第15球 留学生

 目鼻立ちがとても整った、誰もが振り返るような顔立ち。

 滑らかでキラキラと光を放つような金髪。

 くすぐったくなるような甘くて柔らかい声。


 そして浴びせられる罵詈雑言。 暴言製造機は、顔を真っ赤にしてまで罵りの言葉を口にし続けた。


 真っ赤な顔は浅黒く変わっていき……最後は魔王の姿に変わっていった。 魔王の顔は虎田そのもので、バットを担いだ魔王はそのバットで僕の体をピンポン球のように吹っ飛ばした。



「ぶわーっはっはっはっはっは! 」



 吹っ飛ばされた僕の体は、バックスクリーンにあるスコアボードにぶつかりそうになって……。




 ――ドタンっ!

 衝撃で目を覚ました僕は、床に置いてある野球の本にキスをしていた。



「いてて」



 ………なんだ、夢だったのか。 どんな内容だったっけ。 なんか怖い夢だった気がするんだけど、思い出せない。


 正解はわからないけど事実としてあるのは、じんわりと汗をかいて寝起きは良くなかったことと、眠気が残ったままだということだけだ。



「海斗、どうしたの? 」

「ああ、母さん、おはよう。 夢見てベッドから転げ落ちただけだよ」

「あらそう。 お父さんに挨拶して、シャワーでも浴びるといいわ」

「そうする」



 着替えだけ持ってリビングに行き、遺影が飾られた仏壇に手を合わせて、浴室へ向かった。


 僕に父親の記憶はない。 物心がついた頃には父親は写真の中だけで生きていたことを示す存在だった。 何をしていた人なのかは知らない。 ただ、片親でも何一つ不自由することなく、むしろ余裕があるくらいの生活ができているのは、この父親のおかげなんだろう。



「ずいぶんとのんびりシャワーだったじゃない。 二年生の初日から遅刻じゃカッコつかないよ」

「大丈夫だって。 今日からまた部活で帰りは遅くなるからね」

「はいはい」



 学校までは歩けば20分ほど。 だから普段は自転車なのだけど、今日はなんとなく歩きたい気分だった。 自転車の時みたいに横に伸びる道ではなく、土手のサイクリングロードを経由して歩く。


 春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、爽やかな陽気に涼やかな風が顔を撫でるものだから、歩きながらでも眠ってしまいそうになる。


 流石に歩きながら寝るのは危ないから、眠りに落ちる前に次の足を出し続けた。 川沿いを歩いたのは失敗だったかもしれない。


 普段より10分以上時間をかけて学校にたどり着いた。

 学年ごとに別の場所に貼られたクラス分けの掲示物の前には人だかりができている。


 その中からピョンと飛び出してきた人物には見覚えがあった。


「あ、おはよ、カイくん。 2組で、一緒だよー」

「おう、美空は新学期早々元気だな。 2組、ね。 陸は? 」

「リッくんも同じ! それに……ふふふ」

「それで、陸はどこ行ったんだ? 」

「購買。 混む前にクラス章買いたいって」

「なるほど。 こりゃ出遅れたし、僕は後でにしようかな」

「あっ、リッくんおかえり」

「お、海斗もいたのか。 また一緒だな」

「そうみたいだね。 よろしく」

「これでテストは安心だ」

「人をなんだと思ってるんだよ」

「ウチの主砲」



 主砲ってのは四番じゃないのかと思わなくもないけど、ホームランでいえば四番の原口キャプテンよりも打ってるから、そう言えなくもないのかな。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、2年2組の教室にたどり着いていた。 教室の前のドアには座席表が貼り出されている。


 青島であるが故に、大抵は出席番号が1番だ。 毎度のように定位置に目を向けると、そこにはカタカナで『アイルグラッド』とマスいっぱいに書かれている。


 試験は1番から転落したことはないけど、名前はこれで2回目だ。 前は相川くんだったけど、今回は留学生……なのかな? 僕は、出席番号に従って前から2番目の席に着座した。


『アイルグラッド』……どこかで聞いたことあるような……。 アイル、島か。 グラッド島……そんな島どこかにあったっけか。 なんとなく記憶にあるから、きっと世界地理でやったんだろう。 なにか特産品があるんだとしたら、忘れてしまっている状況はまずい。 あとで復習しておかなければ。


 なんにせよ、男だか女だかもわからないんだ。 席が前後である以上、何かしら世話をすることもあるだろうけど、必要以上に気にすることはない。 甲子園を目指すのに巻き込まれた僕は、去年までと違って勉強だけしているわけにはいかないんだ。


 新しいクラスは、1年生の時よりもざわめきが大きい気がする。 静寂を好むクラスメイトはあまり多くはないらしい。 教室に入るときに別れた陸や美空も、すでに前後左右のクラスメイトたちと歓談に励んでいる。


 一年間賑やかになりそうだな、と思ったのと同時にチャイムがなった。 二年生最初のホームルームだ。 僕の前の席は空いたまま、教室の前のドアが開いた。


 ――と同時に、クラスメイトたちが大きくざわめいた。



 担任であろう先生に続いて、艶やかな金髪ロングヘアーの生徒が入ってきたせいだろう。 僕の1メートルほど前を通り過ぎ、担任のいる教壇の脇へと立った。



「はい、始めますよー。 このクラス、担任の吉野です。 早速ですけど、このクラスへの転入、というか留学生を紹介しますね。 アイルグラッドさん、です。 続きは自分でやります? 」

「はい、そうさせてください」



 担任の吉野先生に促されて、顔を上げたアイルグラッドさんは、流暢な日本語で自己紹介を始めた。



「みなさん、初めまして。 サラ=アイルグラッドと申します。 是非、サラと呼んでください。 今年から、楠木さんのところにホームステイさせていただき、一緒に勉強することになりました。 こちらの国のことはあまり知らないので、ちょっとずつ慣れていきたいと思います。 どうぞ、よろしくお願いいたします」



 明るく軽やかな声で話した後、ペコリとお辞儀をしてゆっくりと顔を上げた。 所作が本当に美しく、こんな綺麗なお辞儀は日本人でも見たことないくらいだ。 ここからだと横顔しか見えないからなんとなくしかわからないけど、他の男たちの反応を見るに、結構な美人なのだろう。


 そんなことより、美空のところにホームステイって言ってたな。 美空のやつ、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか。 抗議の意味も含めて斜め後ろにいる美空をジロリと睨みつけたのだけど、美空はそんなこと意にも介さず、シーッ、と言わんばかりに口元に人差し指を添えただけだった。



「それじゃ、席はあの廊下側の最前列ね」

「はい」



 数秒、美空と目だけでバチバチと小競り合いをしている間に、僕の前にやってきた気配で前を向いた。


 そして、目が合って――言葉を失った。




「カイト……」

「――サラ。 ……本物、なのか? 」

「当たり前じゃない。 やっと、会えた」

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