第10話 エレウシスの秘儀 リプレイ風小説

 豪華寝台列車マリンスノー

 部屋はすべて個室なっており、とても列車内とは思えない広々とした優美な空間、和を感じる家具や調度品も目に付く。

 何もかもが最高級、最高峰の列車の旅を提供する……という宣伝文句が書かれたチラシをゴミ箱へと捨てる。

 静かだ……外の音は遮断されておりわずかなモーターの制動音、こんな状況でなければ安らいでいたであろうというのは明白だ。

 血の匂い、今私はこのマリンスノーで、剣を持った軍人を模した黄昏色の人形、通称従者レギオンと呼ばれる者を倒したのだ。

 もう片方の手に持った赫と金色の意匠が施された、狙撃用照準器スナイパースコープのない、銃身バレルが長めのスナイパーライフルを向かってくる次の従者へと即座に照準AIMを向ける。

 照準を向けられた従者、それは獣のような体躯を持つ軍人の姿だ、身体を獣のように低く、床を勢いよく踏み鳴らし飛び掛かろうとする!

 精神集中コンセントレイト……たとえどのような状況下であろうと、心を揺らしてはならない、揺らせばそれは必ず隙となって自らに返ってくる、それを実感していたからだ。

 次第に距離の縮まっていくその獣の従者の眉間に照準を合わせ、あと少しで従者の爪が届きそうになった瞬間、破裂音───従者は血の塊に戻り、床に血の池を作った、銃口からはわずかな硝煙が上がっている。

 ズキリ、と身体中に痛みが走る……《対抗種カウンターレネゲイド》と呼ばれるレネゲイドを殺すレネゲイドによる戦えば戦うほど傷を負うその特殊な性質に目を伏せ、その軍人達へと黙祷を捧げる、どのような形であれ、彼らは軍人だ、敬意を評さなくてはならないからだ───

 そんな時、また血の匂いがする、そちらを見る、傍らには黄昏色の従者を侍らせたマスターレギオン……ずっと、追い続けていた兄、ヴァシリオス・ガウラスがいた。

 鼓動が早くなる、兄と再び対峙したからだろうか?

 違う、これは……違和感だ


『わが精鋭"レギオン"をこうも容易く血へ返すとは。流石は我が弟、その強さに感服する』


 声が出ない、何かを言わなくてはならない、それは分かっているが、私は何を探っているのか、心を落ち着かせる、揺らしてはならない。


『だからこそ信じられない、弟よ、お前がこの世界の不平等を甘受しているのが』


「違う、私は」


 ヴァシリオスは続ける、戦友たちも私たちもあの戦争で人権を奪われ、利用された不平等な世界を、戦友たちの為にも是正する。

 それだけは変わってはいなかった、その部分だけが変わっていないのに少し安堵をした。


『弟よ、私と共に来い。共に世界を変えるのだ、他ならぬお前自身のために!』


 平時であれば、なんとも心強く、甘美な誘いだろう、だが、胸がとても苦しく感じた、違和感が強い、兄の瞳を見ればそこには狂気と衝動に呑まれた者の瞳──そうか、私は間に合わなかったのだろうか、いや、まだ、間に合うはずだ。


「……兄さん、私は……貴方を止めに来た。このような事をしたら更に不平等な世界となってしまうのではないか!」


 震える声を、上ずりそうになるそれを抑えるように告げる、少しでも時間を稼ぎ観察をするために


『お前もわかっているはずだ、以前のようなやり方では変わらない、それでは遅すぎるのだ!』


 分かっている、だがそれでも、私は兄さんのやってきたことを、高潔で誰よりも崇高な信念を持って行動していた時の事を否定したくはなかった。

 ヴァシリオスはいまだに迷う私を見てそうか、と呟き、ちらりと奥の部屋を見る、何かに気付いたのだろうか。


『そうか、残念だ弟よ。すまないがここまでだ、私のもやらなければならないことがある。』


 クルリ、と方向転換をしてヴァシリオスは奥の扉へと歩むと同時に従者たちが生成され、襲い掛かってくる従者を数体倒し抑え込みながらも声をかける


「必ず、貴方をそこから救い出す!そのために私はきた!」


 先頭を向かおうとすれば邪魔をする従者たちを撃ち、兄のほうを見る、一瞬、ほんの一瞬だけだが足を止めて、再び奥の扉へと消えていった。

 その行動に何かしら意味があったのかは定かではない、だがそれでも希望はあると信じた。

 襲い来る従者を撃ち倒し、血の泉へと変え、後ろから迫りくる従者に対してわざとあらぬ方向へと射撃、撃った弾はわずかな傾斜、角度、適切な入り角に入り反射、つまりは跳弾して後ろの従者を血の池に戻したのだ。

 モルフェウスのエフェクトで仮面を生成し、顔の上半分を隠し、息をつくと左腕──数年ほど前にFHファルスハーツから遺産を護った際にFHファルスハーツの手から奪取したレネゲイドビーイングのアリオン──が声をかけて来たのに気づく、わずかな振動、黒曜石の宝石が埋まった腕輪、それが彼だ。


「やっこさんにも何か想定外があったんですかねぇ?さぁって、どうしますか、マスター?」


 その言葉に逡巡する、私は何をしたいのか、それはもう決まっている


「兄さんが本気ならば私はもう死んでいる、それに私の言葉で一度立ち止まった、だからまだ希望はある、ゆくぞ」


「へい、了解しましたマスター」


 奥へと続く扉を開き次の列車へと入るとズシン、と何かが車両の側面にぶつかったと思しき音がする。これは……後ろからか?

 辺りを警戒し、先ほどの音より前に展開された深い海の底にいるような何者かの〈戦闘領域ワーディング〉を気にしながら、後ろの3つ分の足音に意識を向ける……ひとり、いやふたりは人間の足音、そしてもうひとりは……


「ねえ貴方」


 後ろで足音がして呼び止められる、瞬間振り向きながら銃口を声のする方へと撃つ

 軽い破裂音、《対抗種カウンターレネゲイド》特有の猛毒のレネゲイドでできた血の詰まった銃弾が女性とその部下と思しき者の後ろを抜けて、剣を振りかぶる従者の眉間を貫き血へと戻した。


「油断大敵だ」


 彼女に目を向けると放たれた光が頬を掠め私の後ろにいつの間にか存在していた者に当たり、血の匂いが充満する。


「あら、それはお互い様じゃない?」


「そうだな」


 どこかの軍服……二本の剣に獅子の紋章エンブレムを腕に巻いた軍服を着た女性は得意げに、そして不敵そうに微笑む、彼女の視線もまた奥への扉へと注がれているようだ……ここは協力するのも手か。


「あなたもマスターレギオンを追っているの?それなら協力しない?」


「……構わん」


 すい、と奥の扉へと向き直り進んでいく。部下と思しき男は血に足を取られたりはしていたが問題はないだろう。

 次の車両に足を踏み入れると奥から誰かが戦闘をしている音がする。もうすでに誰かがいるようだが……私以外に先に誰かが忍び込んでいたのか?

 そこに踏み込めば多数の従者に取り囲まれながらも戦う少女を庇う全身スーツを着た日本の変身らい……いや、青年の姿があった。

 だが、これほどの数だ、ひとりひとり対処してからでは遅い……ならば、と思考する。

 左腕に付けていたアリオンを外し、後ろの女性の部下に預けて、左腕に銃口を当てて撃つ。

 熱が腕の中を焼くような痛みと共に、血が床へと広がりまるで意志を持っているかのように従者たちの足へと広がる、それに触れた従者はほんの数体を残し自壊していく。

 腕の傷は数十秒ですぐに治ったが……まだ残っていることから考えて広がり切らなかったようだ。

 ……いや、広がり切ったら私が失血死するな、む、オーヴァードでも失血死はするものなのだろうか?……後で誰かに聞いてみるか。

 そう考えている間に二人が残りの従者たちを倒して血に戻していく。


『ほう、来たか我が弟よ……それにレネゲイド災害緊急対応班か……いいだろう、将来の禍根はまとめて断つこととしよう』


 ヴァシリオスはこちらを見て、少女を護る青年と少女にも視線を送り、眉をしかめる。

 エフェクト〈赫き剣〉で作られたそれを逆手に持ち振りかざし客車の床に勢いよく突き刺すと、客車が震えた、と認識をすると同時に客車そのものが巨大な従者の上半身と化した。

 客車の天井に入りきらず上体を曲げているからかその大きさが際立って見えた。

 成人男性の胴体3つ分……いやそれ以上かと思われる両腕を大きく振りかぶり青年へと攻撃しようとする!

 青年はとっさに腕をクロスさせ少女の前に立ちはだかる、銃口を向ける、が、間に合わない

 金属に当たり少しずつひしゃげていくような破壊音が響きわたる……しかし、ひしゃげたのは従者の腕で、青年には傷ひとつない。

 巨大な従者は驚き再び降りかかろうとするが少女によってその腕は血の塊として消し飛ばされる、切断面は赤よりも濃い赤でどろどろの粘液状に溶けて床へと落ちるとジュウッと鉄さびが融けたような不快な臭いを誘発させる。

 残った片腕を従者は大きく振りかぶる……瞬間わずかな破裂音。

 従者の腕の付け根に着弾した刹那、成人男性の胴体3つ分以上と思われる腕が自壊し、血の塊に戻っていく。


「隙は、逃さん」


 自壊していくその腕は《対抗種カウンターレネゲイド》によるレネゲイドを殺すレネゲイドという特殊なもののおかげだ、ズキリと全身に痛みが走る。

 フラリ、としそうになるが舌を噛み意識を無理やり覚醒させ、目の前の敵を見据える。

 両腕を失ったからだろうか体勢を大きく崩す、両腕を再生させようと断面がボコボコと泡立ち始める、が全身スーツを着た青年がそれよりも速い。


「うぉおおらぁ!!天元打・真打ィ!」


 青年は床を踏み抜かんほどの勢いで大きく踏み込み、従者の上半身、胸の中心を大きく抉った。

 損傷ダメージが予想以上に大きかったようだ、従者の上半身もまた血の塊となって消えていく。

 海の中に潜っているような錯覚を覚えせる〈戦闘領域ワーディング〉も消えていった。

 ……っ、そうだ兄さんは……!?

 辺りを見回しても何か言い争っているふたり以外はもういなかった、どうやらすでに姿を消した後だったらしい。

 逃げられた、か───いや、今はその方がいいのかもしれん

 先ほども触れた従者の血を指に絡め、舐め摂る。

 その血に込められた感情、記憶を、その時に思っていたことも引き出す、〈ブラッドリーディング〉と呼ばれるエフェクトで探る。


 ──目の前にはヴァシリオスの顔、彼への思慕、憧れ、尊敬の感情、そして忠誠……その感情の波が、記憶が流れ込んでくる。私にとってはその感情が、兄に対する想いが痛いほどに理解できた。


『血の盟約を受けるがいい。さあ、往こう、私たちと共に』


 その記憶を持っていた従者はそれを受け入れ、そして───


 しかし、記憶の海を漂っていた私の意識を引き戻したのはけたたましいコール音だ。

 目頭を押さえ、そちらを見ると、少女、の携帯端末からのようだ。

 今のところを見られてはいなかっただろうか、とそう考えて仮面の位置を直し、列車の最前部に繋がる扉を開き人影や気配の索敵クリアリングをして、誰もいない事を確認して踏み入る。

 クリア、と呟き探っていると運転室へと続く扉が壊されている。

 嫌な予感がしながら中へ入ると異常事態は一目瞭然だった、速度の計器の針はレッドラインを超えて指しており、スピードをコントロールする為のハンドルは破壊され、緊急ブレーキも壊れていた。


 焦燥感、次の駅までの表示を見ればこのままの速度で突っ込めば横浜駅に突っ込んでマリンスノーは大破、運が良くとも列車の乗客諸共巻き込まれてしまうのは目に見えている。

 止める手段を模索、運転室内の備品置き場、運行図を確認して、引っ張り出した紙はこのマリンスノーの構造がメンテナンスの為に線画で描かれたものを見つけた、少しでも何かしらの手助けになるかと内容を確認する。


 マリンスノーの運行、いや車両関係で必ず無くてはならないもの……車軸シャフトの部分を僅かでもその回転を鈍らせる事が出来たのなら……可能性はある、か

 位置関係を確認して、1度下へと降り、〈精神集中コンセントレイト〉+〈カスタマイズ〉+〈ペネトレイト〉のエフェクトを使用し扱いやすく手ぶれしにくい武器に切り替え、車軸の付け根辺りを狙い撃つ、壊すのでは無く余計な部分を作る。

 本来ならばこの車両の床を貫いた所で届くはずはない、だがそれを可能とするのが超越者オーヴァードと呼ばれる所以、放った弾は床を潜り抜けると同時に長い金属製の棒となり車軸を半分取り囲むように変化をさせる。

 金属同士が擦れ合い耳障りな金属音を奏でる、だがそれは、今暴走した列車には多少なりの効果を認める事ができる、そう確信し続けて同じように流れ作業さながらにあくまでも冷静に正確に、車軸に撃ち込んでいく。

 幾度も繰り返していると突如として巨大な何かにぶつかる衝撃、数秒置いて外で何かが引きずられるような音が客車を伝わり、この不快な金属音と混じってひどい不協和音となって私を苛んだ。


