔法使い、マモルはカリスと同じく弓矢を武器としていた。自分が守る後ろを複数匹で攻められると、簡単に突破される危険がある。

 ゾロはグルグル馬車の周りを周り始めた。攻め入る場所とタイミングを測っているようだ。

 ジリジリとした緊張感に辺りが包まれる。そしてついに、ゾロたちが一斉に襲いかかって来た。

「それぞれ正面のゾロに集中! 倒したら右隣へ回転するように戦うんだ!」

カリスは正面から迫るゾロに矢を放った。……が、僅かに外れる。角に矢が弾かれるのを懸念して、狙いを眉間から少し逸らしたことが災いした。

「くそッ!」

急いで放った第二矢はゾロの左目に突き刺さる。「ギャァエアア!」と泣き叫び、ゾロは突進を止めた。しかし、左右からは別のゾロがすぐそこまで来ている。

 弓を引くか、それとも剣を抜いて防御するか、咄嗟の判断を迫られていると、「やあっ!!」という声とともにケイコの薙刀が振り下ろされていた。モロに食らった左手のゾロの首は、首の皮と僅かな肉で繋がったまま、ブラリと垂れ下がった。

 カリスは右から飛びかかるゾロを左に回って回避。ゾロがカリス、ホクト、ミナミの誰を狙うか一瞬躊躇したところを、その首の辺りを狙って射抜いた。

(他のみんなは?!)

倒れているゾロは八匹。どうやら全て撃破したらしかった。

「お前たち、大丈夫か?」

グラディウスは両肩に血塗れの斧を抱えている。

「大丈夫です」ホクトは顔の返り血を拭う。

ミナミは「助かったー」尻餅をついた。

「グラさんが三匹、わたしが二匹、カリスさんも二匹、ホクトが一匹ね」

「二人が居てくれてよかったよー」ミナミは今にも泣き出しそうだ。

 カリスは念のためゾロの生死を確認したが、生き残っている個体はいなかった。

 よく見ると、自分が倒したゾロ以外に矢が刺さった死体はない。ということは、マモルの矢は全て外れたということだ。一方、左翼に倒れている二匹には凍りついた跡がある。ミナミは凍結魔法を得意とし、戦力になり得るとわかった。

「マモル、また外しちゃったのか」ホクトが残念そうに言った。

「どうしてもダメなんだ。魔物を目の前にすると動揺しちゃって。上手く狙いが定まらない」

落ち込むマモルを馬車に乗せて、再び一行は進みだした。カリスが馬を走らせていると、後ろからグラディウスとマモルの声がする。

「お前は弓矢に向いていない」

「でも、魔物に近づくのが怖くて。遠くから攻撃したいんだ」

「かと言って、外してばかりじゃどうにもならんだろう」

「それはそうだけど……」

「軍隊同士の戦いなら、誰が使い手でも構わん。戦争において、矢での攻撃は"点"じゃなく、“面”だからだ。だが、決闘や狩りに使う場合、“点”の攻撃になる。射手は危機の中でも冷静に狙いを定められる人間に向いている。例えばニコラウスだ。あいつの冷静さはちょっと異常だ。もし、お前が安心感を欲しているなら、持つべきは盾だ」

「盾?」

「そうだ」

「嫌だよ、そんなの。率先して魔物の攻撃を受け止めないといけないじゃないか」

「だが、このままでは、お前は役立たずだ」

「おい、グラディウス、そこまで言わなくてもいいだろう」カリスは振り向いて言った。

「事実だ。マモル、男になれ。訓練なら俺がつき合ってやる。強くならないといけないと思っているからこそ、お前は落ち込んでいるのではないのか?」

マモルは黙り込んでしまった。車内に重たい空気が流れる。

 だが、しばらくして、マモルがポツリと言った。

「やるよ。グラさん、僕に稽古をつけてくれ」

グラディウスはマモルの背中を、バンッと叩いた。

「任せておけ。俺がお前を一人前にしてやる!」

 翌日、街に到着すると、グラディウスは大型の丸い盾と太い短剣を数本買ってきた。

「基本的な戦い方はこうだ。先ずは相手の攻撃を受ける。そしてすかさず短剣で突く。どんな生き物でも攻撃中は隙ができる。そこを狙うんだ。やってみろ」

グラディウスは金属の棒をマモルに振り下ろした。

「ひいっ!」

マモルが盾を押し出し身を縮こめる。グラディウスの一撃は盾を払い取った。

「駄目だ! 顔を背けるな! 目を開け! 相手の攻撃を盾で防ぎつつ、衝撃は身体で受け止めるんだ! もう一回!」

「お願いします!!」

二人は同じ動作を何百回と繰り返している。

「まだやってるんだ」ミナミと買い物に出かけていたケイコが戻ってきた。

「俺はマモルを強くする」

「期待してるよ、グラさん」


 次の日、カリスはマモルに弓を引いていた。もちろん、安全のために矢尻は外してある。とはいえ、もし当たったら相当痛いはずだ。

「本当にいいのか?」

「いい、やれ」

「そっちに聞いてるんじゃない。マモルに聞いてるんだ」

「お、お願いします!」

「じゃ、遠慮なくいくぞ」

第一矢、身体の中心。バンッと盾に弾かれる。第二矢、右肩あたり。同じく跳ね返された。第三矢、少し意地悪に右足元。

 マモルは一瞬で反応し膝を屈めた。盾の中心で矢を受け、衝撃は低い体勢の身体に吸収される。

「おお、すごい! 一日でこんなに!」

「マモルは元々反射神経がいい。それにこの太めの身体で、どんな衝撃も受け止めることができる」

「昨日しこたま攻撃を受けて、あんまり動揺しなくなったし、身体も自然に動くようになったんだ」

「受けさえ出来てしまえば、攻撃は簡単だ。弱点を狙って突くだけだからな」

「はい! 師匠!」

「こんな言い方は変だけど、次に魔物と遭遇するのが楽しみだな」カリスは心底感心した。

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