第29話 ロマンチックな夜
数日後のある日、香織さんのハイテンションな声が聞こえてきた。秘書室の扉を開け武藤さんと私ににっこり微笑んだ香織さんは真っ白なワンピースを着て、大きな包みを持っていた。
「こんにちわあ、メグリン。この間はどうもお邪魔しました。通さんの部屋へ案内してください」
「え、ええ。ど、ど、どうぞこちらです」
「通さんに差し入れを持ってきたの」
「そうですか。このお部屋です」
ドアを開けるなり、通さんの顔を見て大きな声で名前を呼んだ。
「通さん、こんにちわあ! 今日はついでの用があって来たの」
「あ、ああ。香織さん、仕事中ですよ。何か用ですか」
「用がなきゃ来ちゃいけなかったかしら」
「ここは、会社ですから」
「そうだったわ。お仕事大変だと思って、差し入れを持ってきたのよ。ハイ私が愛情を込めて作ったお弁当」
「そんなもの持ってこなくていいのに」
「遠慮しないで。皆さんで召し上がってください。たくさんあるから」
「全くもう。しょうがない人だなあ」
回りにいる社員たちは、面白そうにその光景を眺めている。彼らに向かって一言言った。
「皆さんお仕事ご苦労様です。皆さんで召し上がってください。たくさんありますから」
すると、周囲の社員も香織さんの様子を見て、くすくす笑いながらお礼を言った。
「あ、どうもありがとうございます。僕たちにも下さるなんて」
この人どういう神経をしているのだろうか。まだ、通さんの彼女でもないのに、お弁当を職場に届けるなんて、凄い行動力だ。というか非常識だ。
「メグリンンも一緒に食べてね」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、仕事中だから、私はもう帰ります。お邪魔しました、通さん」
「ああ、どうも」
通さんは、香織さんをドアの外へ押し出していった。
「余計なことをするな。もうやめろよな」
「ああ、そんな冷たいこと言わないで。折角持ってきたのに」
私は下まで香織さんを送って行き彼女に訊いた。
「通さんのどこがそんなに好きなんですか?」
「彼は坊ちゃんなのに、気骨がありそう。自分の意思で何でも決める人だと思ったの。私とのことも親の言うなりにはならない。そこが彼の魅力だと思った。そんな彼だからこそ、本心から振り向かせたいと思ったの」
「……そうだったんですね」
香織さんも自分の気持ちに率直でいたいし、彼にもそれを期待しているんだ。香織さんがいい人だけに、無下にすると心苦しくなる。占い師の言っていた障害はこのことだったんだわ。
「私を振り向いてほしいと思ったのは彼が初めてなの」
「……そんなに、通さんの事が……」
「だから、私、諦めないわ!」
香織さんは明るくきっぱりと言って前を向いて私に手を振った。通さんの気持ちに気がついていながら、健気にも自分の気持ちを伝える香織さんの姿に目頭が熱くなった。
持ってきたお弁当の殆どを社員と、私が食べてしまった。通さんは頑として食べようとしなかった。味はどうも微妙だったが、彼女の気持ちは十分わかった。
その日の夜の事だった。電話に着信があった。通さんからだった。
「はい、通さん」
「メグリン、家に来てください」
「通さんの部屋に、ですか?」
「はい、今すぐ!」
「何かあったのですかっ?」
「来れば分かる!」
「了解です」
通さんから家に来てくれと言われたのは、この時が初めてだったので気が動転してしまった。何かあったのだろうか。彼はだいぶ慌てていた。それに家へ来るのはいつも通さんで、自分が行ったことはなかった。チャイムを押すと、すぐにドアが開いた。通さんは何か焦っているようだ。何を……。
「今日はうちでデートをしましょう」
「デート……ですか?」
「外でデートすると、人の目があるから」
「今人に見られちゃまずいですね」
私たちはいつの間にか人目を忍ぶような恋仲になっていたのか!
「さあ、さあ、こっちへ来て座って」
「あら、食事の用意が出来ている。通さんが作ったんですか?」
「そうです。外で食べているところを見られるとまずいから。どうですか」
テーブルの上にはステーキにサラダが置かれていた。すぐに来てというのは、出来上がったばかりだったからなのだ。ステーキからは焼き立てのいい匂いがしていた。
「スープもあるよ。野菜をコンソメでコトコト煮て作った、体に優しいスープです。ほら見て!」
私は鍋の蓋を開けた。黄金色のスープの中に細かく切った玉ねぎやニンジンベーコンなどが見えて、野菜のまろやかなにおいがした。
「前の会社でこんなスープも売っていましたね」
「これは僕が材料から作ったものだ!」
「疑ったわけではありません。これ本当においしいですよね」
「ということで、一緒に御馳走を食べようと思って誘ったんです」
「美味しそう。冷めないうちに早く食べましょう」
「じゃあ、スープも用意するね。座って待っていて」
私はレストランに来たような気分で、スープが置かれるのを待った。エプロン姿の素敵なシェフが私の後ろから、そっとスープのカップを置き、何と頬にチュッとキスをした。テーブルの上には赤やピンクの花が生けられた花瓶が置かれていた。
「じゃあ頂きましょう」
「はい、頂きます」
通さんの家は突然ロマンチックなレストランに早変わりした。私は今まで味わったことのないような高揚感に包まれていた。
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