 ───浮遊感

 客車が大きく揺れ、バランスを崩し、背中を激しく打ち付ける。

 その衝撃の際にパキン、と何かが割れた音がするが、眼を開き頭をあげて周りを確認する、どうやら客室の中に扉を突き破り背中からダイナミック入室をしてしまったらしい……

 先ほどの割れた音はドアの音……だろうか

 しかし気付く、さきほどまでしていたはずの不協和音が消えており、振動も無い、

 どうやら横浜駅に突入して大惨事とならずに済んだようだ、と安どして片手に持ったままだったスナイパーライフルを元の形、赫と金で装飾が施された1発の銃弾に戻す。

 石ころひとつからなんであろうと、変換し時には武器に、時には、と様々なことができるシンドローム、それが《モルフェウス》シンドロームの力───

 私の場合は、昔の戦場で兄が私にお守りとしてくれたもので、一番相性がいい、だからこそこれは私にとっての大事な思い出の一品、力の源でもある。

 どこも壊れていないことを確認して、ドッグタグと一緒に胸ポケットにしまい込み、客室の外へと出て出口へと向かう、途中であのふたりもいた、客車が大きく揺れた時の衝撃で倒れそうになったがどうやら青年は少女と軍服の女性も両腕で抱えコミ、踏ん張って助けたようだ……そこで頭を打ち付けて倒れている部下と思しき男性もいたが……

 軍服の女性が部下を優しく起こす、どうやら気絶していただけのようだ、意識によどみがないのを確認して、部下の男性から預けていたアリオンを返してもらい、腕に装着してマリンスノーの出入り口から歩み出る。

 扉を手動で開けると、先ほどまでの戦闘の影響もあるのか、白い煙がもうもうと立ち込めていて視界は最悪だ……

 煙をかき分けるようにしていくと外に複数の気配がすることに気付いた、数十以上の蠢く気配がある、どうやら先ほどの衝撃音波それ関連ではないかと推測、そこから導き出されたのはUGNがすでに動いていたという事実。

 なるほど、UGNはマスターレギオン……ヴァシリオスを捕縛するために張っていたと見るべきだ、私に出来ることは……

 煙をかきわけると晴天の眩しいほどまでの光に目を細め、止まった車両から降りていく。

 駅を取り囲むMM地区支部のエージェントたちの人混みの中に見慣れた白い男のような女のような人物が見えた。

 その人物、MM地区の支部長である彼に協力を仰ごうかと歩もうとする、しかし突然活発で精力的な少年が飛び掛かってこようと人混みの中から勢いよく出ようともがいているが、その声は遠くからでもうるさいほどに響いてくる。


「マスターレギオン!!ここで会ったが百年ぶりっす!!」


「それを言うなら[ここで会ったが百年目]ではないのか?」


 日本のことわざにはあまり詳しいとは言えない、だが偶々知っていた言葉であったからか反射的にツッコむ。

 飛び掛かってこようとするその少年の服の襟を掴む白い人物がこれこれ、と諫める


「支部長!なんで止めるっすかぁ!マスターレギオンっすよあれ!」


「これこれ、落ち着かんか輝生きしょう……久しぶりじゃのう、スクラヴォス」


 ころころと楽しそうに微笑み、私を見るその白色の人物は懐かしそうに紡ぐ。


「……私のことを言ってなかったのか、ネルガル」


「んー?一応言ってはおいたんじゃがのう……まあ、おぬしのもあるし、忘れてたかもしれんのう」


「……MM地区のチルドレンは馬鹿しかいないのか」


「馬鹿言うなっすーーーーーー!!!!!」


 その叫びをスルーしつつ、顔に触れると仮面が無いのに気づく、どうやらあの割れたような音は仮面が壊れたせいらしい……マスターレギオンと間違えられるのも道理か、と呟きつつ再びモルフェウスのエフェクトを使い上半分だけを隠す仮面を作り、黒曜石、アリオンの宿る腕輪も見せて説明する。


「私はマスターレギオンではない、自己紹介は後でするが……ネルガル、部屋を用意してくれるか」


「勿論じゃよ、その代わり」


「分かっている、傭兵としてもUGNイリーガルとしてもそちらに従おう」


「うむ、そちらのふたりもそれでよいな?これからの話し合いもあるしの」


 ネルガルは悪戯好きの猫のように目を細めて先ほどから何かを言い合っているふたりに確認を取る、気付いていないのかと思い、こちらに意識を向けさせるかと紡ぐ


「いちゃつくのはそこまでにしろ」


「はぁっ!?いちゃついてないわよ!!」


 軍服の女性は顔を赤くしながらも思いっきり否定をする、今の状況に気付いたのかこほん、と咳ばらいをして


「ええ、私の方も問題はないわ」


「ん、僕も問題ないよ、時間取らせちゃったね。」


 青年の方も微笑み、ネルガルの意見に賛成する。

 MM地区のエージェントが軍服の女性と青年をMM地区支部へと案内するようだ。

 私も行くべきか、と歩もうとすると呼び止められる。


「のう、スクラヴォス……何か、助けてほしいことがあるんじゃないのか? 」


 まるでこちらの心の内はお見通しだと言うかのように、咎める訳でもなく諭す訳でもなく、親が子の悩みを聞くような、優しい声色。

 これだから、このネルガルには隠し辛い、ふ、と口角を見えないように上げた。


「……そうだな、私は家族を、兄を奈落の底から救いたい。力を貸してくれるか」


 十数年前、敵部隊と共に壊滅させ消えた兄を追いかけて、傍にいて支える事が出来なかった、分かち合う事が出来なかったそんな後悔を、もうしたくない、そんな祈りを込めて。


「ふふ、あいわかった。このわしが手を貸すのじゃ、相応の働きはしてもらうぞ?」


「受けよう」


 優しい声色、ネルガルの白い髪に隠れるようにある青いメッシュの髪についた鈴が優しい音色を奏でた、そんな気がした。


 数十分後にMM地区支部の会議室にて集められた、中に入ると既に揃っていたが、ネルガルの姿が見当たらないと視線を滑らせると1匹の猫が支部長の机と思われる机の上で寝ていた。

 この猫……めんどくさがりすぎだろう

 呆れ、またか、という視線を向けてもこの猫は意に介さない、むしろ欠伸さえしている。

 何も知らない者が見ればただの猫だと思うだろう、だが───


「失礼します、申し訳ありません、遅れてしまいました。」


「大丈夫よみんな今来たところだから」


「は。すいません……ですが、その」


「どうしたの?」


「その、支部長がおられないようなのですがどこに……?」


 彼女の部下と思しきハーフ眼鏡をかけたいかにも生真面目そうな、腕に二本の刀と獅子の紋章が描かれた腕輪のようなものをつけている女性が困惑したような様子で問う、チラリ、と猫の方を見ればそっとどこから取り出したのかメモ用紙とペンを置いて待機している。


「……そこの支部長専用の席にいる白い猫がその支部長だ、彼はレネゲイドビーイング、猫の姿を取ることもできる。」


 そう、あの白い猫は、ここMM地区支部長、ネルガルのもう一つの姿だ、普段は〈擬人体化ヒューマンズネイバー〉で白い人物のような姿になるが、猫の姿でも器用にできることを私は知っていた、というのも……さんざん猫の姿でゲームをしたり、猫が食べてはいけないはずの食事を摂って周囲を驚かせたりと、いわば日本のヨウカイで言う所のネコマタに近い。


 それを聞いた彼女は慌てた様子でペコリと頭を下げる


「そ、それは申し訳ありません!」


「気にしなくていい、いつものことだ。」


「で、では失礼して……こほん」


 彼女は仕切り直して書類を一束出して、用意されていたホワイトボードに黒インクのマーカーペンで描いていく。


「では、これまでの状況及び方針についての会議をしたいと思います。私はレネゲイド災害緊急対応班、マルコ班の副隊長を勤めておりますアイシェ=アルトゥウと申します。」


「隊長、私の方から状況を説明させていただいてもよろしいでしょうか?」


「うん、お願い。これはアイシェが一番得意だしね」


 アイシェと呼ばれた眼鏡の女性ははい、と返事をして説明をしながらホワイトボードにMM地区の簡易的な地図にそれにいくつかの数字を書き込んでいく。


「では状況を説明いたします。きょう未明から横浜市内では"エレウシスの秘儀"が原因と思われる、人々の生命力枯渇とそれに伴うオーヴァードへの覚醒及びジャーム化する事件が発生しております。」


 被害範囲、それが発生した場所を円で囲んでいく。


「また、対応に向かった周辺のUGN支部のエージェントが全滅。"マスターレギオン"が原因であることは間違いありません。」


 MM地区周辺の支部のエージェントの名前、及び出た人数が書き連ねられるが全部赤いバツで消される。


「また、結月 至也ゆづき とうやさんが保護された少女ですが、MM地区支部の救護室で治療及び検査中です。まだ詳細は分かっていませんが……レネゲイドビーイングであることが判明しました。」


 結月と呼ばれた青年はそうだったのか、という表情で固まっている……なるほど、なぜ少女がいつのかと思ったが……だがなぜ、あの少女があの列車にいた……?

 兄さんのことだ、きっと何か意味があるはずだ。


「どうやら、これまで道具扱いをされてきたようで、一般常識が殆どありません……それに、彼女には名前すら与えられていなかったようです。ひどいことを……!」


 アイシェは怒りを滲ませた声色で締めくくる、不平等な扱いを受けていた少女の痛みを、他人の為に怒れる、悲しむことのできる優しい人だ……しかし、なぜそのような扱いを受けていたのか、知らなくてはならない。

 さらには、エレウシスの秘儀の詳細を、彼女を救うためのしるべを探さなくてはならない。


「……そうね、許せないことだわ。みんな、私から提案だけど、ここは協力体制をとって"マスターレギオン"及び"エレウシスの秘儀"の対処をしたいと思うの。」


 椅子から立ち上がった女性は毅然とした態度で、告げる。その瞳からは自身と信念で輝いているのがわかる。


「私はユークレス・レイモンド、CNコードネームは光なし紅。レネゲイド災害緊急対応班、マルコ班の隊長よ。」


 それに続くように結月も立ち上がり、頼もしそうな笑顔を見せる。


「僕は結月 至也ゆづき とうやCNコードネームはバスティオン。UGNチルドレンであの子を保護したのは僕だ。だから協力をさせてもらうよ。」


 そして猫から人型へと戻ったネルガルがんーっと背伸びをした後言う。


「わしはネルガル。CNコードネームまどろみの声カインドヴォイスじゃよ、支部長としても協力体制をするぞ。」


「……私は」


 一瞬、口ごもる、だが言わなくてはならない。アリオンからの心配そうなそんな雰囲気が伝わる、大丈夫だ、と伝えるように手で振れる。


「私はスクラヴォス・ガウラス、傭兵をしている……UGNイリーガルとしても活動をしている。CNコードネームはイミテーションダヴルス、だが……CNでなくスクラヴォスと名前で呼んでほしい。CNは嫌いだ。」


 仮面の下で目を伏せ、静かに言葉を紡ぐ。

 イミテーションダヴルス、それは私にとっての後悔と悔悟の証、何もできなかった、何も知らなかった無知であった私にとっての罪の証だ。

 ……そして、ヴァシリオス・ガウラス、現マスターレギオンの双子の弟としての私の名を彼らは驚きを見せた。

 しかしネルガルだけは既に知っていたからか微笑んだ表情のままだ。


「聞きたい事があるだろうが、私は私の目的で協力をする。だから、彼は私が止める。」


 自分がしたい事を、すべきことを告げ、家族を取り戻すために協力をしてほしい、というのはまだ伝えることはできない。それはあまりにも突飛しすぎており、何より傲慢であると思ったからだ。


「……わかった、今は事情は聞かない、じゃあみんな!これから忙しくなるわよ!」


 ユークリスはパンッと両手を叩き、場を収める。

 各々はこれからどうするか、どのように情報を収集するかを話して一時解散となった。

 私は、MM地区の地図とこれまでのマスターレギオンの行動の被害などを記された地図をアイシェに頼み、コピーを貰い用意された部屋へと持って行く。


 机と椅子、白い壁と簡易ベッドとゴミ箱以外に何もない殺風景な部屋

 アイシェから貰ったそれらを机に広げ、MM地区の地図を壁にテープで止めて貼りだす。

 先ほどの会話で聞いた情報を基に、情報を書き込んでいく

 行動範囲、被害、規模、どのように死んだか、どのように戦闘をしたのか、判明しているだけの事を書き込み、それらを基に兄ヴァシリオスの戦術を推測していく。

 ヴァシリオス・ガウラスの隊の情報、そしてこちらの戦力、部隊内でのそれぞれの役割を解析及びIFもしもの仮説を立てて、その中で最も可能性の低いものを排除していき、最も可能性が高いと思しきそれをはじき出す。

 ひとつ、有利な条件があるとすれば、私はヴァシリオスの隊の事を知っていること、そして彼らについて、ひとりひとりについての情報を書き出せることだ。

 ……そのいくつかの条件下の中で狙撃の可能性が高い場所をいくつかはじき出す。

 今から動けば間に合う可能性はある、だが射程距離及び敵戦力に私の事をさとられず、一撃で倒していかなくてはならない。

 私のエフェクトでの射程距離はおよそ20m、環境下における風や天候などの影響を鑑みておよそ2~3mは前後すると考えて、レッドラインは17m、最も命中率が高いのは15mとしよう。

 ならば、といくつかの狙撃ポイントについての情報をネットで調べていく、画像検索や座標の表示、最も狙撃に適しているのは何処か、また、逆に考えて狙撃に適していないのは何処かを計算していく。

