第一章 SNS幽霊事件ー虎鶫隼翔の捜査ー⑩
俺が持っている携帯型LEDライトの明るさだけが暗闇を照らしていた。
田舎の道路って訳でもないんだから街灯はそこかしこにあるはずなんだけど、それよりも街路樹の数の方が多いからか、夜になるとこうも暗くなってしまうらしい。
で、そんな暗闇の中でただ一人照らされている黒谷はこれでもかと目を見開いて言葉を失っているようだった。どうせ俺に嵌められたとでも思っているんだろうけど、正直に言ってしまえば俺だって想定外も想定外だよこんちくしょう。
刑事としてのプライドで言っておくけど、高校生を囮に使う作戦なんて、俺は考えてないからな!
ここで黒谷を見張っておいて、事件の証拠になる物を持って逃げようとしたところを取り押さえる、というのが当初の計画だったんだ。逮捕令状なんていちいち申請してる時間はなかったから、事件に関する証拠を持っている重要参考人ぐらいの立ち位置で警視庁まで連行して、一通りの取り調べが終わった頃には立派な被疑者になっていたはずだったんだ。
……まぁ、実際には麗奈のおかげで暴行罪の現行犯になっちまったけど。
それに関してはご愁傷様としか言いようがない。幽霊が誘拐したなんて噂が広がっちまったんだから、こうして厄介者の麗奈が関わるのは当たり前みたいなもんなんだしさ。
ま、それはさておき。
「今すぐ手に持っている物を捨ててください。今なら、まだ被害者の恩情によっては起訴される可能性が極めて低い。けれど、抵抗するようならば、こちらも相応の対処をしなければならなくなります」
「起訴って……、何もしていないのにですか?」
食い気味に黒谷が言葉を放つ。
さっきまで動揺していたはずなのに、切り替えが早いもんだ。
「この場合、実際に行為にまで及んだかは関係ないんです。暴行罪には未遂がない。つまり、実際にやっていようとなかろうと、被疑者にその意思があったと認められた場合、現行犯で逮捕できる上に裁判所まで持って行かれてしまうんですよ」
「じゃあ刑事さんは私が出羽さんを殴ろうとしたと、そう思っているのですか? 私は単に管理している植木の手入れをしようとしていただけなのに。そういうのを冤罪とか言うんじゃないでしたっけ?」
まるで俺を嘲笑っているかのように言葉が返ってくる。
だけどそれは墓穴を掘っているようなもんだ。普通、あらぬ疑いを一方的に押し付けられた人間はここまで冷静に受け答え出来ないんだよ。
最初から、こういった場合に対応した返答パターンを頭に叩き込んだような、そういう意味での受け答えAIを前にしたみたいな気持ち悪さや怖さを感じる。
「……あなたに掛かっている暴行罪については一先ず保留とします」
「そうですか。安心しました、明らかな冤罪で喫茶店の経営に支障が出たらどうしようかと――、」
「ですが、あなたに掛かっている容疑はそれだけじゃない」
黒谷が安堵した瞬間を狙って、本題を突き刺す。
思考操作の手段としては結構オーソドックスなんだけど、黒谷は分かりやすく息を詰まらせて後頭部に手を置いた。頭に手を置くってのは防衛意識のサイン。つまり、俺の言葉に黒谷は動揺し始めてる。
「ここ一週間で一〇人もの児童が行方不明になっているのはご存知ですよね? その一連の事件にあなたは関わっているはずだ」
「何のことだかさっぱり分かりません」
「シラを切るつもりですか? もうとっくに嫌疑は固まっていますよ」
「……っ」
俺は淀みなく、全て知ったうえで質問をしているんだという雰囲気をつくる。実際にはそこまで裏は取れてないんだけど、これも心理操作の一種。対話の中で常に優位性を保っておくことで、相手の心の余裕をなくしていくやり方だ。
「黒谷さん、あなたが上京してきたのは三年前でしたよね?」
「……どうしてそれを?」
「少しだけ気になったので調べてみたんですよ」
これが、俺が調べた二つ目の正体。
三年前の事件が組織で行われたものだったとしたら、その構成員が同じ場所に留まっているはずがない。せっかく下っ端を差し出したんだから、県警の手が及ぶ範囲から逃げようとするのが妥当な判断のはずなんだ。
