6

 間もなく玄関げんかんのベルが鳴る。けれども、家の中にはだれもいない。

 ベルは何回もり返し鳴り、そして止んだ。

 それから少し間が空いて、だれかが家に帰ってくる。その人物は、チハルの部屋のドアを開けたようだった。バタンという音がして、そしてすぐに閉まる。どこかで水の流れる音がして、そのうち料理をする音になっていく。

 チハルが帰ってきたのは、だいぶおそくなってからだった。カーテンを完全にめ切ると、チハルはわたしをリュックから出した。

 チハルの部屋が見える。ベッドはピンクで統一とういつされ、ベッドの位置が高く、その下にタンスや洋服をかけるスペースがあった。はしには本棚ほんだなもあって、教科書やノートが入っている。そのわきから、板のように机がびていた。アリサとちがって、チハルの机はかたづいていた。室内に別のたながあって、そこには教科書以外の本が入っている。その棚はわりと大きく、本以外にもいくつか箱が収まっていた。

「アリサがあんたにこだわらなければいいのに。私、どうすればいいんだろう。ねえ、もし生きてるなら、教えてよ。あなたを手放したい場合、どう処理しょりすればいいの?」

 チハルは私に問いかけてくる。

 一瞬いっしゅん、私は自分の意識いしきがどこかへつながったのを感じた。それは鮮明せんめいなイメージで、パーシルがゴミ置き場から、私を拾い上げるイメージだった。

えるゴミを出す日に、一緒いっしょに出せばいいわ」

 気づいたときには、私はそう伝えていた。自分の声を初めて聞いた。アリサやチハルと比べて、私の声は少し高いみたいだった。

「……マシェラが、しゃべった……」

 チハルは目を丸くして、じっと私を見つめていた。私が話せるとは思っていなかったみたい。

「こんにちは。あなた、おしゃべりできるのね。アリサは知ってたの?」

 言ったとおりになると理解した以上、知らなかったとも言えない。

「話したことはないわね」

「じゃあ、火が出たときはあせったんじゃない?」

「それはそうよ」

 チハルはうなずいた。

「なんだかぬいぐるみが生きてるって不思議だけど、やっぱりマシェラは生きてるんだね。自分で移動もできるの?」

 だれか持ち主がそう言えば、できるのかもしれない。考えたこともなかった。

「あなたがそう断言だんげんしたら、動けるかもしれない」

「それじゃ、私がかくさなくても、あなたが自分で隠れられたかもしれないの?」

「ううん、それは違うわ。持ち主が言うとおりにするようにできてるから、持ち主がアリサなら、アリサの指示にしたがうわね」

「ん? それって、今は私が持ち主ってこと?」

 私が会話をできるようになったのは、チハルがそう言ったからだ。

「そうよ。あなたの手元にある以上、そうなるわ」

 チハルはちょっとなやむような顔つきになった。

「なんだか、あなたをゴミにするのがかわいそうになってきちゃった……」

 私は何も言えなかった。うまく使えば、私は役に立つ。ただ、使い方を間違うと、害にもなる。

 チハルは私をたなの空いた場所に入れて眠った。学校へ行く時間になると、ランドセルにつけるわけでもなく、チハルは私を置いて出かけた。けれども、チハルはタブレットを私の前に置いて、動画が自動再生さいせいされるようにして出かけたから、私は動画で退屈たいくつしのぎができた。もっとも、途中とちゅうでバッテリーが切れてしまうと、あとはひたすら待つだけだったけれど。

 チハルはかない顔で帰ってきた。何かあったんだろう。アリサのことだろうか。

 私が気になっていても、チハルは私に話しかけず、ベッドにうつせになった。ネガティヴな気分のときに私を使っても、おそらくネガティヴな結果を招くだけだ。そう考えると、何も言わずにいるほうが賢明けんめいだろう。

 玄関のベルが鳴る。チハルは動かなかった。家族が帰ってきているわけでもなさそうだ。ベルは繰り返し鳴ったが、チハルは一向に応じようとはしなかった。

 玄関のベルのしつこさを思えば、アリサが来ているとしか思えなかった。チハルが私を持っていると信じているアリサが、ひたすら玄関のベルを鳴らしていて、チハルはその状況じょうきょういやなのだろうと、私は勝手に思った。

 不意にチハルは立ち上がった。そして、私を手に取ると、一言だけ言い放った。

「アリサはもう、追いかけてこない」

 玄関のベルが鳴り止んだ。


 とりあえずアリサの追跡ついせきを止めたチハルは、うつろな目で私を見つめる。これからどうするつもりだろう。

「うーん……私、間違ったかも」

 チハルは私から視線をらした。チハルの横顔は、何かを考え込んでいるように見える。

「さっきはアリサが来ないって言ったけど、明日になったら、また来るかもしれない」

 チハルはそう言って、私とランドセルを交互こうごに見る。

「アリサのだから、私が持ってちゃダメなんだよね。だけど、今のアリサに返したら、また……」

 チハルは私を見てだまった。何て言おうとしてたんだろう。悪用するかも、とか。

 チハルは私をたなに置くと、そのままだまって机の前にすわり、落書らくがき帳とシャープペンを出して、何かき始めた。私の位置から、何を描いているのかは見えない。チハルは真面目まじめな顔をしているから、あそんでいるわけではなさそうだ。

 30分くらいの間、チハルは何度か紙をやぶり捨てて、描き直した。

「できた!」

 満足そうにうなずくと、そのままお風呂に入る用意を始めてしまう。私をランドセルにつけないんだろうか。アリサのけんがあるから、れて行かないつもりかもしれない。学校での様子、見たかったんだけどな。

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