第3話 レベル上げしようぜ

 ちょっと語気を強めながら、ノエルは魔導書を開いた。


 すると、魔導書に記された文字が光を放ち、ノエルの頭に吸い込まれていく。魔導書のページは白紙に返り、ただのノートと化した。


「じゃあ次は氷の魔導書だ。その次は雷、その次は風だよ」

「い、いくらなんでも至れり尽くせり過ぎないかな?」

「そうか?」


 こうやって、先輩プレイヤーが初心者に、魔導書を融通することは少なくない。


 一方で、魔法を使いたいソロプレイヤーは、まずは剣や槍などの武器で戦い、お金を貯めたら魔法を覚える、というのが主流だ。


 最初から魔法で戦いたいプレイヤーには面倒なことこの上ないけど、AOLそのものが、一人で剣と魔法の両方を使うことを前提とした、魔法戦士ゲームとしての側面がある。


「武器しか使えないと戦闘の幅も狭まるからね。最初から全属性使えるのが一番なんだよ」

「って、全属性覚えさせる気?」

「当然だろ。武器と魔法、両方使えて一人前の冒険者って、そう言ったのはノエルだろ?」

「そ、そうだけど……お金返せるかな……」


 AOLには、他のゲームと違い【職業】という概念が無い。


 全てのプレイヤーが全ての武器を装備できるし、魔導書を使えば全ての第一階梯魔法を覚えられる。


 あとは、剣で戦い続ければ剣術スキルや奥義を覚えて、ダメージ補正が入る。

 魔法も、魔法で戦えばより上の階梯の魔法を覚える、という仕組みだ。


 ただし、俺みたいに武器と魔法の両方を極めるガチ勢はごく一部。


 たいていのプレイヤーは、武器と魔法のどちらかをメインにして、どちらかをサブにする。

 成長の偏りで、事実上の【職業】みたいなものが決まり、自称することが多い。


「ふぅ、全部覚えたぁ」


 大きな息をついて、ノエルは額の汗を腕で拭った。

 画面越しだとわからなかったけど、魔導書で魔法を覚えるのって疲れるのかな?


「よし、じゃあ次はミルガルの森へ行くよ」


 言って、俺は召喚魔法を【使って】バイコーンを呼び出した。

 石畳の地面に光の魔法陣が浮かび上がり、そこから牛のような二本のツノを持った黒馬が現れた。

 それも、鞍と手綱をつけた状態で。


 AOLのアンソロジーコミックとかだと、『この鞍と手綱って誰がつけているんだよ』とか『召喚したらトイレ中だった』とかいうネタが使われていたけど、そこはゲーム仕様というやつだ。


