第一章 SNS幽霊事件ー虎鶫隼翔の捜査ー⑨


 どこかで失敗していたのかもしれない。


 そんな空気が肌に突き刺すようにピリピリと感じてきた時に、男はようやく自分が追い詰められているのだと気が付いた。


 さっきからイラつきが止まらない。頭皮から血が滲むほど短い髪をかきむしり、それが自分で止めたはずの悪癖だと思い出した。


「くそ……っ、くそっ!」


 無意識に頭へ伸びそうになる手の欲求に耐えつつ男は携帯電話を鳴らす。


 だが、いつまで待っても相手が出る様子はない。


 何度リダイヤルしても、反応の一つも返ってはこない。


「……」


 男の思考にしばしの時間、空白が生まれた。


 そこでようやく、自分が切られたのだと理解した時には、苛立った感情に従って、手に持っていた携帯電話を床に投げつけてしまう。


 床に転がって破損した携帯を見ながら男は思う。


(こうなったら、もう逃げるしかない)


 警察に捕まってしまえば言い逃れはできない。それは確実だ。一〇人も子供を誘拐した自分が捕まった末路など考えたくもない。幽霊のせいなどと騒ぎ立てたところで、『幽霊法』の適用範囲外と認定されれば鼻で笑われるのが最後だろう。


 だけど。


(……どうしても『あれ』だけは回収しなくてはならない。もしも私が逃げ切れても『あれ』が見つかってしまえばもう二度と同じ事は繰り返せないんだ)


 どれだけ安直と言われようと、あれこそが自分の全てなのだ。


 捨てるには払った犠牲が多すぎる。別に罪悪感の類を感じている訳ではない。客観的に自分が問われる罪の大きさを見た時に、よいそれと捨てられる物ではないというだけだ。


 男は肩にかけていたボストンバックを床に降ろし、息を吸った。


 深夜に近い冷たい空気が鼻から肺に通っていくのを感じ、いくらか気が引き締まったような気がした男は、ドアを開ける。


 覚悟は決まった。


 よくよく考えれば、そこまで時間はかからない。せいぜい一時間程度だ。あの刑事の口振りから読み取っても今日や明日で何かをする訳でもなさそうだった。


 外に出て裏手の物置からショベルを引っ張り出し、焦る気持ちを押さえつつ、景観のためにと設置した植樹の中へと入っていく。


(そうだ……っ、そうだそうだ‼ まだ私への容疑は白紙に決まっている。こんなところで弱気になって成果を捨てられるか。これさえあれば、まだ私はいくらでもやり直しが効くんだから‼)


 心の中で叫んで奮い立たせ、ショベルを地面に突き刺す。


 カモフラージュ用の植木など目もくれず、手あたり次第という風でもなく、目印もない地面を掘り進める。ショベルを握る手や額に生暖かい汗が滲む。周りの時計も見えない暗闇のなか、どれくらい経ったのかも分からなくなるほど気の遠い時間にも思えた。


 だが、その時。


 カツン、とショベルの先端が何かに触れた。


 ――と、同時。


「ひゃ……っ!」


 男のほぼ目の前。通りの方から女の声が聞こえた。


 ビシャリ、と背中が一瞬で濡れた気がした。


 迂闊だった。深夜だから人が居ないと思い込んでいた。


(……落ち着け、地面に埋まっている物は見えていないはず。だが、不用意な目撃者は消しておくのが正解か?)


 深夜に地面を掘っていた不審人物と警察に通報されでもしたら、ここまで身を潜めながら行動していた意味がなくなってしまう。


 暗闇のなか、よくよく見れば、まだ子供ではないか。


 これなら一瞬の内に片づけられる。


「なぁに大丈夫ですよ。うん、安心して良い」


 たったそれだけ。


 この言葉だけが、手向けとして通りすがっただけの子供にあてられた。

口元の笑みが酷く不自然な事を自覚しつつ、ショベルを振り上げる。躊躇など、ほんの少しもなかった。


 だが……、



「武器を捨てろ、黒谷! お前を暴行罪の現行犯で逮捕する!」



 振り上げたショベルが宙で止まる。


 暗闇に慣れていた視界が光に照らされて目を瞑ってしまう。


 やがて明るさに順応し片目だけを開けた、薄いひげをわざと残している黒ぶち眼鏡で痩せ気味の男の瞳に飛び込んできたのは、手持ちのライトでこちらを照らしている黒髪の刑事と、目の前でニヤニヤと笑いを浮かべている、幽霊専門家と名乗っていた出羽麗奈という女子高校生だった。

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