 赤いペンと青いペンを交互に使い、狙撃するためのルートを掲示、もしも自分が狙撃するとしたら何が考えられるか、どうしたら阻害させられるかを思考し、答えを書き込む。

 ……狙撃及び、奇襲などの可能性を鑑みてもおよそ明日からと考えても4日分は続くと推測する……今から行けば何とか間に合う、か……よし、と確信した私は行動を開始した。

 このような事はあの時の戦場でいくつも経験してもう慣れている。

 事前に予測し、最優先で潰していけば彼らに危害は及ばないはずだ。

 ふむ、と呟いて部屋を後にする。


 翌日の昼頃、公園が一望でき、更に狙撃するには都合がいい箇所をいくつか見繕っていた場所を訪れている、

「(まずひとつクリア……ここはいない、か)」

 ふたつめ、みっつめ、と覚られぬように歩み、外側から観察する。

 そんな時あのレネゲイドビーイングの少女が結月 至也ゆづき とうやと共に公園に来ては、様々なことを学んでいる、恐らくは情報収集がてらの休息に、少女が望んだのだろう、とそんな時わずかに、カサ、と枯れ葉が踏みしめられるような音がする。

 息を潜め、なるべく自然と通りすぎるようにその場所の近くへと歩いていく、わずかにだが、朱い黄昏色の人の姿がその草木の影に隠れるようにして、スナイパーライフルで結月を狙っているのが推測できた……自然と狙撃可能圏内に入るまでに歩んでいく。

 木陰に隠れ、対象との距離を15m前後に収まるようにして、足元に落ちていた小石を拾い、念じると黒いスナイパーライフルが手の中に現れ、ずしり、とその重みを感じる。

 隠れるのに使用した木に銃口を押し当てるようにする、計算上では赤い人影、従者の軍人の頭の位置に当たると推測する。

 チャンスは一度きり……従者がわずかに身じろぎして照準を合わせ、引き金トリガーに指をかけた瞬間、軽い破裂音がしたと同時に空気が抜けるような音がして従者は赤い血に戻って消えた。

 ズキリ、と全身を苛む《対抗種カウンターレネゲイド》の毒、まだだ、まだ私はいけると自己暗示のようにして従者の血の前に屈み込み、指に絡め舐めとる。

 血や体液などからで当時のあらゆる記憶や感情、想いさえも読み取るエフェクト、〈ブラッドリーディング〉を使用してさぐる。

 従者になる直前までの記憶、この者の記憶を

 ヴァシリオスと共にいた彼らの、戦場での記憶は地獄そのものであった、しかし彼への敬意、感謝、誇り……列車で聞いた時と同じセリフをヴァシリオスは言う。

 記憶も感情も情報も流れ込んでくる……だが、その感情も記憶も私にとってはどこか、羨ましいと感じたのだ

 彼らのようにヴァシリオスと共にいられたら、辛い時にもいてやれたらどうなっていたであろうというIFもしもに共に思いを馳せて、どうすればいいのか、私は考えを巡らせていた。

 ふと、何も知らないふたりを木陰から見る。

 沢山の事を学び、嬉しそうな初めてみるものに対して好奇心旺盛な年相応な表情を見せる少女、あの少女はあんな表情ができたのか、しかし少女の秘密はなんだろうか、と思考するが……その笑顔にどこか安堵する……このまま何もなければいいが

 その様子を隠れて見ていたがこのまま見ていたら無粋と感じ、ふたりきりにしてやろうと立ち去る。


 翌日の昼頃、複数の狙撃手、配置や時間帯をずらしてい襲撃の準備をしている従者の軍人、昨日地図に始末したそれらも書き込んで、新たに情報をアップデートする。

 それらを基に失敗した場合どのような作戦に移るのか、可能性が高い作戦になるという確信してすぐさまに行動を移し、いくつかの従者を倒していく。

 配置や癖などは兄の本来の思考、どのような作戦を立てるか、市街地戦の場合どのように配置するかを思考追跡トレースしていけば、そこから推測していくことができる。


 従者を倒していきヴァシリオスについての情報を、当時の情報、記憶、感情を読み取っていくにつれて彼らの最期の記憶を知っていく。

 誰もが兄ヴァシリオスと共に戦える名誉、尊敬を集めていたこと、敬愛、彼の提案を受け入れて共に黄昏の世界を歩むと決めたものたち。

 彼らの遺志はどれもがヴァシリオスと共に歩む信念を持つものだった。

 ならば、私が出来ることはなんだろうか、彼らのその意志に対してできることを。

 考え続けろ、私にだけできることを。

 エフェクトで作られたスナイパーライフルを石ころに戻して草むらへと捨てたのち支部へと帰還し、部屋に籠る。

 終わった情報を赤いバツをつけてゴミ箱に捨てていく、用済みになった情報、始末した従者の情報と分ける。

 しかし、従者を始末したところでまた同じ従者を作られてしまえば意味はない、だがこれは私にとっては意味がある行為、彼らの遺志に対する敬意だ。

 さて少女についての事を結月が調べた結果、レネゲイドビーイングではあるがオリジンなどはわかっていないようだ、しかし、結月もされたこともあることから人を癒す能力があるらしい。

 しかし発動には強い感情が必要らしいが……なぜそれで数々の権力者の手に渡り暴行を受けていたのか、理由がわからん。

 癒す能力だけならばオルクスやソラリスシンドロームといったオーヴァードあるいはレネゲイドビーイングが所持している者が多いはずだが……彼女にしかない特別な何かがあるのだろう。


 "エレウシスの秘儀"……なにか秘密があるのかと探りをいれようとしていたが、既にユークリスが調べ上げていたようだ。

 UGN及びレネゲイド災害緊急対応班の予測によると、戦闘領域ワーディング内の生物の生命力を吸収し、みずからの者とする特性を持っているらしい。

 海の中のような戦闘領域ワーディングが展開されると半透明な『四肢を持つ馬面の鯨』が現れるらしいが……私自身は見ていないが、海の中のにいるようなそれに対しては既に経験しているため信ずるに値する。

 列車内でその鯨によって喰われて生命力を吸収してオーヴァードに覚醒した後ジャーム化するようだ、レネゲイド災害緊急対応班の観測データによりそれは判明している。

 推測するに"マスターレギオン"が持っていると状況判断ができるかもしれない。

 これらの事を手記に書き記し、みずからの考察も書き加えてパタンと閉じる。

 気づけば外はもう暗い、従者に行動をさせるなら夜だが、しかし2度も失敗させた今、動かすのは危険だと気付いたかもしれない、そうなれば夜は警戒をして自らの護りに回すだろう。

 今回の夜は、戦場とは違い少しは眠れそうだ。


 3日目の夕方、MM地区を周り、探っていき襲撃を仕掛けようとする従者をまた何体か倒し、その血を飲み情報を引き出していく。

 やはりそれを知るたびに心が揺れていくのを感じた、だがそれほどの時間はないかもしれない、地図に色々と書き込んではほぼ赤と黒の線によって彩られているが、まだ判別はできる。

 少々書き込みすぎたか?と思ったがそんな時扉が開かれる。

 入ってきたのはMM地区支部のチルドレン"サイレントアサルト"大賀 輝生おおが きしょう、腕には大量のお菓子がある、たくさんもらったのを持ってきたようだ。


「スクラヴォスさんいるっすか?」


 にこやかに腕の中のお菓子を机の上に置いて椅子に座りこんで、置いたお菓子の袋を開けて食べ始める。

 楽しそうに笑う彼は何も悩みがなさそうである意味羨ましい、が表情には出さないようにする。


「……何か用か、輝生」


「あ、しまったっす!」


「えっと、その、数日前は勘違いして襲おうとしてすいませんでしたっす!」


 数日前、というとこちらに列車で巻き込まれてきた時のかと思い当たり、間違われるのはいつものことだったためかあまり気にしてはいなかった。

 そのために顔にいつも仮面をつけていたが…………


「構わん、もう慣れている、ところでそのお菓子はなんだ」


「あ、これっすか?いやぁ、ベニアちゃんと支部を回ってたら沢山貰っちゃたんで、スクラヴォスさんにお詫びもかねてと持ってきたんっすよ。」


「ベニア?」


「あ、ベニアっていうのはあのレネゲイドビーイングの女の子っすよ。ユークリスさんがつけてあげたらしいんっす、可愛いっすよねぇ。」


 そうか、あの少女にも名前がついたのか、それにどこか安堵をしている私がいた。

 私の名前に関してはどうやらネルガルに聞いたらしく、自分の誤解であることに気付いたようだ。


「……えっと、その、今回マスターレギオンのこと、ききましたけど、その……お兄さん、なんっすよね」


「……ああ、私の双子の兄だ」


 ヴァシリオス・ガウラス、幼い頃から同じように生まれ育ち、不平等を是正ずる理想の夢を掲げ、戦場で多数の戦友たちと共に駆け抜けていった英雄。

 兄とは違うオーヴァードで構成された部隊を率いて戦争を勝ち抜いてきた。

 しかしある時、兄ヴァシリオスがいた部隊が敵部隊と共に壊滅し、兄はどこかへと去ってしまった、その後UGNに保護されて戦争は終結した……もっと早く来てくれたら、と思った事はある、だがそれは過去の事。


「家族と戦うって、辛くないんすっか?」


 辛くない、といえばウソになる、だがそれでも傭兵や軍人であるのならば命令には従わなくてはならない、UGNイリーガルであろうとUGNなのだから……

 いやここで嘘を言って不信を煽ったりすることにつながるか、本音を言おう。


「辛い、か、確かにそうだな、本当は戦いたくはない。」


「それは、みんなが情報収集に出ているさいに、独りで行動していることにも関係してるんすか?」


 気づいていたのか、という視線を向けると、私が部屋にいない時に入ってきたときたくさん書かれた地図と捨てられた資料、名前にバツが書かれていたりとしていたのもを見てもしや、と思ったらしい。

 支部のメンバーに言っていないところをみると、メンバーの者達を不安にさせたくなかったのだろう、優しい子だなと、ふ、と口角をあげて微笑む。


「そうだ、兄を、止めてその道を正すのは弟の役割だからな。」


 本当の言葉を隠して、告げる

 私の本当にやりたいこと、なぜ救いたいのか、それは私の後悔もあったからだ。

 彼ら従者を羨んだのは、最期まで彼と共に在り、傍で支えて分かち合うことができていたからだ。

 私はそんな兄が苦しい時に、いなくなった際に傍にいて支えてやれなかったこと、寄り添うことさえもできなかったことを悔やんでいた、そして兄とそっくりなこの容貌ようぼうから、いつしかイミテーションダヴルスというコードネーム呼ばれるようになったが名前で徹底させた。

 そのコードネームはそんな過去を悔やみ、辛かったというそれを思い出してしまうのが嫌だったからこそだ。

 輝生はその言葉に何かを感じたのか、あるいは何かを察したのかそれ以上は何も言わない。

 心配そうで何かを言いたくても言えないようなその表情を見て、安心させるように頭を優しくなでる、撫でられてむずがゆそうにする輝生を見て微笑ましく思う。


「ふ、もう遅い時間だ、子供は寝る時間だぞ」


「子ども扱いしないでほしいっす……」


 どうみても子どもな上にUGNチルドレンとついている時点で子どもだと思うのだがまあいい


「お菓子は持って帰れ、甘味はあまり食わんからな」


「え、い、いいんすか?」


「ああ、存分に食え」


「そ、それじゃ失礼しましたっす!」


「マスター……」


「何も言うな、アリオン」


 彼は机の上にある大量の貸しのほとんどを持ってそそくさと行った。

 彼と話すことで少しは気が楽になった気分だ……

 腕輪のアリオンの気遣うようなそれに優しく答える。

 壁に貼り付けた地図を見て、さて次の作戦もあと少しか、と思考を巡らせる。

 カバンを取り出し中からいくつか書籍を取り出していく。

 ボロボロになった古い装丁の1冊の本がこぼれ落ちる、その表紙には金色文字のギリシャ語で、「Βασιλιάς και σκλάβος王と奴隷」と刻み込まれていた。


 そして4日目、推測では今日が最後の作戦となるだろう。

 今までかき集めた情報、ヴァシリオスの隊がどうするか、いくつものの作戦を失敗した場合にどうするか、それならば今度は場所を調べる必要性がある、そう考えてMM地区の外を従者と戦っていた。

 だが、いくつものの従者たちの想いを知るにつれて、ヴァシリオスに対する想いがそれに相対して高まるなか、迷いが表れて動きが鈍っている自らに気付いていた。


「マスター!」


「っ、わかって、いる!」


 幾つものの従者の攻撃を避けては、反射的に撃ち倒していく、その度に《対抗種カウンターレネゲイド》による毒が更に全身を苛む。

 アリオンの声で危険を何とか察知し、それに対処していき、気付いた時は周りには大量の血の従者の泉ができていた。

 なぜこんなにも大量の従者がいたのかといえば、他のUGN支部が襲撃されている可能性があると考え、可能性のある施設を当たった結果だ。

 その結果がこの大量の従者だ、罠を張られていた、それは考える限りのあり得る可能性であったため問題はなかったが……ここはUGNのMM地区ではない支部だ、既に壊滅してから数日は立っている、しかしこれだけの従者がいたということは、この支部に誰かが来る可能性を考え、こちらの戦力を低下させるあるいは喪失させる目的があったと考えられる。

 実際それは効果てきめんだったようだ、この支部がこの状態ではまともにMM地区への連絡もままならないだろう。

 しかし、壊れた施設の中でひとつだけ剣で斬り裂かれたような痕跡を発見する、それに手を触れて傷痕をなぞる様に意識を集中させる。

 精神集中コンセントレイト……この場であったその記憶の場所を脳内で再現し、何があったのか、それらをひとつひとつ解析していく。

 そして解ったことは、このような事はやはりヴァシリオスが数日前からのこの近隣でのレネゲイド災害に関連しており、横浜市周辺のUGN支部を壊滅させながらMM地区へと向かっている、目的は明らかだ。

