第90話 森の異変

「そうだな……結果的には赤毛熊を相手に犠牲を出さずに勝利した事は事実、レイナ君のお陰だ。ありがとう、だがもう無茶はしちゃ駄目だぞ」

「はい、すいません……あの、この魔物は赤毛熊というんですか?」

「ああ、私達の領地にも生息する凶悪な魔物だ。非常に厄介な魔物で普通なら山奥にしか生息しないはずの魔物なんだが、人間の味を覚えると山を下りてくる事もある危険な魔物だ」



リル曰く、赤毛熊は魔獣種の中でも上位に位置する危険種であり、冒険者でも白金級以上の階級の人間でなければ対処できない強敵だという。


過去にリル達も何度か他の者と共に強力して討伐を果たしているが、その際に犠牲者が生まれており、今回のように誰も殺される事なく討伐できたのは初めてだった。


赤毛熊は普段はオークなどを襲って獲物を確保するのだが、人間を喰らうとその味が忘れられず、住処を離れてまで人里に降りて襲いかかる事もあった。恐らくは何らかの理由で森の中で生活していた赤毛熊がオークを喰らうために現れたのかと思うが、この赤毛熊が森の異変の正体とはリルには思えなかった。



(オークたちはこいつを恐れてこんな場所まで逃げてきたとは思いにくい……という事はもっと恐ろしい何かが生息しているのか?)



赤毛熊は群れを作らず、住処の中に同族の赤毛熊が入り込んだとしても激しく縄張り争いを行う。発情期のみに赤毛熊は交尾を行うために同族を迎え入れるが、生まれてきた子供でさえも縄張りの外に放置して子育てを行う事はない。だが、子供でもゴブリンやオークを狩猟する力を持つため、生き残る事は難しくはない。


仮に森の中に複数の赤毛熊が住み着いていた場合、必ず縄張り争いを起こすはずなのでリル達が現れた赤毛熊以外の個体が存在する可能性は低い。仮に存在したとしてもリル達が倒した赤毛熊の縄張り内ならば迂闊に入り込むはずがないはずなのでこれから先はしばらくの間は赤毛熊が襲ってくるはない。



(早急にこの森を去った方が良さそうだな……素材は惜しいが、回収する暇はない)



赤毛熊もオークも解体する暇はないと判断したリルはレイナ達を引き連れて先に進むことを提案する。一刻も早く、この森を立ち去った方が良いと直感が告げており、その判断は決して間違ってはいなかった――






――移動を開始してから更に数時間後、時刻は夕方を迎えるがレイナ達はやっと森の中腹まで移動を果たす。


最初の頃はオークやコボルトの群れに襲われていたが、不思議な事に森の奥に進む度に魔物と遭遇する回数が減っていく。普通ならば森の奥に進めば進むほど魔物と遭遇する確率が高くなるのだが、明らかに森の中に何らかの異変が起きている事は明白だった。


魔物と遭遇しない事は良い事ではあるのだが、流石にこれまでの戦闘で全員に疲労が蓄積されており、特にレイナは慣れない森の中での戦闘のせいで予想以上に疲労が溜まっていた。文字変換を使用してステータスを万全な状態に戻す事も出来るが、万が一の場合を考えて能力の使用を控える。



「うっ……」

「レイナ、大丈夫?」

「顔色が悪いぞ、水を飲め」

「ありがとう……」

「「ウォンッ……」」



最初の頃はネコミンにしがみ付くのを躊躇していたレイナだったが、現在は彼女に後ろから抱き着くように身体を任せ、この中で最も魔物との戦闘が不慣れだったレイナが疲労していた。


既にマグナムも弾丸が1発しか残っておらず、頼りになる聖剣も威力が高すぎるという理由から無暗に振り回すと周囲に生えている樹木まで切り裂いてしまい、倒木を引き起こすので出来る限り戦闘の際は周囲に気を配らなければならない。


リルはレイナが能力を使えば元の体調に戻れる事は知っていたが、レイナの能力は無限に扱えるわけではなく、条件がある事は知っていた。だからこそ迂闊にレイナに能力を使えとは言い出せず、仕方なく休憩を挟む事にした。



「この周辺には魔物がいないようだ、少し休もう」

「え、でも……」

「気を遣わなくてもいい、私達も疲れているんだ……30分ほど休んだら先に進もう」

「そうですね……」

「シロとクロも休ませないと」

「「クゥンッ」」



レイナ達は休憩のために座り込むと、少し早いが晩飯の用意を行う。最も火を使う事は出来ないので携帯食料を食べる事になるが、ここでレイナは自分の家から持ってきた食糧を渡す。



「あ、良かったらこれ食べてください」

「これは……カップ麺とは違うのか」

「煎餅です。こっちの世界にはないんですか?」

「いや、私は食べた事があるぞ。だが、獣人国ではあまり出回ってはいないがな」



煎餅を取り出したレイナは皆に渡すと、リルは不思議そうに眺めるがチイとネコミンは知っているのか有難く受取る。


シロとクロに対してはレイナはドックフードを取り出して食べさせると、自分も煎餅を味わう。晩飯と呼ぶには質素な食事だが、今は贅沢を言ってられない。



(早く外に出て普通の食事がしたいな……オークのステーキとかあるのかな?)



この世界の食べ物に関しては地球に存在する食材も豊富ではあるが、中には魔物の肉を取り扱う料理も存在した。レイナは森の外に出たら美味しい食べ物を口にする事を誓い、今は我慢して煎餅を齧りつく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る