第4球 キャッチボール
夏休みが終わり、二学期の授業にも少し慣れてきたころのことだった。 僕は、クラスの女子たちに請われ、数学教師の真似事をしていた。
人に教えるのは嫌いではない。 説明の練習になるし、自分の復習にもなる。 大学生になったらアルバイトには家庭教師か塾講師でもやることにしよう。
17時になるからということでお開きにしたのだが、一歩外に出ればまだ明るいしじっとりとした暑さがまとわりつく。 もうちょっと涼しい校舎にいればよかったと後悔したところに、馴染みのある声が聞こえてきた。
「おーい!海斗! 」
「ん? 」
声の出所を探ってみると、『元』勇者の陸がグラウンドでこちらに手を振っている。
いくらエースとはいえ、一年生がそんな勝手なことをしていてもいいのか?
「なんだ、陸か。 練習頑張れよ」
「お、おい……ちょっと待て、待てって」
立ち去ろうとした僕のところへ駆け寄ってきた陸は、目をキラキラとさせてとんでもないことを言い出した。
「海斗ヒマだろ? キャッチボールしようぜ。 ほら、これ」
「ええ!? なんで僕がそんなことを……」
「いいからいいから」
カバンを近くにあったベンチに置き、押しつけられたグローブを左手にはめた。 キャッチボールなんて、小学生以来だ。ちゃんとできるんだろうか。
「いくぞー」
15メートルほど離れたところにいる陸の指先から放たれた白球は、緩やかな放物線を描きながら僕が構えたグローブにスポンと収まった。
ううむ、流石のコントロール。
グローブに入ったボールを右手に持ち替えて、陸へと投げ返した。 しかし、僕が投げたボールは陸に届く前に勢いをなくし、ポーンと地面で一度バウンドしてから陸のグローブに収まった。
あたりからはクスクスと嘲笑する声が聞こえてきたが、こちとらボールを握るのですら10年振りだ。 ムッとした気持ちを抑えて、陸へ手刀を切って謝意を示した。
陸は意に介した様子も見せず、軽く振りかぶって次の球を投げてよこした。 ボールはさっきよりもスピードが上がったのか、鋭さを増して僕のグローブに収まった。
パン、という小気味良い音が響いた。
次は僕が投げる番。 よし、今度はもう少し強く投げよう。
陸の真似をして左足を少し上げてから、軽く振りかぶって、思いっきり腕を振った。
「うおっ!? 」
パンッ!!
さっき投げた時よりも遥かに強い球が、陸のグローブに吸い込まれた。
「いてて。 おい……海斗いきなり何すんだ」
「いや、ごめん。 ちょっと陸の真似しただけだったんだ」
「げげ、それでこの威力かよ」
さっきのような嘲笑は聞こえなかった。 今度は、むしろどよめきに近く、ザワザワとしている。
たかがキャッチボールとはいえ、力加減がどうにも難しい。
「ま、丁度良いや。 よし、ちょっと海斗さ、そこにしゃがんでみてくんない? 」
「ん? こう? 」
「そうそう。 んじゃ、まず6割」
――6割?
考えがまとまる間もなく、陸は左足を高く上げてワインドアップの体勢から鋭く腕を振り切った。
ボールはさっきまでとは段違いのスピードで僕に――いや、僕の頭上を通過しようとしていた。
うわわ!!
慌てて頭上を目がけて左手を差し出すと、左手に衝撃を感じた。 ボールはグローブの先に引っかかるように、半分ほどこぼれている状態で挟まっていた。
「ちょっと陸! 危ないじゃんか! 」
「……やっぱ、視えてるよな。 これなら……」
僕の非難を無視してブツブツと言っている陸は、ボールを寄越せと言わんばかりに左手を掲げた。 今度は、力を加減してボールを投げる。 パンと乾いた音を鳴らして、僕が投げたボールは陸のグローブに収まった。
やった! うまくいった! こんなちょっとしたことが嬉しい。 小学生のような感想を持ってしまったことに、ちょっと自嘲気味な気持ちになった。
僕が恥ずかしさを感じていたところに、陸の鋭い声が届いた。
「次、8割」
「ちょっと待ってよ、陸。 そんな強く投げたらさっきみたいのは捕れないよ」
「大丈夫だ。 さっきのはわざとだから。 行くぞ」
――えっ?
またしても陸の言葉に対する疑問が解消しないうちに、陸は腕を振りかぶり、左足はさっきよりも大きく踏み出して、腕を振った。
パァン!!
今度は、しゃがんだ僕の正面目掛けて飛んできた白球は、そのままグローブに吸い込まれた。
僕にはグローブで捕ったなんて気持ちはなく、ボールが勝手に入った感じだ。
さっきまでのどよめきは、止んでいた。 野球部員だけでなく、グラウンドにいた他の運動部員たちも静まり返ってこちらを見ている。
「ボール」
「え? 」
「くれ」
「え、あ、うん」
さっきまでと雰囲気が違う。 陸は、スイッチが入ってしまったようだ。 そう、あの魔王デストラーダとの最終決戦の時のように。 その威圧感に押されつつも、ボールを陸が掲げた左手目がけて投げた。
「次、全力で行くぞ」
「え? 」
目がマジだ。 さっきよりもさらに速いのか。 これは、こっちも気を引き締めないと怪我をする。 振りかぶった陸の腕、上げた足、振り下ろす腕、その指先に、そのボールに神経を集中した。
陸の指先を離れたボールは、僕の顔面へまっしぐら。 そして僕は、そのボールをグローブの中心で受け止めた。
バァァン!!
破裂音が響いた。 実際は何も破裂なんかはしていないけれども。 今のが陸の全力投球なのか。 とんでもない威力に、ゾッとする。 普通ヘルメットとかするもんじゃないのか。
「陸ってホントにすごいんだね。 びっくりしちゃったよ」
「驚いたのはこっちの方だ。 マウンドじゃないとはいえ、それなりに本気で投げたんだぞ。 難なく捕りやがって」
「え? 」
「よし、あと1球頼む」
「わかった」
ボールを投げ返した僕は、陸の願いを叶えるために、その場にしゃがんだ。
――すると、ボールを持つ陸の右手が淡い緑色に光り始めた。 その光景に周りの人が疑問を持った様子はない。 視えてるのは僕だけか。
「海斗ぉ、いくぞー! 」
「えっ、ちょっ――」
陸に放たれたボールは、淡い緑に包まれたままこちらへ一直線に向かってくる。 軌道上にグローブを構え、その中心でボールを受け止めた。 そこまでは良かった。
凄まじい回転を持ったその球は、受け止めたグローブの中でも勢いを緩めることなく……しまいには結び目を引きちぎって僕のおでこへと到達した。
ゴンッ!
「いだっ!? 」
「ぁあっ? 」
グローブでかなり弱まっていたとはいえ、硬式球をヘディングすればそれなりの衝撃だ。
「いつつつ……。 何すんだ! 陸、いまエアロ――!」
「わーっ! 待て待て待て待て! 悪かった! もう終わりにすっから、一緒に帰ろう、な? な? 」
「……わかったよ。 校門前の広場で待ってるよ」
慌てふためく陸に、ボールと壊れてしまったグローブを渡しながら、そう告げた。
再びざわめきがグラウンドを覆っていた。
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