 情報が得られた以上すぐに地区へと戻る必要がある、もちろんマスターレギオンであるヴァシリオスの今現在の居場所はこれによってもう推測はできる。

 だが、これは言うつもりはない、居場所についてはネルガルにちょっとした座標と件名に先に行くと送信すればいい。

 だが、少し荷物の整理は必要だ、ゆえに戻る必要があるのだ。

 そう考え、支部の自分の部屋へと向かう通路を歩いていると途中の休憩室にレネゲイドビーイングの少女、ベニアがいた。

 白い髪に蒼い瞳を持つ少女、だが聞いた話では兄に殴られたという観点からも接触するのはまずいかもしれん、とそう考えなるべく気付かれないようにいこうとする、しかし顔をあげたベニアにあ、と見られた。

 もう少し早く帰ったほうがよかっただろうか、とそう考えていたが、ベニアの瞳は私を見上げて何かを聞きたそうにしているのを見て、むげにする必要もないかと彼女を休憩室のソファーの対面に座らせて私も深く腰をかける。


「それで、話とはなんだ?」


「えっと、その、貴方たちの名前、聞いてないから……その、貴方たちの名前は何?」


「人に名前を聞くときはまず自分から名乗るものだ。」


 名前を輝生から聞いているから知っていたが、しかしそれではいつ知ったのと怯えるだけだろうと考えて促す、それを指摘されてはわわと慌てた様子でベニアは謝罪をする。


「え、えっと、わ、私の名はベニア、っていうの」


「ベニアか……いい名を貰ったな。私はスクラヴォス・ガウラス、こっちがアリオンだ」


「すくらゔぉす……」


「私の兄が、すまないな」


 ベニアはふるふると首を振る、その蒼い瞳は怯えの色はあったものの、どこか好奇心をうかがわせた。


「だい、じょうぶ……えっと、聞きたいこと」


「そうだったな、では聞こう」


「えっと、すくらゔぉすはどうしてありおんと一緒にいるの?その子は人間じゃないのに」


「人間ではない、そんなことは重要か?人ではない者とも絆がある、だからこそ共にいる。信頼していると言ってもいいだろう」


「私は道具だって、バケモノだって、ずっと言われてきた……すくらゔぉす、それでも私は人と一緒にいていいの?」


 ……そうか、この子は

 ふと過去の戦場を思い出す、補給もほとんどなく兄と共にあの地獄を生き抜いたあの戦場を。

 何故か別々の部隊ではあったことに当時は疑問を感じていたが、人の最低限の尊厳さえもないあの世界で私達はバケモノだった。


「ベニア、私達は昔はバケモノだった。」


「え?」


 驚いたような意外そうな表情で私を見上げる、大きな丸い瞳が私を見つめ返している。


「私も兄も、戦争の道具として扱われ、最低限の人間の尊厳さえ奪われ、バケモノとして兄とは違うオーヴァードで構成された部隊を率いて戦争を勝ち抜いてきた。」


 過去を語る、自分の原点を


「私は当時、ただひたすらに、兄と同じ理想を夢見て、その先に平穏な世界があると信じて戦ってきた。救われぬものに救いの手を、居場所なきものには居場所を、そして不平等を是正する。それが私たちの理想。」


「……?」


「後にUGNに保護されて知った、私は兄ヴァシリオスが反乱を起こさないようにするためのいわば人質であった、私自身は知らなかったことだ。とある作戦の前準備として呼ばれた際もずっとこれが兄の為になると信じていた。」


「どうして?」


「それが私の意志であり、信念でもあったからだ。自分の意志でやりたいことを考え、自分で行動をする。それこそが第一歩だ。」


「自分の意志で考えて自分で行動をする……むずかしい」


「今は分からなくともいい、だが私は自分のやりたい事の為にここにいる、それとも彼らは、ここの人達は一度でもお前をバケモノ扱いしたか?」


 少女はそれに気づいたようにふるふると首を振り否定をする


「ならいい、それならばお前は人と一緒にいられる、私もアリオンとは数年前にFHとの戦いで偶然に出会って絆をはぐくみここまできた。だから自信を持て。」


「私でも、人と一緒にいていい……」


「そうだ、ゆっくり考えるといい」


 す、と頭を撫でようとするが、兄に殴られたという情報のことが頭の中にあり、自分の手を見たのちに手を下ろし立ち上がる。

 彼女はお礼を言ったあと、手帳になにごとかを一生懸命に書いていた。

 自分のやりたいこと……か

 部屋に戻ると一冊のボロボロの本が落ちていた。

 金色文字で表紙に「Βασιλιάς και σκλάβος王と奴隷」と刻み込まれているものだ、そういえば本を落としてそのままだったか、と思い至る。

 懐旧、幼い頃にヴァシリオスと共にこれを読みあったりしていた、そんな過去だ。

 内容としては幼い頃に王が幾つものの災厄、妨害、時には工作による被害に遭いながらも奴隷と共に歩むもので、奴隷は元は忠臣であったが奴隷になり、奴隷でしか出来ないことを果たして王を影から支え護るという物語だ。 兄、ヴァシリオスは王に憧れ、私は王を影から支え隣で歩む奴隷に憧れた。 いわば私にとってもキッカケとなった本だ


 ……そうだ、私のやりたいことだ、ようやく手が届く

 私は王を支える奴隷となりたかった、王の跡を追う奴隷ではない、王の隣を共に歩む奴隷だ。

 王が迷うときがあれば手を差し伸べよう、王が間違った道を歩むのなら正そう、王が苦しい時は共に苦しみ共に歩もう。それこそが奴隷としての私の役割だ。

 私のやるべきことは決まった。作戦開始まであと数分以上はある、会いに行かねばならない。

 部屋に貼っていた地図を剥がしてカバンに突っ込み、何もかも突っ込んで整理をする。

 ネットで得たその場所の画像をメールに添付し、先に行くと記し、送信して窓から外へと出る。

 そしてその場に準備しておいた手のひら大の大きさの石をモルフェウスの力で変換させて大型二輪バイクに変化をさせ跨る。

 エンジンの調子も軽く見て問題ないことを確認し、即座に行動を開始する。


 風を切る、顔を打ち付けるそれに目を細めながらもバイクをふかし、速度をあげる、次第に赤い人影が大量に見える、当たりだ、そう確信して近くにバイクを停めて隠して歩んでいく。

 従者たちも当然のことながらこちらに気付き、身構えようとするが奥からの声によって制され、従者たちの輪がふたつにわかれ、道ができる、その先に兄は、ヴァシリオスがいた。


「兄さん」


 ゆっくりと、兄の10m手前まで歩んでいき、立ち止まる、ヴァシリオスは訝しげに観察をする


『何の用だ、弟よ』


「なに、少し誤解を解いておきたいと思ってな」


『誤解だと?』


「ああ、この不平等な世界を甘受するためにUGNに所属しているという誤解を」


 ヴァシリオスはその言葉に眉をひそめる、どういうことだとつぶやく


「私は別に、この不平等な世界が気に入ってUGNにいるわけではない、不平等な世界を是正するために、救われぬ者達に救いの手を、居場所なき者達に居場所を、よわきものたちに手を差し伸べ、不平等を是正してきた、全て兄さんのやりかたで。」


『っ……』


「今までずっと、そうやって世界中を旅し、兄さんのやり方で少しずつやってきた。だから私はこの不平等な世界を変えるためにここにいる。」


『……私がいなくなった後で、私の意志を継いでくれたことは嬉しいが、だが、それでは遅すぎるとわかったのだ、知っているだろうお前も!』


「ああ、知っている、だからこそ私は貴方と共に歩むために、是正にきたのだ、王よ」


「私はずっと、無知だった。あの時からずっと、ただただ兄さんの為になると思ってやってきて、ずっと後悔してきた。」


 少しずつ、真実を、過去の後悔を話していく


「あの中東で私は兄さんに叛乱を起こさせないための人質だった、そしてとある計画、私自身が犠牲になる計画もされていたこともまたあなたがいなくなった後で知った。ずっと、兄さんを独りにしてしまったこと、隣にいてやれなかったこと、何も知らなかったことに悔いていた。」


『………』


 ヴァシリオスは何も言わないまま顔を伏せ聞いている


「もう無知な奴隷としてではなく、王の跡を追う奴隷としてではない、あなたの、王の隣で共に歩み、王を影から支え、間違った道を歩むのなら引き戻し、王の隣で共に歩む奴隷となりたい。それが奴隷スクラヴォスとしての役目だろう?」


『……私に王と呼ばれる資格はない』


「いいや、貴方は王だ。彼らの、ここにいる者達にとっても、私にとっても、誰もが貴方を慕い、共に歩めた誇りを、感謝を、想いを抱いている。だから、貴方はヴァシリオスだ。」


「あなたが奈落の底にいるのであれば私が何度でも引きずり上げよう、どんなに暗い闇の中であろうとも救い出そう、それこそが私の役目だ。」


『……ならば、ならば私と共にこい!この世界を変えるために!』


 ヴァシリオスは顔をあげ、私を真っ直ぐに見返し、そう告げる、やはり何ともそれができるのであれば、共に生きる為ならばそれもいいだろう、だが、まだ足りない。

 今のままでは行けないのだ、ヴァシリオスと共に歩むにはまず、運命そのものを断ち切らなくてはならない。

 貴方の道を正し、その手を取るために私はこう告げよう


「ふ、王よ、それにはまず、力を示すというのが道理だろう?」


 そう返すとヴァシリオスは口角をあげる

 しかしそんなとき、後ろで何かが歪む感覚を覚える、きたか


「早かったな」


「ふふ、待たせてやったの間違いじゃないかの?」


 後ろで空間が歪む感覚、ネルガルの〈ディメンジョンゲート〉による知っている場所であればどこにでもいける門を創りだす魔眼や重力、斥力などといった力を操るバロールシンドロームのイージーエフェクト、老人のような口調でそういうネルガル、そして結月にユークリス、ベニアも輝生いた。

 ベニアを護るように輝生は共に下がる。


「まったく、ひとりで先走るんだから」


「問題ないよ、でも彼にはちょっとお仕置きも必要だろうしね」


『……きたかUGN、だが戦力差は圧倒的だぞ』


「戦力差はあっても、それでいつでも切り抜ける道は必ずあるさ」


『ふん、そうか……ではそれを返してもらおう。君には不要なもののはずだ、それとも君も不老不死を望んでいるのか?』


「いいや?でも目の前でひとり悲しむ女の子は見捨てられないだけだよ。それに、約束したからね」


 ヴァシリオスにそう尋ねられた結月は答えて、体をほぐすようにストレッチをして構える。


『ふん、尻尾を巻いて逃げるがいい、信念無き正義に尻尾を振るレネゲイド災害緊急対応班の犬め』


「うっさいわね、私は私なりにレネゲイド災害からみんなを護ろうとしてるの、それを邪魔するなら許さないわよ」


 その答えにヴァシリオスは特に反応は返さない、だがしっかりと見定めている。


『そうか、では見せてもらおう信念無き正義』


『さて、恭順の意を示せば、これ以上の攻撃は控えよう!支部の仲間が大切なら、投降したまえMM地区支部長!』


「そちらにも譲れないものがあるように、わしらもゆずれないものがある、それはもうわかってるじゃろう?」


 老人のようにしかし意志のこもった強い瞳がヴァシリオスを貫く、彼は一度目を伏せ、私達を見る、心なしかその口角は上がっているようにも見えた。


『良く言ったUGN!だが、私も死んでいった友に誓ったのだ!この不平等な世界を必ず変えてみせると!』


 自らの左手の手のひらを傷つけ、血があふれ出す。

 しかし、それは次第に寄り添い集まり一本の赫い剣を生み出し、握りしめる

〈赫き剣〉と呼ばれるブラム=ストーカーのエフェクトだ


『お互い譲れぬものがあるのなら、あとは戦いで雌雄を決するのみ。さぁ、我が精鋭、“レギオン”の力とくと味わうがいい!』


「ならば、私も全力でやろう」


 ぞわり、とヴァシリオスの全身から強い殺気が放たれる、不平等な世界を是正するという信念のもとに、衝動のままとはいえ戦友の為に戦い続けるという信念の入り混じった、戦闘領域ワーディングが展開され、それに呼応するように私の中の《対抗種カウンターレネゲイド》も、レネゲイドウィルスがざわめきだす、その高潔な血が欲しい、飲み干してひとつとなってしまえばもう悩まされることはない、そんな吸血の衝動に苛まれるが唇を噛み押し殺し衝動を抑え込む。

 ここから先は戦場、力を示すための戦いだ。


『―――死してなお黄昏の中で戦う事を選んだ者達よ―――“レギオン”!』


 その叫びに応じるように、彼の左手の血が滴り落ち、地面に広がった血から“レギオン”が1体、また1体と生まれヴァシリオスの元へ集いゆく。

 死してなお黄昏の世界で戦う事を選んだ彼の戦友達が戦列へと加わっていく。

 最後に、優美な大盾を持った女性型のレギオン……私は彼女を知っている、記憶の中を探る、そうだ、過去に戦場で、会った事がある……彼女は。

 その事実に目を伏せ、そうかキミもそちらにいたのかと呟いた。

 レギオンとなってでも彼の傍にあろうとしていた事実にどこか安堵した。

 そして出来上がったのは騎馬に跨り馬上槍を構えたレギオンがふたり、彼の前と5m左に控えている、長銃を持つレギオンはヴァシリオスから右に5m離れて控えている。

 そして……身の丈ほどもある大きな楯を持つレギオンはヴァシリオスを護るように控えている。


『死の、その先にいる者達よ────!!』


 ヴァシリオスの声に合わせるように、目の前に控えていた騎馬のレギオンは馬の手綱を勢いよく振り、急発進させ、馬上槍を突き出し貫かんとばかりに突撃をしてくるが、黒い光が瞬きレギオンの視界を奪い見当はずれな地面を深く抉り、土ぼこりが舞いひとつの戦争ミドル戦闘の開始が告げられた。


「甘いわよ!」


 ユークリスの手には黒い光が寄り集まり、銃と言い換えてもいい程の質量となっている。結月もまたそれに続くように腕をクロスさせる。


「よし、僕も!変身!」


 その掛け声に手袋の形で装着されていたのか、手袋から光が溢れ手首から広がって全身を覆い、列車で見たあの全身スーツのいわばライダーというものになりポーズを取る。

 時折ホテルなどに拠点として泊まる際にテレビを付けると仮●ライダーというのが出てくるがそれに近い。


『まず一太刀、受けてみろ!』


 ヴァシリオスはその場から動かず、赫き剣を水平に何もない空中を斬る──いや、違う

 轟ッ!!と目の前の騎馬のレギオンが主の剣の軌道をなぞる様に馬上槍を同じように水平に振るい赫い剣閃が襲いくる!!