そして、今回の事件に同じ組織が関わっているんだとしたら、三年前に北関東から東京へ引っ越しした人間を洗い出せばいいって単純な推理だ。その為に捜査一課に頭を下げて協力を申し出て、帰った福永さんにも戻ってきてもらったりもしたけどね。時間的に市役所も区役所も閉まってたから大変だったのなんのって。
「三年前の北関東で起きた女性の連続失踪事件にもあなたは関わっていた。いや、あなたが所属している組織と言ったほうがいいんですかね。そのノウハウを使って、今回は三年前の事件関係者の中で年端も行かない子供をターゲットにした」
都合が良すぎる、と思うかもしれない。
確かに三年前の事件で誘拐に関与していた人間とその家族が同じタイミングで同じ地域に住むなんてあり得ないけど、麗奈が推理したように、女性と子供の誘拐に父親が関わっていらのだとしたら辻褄が合ってしまう。
自分の妻が誘拐されて死体が見つからなかったんだから、そんな地域に子供と一緒に住みたくないと言ってしまえば誰も不自然には思わないだろう。
浮気がバレたから犯人に殺しを依頼してたって胸糞悪い事実は、こうも簡単に悪意の中に隠されてしまう。
「なぜ、それで私に疑いが掛かるというんですか? 確かに私はその当時あの辺りに住んでいましたし、ニュースにもなっていたので覚えていますが、確かあの事件の犯人は捕まったはずですよね?」
「そうです。だから私はこう言ったんです。あなたが所属している組織が関わっていると」
そもそも、俺が黒谷を何らかの組織に属しているって言ったのに、何の反応もなかった時点でほぼ確定なんだよなぁ。
事件への反論で頭が一杯になってて肝心なところに気が付かなかったのかな。
「三年前の女性連続失踪事件は個人ではなく組織で行われたものだった。あなたはその構成員の一人だった。そして今回の事件の関係者でもある」
「……、」
「反論をしたいならご自由にどうぞ。ただし警視庁の取り調べ室でになりますが。言っておきますけど、非社会的な組織に属している人が犯罪をした場合、一般よりも重い刑罰が下りますので覚悟しておいてください。少しでも軽く収めたいのならさっさと自供するのをオススメします」
「……、」
思い空気が流れる。
ジリジリと背中から焼かれるような緊張感。
将棋指しが数手先の展開を読んでしまったことで自らの敗北を悟った時のように、いずれ来る敗北からどうにかして逃れようと思考を回しているんだろう。
刑事として犯人と向き合っていると、たまにだけどこういう空気を感じ取れる。
だからこそ、これから取るであろう黒谷の行動も読める。
こういう時の犯人は、諦めるか抵抗するかだ。
だけど、そんな予想していた俺よりも黒谷の行動は迅速だった。
黒谷は手に持っていたショベルを俺へと投げつけてくる。夜闇を照らすためにライトだけを持っていた俺は両手で衝撃を防ぐが、黒谷はその間に近くにいた麗奈の腕を掴んで引き寄せ、回した腕で首を絞めながら自らの身を護る盾のように構える。
投げられたショベルが直撃した痛みを無視してライトを黒谷へ向ける。
「黒谷ッ!」
「はははははっ」
黒谷は雰囲気にそぐわない笑い声を出す。
「刑事さん、私はあなたを舐めていたようだ。幽霊専門刑事などという馬鹿みたいな肩書のわりに結構鋭いじゃないですか」
「それは、俺が話した内容を認めたってことで良いのか?」
「残念ながら百点満点の回答ではありませんでしたけどね。……そもそもの話ですけど、今の私があんなチンケな組織の一員と勘違いしている時点で既に間違っている。確かに三年前は属していたが、それだって面白そうな計画があるっていうから、その設計図を盗み見ようとしていただけだ。結局あそこは警察から逃げるのに必死で自然分裂しちまったよ」
……口調が変わったな。
完全に余裕がなくなった証拠か。
「その計画とは何だ? 女性や子供を誘拐して何を企んでいる?」
「どうせ教えても理解しないさ。幽霊専門刑事と名乗っちゃいるけど、どうせ刑事さんも幽霊を信じてない側の一人なんだろ? だったら俺の思想とは相容れない。今の俺の楽しみで楽しみで仕方のないこの気持ちは理解できないさ」
