第18話 スカウトの返事

 多分答えは決まっているだろうけど、姉に話してみようと思った。プリンスの事は黙っていることにして、スカウトされた事だけをかいつまんで姉の加奈に話した。答えは予想していた通りだった。


「凄いじゃない。社長令息から直々にスカウトされたんだもの、引き受けない手はないわよ。うまくいけば社長の息子と結婚なんてこともありうるし。しかも給料三倍だなんて、そんなうまい話は今どきないわよ。あたしなら絶対その話に乗るわ」

「やっぱり、そう言うと思った」


「どうせその答えが欲しくて相談したんでしょ。それとも自慢したかった? 絶対断わらないで! あたしだって鼻が高いわよ」

「いやいや、誰にも言わないで。この事は内緒なんだから」


「この前来てた通さんから誘われたんでしょ。よさそうな人だったし、秘書の仕事だってうまくやっていけると思うよ」

「そう思う。じゃあ引き受けようかな」


「やってみなさいよ。背中を押してくれる人が必要だったから連絡してきたんじゃないの。私は大賛成! 頑張ってね!」


 姉の単純な答えに、やっぱりなと思っていた。決心がつかなかったので、言われてみれば、背中を押してくれる人が欲しくて話したのかもしれない。姉の言った通りだった。相談する前から、やってみる方に傾いていた。


 私は早速通さんに電話してきてもらうことにした。自宅にいた通さんはすぐさま飛んできた。


「今日は、この間の提案のお返事をしたくて来てもらいました」

「考えてもらえましたか」


 通さんは緊張の面持ちで、背筋を伸ばして聞いている。


「秘書のお仕事、お引き受けします。私でいいのかとだいぶ悩んだんですが、やってみることにします。よろしくお願いします」

「ヤッホー、良かった。きっと来てくれると信じていました」


「それで、いつから出社すればいいでしょうか?」

「来月から来てください。今の会社にも言っておかなければなりませんので。一か月は必要でしょう。ちゃんと入社の手続きもしてもらいますよ。心配しないでください」


「あ、ありがとうございます。給料は……」

「今の三倍は出しますよ。もっとも今どれくらいもらっているか、知らなかったのですが……」


「そんなに頂くわけにはいきません」

「いやいや、それを条件に来てもらうんですから」


 結局今の給与明細をもとに、三倍出してくれることになった。通さんは社長に何と言って了解してもらったのやら、入社したら聞いてみたいものだ。


「じゃあ、入社してくれることになったのでお祝いをしましょう」

「ああ、ビールが冷えてますので飲んでください」


「いいですね。喜んでいただきますよ」


 私は冷蔵庫から缶ビールを二本出してきてテーブルの上に置いた。つまみはサラダの上にありあわせのハムとツナを乗せた。


「こんな物しかないけど」

「上等ですよ。じゃあ乾杯!」

「乾杯!」


 彼の喜びようは半端ではなかった。うきうきとして歌まで歌いだした。これはプリンスの仕業なのかしら。それとも通さんは私に気があるのだろうか。


「メグリン、僕のこと変な奴だと思ってるでしょう」

「いえ、そんなことはありません。パソコンは苦手なのかなとは思いましたが、そんなこともなかったようですし」


「メグリン、もうちょっとよく顔を見せてください。ほら、もっと傍へ寄って」

「あら、あら、もう酔ってしまったみたいね」


「寄ってなんかいませんよ、僕は。今日はメグリンに言い寄ってみたい気分です。傍にいてくれたら何でもできそうな気持になるんだから不思議だ」

「私がいるだけで、どんなことでもできちゃうなんて、私にそんな力があったら嬉しいです」


「そう。何でもできるかもしれない」


 通さんは、あまりアルコールには強くないのかもしれない。缶ビール一本飲んだだけで、変なことを言い出した。


 あら、これはプリンスなんかじゃない。私はいつも馴れ馴れしい時はプリンスが憑りついてそうさせているのかと思い込んでいた。しかし、通さんも私に気があるのでは……


「通さんそんなに迫ってこないで……ください。今日はなんだかいつもと違いますよ」

「だって、こんなにうれしい日はないから」


 通さんの目はとろんとしてきて、今にも塞がってしまいそうだ。


「大丈夫ですか。かなり酔ってしまったようです。ソファに横になっていてください」

「いえ、大丈夫です」


 そう言うなり、私の目をじっと見つめている。その眼は優し気で少しだけ愁いを含んでいる。私もお酒のせいで少しだけ気が大きくなっていたのだろう。すっと引き付けられるように体を近づけて、顔がどんどん近くになり、とうとう唇まで至近距離になった。あとほんの少しで触れてしまいそうだ、と思った瞬間通さんの両腕がくいッと私の背中を引き寄せた。結果的に私たちの唇はぴったりとくっついた。


 あら、私少しも嫌がっていない。それどころか自然に唇が触れ合ってしまった。通さんは手の力を緩める気配を示さない。どれだけこの体勢を続けるのだろう。このままでは息が止まってしまう。と思い体をちょっとだけずらした。すると胸に私の顔を押しつけて背中を撫でている。これはプリンスの様でプリンスではない。


「通さん?」

「僕は……メグリンの……」


「……ええ……」

「……メグリンの……」


「はい、私の事が?」

「……めぐりんの……胸が……」


「はあ?」


 そう言うなり通さんは、ソファに座り込みバタンと横になってしまった。

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