 これは、従者の身体を使い自らのエフェクトを使用する、いわば〈遠隔操作〉と呼ばれる──

 胸を横一文字に大きく斬り裂かれる、表皮、真皮、皮下組織、筋組織、血管を断裂させる、傷痕から通常であれば瀕死とも思われる血の量が噴き出し、服を、紅く染めていく。

 だが、それと同時にまるでビデオの逆再生のように血が体内に戻っていく、傷痕が何もなかったかのようにふさがれていく──

自己再現リザレクト〉、超越者オーヴァード特有の自己再生能力、どんな傷を負おうとも、細胞単位になろうとも、この身に宿るレネゲイドウィルスが以前の身体を、精神も何もかも記憶している限り、元の形に記憶のままに再現するエフェクト。

 地面に倒れ、周りを見れば同じようにいきなりの攻撃であったからか避けれず受けてしまい〈自己再現リザレクト〉をして、立ち上がっていた。私も倒れるわけには、いかない!

 ざ、と地面を踏みしめ、レギオンにではなくヴァシリオスを見据える。

 だが、それ以上に、兄があの時以上に強く、そしてこうして目の前で戦えているのがうれしく思っていた。誰にも言わないぞこんなの。


「さ、すがに強いのう、おぬしの兄は」


「ふ、あの地獄せんじょうを同じように生き抜いてきた英雄だ、舐めてかかるな」


「でもそれなら僕たちだって、負けてられないよ!」


「ここで、立ち止まってられないんだから!いくわよ!」


「うむ、ではゆくぞ!他ならぬこのワシが願うのじゃ……意地を見せろよ!」


 ネルガルのその声がわずかに震える、いや重なったよう聞こえた

 彼から発せられる声が、身体に染み渡り、全身のレネゲイドがそれに呼応し、痛みを引かせていく、いや、それ以上に、レネゲイドに干渉し更なる力を引き出させるようなそんな感覚を思い起こさせた。

 薄緑色の光が身体を包み込むのがわかる、これは、彼のエフェクトだ、力が沸き上がる、恐らくは〈エンジェルヴォイス〉と呼ばれるもの、あの声が重なりそれが共振したのもそうだろう。


「やられっぱなしは趣味じゃないのよ!」


 続く騎馬のレギオンの妨害するような馬上槍によって殴りつける行動をかいくぐり瞬時に狙いを定める。

 騎馬のレギオンの4本足の隙間から一直線、ヴァシリオスに照準を合わせると黒い光が集まり、一筋の黒い光線となってヴァシリオスを撃ち貫こうとする!

 しかし、それを予見していたかのように大盾のレギオンが前へと出てヴァシリオスを庇い、大盾の丸みを利用して黒い光を側面で弾く!


かったいわね!」


『ふ、生半可な攻撃は彼女には通用せん、それこそが私たちだUGN』


 ヴァシリオスはどこか誇らしげに、しかし見定める、それならばここは私の出番だ


「さすがだ、兄さん」


「ちょっと!」


 ユークリスが褒めた私を見とがめるように、敵を褒めるなんて!という非難めいた言葉が聞こえたが気にはしない。


「だが、私達もまた、この程度ではない」


 胸ポケットから取り出したのは、赫と金で意匠を施された、戦場にいた頃に兄ヴァシリオスが自らの血を刻み込み、作り御守りとしてくれたものだ。

 優しく手のひらで包み込み、力を貸せ、と命ずると手の中に狙撃用照準器スナイパースコープがなく、銃身バレルの長い赫と金の意匠が施されたスナイパーライフルが現れ、手にその重みがずしり、と伝わる。

 流れるような動作、戦場で、旅で培われたレネゲイドコントロールと戦闘術はこの身体に叩き込まれている。先ほどの攻撃で噴き出た自らの血を弾に変えて装填動作を行なう。

 日本のことわざには確か……将を射んとする者はまず馬を射よ、だったか。

 AIM照準をヴァシリオスへとわざと合わせる。

 大盾のレギオン、彼女はその動きを察し、すぐさまヴァシリオスの前に出て大盾を構える。

 体内のレネゲイドが更に全身を引き裂くように《対抗種カウンターレネゲイド》が暴れ、激痛を全身で感じる、だがそれでこの引き金トリガーを引くのは止めることはできない。

 破裂音と共に、一発の赫い銃弾が放たれる、吸い込まれるように彼女の大盾を、に。

 わずかなヒビ、それだけでもいい、装甲の隙間あるいは一度攻撃されてはいったそれを狙うのは、狙撃手スナイパーとしても至極当然の思考であり、スクラヴォス隊の隊長でもあった私のやり方だ。

 そして私のレネゲイドはレネゲイドを殺すレネゲイド

 大盾がそのヒビを中心に崩壊する、次の瞬間、彼女は私の銃弾に胸を貫かれ、崩れ落ちるように、名残惜しむかのように血の塊となって自壊して消えていった。

 ならば、レネゲイドで構成された彼女もまた、それによって終わるだろう。


「今まで兄の傍にいてくれて、ありがとう、そしてすまない、ナタリア……」


 血の塊となって消えた彼女、兄ヴァシリオスの優秀な副官であったナタリアを見送る、誰にも聞こえないような声でそうつぶやいた。

 ヴァシリオスもその血に触れ、目を伏せこちらに目をやる。

 止まれないのはお互い様だろう?と視線を向ければ、ふ、と口角をあげるのが見えた。

 ネルガルはその様子を見て、大盾のレギオンに視線を向けて眼を細め何かを呟く、


「……確かに、魂は在ったのだな」


 その言葉は誰にも届かない。ネルガルのそれは風に乗って消えていった。


 もうひとりの騎馬のレギオンが手綱を叩き勢いよく、馬上槍を水平に構え突進してくる!

 それと同時に目の前に鎮座していた騎馬のレギオンも再びその馬上槍を叩きつけるように思いっきり振りかぶる!


「させ、るかよぉぉ!」


 その雄たけびを上げた結月がその攻撃の前に立ちふさがり、腕をクロスさせ振りかぶり叩きつけようとする馬上槍を腕で受け止め払って、その隙を掴んとするもうひとりのレギオンの槍を掴んで逸らし、地面にその槍を突き立てさせて無力化をする。

 だが、破裂音

 赫い弾が真っ直ぐ、隙間を縫うように、ユークリスを狙う!スナイパーライフルを構え撃ち落そうとしたがそれよりも速く、結月が動いた


「させ、ねぇっつってんだろ!」


 馬上槍を叩きつけた動きから流れるように、裏拳でその弾をはじき落し、血へと戻させた。

 ……何ともむちゃくちゃな奴だ。

 そのあまりにも無理やりな挙動を見て呆れというより感心を抱かせた。


「結月!そのままそいつをやっててしまうのじゃ!」


「分かってる!うぉらぁぁぁぁぁああ!!!」


 結月は構えなおし、地面を勢いよく蹴り、飛び掛かり正拳突きを騎馬のレギオンに喰らわせんと襲い掛かる!

 ごうっと、いう音と共に殴り抜かんとする、しかし、頬に当たったかと思えばそのまま受け流されるてしまう、ダメージは入った、だがまだ足りなかったようだ。

 わずかに舌打ちの音がした、上手く入りきらなかったことを悔しく思っているのだろう、ユークリスはそれを余所にもっと強い黒い光を手元に集めだす。


 だがそんな時再び騎馬のレギオンが、ヴァシリオスの振るう剣閃の軌道をなぞる様に振るい、赫い剣閃がきらめく!

 腕で顔を庇い、視界を塞がれる危険を避ける、が、手首から脇腹の表皮/真皮/皮下組織/筋組織/血管をも引き裂き、激痛、熱が体外へと排出/即死量の出血によって崩れ落ち片膝をつく。

 しかしまた、逆再生をするように血が体内に戻っていく、傷痕が何もなかったかのようにふさがれていく──〈自己再現リザレクト〉もあと少しで切れてしまう、そんな予感をレネゲイドウィルスがそう教えていた。


「ユークリス!」


「わかった!」


 ネルガルは、ユークリスに対し〈エンジェルヴォイス〉を使用し、鈴の音がしたかとおもうと薄緑色の光がユークリスを包み込む、彼女はそのまま、ヴァシリオスを狙う、先ほどは大盾のレギオンによって防がれたが、いないのであれば好機と、捉えたのだろう。

 手のひらの黒い光を暴発させるようにして、狙いを定め放ち先ほどよりも太く、黒い光線がヴァシリオスを襲う!

 彼は、よけようとしたがわき腹を抉られガクッと膝をつきかけるが、倒れない。

 口から血の塊を吐き出し、剣を構える。ならば私もそれに倣って全力で戦おう。


『こい、我が弟よ』


「ああ、兄さん」


 体内のレネゲイドが更に再び全身を引き裂くように《対抗種カウンターレネゲイド》が暴れ、激痛を全身で感じる、それでこの引き金トリガーを引くのは止めることはできない、だが……これでおそらくは〈自己再現リザレクト〉は切れてしまうだろう、それを理解していた、意識がその激痛で持っていかれそうだ。歯を食いしばり引き金を引く。破裂音と共に、一発の赫い銃弾が放たれる、それは、兄の胸を貫き倒れ込む、だがこちらもまた《対抗種カウンターレネゲイド》によって倒れ、仮面が割れ、落ちる音がする。

 だが、まだ、ここでは倒れていられない、ざりっと地面の砂を掴むように爪を立てて、立ち上がる、再び巻き戻されるように〈自己再現リザレクト〉が行なわれる感覚を抱く、だが兄もまた、身体の血が、傷が逆再生されるように戻っていき、赫き剣を杖にして立ち上がり剣を向け、ふ、とお互いを認め合うように、同じようにふたりで口角をあげる。



「ふむ、これは兄弟喧嘩というより、語り合いじゃの……」


 ネルガルはどこか感心したような、この双子は、と呆れるかのようにぼそりとつぶやいた。

 その隙を狙うように再び騎馬のレギオンたちは動き出す、ひとりは馬上槍を水平になぎ払い、もうひとりは大きく振りかぶり叩きつけようとする。

 しかし、結月によってそのふたつは全ていなされる、水平になぎ払った馬上槍を上へと滑るように払い、振りかぶろうとしていた馬上槍と衝突させ、バランスを崩させたのだ。

 だが、突然の破裂音がした

 血が噴き出す、鉄の錆びた臭いがする、そちらを見れば長銃のレギオンの放った銃弾によって倒れるユークリスの姿だ。


「ユークリス!!」


 思わず結月が駆け寄ろうとする、だが、ユークリスはそれを手で制し、立ち上がる


「まだ、死んじゃいないわよ、倒れられないんだから!」


 毅然とした態度で目の前のそれらを見据える。


「ユークリス……うん、わかった!」


 結月はそれに頷き勢いよく踏み込むと同時にその先ほど攻撃をした騎馬のレギオンの副部を殴り貫く、その攻撃に耐えきれなかったのか騎馬のレギオンは血の塊となって消えていった。

 だがそれを縫うように再び騎馬のレギオンが、ヴァシリオスの振るう剣閃の軌道をなぞる様に振るい、赫い剣閃がきらめく、今度は深く、深く胸を突き穿たれる。

 胸の中心に大きい熱い鉄の棒が差し込まれたような激痛、防御が、まにあわ、ない……

自己再現リザレクト〉はもう、切れてしまった、血が止まらない。

 どさり、と地面に仰向けになって倒れ込む。

 ここで、終わるのだろうか、溢れて止まる様子を見せないその穴に手を触れる。

 ──それで本当に終わりなのか?

 問いかける、ここで終ってもいいのか、お前の旅はその程度のものだったのか

 ───否

 ならなぜ立ち上がるのか

 私に繋がれた鎖が、赫い血でできていたその鎖が揺れる。

 ここにはいないはずの男、アルフレッド・J・コードウェルの幻影を、その言葉を否定する。

 私はどこかでこの男と出会ったことがある、だが、それは、マスターレギオンとして潜入していた時のものであって、私ではない。

 ではお前はなぜ立つ

 ───兄を、ヴァシリオスを救うために、運命を変えるために私は、止まれない!!

