第10話 プリンスが乗り移ったーっ⁈

 プリンスがいなくなって数日後、家に着くとドアの前に通が立っていた。もうプリンスがいないのだから、彼がここへ来ることはないと思っていた。何の用だろう、と彼の顔を見ると、上話目遣いにこちらを見て、たまらなく寂しそうな顔をしている。


「どうなさったんですか、通さん。もうプリンスはいなくなってしまいました……私のせいで……御免なさい」

「プリンスは確かにいなくなった。だが、僕がいるじゃないか……」


 彼は自分の胸をたたいている。


「ええ、通さんがついていてくれました」

「プリンスもいますよ」


「ええ、心の中に確かにいます」

「はい、僕の胸の中に」


「そうですよね。思い出になっちゃったんですものね。それで……私に何か御用ですか」

「御用とは、用がなければ来ちゃいけないんですか! 中へ入れてくださいよ」


 会社での余裕のある態度とは違い、切羽詰まった様子だ。もしや、本当は私の事が好きだったということ。それにしてはやり方が唐突だ。


「どうかしちゃったのかしら、通さん」

「僕の気持ちを知っているくせに」


「こんなところではなんですから、家の中へ入ってください」


 駄々をこねられているのを人に見られるのも嫌だったので、ドアを開けて中へ招き入れた。。すると靴を脱ぐのも面倒くさそうにポイと投げだすと、すたすたと廊下を進み部屋の隅まで行ってしまった。もう三回目だから慣れているとはいえ、自分の家に入るように馴れ馴れしい。しかもプリンスのお気に入りの毛布の上に座ってしまった。


「メグリんも座ってください。さあここへ」

「ああ、はいはい。ここですか」


「もっと近くじゃなきゃ」

「えっ、こんなに近くに……」


 告白しようとしているのかしら。私は、通さんのすぐそばに座った。すると通さんはおもむろに体を横たえて私の膝に頭を乗せてきた。そして片手を太ももに乗せてすりすりしている。


「まあ、通さん。今日はどうかしちゃったんですか? 何か辛いことでもあったんですか。お話を聞きますよ」

「お話じゃいやなんだ。スキンシップをすれば治る」


「だけど私たち付き合ってるわけでもないのに、スキンシップはまずいですよ」


 すると、今度は起き上って私の方を向いた。通さんの目はなぜそんなことを言うのだと私を責めている。会社にいた時の余裕たっぷりの通さんとは別人のようだ。


『ああ、どうしたことだろう。彼女に触りたくてたまらない。これは本能的なものだ。俺は彼女を求めているんだ』


「御免、ちょっとでいいからこうしていて欲しい」


 通さんは私の膝の上に頭を乗せてウーンと唸っている。そして両手で私の腰に手を回している。私は焦った。しかしそれ以上の事はしなかった。子供が母親に甘えるような仕草だ。


「まっ、まるで……プリンスの……ようだわ……」

「うん」


 すると、通さんは悲しそうな顔をして私を見つめた。プリンスが怒っているようだったのだ。


『なぜ気づいてくれないんだ、メグリン。あんなに僕がくっつくと喜んでいたのに』


「あなた、プリンスなの。プリンスが通さんの中に飛び移ったの?」


『そうだ、やっとわかってくれたんだな、ぐすん』


「だとしたら……」


 私は通さんの頭を優しく撫でた。通さんは目を細めて私に膝枕したままぴったりとくっついた。


「しっ、しっ、しっ、信じられないことだけどっ! あ、あなたはっ、プリンスなのねーっ! あなたの魂が通さんの中に入り込んでいるの?」

「ウーン」


「やっぱりっ、やっぱりそうなのねっ! おお、よしよし。御免、気付いてあげられなくて……」


 私は、通さんの体をぎゅっと抱きしめて髪の毛を撫でた。それに気をよくして、両腕を体に回して頬を摺り寄せる。通さんは嬉しそうに目を細めて笑顔を浮かべた。そう、これは通さんじゃないんだ、プリンスなのだと思って抱きしめた。


 私の心の中には、プリンスが膝の上に載って甘えてきた光景がよみがえった。プリンスはこんな形で私のそばにいることにしたのだ。これからは通さんを通して、たくさん甘えさせてあげよう。そんなことを考えながら、ずっと通さんの髪を撫でていた。


 すると、すっと通さんが起き上がった。我に返った通さんは驚き慌てふためいている。


「あれ、なぜ僕はメグリンの部屋にいるんだ……一体僕は何をしていたんですか。しかもこんなに傍にくっついて……僕は何をしようとしていたんですか?」


 プリンスは消え、あっという間に元の通さんに戻っていた。その通さんは、プリンスに変わった時の意識が無かった。


「通さん、今私の膝の上に載っていたのですが、覚えていませんか?」

「えっ! 僕がめぐりんの膝の上に載るなんて! そんな馬鹿な! そんなことするはずないじゃないですか!」


「ところが私の膝の上で、プリンスの様に甘えてごろごろして、触ったりしていたんですよ!」

「ああ、全く覚えていない!」


「ということは、いつプリンスが現れて、いつ通さんに戻るのかわからないということなのですね」

「ああ、何ということだ。プリンスが最後に見たのが僕だったんだ。そして彼の意識が瞳を通じて乗り移った」


 私だって信じられなかったが、そんな現象が実際に起きているのだ。会社では全く気配はなかった。ひょっとして夜になるとプリンスが戻ってくるのだろうか。猫は夜行性というから。


「どうやら、夜に現れたようです。会社にいる間は変わりありませんでしたから」

「そうなのか。メグリン、僕が変なことをしても、全く僕の意思じゃないから、信用しないでください」


「分かりました。気になさらないでください」


 通は頭を抱えながら帰って行った。その後もっと可笑しなことになるとは、めぐには知る由もなかった。

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