 バイコーンの登場に、周囲がざわめく。


 人だかりができる前に、早く出発しよう。


「ほら、ノエルも乗ってくれ」


 あぶみに足をかけてから馬の背中に飛び乗ると、俺はノエルに手を伸ばした。


「う、うん……」

「どうかした?」

「いや、クランドって、本当にSランク冒険者なんだなぁって、あはは」


 気まずさを誤魔化すように頬をかいてから、ノエルは俺の手を取り、馬の背中に飛び乗った。


 ノエルの気分を現代風に例えると、同窓会で再開した元同級生が大出世していて、解散時に高級車に乗って帰るのを見てしまった、みたいな感じだろうか。


 移動手段として馬を召喚するのは、ある程度のプレイヤーなら誰でもできる。

 けど、珍獣バイコーンを召喚できるのは、Aランク以上のプレイヤーが主だ。


「お邪魔しまぁす。安全運転、よろしく」


 遠慮がちに俺の後ろにお尻を下ろすと、ノエルは俺の胴体に腕を回してくる。

 ぎゅっと抱き着かれると、コート越しでも、胸の感触が気持ちよかった。


 今まで購入した、ノエルの同人誌の内容が走馬灯のように思い起こされて、罪悪感が再燃してしまう。

 邪念を振り払うように、俺はバイコーンの腹を蹴って、広場から走り出した。


「わっ」


 反動に慣れていないであろうノエルが、腕に力を込める。

 胸の感触も、よりいっそう鮮明になる。


 馬蹄が石畳を叩く音を聞きながら、俺らは、一定のリズムで上下に揺らされた。

 まずはアマルカンドの南門から出て、それからミズガルの森を目指す。


 画面越しにゲームをプレイしている時は、行き先を指定したら、そこまで一気に画面を飛ばすこともできた。


 でも、バイコーンに乗っても、『一気に移動しますか?』という確認ダイアログは表示されなかった。


 そして、このタイミングで俺は、ここが現実であること、そしてゲーム世界に転生したのだということを理解した。


 理由は三つ。


 現代の技術では、フルダイブゲームは不可能だから、その線はない。


 ラノベでよくある展開だから、受け入れやすい。


 最後に、これが夢ではないと、五感が教えてくれる。

 これが夢だと認識して、自由に動ける明晰夢でも、五感のどれかはぼやけるものだ。

 けど、ノエルの顔も、公園の木々の香りも、馬蹄の硬い音も、どれもが鮮明過ぎる。

 それに、乗馬経験が無いのに、バイコーンの背中の揺れがリアル過ぎる。

 子供の頃に乗ったメリーゴーランドなんて、参考になるわけもない。


 あと、悲しい話だけど、俺は、女性の胸の感触を知らない。

 なのに、ノエルの胸は、今までに感じたことのない、まったく未知の柔らかさと弾力を併せ持ち、想定外の心地よさだった。


 これが夢なら、俺の知識外のことが起こるのはおかしい。と心の中で涙を流しておく。


 あぁ、目頭が濡れてきた。

 やっぱり、これは現実だ。

 俺は憧れのアクティヴェイドオンラインの世界に来たんだ。

 なのに、どうして涙腺が熱いんだろう。



   ◆◆◆



 三〇分後。

 俺とノエルは、ミズガルの森の中を歩いていた。


 うっそうと生い茂った常緑樹の香りを胸いっぱいに吸い込むと、あらためて、これが夢ではないことを実感させられた。


ミズガルの森は、アマルカンドからはそれなりに離れた場所にある森だ。


出現モンスターの強さは中級者向けになっている。

とてもじゃないけど、レベル10のノエルがレベリングをする場所じゃない。

本人も自覚しているらしく、表情を曇らせた。


「ねぇクランド。今さらなんだけど、ボクがミズガルの森って、難易度高くないかな?」

「あぁ、だから今日一日、これをレンタルするよ」


 言いながら、俺はアイテムボックスから三つの装備アイテムを取り出した。


「常にMPが回復し続ける腕輪と、魔法攻撃力を大幅に上げる指輪だ。あと、アダマントマチェットね」

「それって、全部Sレア級の装備だよね!? なんで持ってるの!?」

 ぎょっと目を丸くしながら、ノエルは両手を顔に当てて青ざめた。


「なんでSレア装備を持ってるのって……Sランク冒険者だからかな?」

 重課金者のガチ勢だから、とも言う。


「あはは……うん、そうだね。クランドにボクの常識なんて通じないよね……」

 ノエルは肩を落としながら、乾いた声で笑った。


 そうしてノエルが腕輪と指輪を装着して、両手にアダマントマチェットを握っている間に、俺はレベリングの準備をする。


 アイテムボックスから、モンスターを集める効果のある水晶を取り出すと、一気に握りつぶした。


 キィン、と甲高い音が辺りに響く。

 この音は数キロ先まで届いて、モンスターたちをこの場に呼び集めるのだ。


「ところでノエル、武器術スキルを上げたり新しい魔法を覚える方法を覚えているかな?」

「それってボクが最初に教えたことじゃない。武器術スキルは、その武器を使えば使うほど上がっていって、魔法も使えば使うほど、同じ種類のより上位の魔法を覚えるんだよ。剣で戦い続ければ剣術スキルが上がって、炎魔法を使い続ければ新しい炎魔法を覚えるって感じかな」

 チュートリアルキャラだけあって、得意満面だ。


「じゃあ、その戦い続けるの意味は? 使っている時間? 倒したモンスターの数? 与えたダメージ量?」

「え?」


 ノエルが凍り付いた。ゲームでは、あまり見たことのない表情で新鮮だ。


「答えはダメージ量だ。武器や魔法で敵に与えたダメージ量に比例して、武器術経験値や魔法経験値が貰える。経験値が一定量溜まると、レベルが上がったり、魔法を覚えたりする。だから最大HPが100の雑魚的を大量に倒したり、弱ったモンスターにトドメだけ刺しても、経験値はあまり貰えない。HPがたくさんあって、防御力が低い。武器術と魔法のレベリングには、そんな敵が最適なんだ」


 これは、お城の剣術師範キャラと、魔法研究者キャラから聞ける情報だ。

 もっとも、攻略サイトにもまとめられているんだけどね。


「しかも、ミズガルの森には、植物型モンスターと、虫型モンスターばかりが大量に出る」

「あ、もしかしてボクの武器がマチェットだから?」

「その通り」


 斧としての特性を持つマチェットの攻撃は、植物型モンスターにダメージ補正が入るようになっている。


 同じように、槍の攻撃は魚型モンスターに、弓矢の攻撃は鳥型モンスターにダメージ補正が入る。


「なるほど、マチェット使いのボクにとって、この森はレベリングに最適ってわけだね」


 流石はチュートリアルキャラ。

 相性の知識と飲み込みは早い。


「それに植物型モンスターの弱点属性は火、虫型モンスターの弱点属性は氷だ。もうすぐモンスターがうようよ来るから、それぞれに弱点属性の魔法を浴びせて、MPがなくなったら回復するまで、マチェットで戦うんだ。装備品で攻撃力を上げた上に相性は抜群。これでダメージ与え放題だ。なんて言っている間に敵が来たよ」


 俺の脳内マップには、敵を示す赤いマークがわらわらと映りこんでいる。

 森の奥を、勢いよく指さした。


「うん、任せてクランド」

 ノエルが気合十分に振り返ると、


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 樹木型モンスターのトレントが群れを成して地面を這いずり、空をカブトムシ型モンスターのキラーホーンが埋め尽くしていた。


 体を軋ませる音と羽音が重なり、威嚇の咆哮の大合唱だった。


「多すぎるよクランドぉおおおおおおおおおおおお!」

「ん? そりゃ最高位の撒き餌を使ったからね」

「呑気に言ってる場合!?」

 素っ頓狂な声を上げるノエルを落ち着かせるように、俺はまぁまぁと手でジェスチャーをした。

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