第749話 血痕

「申し訳ございません、勇者様……すぐに作り直しますね」

「いや、いいんだよ。気にしないでくれ……君も僕に付き合って疲れているんだろう。そろそろ地上へ戻ろうか」

「……そうかもしれませんね、大分長く潜ってしまいました。きっと、他の人も心配しているでしょう」



シュンは数日も大迷宮の最下層で過ごしており、冷静に考えればいくら勇者とはいえ、問題行為である。しかし、シュンもその事は理解しているため、大迷宮に挑む前に彼はを書き残していた。


手紙の内容は魔剣の力を完全に制御できるまでは大迷宮に潜るという内容であり、当然だがそんな事を正直に伝えれば他の人間から止められてしまう。だからこそシュンは手紙だけを残して城から立ち去った。強硬手段ではあるが、そのお陰でシュンは魔剣の力を完全に制御下に置いていた。



「僕はもう大丈夫だ。魔剣なんかに負けたりしない……見ていてくれ、イレア。僕はきっとこの世界で一番の勇者になるよ」

「……ええ、信じています」



イレアはシュンの言葉を聞いて微笑み、彼の腕を手にした。その行為にシュンは照れくさそうな表情を浮かべるが、すぐにイレアは何かに気付いたように上を見上げる。



「…………」

「イレア?どうかしたのかい?」

「いえ、何でもありません……勇者様、料理を作り直すのでもうしばらく休んでいてください」

「そうかい?なら、そうさせてもらおうかな……」



急に眠気に襲われたシュンはイレアの言葉に有難く従い、彼女が料理を作り直す間は眠る異にした。大分疲れが蓄積していたのか、シュンは瞼を閉じると睡魔に襲われて意識をすぐに失う。


呑気に眠りこけたシュンを見てイレアは微笑み、彼の頭に手を伸ばす。完全に意識が失っているのを確認すると、イレアはシュンの頬にキスをする。



「貴方の事は気に入ってましたよ……勇者様」



イレアはそれだけを告げると、彼女は短剣を取り出して眠りこけているシュンに視線を向ける。殺そうと思えば今すぐにでもイレアはシュンを殺す事は出来るが、そんな事をする理由は彼女にはない。彼女の真の目的は間もなく達成しようとしていた――






――次にシュンが目を覚ました時、彼は大きな物音を耳にして目を覚ます。何事かと思って彼は身体を起き上げると、そこには異様な光景が広がっていた。



「な、何だこれは!?」



シュンは調理中の料理が地面にこぼれている事に気付く。ひっくり返った鍋を見て最初はイレアが料理を失敗したのかと思ったが、肝心の彼女の姿が見えない。



「イレア!?何処にいるんだ、イレア!?」



周囲を見渡してシュンはイレアの姿が見えない事に気付き、彼は慌ててテントの中を覗き込むが彼女の姿は見えない。つまり、イレアはこの場を離れた事を意味するが、そんな事は考えられない。


休憩地点を抜ければ魔物の巣窟に足を踏み込む事を意味しており、戦闘能力がないイレアでは魔物に対抗する事が出来ない。それにも関わらずにイレアがここを離れたのならば何か理由があるはずであり、シュンは彼女の後を追うために手がかりを探す。



「イレア!?返事をしてくれ!!イレア……こ、これは!?」



シュンは地面に「血痕」のような赤色の液体がが滲んだ跡が残っている事に気付き、この大迷宮では死体の類は時間の経過によって大迷宮に吸収されてしまう。つまり、これが血痕だった場合、この血痕は最近に出来た物だと証明される。


血痕を見たシュンはこの血を流した者はイレアである可能性が高く、彼は顔色を青くして血痕を追って移動を開始する。急がなければ血痕が大迷宮によって吸収されてしまい、跡形も残らずに消えてしまう。その前にイレアを見つけ出す必要があった。



(イレア!!無事でいてくれ!!)



シュンは血痕の辿って休憩地点を離れると、迷路のような通路を移動してイレアの姿を探す。どうして休憩地点からイレアが離れたのか分からず、魔物に襲われたとは考えにくい。



(まさか、誰かがイレアを襲ったのか!?)



休憩地点にはあらゆる魔物が近付けないため、調理中のイレアが魔物に襲われて連れ去られたとは考えにくい。そもそも魔物ならばイレアを襲った時点で彼女を殺し、ついでに眠っているシュンにも手を出していたはずである。


それを考慮するとイレアを襲った相手は魔物である可能性は限りなく低く、考えたくはないが第五階層に入り込んだ人間に仕業ではないかと思う。ここでシュンは追いかける事に夢中で自分の手元に「魔剣カグツチ」が存在しない事に気付く。



(くそっ、まさか狙いは僕の魔剣だったのか!?という事は、イレアは僕を庇って連れ去られたのか……!?)



手元に魔剣が存在しない事、そして消えたイレアに血痕だけが残っている事にシュンはこれまでにない不安と恐怖を抱き、同時にイレアを連れ去った存在に憎悪を抱く。

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