第11話 通が隣の部屋へ越してきた!

 数日間は何事もなく過ぎた。その日も会社へ行くと、いつものように通は何事もなかったかのように一番最後に入って来た。


「おはようございますっ!」


 私は、気になって通の表情を見た。いつも通りの通さんでほっとした。もうあれっきりプリンスは現れないのだと思うと、寂しいけれどほっとした。会社で突然甘えられても困るし、豹変したところを皆に見られたくなかった。動物的な本能ですり寄ってくるのだから、気味悪がられるだろう。この間の事は二人だけの秘密にしておけばいいのだ。


「メグリン、おはようございます。元気でしたか」

「えっ、ええ。何とか」


「早く元気出してください」

「気にかけてくださって、ありがとうございます」


 家へ来た時とは打って変わって、畏まった様子だ。今日はずっとこんな調子だった。以前のような通さんのままのようだ。数日間は家に帰るのが恐ろしかった。また家の前で待ち構えていたらどうしようと、気が気ではなかった。


 

 その日も家に帰り着いてほっとした。今日も彼はドアの前にはいなかった。ふーっと深呼吸をし、鍵を開けて家の中へ入った。


「ただいま。ああ、もうプリンスはいないんだ……」


 私はまだこの生活に慣れることが出来なかった。ふらふらと家の中へ入り、夕食の支度を始めた。


 するとチャイムの音がした。誰かしら。宅配を頼んだ覚えはないし、お客さんなどめったに来ない。しかもこんな夜遅くに。


 除き穴から外をのぞくと、そこには通さんが立っていた。


「こんばんは」

「あら、通さん。今日も……いらっしゃったんですね」


「メグリン、入ってもいいでしょ?」


 また甘えたような口調になっていた。プリンスが再び目覚めたのだろうか。私は恐ろしいような嬉しいような気持で、プリンスが入ってしまった彼を優しく撫でながら中へ入れた。


 やはりそうなのだ。通さんは嫌がりもしない。


「どうぞ寛いでください。ソファでも床の上でもお好きなところで」

「そのつもりです。う~ん」


 通はベッドの上にちょこんと座り、懐かしそうに周りを見た。すると放り出してあったままのトレーナーを見つけぎゅっと抱きしめほおずりした。あああ……恥ずかしい。そういえば、一緒にこれを着たことがあった。


「懐かしいでしょう。これを一緒に着て遊んだね、プリンスと」

「もう一度一緒に着てみたいが、体が大きくなってしまって着られない」

「そうね」


 通さんは身長百八十センチぐらいある。手足はすらりと長い。これを二人できるのは無理だ。私は通さんの悲しそうな顔を見て、いつもくるまっていた毛布を引っ張り上げ、彼と私の体に巻き付けた。二人で同じ毛布にくるまればいいんだ。


「これでもいいでしょ」

「う~ん、あったか~い」


 通さんは一緒に座って私にしがみついてきた。でもこれは通さんとは全くの別人。プリンスが乗り移っているだけなんだ。覚めたら全く覚えていないんだから。そう思うとどんなことでもできた。そういえばプリンスは私の胸に手を乗せるのが大好きだった。


「ねえ、通さん。手を出して」


 すると通さんは待ってましたとばかりに、大きくすらりと伸びた手を私の胸に当てがった。最初は自分でもその大胆な行動にあれ、という顔をした通さんが、柔らかく弾力のある胸を至福の表情で撫でている。私はこれはプリンスとの時間なんだわ、と自分を納得させた。。その手は胸を押したり、両側からはさんで揺らしたりしている。私は通さんの顔をぎゅっと掴んで抱きしめた。すると顔は胸に押し付けられた。


「うぐっ」

「プリンスはこれが好きだったでしょ」

「うぐっ、う~ん」


 私は手を離した。


「ふ~う、苦しかった」

「プリンスはそんなこと言わなかったわよ。あれ、やだ通さん?」


「いや」

「どっちなのかしら。分からなくなっちゃったわ」


『あれ、途中で意識が無くなったと思ったが、いつのまにか自分に戻っていた。メグリンの胸に、顔をなんか押しつけて、一体プリンスはいつもどういうことをしていたんだ! ちょっと気まずい雰囲気になってしまった。この事は黙っているしかないな』


 本能のままにメグリに甘えていたプリンスが、いつの間にか消えて通自身になっていた。少しの間、自分とプリンスが同居していたのか。通は訳が分からなくなった。


「俺、もう帰ります」

「ああ、通さんに戻ったのですね。プリンスだった時の事は覚えていませんよね」


「はい、全く記憶がありません。どんなことをしていても、それはプリンスがしたことですので安心してください」

「もちろんわかっています」


「じゃあ、また」


 通はドアを開けて出て行った。その姿を見送ったメグだったが、更に驚くべきことが起こったのだ。


 通は隣の家の鍵を開け自分の家のように入って行った。えっ、えっ、えっ、どうして隣の家に入るのっ!


「通さん。そこは、通さんの家じゃありません……うちはあちら! ど、ど、ど、どうしてそこへ……」

「ああ、昨日引っ越してきたんです。よろしく。これでいつでもあなたの傍にいられますから」


 この言葉はプリンスが言わせているの。それとも通さんの言葉なの!


「いつ引っ越してきたんですかっ!」

「もう、そんなことは僕にもわかりません! 隣の人に家賃の三倍ぐらいのお金を払って出て行ってもらったんです。そんなにもらっていいのかって、喜んで出て行きましたよ」


「そんなことって……」

「僕も我に返ったらどうしてなのかわからなくなったんですが、かといって手続きが終わってしまって、もう後の祭りだったんです。解約しようと思うと、またプリンスが現れてできなくなってしまうんですから」


「ええっ! そんな馬鹿なあ!」


 これから一体どうなってしまうんだろう。甘えん坊のプリンスが自分の中に同居している通さんが、隣の部屋の住人になってしまったのだから。通さんの泣き笑いのような顔を見ながら部屋の戸を閉めた。

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