「何を言っている黒谷! どうしてここで幽霊なんかが出てくる⁉」
叫ぶが、武器のない俺の声では威嚇にもならない。
「誰が教えるかよマヌ……、」
「人工的に幽霊を作り出す。それがマスターの目的でしょ?」
だが、黒谷の言葉を遮ったのは、人質にされている麗奈だった。
ていうかちょっと待て。
「……なぁおい、麗奈」
「そんな可哀そうな物を見る瞳を向けないでよ! 私の言葉が冗談だと思うなら、マスターが掘り出そうとしていた物を調べればハッキリするはずだから! 粉砕された女性の骨がみっしり詰まった骨壺辺りが出てくるはずだよ!」
「……は?」
犯人に捕らえられているというのにまったく緊張感のない麗奈の言葉を信じた訳じゃないけど、ライトの先を黒谷が掘っていた地面へと向ける。
――そこに、あった。
麗奈は骨壺と言っていたが、どうもそういう感じじゃない。アンティークものという雰囲気でもない、普通にその辺の安物骨董屋で買ったようなパチモン臭すらある壺だけど、確かにそれは地面に埋まっているには不自然過ぎた。
見た目よりも中に入れられる容量を多くしたような形の壺は、麗奈の言葉を真に受けてしまうと酷く不気味に、酷く恐ろしく見えてしまう。
「幽霊って言葉からイメージするのって、大体は子供か女性の姿でしょ? 感情の揺れ幅が大きい女性や子供は幽霊に適してるからって理論があるらしいの。そんな子供や女性を怨念を持つように殺してから、死体だったり骨だったりを一か所に集めて幽霊を人工的に作り出す方法論もね」
麗奈から詳細を聞いている内に、俺の思考から言葉が失われていた。
……なんだよ、そりゃあ。
「ははっ、なんだよ。まさかお嬢さんもこっち側の人間だったのか」
「私はマスターとは違うよ。確かに私だって幽霊には会いたいけど、それで法を踏み外すような事はしてないし、するつもりもないもん」
「つまんねぇな。お仲間だったら助けてやろうと思ったのによ」
「……っ、黒谷」
まだ頭の中が真っ白だったが、絞るように声を出す。
「……お前は、本当にそんな理由で子供達を誘拐したっていうのか? そんな、幽霊だなんて馬鹿馬鹿しい理由の為だけに⁉」
「それを馬鹿馬鹿しいって切り捨てるのが刑事さん、あんたなんだよ。生憎と俺は人口幽霊に興味深々でね。あぁそれと、分かってるとは思うけど言っておくよ。俺が誘拐した一〇人のガキどもだけど、まだ生きてるとでも思ってんのか?」
「ッ! 黒谷ィ‼」
ふざけるな……、ふざけるなッ!
こんなの許せるか。
どんな事情があろうと殺人は許されるものじゃないけど、中には本当に同情するような理由で殺人に手を染めてしまう者も少なからずいる。だけど黒谷のはそんな大層なものなんかじゃない。恨みとか嫉妬なんかの分かりやすいもんでもない。
こいつには単純に趣味だ。
自分の欲望を叶えるためだけに他人の命を玩ぶクソ野郎だ。
「少しばっかり予定が狂っちまったが、ここでお前とこのガキを始末すれば修正は効くはずだ。そして、この局面さえクリアできれば俺の目的にも手が届く……」
「出来ると思ってるのか? 今さっき俺に武器を投げ飛ばしたろ」
「おいおい、読みが甘過ぎるぞ刑事さん。最終的に辞めはしたが、俺は元々『そういう組織』の一員だったんだぞ? だったらこういう代物を持ってても不思議じゃないだろ」
黒谷が懐から取り出したものを見て、背筋が無意識に震えた。
拳銃だ。
見た所リボルバータイプのようだけど、警察官が使っている物とは形が違う。確か組対課の刑事から、『そういう組織』で広く使われてるとか聞いた事がある。
思わず俺も懐に手を伸ばすが、そこで失態に気付いた。
黒谷はそれを見て嘲るように口元を歪ましながら、
「ロサンゼルスやシカゴじゃないんだ。刑事さんだからって常日頃から拳銃を持ち歩いてる訳はないよなぁ?」
「くそっ‼」
「まぁ、持ってたとしても若造じゃ撃てないよな? 平和ボケした日本の警察官が俺の額を撃ち抜けるとは思わない。チェックメイトだ。俺の将来のために黙って死んでくれよ? なぁ? 刑事さん」
黒谷はニヤニヤと笑っていた。
……やっぱりこいつ、人を殺すという事に何の罪悪感も感じてない。