 ギシッ、と身体全体が軋む、コードウェルに繋がる赫い鎖を自らの手で断ち切るロイスをタイタス昇華する

 胸の穴に血はまた逆再生するように戻っていき、穴がふさがっていく、まだ、私は、倒れるわけにはいかない……!上体を起こし、立ち上がる。


「スクラヴォス!」


「……問題、ない、前を向け、ネルガル、まだ戦争ミドル戦闘は終わっていないぞ」


 ネルガルの不安そうな声が、喪失する恐怖で瞳が揺れているのがわかった。

 だから私は、こう答える。問題ないと。

 ユークリスもそれに目を向けたが、ヴァシリオスのほうを見てネルガルに支援要請をしつつ黒い光を手に集める。

 ネルガルは頷き、声を風に乗せるように、ユークリスに向けて歌い背中を押す、それこそは静かな声援シークレットチャームのように。

 その支援を受けた彼女の黒い光の光線はすさまじいほどの勢いで放たれる。

 それは、またもやヴァシリオスの腹部を刺し貫き、大量の血を噴き出させ、倒れそうになる、だが剣を支えにして倒れない、大量に出た血が寄り添い集まり、彼の腹部を元通りにしていく。

蘇生復活さいごのしゅだん〉を使った今が好機ととらえ、私は照準を合わせ、放つ。

 破裂音、《対抗種カウンターレネゲイド》による激痛が苛んでいるが倒れるわけにはいかない、見届けろ、そして私は────

 ヴァシリオスの胸に着弾する瞬間、兄はふ、と口角をあげ微笑んだ、そんな気がした

 着弾した瞬間、ヴァシリオスの身体が大きく膨れ上がり爆発、した

 突然の出来事に対処できず私たちは吹き飛ばされ脱力感とともに倒れた───


 声が、聴こえる、身体が、動かない、奇妙なまでの脱力感が全身を包んでいる。

 大量の血が寄り集まり、吹き飛んだはずのヴァシリオス・ガウラスが、再生成される。

 ……そうか、これは、"エレウシスの秘儀"の力、か

 少女、ベニアの声がする、みんなを起こそうと必死になって呼び掛けている、

 考えろ、"エレウシスの秘儀"は特殊な、遺産だ……この脱力感は"エレウシスの秘儀"のレネゲイドによる効果である、はずだ、ならば……


『なんという再生能力……いや、これこそが“エレウシスの秘儀”が齎す不死か……素晴らしい。』


 自らの体内に、レネゲイドウィルスに対して命ずる、レネゲイドであるのならば、私のレネゲイドを殺すレネゲイドである《対抗種カウンターレネゲイド》で中和は、できる!

 ぴくり、と指先だけが動く、おそい、これではまだ、もっと、だ、急げ!

 全身を《対抗種カウンターレネゲイド》による激痛が更に苛んでいく、それでも、止まるわけにはいかない、そのためにここまできたのだから。

 いつも見ていた悪夢があった、目の前で救えずに死んでいく兄の姿を、何度も、何度も見続けていた。それは絶対的な死の運命の流れだとするのならば、私は──────


『我が戦友達とそしてこの“エレウシスの秘儀”の力があれば、この不平等な世界を───』


「あなたに、そんな命はいらない。」


 ヴァシリオスのその声を遮ったのはベニアであった。

 彼女の足元が波打ち、突如としてそこを中心に、いや、ベニアを中心にまるで"海"の中にいるような錯覚を覚えさせる戦闘領域ワーディングが周囲へと展開される。

 ヴァシリオスもそれに驚き戸惑い、多数のレギオンを作りだし、ベニアへと襲い掛からせる。

 ぐ、と腕が、身体に少しずつ力が戻っていく。

 歯を食いしばり、《対抗種カウンターレネゲイド》による中和の代償としての激痛が苛むのを我慢する。


 いつの間にかベニアの傍に浮いていた“四肢を持つ馬面の鯨”……あれが、そうなのか。それが襲い来るレギオンを次々と喰らい……ヴァシリオスへと殺到しようとする。


『やめろ!私は死んでいった彼等のためにこの世界を───』


「その命を、あの人達に渡して。」


 そして、エレウシスの怪物はヴァシリオスを喰らおうと顎を開き飲み込まんとする瞬間、

 突如、エレウシスの怪物たちはその顎からゆっくりと自壊していく。

 ────間に合った

 息を切らし、スナイパーライフルをエレウシスの怪物達に向かって撃った体勢のまま固まる。

 飲み込まれる瞬間、兄の腕を引き場所を入れ替え腕を口に突っ込ませるようにして《対抗種カウンターレネゲイド》による攻撃を撃ちこんだのだ。ヴァシリオスはそれに驚き、私を見つめている。当然、ベニアもそれに驚いた眼で見ている。

 絶対的な死の運命の流れだとするのならば、私は───何度でも断ち切ってやろう。


「……これほどまでに、《対抗種カウンターレネゲイド》でよかったと思った事は、ない」


 だがやはり、その代償は大きい、"エレウシスの秘儀"の力を無理やり中和させて身体を動かさせ、更に使用したのだから、既にボロボロだった。


「……どうして?」


「いったはずだ、ベニア……これが、私がしたいことだ。」


 ベニアははっ、と気づく、そうだったんだ、と


「……そう、だったね、お兄さんを助ける、んだったよね……」


「……そうだ、だからこうして、ここに、いる」


 ベニアは納得したように、悲しそうに目を伏せた、

 そんな顔をするな、これは私の選んだ道なのだから、私はむしろ、ようやく、兄を救えたことに誇りさえも抱いているのだ。しかし彼女は悲しそうに、言葉を紡ぐ


「私はあなたたちと会えてうれしい。」


 それは、この場にいる今は倒れている彼らにとっても同じことだ、と伝えようにも私にはもう喋る気力さえ残っていないようだ。


「とうや、世界がこんなにきれいだって教えてくれてありがとう。」


 あの公園で、結月と公園で遊んでいたのを思い出す、そうか、彼女にとってもいい思い出となったのだな……彼女の心は救えたのだろうか。


「ユークリス、私にこの力の意味を教えてくれてありがとう。」


 誰よりも強く気高くあろうとした、レネゲイド災害緊急対応班の隊長である彼女、確かに強かった、少々まっしぐらすぎるのもあったが


「ネルガル、私にもこの世界に居場所があるって教えてくれてありがとう。」


 居場所を与えられた、居場所があることを教える、それは至極自然なこと、だからそんな泣きそうな表情をするな、ネルガルが、悲しむだろう。


「……スクラヴォス、私でも人の傍に居ても良いって教えてくれてありがとう。」


 ……ああ、これからも一緒だ、だというのに、なぜそんな表情をすると思っていた、だがこれまでの状況証拠、情報からひとつの答えがすでに指示されていた。

 そう、彼女は────


「私は、あなたたちに生きて欲しい。だから……私は私自身の意思ではじめてこの力を使う。」


 ベニアから放たれた淡い蒼色の光が私たちと先ほどの爆発に巻き込まれたであろう人員たちの傷も癒えていく。これが……"エレウシスの秘儀"


「そしてこれが―――その報い。」


 ベニアの背後で“四肢を持つ馬面の鯨”がその異形の顎を大きく開く。

 まずい、とスナイパーライフルを構えようとする、しかし、腕が、上がらない……

 先ほどの"エレウシスの秘儀"のレネゲイドの中和に使用して力をほとんど使い切ってしまっていた、そして何より、ヴァシリオスを救うことができたあの行動で、既に身体に限界が来ていたのだ。

 動け、動け、動け、動け、動け!そう命ずるように動かそうとするが、引き金トリガーにかけた指は動かない、腕がもうピクリとも動かない


「……ああ……でも……ひとつだけ、あなたとやりたいことがあったな―――」


 彼女のその言葉と共に、私の意識もふ、と暗い世界に引きずり込まれ、仰向けになって倒れる。

 最後に見たのは、少女がそのエレウシスの怪物に飲み込まれた瞬間だった。

 ────彼女は、彼女こそが、"エレウシスの秘儀"。その事実だけが頭にあった



 夢を見ていた、幼い夢だ

 まだ何も知らなかった無知な子どもとしての

 不自由ない生活、恵まれていた日々、兄ヴァシリオスと共にどこへ行くも一緒で、懐いていたあの日々だ。

 思えばあの時から、兄の助けになりたいと、願っていた。

 しかしそんな夢も突然、暗くなり終わる、意識がゆっくりと浮上する。

 目覚めると青い、青い空、黄昏が夜に近づきつつある時間……星と月の位置からから考えると深夜に近いのかもしれない。

 上体を起こし、身体を軽く動かして診るが、怪我はなく痛みは無い。

 ベニア、"エレウシスの秘儀"の力だろう。

 周りを見ると私たち以外には誰もおらず、共に戦った仲間だけだった。

 ……先ほどまでいたはずのヴァシリオスは、どこにもいなかった。

 遠くを見ればあの"海"のような戦闘領域ワーディングが展開されているのを見て嫌な予感がひしひしと伝わる。


「ここ、は……」


「目覚めたかネルガル」


「僕達は、あれ、怪我は、ない?」


「ねえ、ちょっと待って、ベニアは、ベニアはどこ!?」


 気が重い、だが伝えなくてはならない


「………ベニアは」


 しかしその言葉は携帯端末のコール音によって遮られる。

 立ち上がり携帯端末を確認すると、そのディスプレイには【霧谷 雄吾】と表示されていた。

 UGN日本支部長CNカードネームリヴァイアサン"霧谷雄吾、何があったのか、と考えたが、出るしかないだろう、どうやら私たちの端末に複数かかるようにしてるようだ。


「良かった!ご無事ですか皆さん!?」


「無事といえばまあ無事だ」


「1 時間前、MM 地区で過去類を見ないレベルの大 規模なレネゲイド反応が観測されました。」


 ………1時間、それぐらい経っていたのか。ならあの"海"は


「レネゲイド反応の中心は“マリンスノー”で保護した レネゲイドビーイングの少女だと判明しました。彼女 が......遺産“エレウシスの秘儀”だったのです。」


 ……それを発現した所を私は直に見た、だから理解はできる。

 しかし、彼らはそうはいかない、あの爆発で気絶し起きたらベニアが"エレウシスの秘儀"だと伝えられるのだから。


「彼女はなんらかの理由により大規模に自らの能力を使い、暴走。“エレウシスの秘儀”が起動してしまったと考えられています。」


 優しいベニアだ、理由はもう分かっている

 自分の意志でみんなを助けたいと願い、"エレウシスの秘儀"を使用したのだろう。

 しかし、おそらく自らの力で発動するのは初めてのはず、よってその力をコントロールしきれず暴走したのだ。

 本来ならば、覚醒したばかりのオーヴァードにはレネゲイドコントロール技術はなく、ジャーム化をしやすい、その為覚醒したばかりのあるいは生後間もないオーヴァード、彼女、ベニアはおそらく後者だ。


「彼女から発生した特殊なワーディングである“海”は膨張を続け、取り込んだ人々の生命力を奪い強制 的にオーヴァードへと覚醒、さらにジャーム化させようとしています。」


 "エレウシスの秘儀"、四肢を持つ馬面の鯨に喰われる事で生命力を失い、オーヴァード化及びジャーム化するという現象を指しているのだろう。

 彼女自身の強い感情がなければ使えない、それはおそらく、保護される前までは恐怖、痛み、悲痛と言った強い感情だったのが、自らの意志でみんなを助けたいと強く願い、行使した事で予想以上の出力が出たのかもしれない。


「そして恐るべき事に、文献によるとこの“海”は関東圏を飲み込む可能性さえあります。」


「この緊急事態を受け、UGN 日本支部は今回の件を正式にレネゲイド災害と認定しました。」


 ……日常の守護者ユニバーサルガーディアンとしては当然の帰結と言える。

 レネゲイド災害が起こり、犠牲者が出ているこの状況下では、力なき民のための苦渋の決断。

 ……それでも、私は……彼女の、ベニアのあの儚げな笑顔が、染みついて離れなかった。

 出来るのならば私は────


「現在周辺地域から山下公園へと戦力を集結・編成 しています。それが終わり次第、膨張を続ける“海” と───」


 UGNとしては正しい判断だ、だが、正しすぎる。


「そして、それを引き起こしている遺産、“エレウシス の秘儀”のレネゲイドビーイングを物理的に排除、破 壊する作戦を開始します」


「あなた達にも思う所はあるでしょう。しかし、今こ の時も一般人に犠牲が出ています。」


「この街を......世界を守るためにはこれしか無いの です。どうか“エレウシスの秘儀”破壊作戦への参加をお 願いします。」


 つまりは、、ということだ。

 UGNとしては確かに正しい、だが正しいだけではこの不平等な世界ではあまりにも残酷で、みずからの身を滅ぼしかねない行い。

 レネゲイド災害として断じて、破壊するにはあまりにも、私たちはベニアに関わりすぎた。

 救われぬ者には救いの手を、居場所なき者には居場所を、弱き者には手を差し伸べる。

 兄と共に成し遂げようと誓った理想、不平等な世界を是正するという願い誓いには、その判断は逆に不信感を抱かせる。

 それを聞いてはやろう、だがそれはUGNのためではない、私たちのためだ。


「……わかった、私の《対抗種カウンターレネゲイド》でなら、遺産は破壊もしくは無力化はできるだろう。」


「……ありがとうございます、スクラヴォスさん。」


「私は準備がある、失礼する」


 それだけを言って霧谷からの通話を切る。


「結月!」


 突然の大声に驚きそちらを見ると結月がどこかへと走りだしていくのが見えた。

 その後を追おうとユークリスは駆けだそうとする……が、思い出したようにこちらに来て襟を掴む、まて、なぜ掴む


「スクラヴォス、一応言っておくけど私たちは、付き合っても無いしそんな関係でもないから!!」


「む、そ、そうか……」


 ユークリスはそれだけを言ってすっきりしたのか、そのまま結月を追いかけていく。

 ……さて、私も行かなくてはならんな

 そのまま、歩もうとすると弱弱しい声のネルガルに呼び止められた。


「スクラヴォス……おぬし、どこにいくつもりじゃ」


「もう、わかっているだろう」


 背後で、うずくまる様にして、泣きじゃくるネルガルの声が聞こえる。

 あの少女、ベニアのことで、支部長としての責務もあるが、救いたいという気持ちもあってせめぎあってどうすればいいのかわからないのだろう。


「わしは、わしはどうしたら、いいんじゃ……」


「……」


「わしは、ベニアを、家族を護りたい、でも、わしは、ぼくは……」


「……私は傭兵でもあり、UGNイリーガルだ、日本支部長の命令は聞かなくてはならん。わかるだろう?」


「わかっておる!わかって、るんだよぉ……でも、でも……」


「……だが、やらなくてはならん……お前に、があるのならば別だが。」


 天を仰ぐ、暗い夜空、満天の星空が瞬く、今現在起こっている災厄に目もくれず。

 ふいに、夜空が滲む。ぐにゃり、と歪む。


「……雨が、降ってきたな」


 泣きじゃくるネルガルに手を伸ばしたくはあった、だが……

 手を出してはいけない、だが、手がかりだけは残してやろう、とセーフハウスの写真と位置だけをメールに添付して私、そのまま去る。

 家族が引き起こしてしまった災厄は全て私がそそごう。ヴァシリオスの罪は奴隷スクラヴォスの罪だ。私が全て引き受けよう。家族の罪は、私が背負おう。

 全ては、あの日誓った理想の為に。



 私はあれから、セーフハウス内で、装備の点検を行っていた。

 なぜなら今からあの"海"の中へ飛び込むのだ、最大限の注意は必要だろう。

 ゆえに、


「いくんですね、マスター、あの子を助けに」


「ああ、私の《対抗種カウンターレネゲイド》を全力で解放する必要がある、それにはお前がいたら殺してしまう。」


「……せめて、最後まで一緒にいるのは、見届けるのはだめなんですか」


「わかっているだろう、私の力を」


対抗種カウンターレネゲイド》、レネゲイドを殺すレネゲイド。

 本来であれば体外に排出された時点で、腕輪として一緒にいるアリオンも無事ではすまなかったはずだった、しかしそうなっていないのは、ひとえに長年のレネゲイドコントロールによるものもあるが、《対抗種カウンターレネゲイド》を体外に排出せず、エフェクトと共に射出する、という形でできたのも、アリオンの助けもあり確立できたからだ。