「……素直に降参すると思うか? ここは大通りの直ぐ近くだぞ。深夜だからって銃声を響かせたら人が集まってくる。ここで俺が大声を出してもな」
「……」
黒谷は何も言わなかった。
その代わりに耳を劈くような銃声と、俺の右肩に重く鋭い反動。黒谷が俺の右肩に向けて発砲したのだと数秒遅れてから理解が及んだ。
「……ぐ、がぁ」
反動で吹き飛ばされそうになる身体をどうにか支える。
これは流石に予想外だった……っ、まさか躊躇もなく撃ってくるなんて……⁉
「俺がその程度の脅しで留まると思ってんのか? 舐めんなよ。どうせ捕まったら死刑を言い渡される身だ。今さら罪状が増えたとしても怖くはないんだよ」
視界が大きくよろけた。
血を流したせいで力が入らなくなった俺が地面に倒れたからだ。
傷口から熱さと痛みが襲い掛かってくる。気をつけてないと、歯を食いしばったせいで舌を噛み切ってしまうそうになる。
――そして。
「…………っ!」
顔を地面に擦りつけたまま目線だけを黒谷へ向けた俺は、自分でも引きつった顔になっているのを感じた。
同時に、背中からドバっと冷や汗が噴き出した。
金縛りにでも掛かったかのように、口を動かそうと言葉がうまく吐き出せない。
それなのに、心臓の鼓動だけがやけに早くなる。
「そこで黙って見とけ。まずは刑事さんが巻き込んだガキから殺してやる」
黒谷が麗奈の側頭部に銃口を当てる。
「……っ、あ……っ!」
「痛みで声も出せないのかよ。これだから口先だけの警察は嫌いなんだ」
黒谷の指が動く。
俺を撃つのに一瞬の躊躇もしなかった奴だ。きっとこいつは本当に麗奈を殺す。
指先が、命を奪う引き金にかかる。
そして……、
そして……、
……………………。
銃声は、響かない。
変わりに聞こえてきたのは黒谷の声。
「はっ……、何だよ、こりゃ……」
静まった暗闇の中で黒谷が絞り出したような声を出しているが、この場で誰よりも驚いているのは俺に違いない。
そもそも俺が言葉を発せないでいたのも、拳銃に撃たれたからじゃない。
『あれ』を見てしまったせいだ。
それは、銃を構えた黒谷の背後に立っていた。
それは――女性だった。
髪は腰を超えるほどの黒髪で、深夜の暗闇の中でも視認できる色白の肌で、ボロボロに崩れた洋服に身を包んでいて、色白の顔の中で両目と口元だけが異常なまでに黒かった。
まるで、両目と口内だけがくり抜かれているみたいに。
女性が黒谷の肩に手を置いた瞬間、彼はピクリとも動かなくなった――動けなくなった。
だけど、黒谷は彼女の存在に気付いていない。
肩に手を置かれている感覚がないのだろうか?
それとも銃で撃たれたショックで俺がおかしくなってるだけ?
と、そこで俺と彼女の視線が交差した。
底の見えない闇を埋め込んだような瞳が、真っ直ぐ俺に向けられた。
「…………‼」
情けない声は出ていない。
だが、声が出せなくとも俺は絶叫していた。
『あれ』が何なのかは分からない。
分からないが、本能の部分が危険だと叫んでいる。
――その直後、またもや俺の理解を越えた出来事が起こった。
「――――――――――――――――――――――ッ!」
黒谷の金切声のような絶叫。
俺の見ている前で、女性に連れ込まれるように黒谷の身体が割れて、壊れて、崩れて、人の姿を留めなくなった身体が地面へと消える。
いや、地面に埋まっていた壺の中へ吸い込まれていた。
カタン、と壺の蓋が閉まった。
残ったのは、事実を覆い隠してしまう深夜の暗闇だけ。
「……⁉」
駄目だ。ひとかけらの理解も出来ない。
大の大人が一人、呆気なく消えた。
あれほど騒がしかったこの路地も、今じゃ嘘みたいな静寂しかない。
あの麗奈だって、信じられないものを見た、といった風に腰を下ろしている。
パクパクとアホな金魚のように口を動かしていると、どうにか調子を取り戻し始めた俺はむせるように言葉を紡ぐ。
「……が、ひゅ……っ、あれは……ゆ、幽霊……?」
我ながら馬鹿馬鹿しい言葉を使ったな、と思う前に俺の意識は闇に落ちた。
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