 そのおかげで、私は遺産の一部を破壊、あるいは無力化もできた、ピンポイント狙撃の精度も上がって、以前より強くなった。それにはうれしくも思った。

 だが、今回限りは、《対抗種カウンターレネゲイド》を解放し、全力で立ち向かわなくてはあの"海"のなかにいるエレウシスの怪物にさえ立ち向かえないだろう。


「わかっています、けど」


「なに、これが最後の別れではない。救われぬ者には救いの手を、居場所なき者には居場所を、弱き者には救いの手を、不平等な世界を是正する。それが私だ。」


「……わかりました、絶対にあの子を助けて、帰ってきてくださいね、マスター」


「ああ、行ってくる」


 モルフェウスの力で仮面を生成し付けようとする、だが止まる。

 この仮面は、後悔の証、その証を付けたままいったとして"イミテーションダヴルス"としての私のままでいることになる。

 ならばここからは、私はスクラヴォス・ガウラスとしてあるべきだ。

 仮面を握りしめ、ゴミ箱に放り投げる、壁に当たりゴミ箱に入らず、カラン、という金属音が響き床に落ちる。これは、弱かった私と決別の時だ。

 外に用意していた大型二輪バイクに跨り、"海"へと向かった。


 深い海の底にいるような重圧感、"海"とよばれる戦闘領域ワーディング内は四肢を持つ馬面の鯨がそこら中にひしめいていた。

 大型二輪バイクが、私の《対抗種カウンターレネゲイド》の影響を受けて生成されるたびにボロボロと少しずつ崩れ落ちていく。

 全身を走る激痛、レネゲイド殺しの劇毒を完全解放しているからだ。

 そのレネゲイドに気付いたようで四肢を持つ馬面の鯨、"エレウシスの怪物"達がこぞって襲いかかってくる!

 まずは正面から突進して咢を大きく開けて飲み込もうとする怪物と地面のわずかな隙間をかいくぐる様にバイクを横倒しにしてモルフェウスの力でローラーを作り出し、潜り抜けながら左手のスナイパーライフルですれ違いざまに接射、潜り抜けた後反動を利用して元の体勢に戻ると後ろで"エレウシスの怪物"がレネゲイド殺しの劇毒で自壊していく音が聞こえる。

 しかしすぐに左右から2体、どちらかを狙っているうちに片方に喰われ還元される可能性がある、ならば!

 ぐしゃっと金属が潰される音がする、だが離れて見ればそこには大型二輪バイクの残骸だけ、スクラヴォス・ガウラスは存在していなかった。

 ─────なぜならすでに上空へと跳んでいたからだ。四肢を持つ鯨"エレウシスの怪物"が訝しげにしているのを見て、照準を合わせ斉射する!

 そのたびに全身を走る激痛、だが立ち止まっている暇はない。

 上空からの斉射によって、"エレウシスの怪物"は自壊していくのを確認して、モルフェウスの力でパラシュートを作り、ふわり、と着地すると同時にパラシュートも自壊する。

 急がなくては、ならない、激痛を唇で噛みしめ我慢をする。

 奥へ、奥へとゆく、だが今度は四方から"エレウシスの怪物"が現れる。

 ……、間に合わない、か……

 照準を合わせ撃つよりも先に"エレウシスの怪物"達は殺到し、私を自壊しながらも喰い殺す、そんな未来が見えていた、だがあきらめるわけには、照準を合わせる。あと、数m────


「させるかぁぁぁあ!!」


 そんな時、どこからともなく結月の声が響き、私の前に立ちふさがり"エレウシスの怪物"を叩き飛ばした後、正拳突きで1体を屠った。

 それに驚いていると黒い光が後ろの"エレウシスの怪物"を刺し貫き消滅させる。

 ユークリスのエンジェルハイロウのエフェクトだ。


「間に合った、まったくもう、ひとりで行くんじゃないわよ!」


「スクラヴォス!ひとりでいくなといったじゃろうが!」


 ネルガルの心配そうで、頼りにしているというそんな声色が、涼やかな風のように染み渡る。

 見れば身体の傷がネルガルのエフェクトで治りきっていた。

 白い髪のいつもの人間としてのネルガルの姿があった。

 それに気を取られそうになるが、追いすがろうとする"エレウシスの怪物"を1体屠り、結月もまたのこった"エレウシスの怪物"を屠り、しばらくこないのを確認して一息をつく。


「……きたのか」


「うむ、おぬしだけを行かせるわけにはいかんじゃろう、UGNとしても、家族としても」


「それに、あの子を救う方法だってある!」


「……なんだと?」


 ピクリと眉をしかめそれを聞く。

 彼女、ユークリスの話を纏めると、遺産:鬼切りの小太刀を用いてとどめを刺す、それによって"エレウシスの秘儀"を封じ込めることでベニアを救うことができるというものだ。

 しかし、違和感がある、なぜそれを持っているのか含めて、


「……ふむ、そういうことか、だがそれをしたらお前はどうなる?」


「んー?ああ気にしないで、こんなの家族の為ならなんでもないわ。」


「……そうか」


「スクラヴォス、おぬしが兄、ヴァシリオスにした時と同じようなものじゃよ」


「……そう、だな……」


 ヴァシリオス・ガウラス、目覚めたときにはどこにもいなかった、今現在何処にいるのかが気にかかる。

 だが今はベニアの救出を優先しなくてはならない、それは理解していた。

 しかし私たちはその手段を信じ、先へと進むことにした。

 それならば、私自身を飲み込ませて"エレウシスの秘儀"を壊すという必要もなくなる。

 まあ、その事は言わんが。


 "海"の中を歩いていくとそこにはベニアがいた。ベニアと共に過ごした横浜近郊MM地区支部。

 少女の首元にあったレースのチョーカーと思われていた紋様が全身に広がっている。それが、エレウシスの秘儀の侵蝕を示しているようだった。ベニアはこちらに気付いて嬉しそうに綻ばせる。


「ありがとう、来てくれて。あと少しで私は“エレウシスの秘儀”というシステムに呑み込まれてしまう。」


 ベニアはぽつり、ぽつりとつぶやくように、こらえる様に話す。


「でも、今ならまだ間に合う。私という不純物は、今だけは儀式の中心でもあるから。」


「私はいるだけでたくさんの人を傷つけてしまう。そして、誰かの……みんなの大切な人の命を奪ったり、与えたりしてしまう。それは、許されない事でしょう?」


「私、最初はスクラヴォスが、アリオンが羨ましいって思ってた。貴方達は共に支え合える仲間がいたから……私にはそんな人今までいなかったから……」


「でも、もう違うよ。私にもとうやがいてくれたから。これが共に生きることなんだって分かったから。温かい気持ちを知ることが出来たから」


「ネルガル……私に居場所があるって、仲間がいるって、いつまでもそこにいて良いって言ってくれてありがとう。こんなにも優しい皆だったから、私も皆を守りたいって思ったの」


「ユウリ……私に力の使い方を教えてくれてありがとう。皆が大切だったから、本当に皆を救いたいって思ったから私はこの力を使ったの。こうなっちゃったけどね……」


「ユウリ、貴方の役割を思い出して、その力がなんのためにあるのかを……そして、あの時はひどいことを聞いてごめんなさい…」


「とうや……沢山お話してくれてありがとう。私を暗い場所から助けてくれてありがとう。名前を付けてくれてありがとう…ずっと痛かった、暗かった、一人だった。それが当たり前なんだって思ってた。でも、ゆうやのおかげで世界がこんなにも綺麗だって気づくことが出来た。」


「私が…ネモフィラだったら誰にも傷つけずに綺麗な物だったら…ずっとゆうやの元に入れたのなら…それならば良かったのに…」


 ベニアはそこまで言うと泣きそうな表情をこらえ、絞り出すように苦しそうに告げる


「みんな、最後のお願いがあるの。私を……壊して。」


「消えるなら、あなたたちの手が良い。そうしたら、私にぴったりの終わりだって思えるから。」


 そう言って目をつぶる、本当は違うことを言いたいのだろう、でもそれは許されないことだと思っていると推測してもいいだろう。……ならば、私は手を差し伸べよう。


「……ベニア、あの時ひとつ、言い忘れていたことがあった。」


 ただ優しく、親が子に伝えるように、諭すように伝える


「自らの意志を持って、考えて行動する際は、決して自分の意志に、信念に嘘をついてはならない、ことだ。」


「……え?」


「そうよ、みんなあなたの為に、きたんだから」


「ベニア、もうひとりで抱え込まなくていいんだよ、僕たちが助けるから」


「うむ、わしらもついておるからのう」


 誰もが壊すとは言わなかった、その言葉は、心は真っ直ぐとベニアを救うことで一致していた。

 それを言われるとは思ってもいなかったのだろう、ベニアの瞳は開かれ、揺れる。


「それが本当にやりたい事なのか?」


「それ、は……だって、わた、しは……」


 その問いに少女の瞳は大きく揺れ動く


「ベニア、勇気を出して、私たちが絶対に助けてあげるから」


 少女の瞳が涙で濡れ始める、涙が零れ落ちそうになるのが見える


「僕たちは、キミを迎えに来たんだ」


「私は……みんなの大切なものを傷つけるだけのバケモノなのに……っ!?」


「私、居るだけで迷惑をかけるよ……?それでも……私……この世界に居て良いの……っ?」


 やはりこの子は、誰よりも優しく、純粋だ。

 優しすぎて自分の事が疎かになる、他者の事を気遣いすぎてしまう、そんな人といつしか見たことあった。なら私はこう言おう。


「当たり前だ、いてもいい。」


「いてもいいんだよ」


「うん、共にいよう?」


「一緒にいましょう。」


 ベニアの頬に一筋の涙が伝う。

 顔をあげて私たちを見たあと、ベニアが何かを言おうとする。しかし、

 ベニアの願いをかき消さんばかりに、その願いを叶えられては困るというかのようにその遺産、"エレウシスの秘儀"はベニアを飲み込み、大きな咆哮を放った。


 最後の戦争クライマックス戦闘が今始まる。

 遺産"エレウシスの秘儀"の咆哮が"海"全体に響き渡り、戦闘領域ワーディング内に漂っていた"エレウシスの怪物"も集い始める。両側に10m、正面10mにそれらはいた。

 体内のレネゲイドウィルスが遺産"エレウシスの秘儀"の咆哮によりざわめき、衝動が暴走し始める。

 喉が渇く、血が飲みたい、苦しい、そんな渇きが、吸血の衝動が襲う。

対抗種カウンターレネゲイド》をあえて解放していたのもあって衝動も一緒にコントロールをするとなると難しくなる……だが、あえてコントロールはしない。

 全力で向かわなくてはならない、示さなくてはならない、

ならば私は暴走してでも止めよう。仲間がいる、今なら背中を任せよう。


"エレウシスの秘儀"が咆哮する

ユークリスは黒い光を手のひらに集め、"海"を黒い光で満たし、視認させにくくして攻撃に備える。

突如として沸いて出た"エレウシスの怪物"に喰われた、反応もできないほどに突然の事だった。

両側の怪物は動いてなかった、ならばこれは"エレウシスの秘儀"の一時召喚か!

腕が、足が少しずつ還元されようとしているのが、激痛と共に消えていくのが分かった。

顔を歪め、声を出さぬようにする。

だが、それでも足掻くことを決めたのだ、《対抗種カウンターレネゲイド》による劇毒が効果を発揮する、"エレウシスの怪物"の口内がズタボロになり、しまいには穴だらけになり自壊していく。


「スクラヴォス!」


声が聞こえる、それを認識したかと思うと落下する。

"エレウシスの怪物"が《対抗種カウンターレネゲイド》によって自壊した瞬間、地面から数m離れている。

まずい、と思った瞬間、受け身を取ろうとモルフェウスの力で行使しようとした時、私の手が、足が無いことに気付いた。

"エレウシスの怪物“によって消化されたのか、認識した瞬間地面にぶつかり嫌な音を立てる。

声のした方を見る、ユークリスは無事のようだ、どうやら結月によって護られ無事なようだ。

ならば、私もここで倒れている場合ではない、それに、私の役目は彼らを導く事だ。

今度は私がお前達を前へと進ませる為に戦おう。

理性を縛る人と化け物の境界線たる赫い鎖を、ユークリスに対しての認識を変え、赫い鎖を引きちぎり解放するロイスをタイタス昇華する

身体の各所がそれに反応し、レネゲイドが〈自己再現リザレクト〉をさせていく、瞬間、両手両足は再生されて元の形に戻ったのを確認して立ち上がり、赫と金で意匠が施されたスナイパーライフルを、生成する。


「全力でいくわよ!」


「わしも支援するぞ!」


チリン、と鈴の音がしたかと思うと再びユークリスを薄緑色の光が包み込み、レネゲイドが活性化していく、黒い光がさらに重なり太くも重厚なレーザーとなって"エレウシスの秘儀"へと放たれる!

だが、それは困ると言わんばかりに隣にいた"エレウシスの怪物"が身を呈して主たる"エレウシスの秘儀"を庇い、黒い光によって引きちぎられるように消滅していく。

ユークリスの舌打ちが聞こえた気がするが……気にしない方がいいな。矛先がこちらにむかないうちに。


しかしその隙を狙って2体のエレウシスの怪物が迫り、顎を大きく開き飲み込もうと突進をしかけた!

迫りくるその巨体を狙い照準を定め射撃する、だが深くまるで地面の中を沈み込むようにして躱され、鯨の身体を削るだけとなった、私の《対抗種カウンターレネゲイド》が脅威と感じ学習されたのか!

そんな、驚きを余所にそのまま地面から生えるようにして怪物の口に飲み込まれる。

もう1体はネルガルを狙い大きく口を開くが結月によって頭を殴り飛ばされ身体に大穴を開けて沈みながら消滅するのが見えた。

だが、また腕が溶けていく、しかしエレウシスの秘儀とは違い、消化速度は遅い、だが抜け出さなくてはならない。

エレウシスの秘儀、確かに世界を覆いかねないほどに凄まじい遺産だ、だが、まだ倒れるわけにはいかない。

まだ私はやるべきことがある!エレウシスの秘儀に繋がる赫い鎖を自らの手で断ち切るロイスをタイタス昇華する

対抗種カウンターレネゲイド》によってその顎を破壊して消化された部分を〈自己再現リザレクト〉させ、地面へと降り立つ。


「ユウリ!」


「ええ!」


ネルガルの髪の色が突如として桃色に変質……なぜ変質している、かは知らないがユークリスの肩に手を触れ子猫の願いセレクトホープと呟く。

途端、ユークリスから発せられるレネゲイドが活性化したのを肌で感じ取る……

すぐさまに彼女の手のひらに黒い光が再び集まる。

まさか、これは《触媒カタリスト》か、触れた対象のレネゲイドを活性化を促すことができるという固有の……


「沈みなさい!!黒の血光!!」


"海"の中でも響き渡るほどの音が、黒い光のレーザーが放たれたのちに残響音として響く。

"エレウシスの怪物"が護ろうとするが、間に合わない、ついに"エレウシスの秘儀"へと直撃し、身体を丸く削り取る!

"エレウシスをの秘儀"はその攻撃に、その痛みに対しては怒りの咆哮をあげ、"エレウシスの怪物"達を再び一時召喚で襲いかからせようとする、だが


「それも読めておったよ、時空干渉タイムリアクター!」


ネルガルが指をパチン、と鳴らすと召喚された筈の"エレウシスの怪物"達が消失していく、これは時空に干渉し、ほんのわずかではあるが時を止めるバロールシンドロームのエフェクト、〈時の棺〉か……つい少し前までうずくまり泣きじゃくっていたあの姿とは似ても似つかない程だ。

その様子に思わず、眼を細め、安堵する。そうか、乗り越えたんだな。

だが、"エレウシスの秘儀"の猛攻は止まらない。

更なる咆哮が轟く、先ほどよりも勢いの強い"エレウシスの怪物"が殺到し始める──狙いは、ネルガルとユークリスに向かっている。

ユークリスは結月に任せてもいいだろう、だがここでネルガルを失うのは惜しい、ならば答えはひとつ。

ダっ、と地面を蹴るように勢いよく走る。

ネルガルは避けようとして、足がもつれて転ぶ、あと3m

"エレウシスの怪物"が飲み込もうと顎を開く、あと2m

ネルガルがその顎に恐怖して目を閉じる、あと──

ぐしゃ、と飲み込まれる音がする、だが飲み込まれたのはネルガルではない、

"エレウシスの怪物"の口内で咀嚼され、腕が、脚が欠けていく。

しかしそれと同時に《対抗種カウンターレネゲイド》による劇毒が"エレウシスの怪物"を自壊させ、地面へと落下し投げ出され、ぼろぼろになった私、スクラヴォス・ガウラスだ。

全身からの血が止まらない、レネゲイドによって何とか止血させようとはするが、もうこれ以上は戦えないのは明白だ。

だが、仲間の為にようやく、返すことができた……この行動に後悔はしていない、むしろ護れて私は誇らしい。

独りだったら堕ちた獣ジャームになってでも、やろうとしていただろうが、今は、仲間がいる、する必要は感じない……だが、しばらくは動けそうにない、後は彼らが彼女を、

ベニアを救うことだろう……しかし、ネルガルは私の傍にしゃがみこみ謝罪を繰り返している。

……泣くな、まだ、戦いは終わっていないぞ、と声を出そうにも出ていないのに気づいた。

少し、やすむか、眠くなってきた……ゆっくりと、瞼を閉じる。深く深く、意識が沈んでいく。



気づけばそこは弾丸が飛び交う戦場だった

動こうとするが激痛で動けない、見れば両手両足が朱く、黄昏色に染まっていた。

何が起こったのだろう、しかし仲間が戦っているのだ、行かなくてはならない。

少しでも早く傷が治る様に、レネゲイドコントロールをするが、治る様子を見せない。

ならば、安全なところに避難をしなくてはならない、周りを見るが今隠れている塹壕以外に隠れることができるのはなさそうだ。

今もなお銃声が響いているなか、動くのは危険だろう、ふう、と息を吐いてどうしたものかと思考する。しかし気になることはあった

この身体から出ている赫い鎖、今にも千切れそうになっては、繋がろうとしている。

細く弱々しく、しかしどこか̪知っているような、それでいて懐かしいとさえ思った。

しかし、そんな時誰かの声が聞こえた、誰だっただろうか。

知らなくてはならない/知らなくてもいい

行かなくてはならない/行かなくてもいい

否定する言葉が、私の身体をそこへ押し止めようと、ゆっくりと身体が黄昏色になっていくのを静観させようとしている。

……このままこれを受け入れたら、兄さんと同じになれるだろうか────それも、悪くない。

ゆっくりと禍々しいまでの力の渦が、渦巻いているのが見える。

そんな時、足音がした、そちらを見れば、ヴァシリオス・ガウラスが立っていた。

ようやく、会えた、けどすまない、もう身体が動かないんだ。


『……お前も来ようというのか』


ヴァシリオスは困惑したように、悲しそうに呟く

だいぶ待たせてしまった、けれど兄さんを追ってここまでこれた。


『……まったく、世話の焼ける弟だ』


私の黄昏色に変質した腕を肩に回させて担ぎ、ゆっくりと歩みだす。どこへ、行くのだろう。


『お前を待つ者のところへ』


身体がもう痛い、誰が待っているのかがもうわからないんだ。


『日常へ帰る、それだけを思い浮かべろ、その先に光がある。』


日常、それは、私は、帰ってもいいのだろうか。兄さんを置いていきたくはない


『……ふ、』


ヴァシリオスはどこか安堵したように微笑むと、着いたぞと告げた。


『お前の戻り道バックトラックだ』


次の瞬間、私の名を呼ぶ声が聞こえた──────

そうか、ようやく、思い、出した、私の日常を


目覚めると"海"の戦闘領域ワーディングは弾けマリンスノーがMM地区に降り注いでいるのがわかる。マリンスノーは“エレウシスの怪物”が奪った生命力そのものの様だ、

マリンスノーが私の身体に触れるたびに傷が癒され、血も止まり、動かせるようになっていく。

周りを見れば、彼らが、仲間たちがそこにいた、ベニアを抱きかかえ安堵したユークリスと結月、そして私のそばで安堵をした様子のネルガル、胸に宿る赫い鎖、絆が残り、

心が温かくなるのを感じた。私はまだ、生きている、戻り道バックトラックを終えたようだ。


「っ……!おか、えり、スクラヴォス……!」


また泣きそうな表情をするネルガルを見てふ、と口角をあげる。


「ただいま」


家族以外でもう何十年もしていなかった挨拶をかわした。

それから数日、私たちは一時MM地区にて静養及び事後処理に追われることになった。

"エレウシスの秘儀"事件で草花が咲き緑が多くなったことを除けば比較的平穏な終わりと言えた。

レネゲイドビーイングの少女であるベニアの処遇、そしてレネゲイド災害緊急対応班マルコ班の処遇もあるらしい、だがベニアが無事であったこと、それは何よりうれしい。

アリオンだが……この数日の間は触れることさえできなかった、というのも《対抗種カウンターレネゲイド》を全力解放した弊害で、体外にもその《対抗種カウンターレネゲイド》のレネゲイドを纏っている状態だったためだ。

そのため完全にレネゲイドコントロールをしなくてはいけなかったため、アリオンはセーフハウスから引き取られ、与えられた部屋で私たちは休んでいた。

そして、レネゲイドコントロール完全にできたことを確認してアリオンを装着し、カバンを確認していると大賀輝生が入ってきた。なんでも見舞いに来たらしく手に羊羹を持っていた。


「輝生か」


「スクラヴォスさん!もういいんっすか?」


「ああ、数日世話になった。」


「それはよかったっす!……でもなんで身支度をしてるんすか?」


「もう行くからだ」


それを告げると輝生は驚いた表情でえーーーっ!?と叫んだ


「MM地区支部を離れちゃうんっすか!?」


「元々私はイリーガルだ、終わったなら出ていくのは当然だろう?」


「ぇ、ぁ、ぅ、そ、そうっすけど……え、っとその、これ……」


「……お前の羊羹だろう」


何とか贈り物をと考えたのか、手元に持っていた羊羹をスッと差し出された。

仕方ないやつだ、と輝生の腕を掴んで話せば私のとお揃いの腕輪が生成される。


「これならいいだろう」


「え、あ、ありがとうっす!」


「……ところで輝生、ここ数日でヴァシリオス……いや、マスターレギオンは来たか?」


「んぇ?マスターレギオンっすか?ん~、いえ、俺あの時からずっとここで護っていましたけど誰も来なかったっすよ?」


「……そうか、ならいい」


「でも、また来てくださいっす!今度はもっといい支部にするっす!」


「そうだな、今度はもっと(お前の頭が)良くなっていることを祈っておこう」


「む、な、なんか含みがある言葉っすね……でもいいっす!それじゃまた!」


片手をあげてカバンを担いでいく、ネルガルは結月とユークリス、そしてベニアと共にいるらしい、だが邪魔する必要はないだろう。

また私は兄さんを────

外に出て数分、ざ、という足音がして思考が中断される、そして香る血の匂い────

は、と顔をあげると、ヴァシリオス・ガウラスがそこにいた。

驚愕、困惑、息が詰まる、心臓の鼓動が高まる。

ヴァシリオスの手には赫き剣は、ない、観察をしても敵対意志はあるように見えない。

固まっているとヴァシリオスは語り掛ける。


『弟よ……いや、スクラヴォス』


「っ……にい、さん」


優しい声色が、昔に家族として呼ばれた時の名前を呼ばれて、胸に熱いものがこみあげてくる。

目を丸くして、次の言葉を紡ごうとする。

ずっと、また名前で呼ばれることを心のどこかであきらめていた、それでもようやくたどり着いて、そしていまここにあるのが何より嬉しいと感じていた。

ヴァシリオスはその様子を見て口角をあげる。


「ずっと、後悔していた、兄さんを救えなかったことを、あの時から私が人質となっていることも知らずに、兄さんの為になると信じ切っていて、ずっと、兄さんを支えることもできなかったのを。」


『後悔、か……思えば私は、あの時からずっと後悔していたのかもしれんな……仲間を喪い、お前さえも救えずに、絶望して、道が分かれたあの日から。』


ヴァシリオスは過去を回想するように優しく、語る。


『……だがお前は強くなって、こうして私の前に現れて止めてくれた。今の私は衝動の波が安定しているだけだ、……不平等なる世界を是正する、またそうなるかもしれん、それでも私について来てくれるか?スクラヴォス』


「ふ……王を影から支え、間違った道を歩むのなら引き戻し、奈落の底にいるなら引きずり戻し、共に歩むのは奴隷の役目だろう?」


その時はまた、何度でも止める、そして何度でもヴァシリオスを救う奴隷スクラヴォスとなる。 その意味を込めてもう一度誓ったあの時と同じ答えを出す。

この答えに後悔はしていない、私自身の決めた道だ。


『……ふ、ならば奴隷が道を誤ったら王が引き戻し、奈落の底にいるのならば引きずりだし、共に歩む王となろう』


手を差し伸べ、昔に聞いた、「Βασιλιάς και σκλάβος王と奴隷」の一文である誓いの言葉を告げるヴァシリオスの手を取り、握りしめる。

いつしか、私の頬には涙が一筋流れていた。

あの頃にはもう戻れない、けれど────家族としての時間は今再び、始まった。


END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る