第293話

「許さない」


 怒りでもない絶望でもない。自然と口から出た言葉だった。


「許さない……」


 〈ハインリッヒエアガイツ〉……。不気味な黒いヘドロが集まって梨の様な形になり、わしゃわしゃと大量の手が無視みたいに生えている。この醜悪な化け物がこの惨状を演出した。


「許さない……! あんたは絶対に許さない! 許してやるもんですかハインリッヒ!」

「別に許しを請うつもりはないがね。君の友人達……恋人もいたのかな? ん? どれが恋人か教えてくれたまえ。ラッピングして渡そうか?」

「恋人……それなるかもしれない未来をあんたが奪った! だから許さない!」


 デートして、キスをして、ギュッと抱きしめられて、もしかしたらその先も。あるかもしれなかった未来を全部奪われた。恋も友情も家族も黒く塗りこめられた。


 私は残る気力と魔力を振り絞って〈ブレイズホーク〉を起動。即座に攻撃態勢に入る。


「消し飛びなさい! 《紅蓮の太陽砲》!」

「そんなものもはや効かんよ!」


 放った必殺のビームを、ハインリッヒはまるでハエを払うように手で弾いた。全く効いていない。


「化け物め……! それならこれよ! 《光の加護》よ《闇の加護》よ!」


 魔法攻撃が弾かれるならこれだ。疑似的な時間操作を可能にするこのコンビネーション。シュルツからは寿命に関わるからと使用禁止を言い渡されていたけれど、もう生きるか死ぬかは関係ないわ。自分以外の全てがスローモーションになる中、私は限界まで接近して――。


「それが効くとでも?」

「――!? なんで――くはっ!」


 何故か動き出した〈ハインリッヒエアガイツ〉の一撃で、壁へと叩きつけられる。


「〈オーディン〉が魔法効果を再現するというのを忘れたのかな? もちろん時間操作対策も完璧さ」

「ぐっ……ううっ……《紅蓮火球》!」

「《リューゲドゥンケルハイト》!」


 爆風。起死回生を狙った《紅蓮火球》は、ハインリッヒに届くことなく例の黒い光で相殺された。


「頼みの綱の神級魔法も不発。もはやなす術はないようだねえ、レイナ」


 崩落しつつある塔の上を、ハインリッヒがのしのしと無数に生えた手を足の様に使って歩いてくる。ニタつきそんな事を口走りながら。


「もはや君を終わらせるのに技なんて必要ない、魔法なんて関係ない。ただ一息に、そう虫けらのように潰してあげよう。たった一人の戦いもここまでだ」

「私は……一人じゃないわ……」

「これは異なことを。君は孤独だよ。可哀そうに、うそぶいて強がることしかできないか。それとも、いつも心には仲間がいるというような青臭いセリフかね? 本当に哀れな最後だ。では、サヨウナラ――」


 醜く黒いヘドロの手が迫る。巨大な手だ。それが私を押しつぶそうと迫ってくる。私は一人じゃない。心に仲間がいるとかいうごまかしでもない。だって――。


 ドガンと、巨大な手が叩きつけられる激しい音が響いた。私はそれを――え?


「なんだ、移動した? まだ悪あがきを?」


 ハインリッヒは混乱しているけれど、私も混乱している。大根走って大根ランよ。何が起こったのかわからないわ。わっつはぷん? 少なくとも私には何かをしたという自覚がないわ。ピンチで能力が覚醒した? そんなまさか。


「まあいい。すぐに消し飛ばして――」

「そうはいかないんだよねえ。ハインリッヒ」

「この声、貴様――!」


 一人の人物がハインリッヒの前に立つ。その人物は生身で、しかも女性だ。あれは――。


「――ライザ……! これはまさか、貴様の仕業か!?」

「それ以外にないだろ?」

「……何故邪魔をする、私との盟約を忘れたか!? 私が神となって三千世界を治めた暁に、貴様はここで理想郷を築くという……!」

「気がついたからさ」

「気がついただと? 何をだ!」

「神様気取りの変態の下について、自分だけに優しい世界を作るという自分のくだらなさにだよ!」


 たった一人で、生身のままライザが啖呵を切る。〈ハインリッヒエアガイツ〉はその気迫に飲まれてか、それともライザの裏切りに動揺してか、動けないでいる。


「そうだ、私は選んだんだのよ。悩みに悩んでこうすることを選んだ! 私が選んだたった一つの選択肢がこれよ! お前はどうする、諦めるのか“紅蓮の公爵令嬢”?」

「誰が! 私は諦めたことなんて一秒たりともないわ!」

「よく言った。周りを見渡しな」


 言われて周りを見渡してみる。広がるのは地獄だ。ひしゃげた魔導機、バラバラになった何かのパーツ、そして広がる赤い液た――いいや、ない。ピンク色の塊も、赤い液体もまるでない。あるのは――いえ、――。


「アリシア! ディラン! みんな!」

「う、ううっ……、レイナ様……?」

「僕達は攻撃を受けて……それで……?」


 生きてる。


 みんなボロボロだけれど、確かに生きている。パトリックがぐぐっと起き上がり、ライナスが不屈の心で目をあけ、エイミーやリオがヒルダを助け起こす。みんな生きてる。


『……聞こえ……イナ……』

「通信……? この声、お父様!? お父様ですか!?」

『やっとつながった! そうだよレイナ』

「ご無事ですか!? お母様は? みんなは!?」

『エリーゼも皆も無事だよ。墜落の直前、クラリスらが救助してくれたんだ』


 よかった……。心の底からホッとして力が抜ける。本当に良かった。


「死者蘇生だと!? 馬鹿な!?」

「だから死者蘇生じゃなくて私の能力だって言ってるだろハインリッヒ」


 そうか。ライザの死に戻り能力。それで……!


「ちなみにだ“紅蓮の公爵令嬢”。私の能力をお前は死に戻りと言ったけれど、正確には。私の能力を正しく表現するなら、それは因果改変いんがかいへんだ」

「因果改変……?」

「そう。物事の因果、それを少しだけいじれる。私がお前に敗れてからさっきハインリッヒの攻撃を受けるまでの間、その因果を少しずつ組みなおさせてもらった。で、案外うまくいくもんさ。けど、少し範囲を広げ過ぎたね……はあ、はあ……」


 そうか。その時とるかもしれなかった行動、それを少しずつ操作した。だからみんな不幸中の幸いとでもいう様な形で命を拾えたんだ。


「ライザ、あんたのことは許していませんわ。けれど、ありがとう」

「はあ、はあ……、どういたしましてと言っておこうか転生者」


 そんな感じで和む私たちを前に、ハインリッヒはその巨体をブルブルと震わせて怒りをあらわにした。


「邪魔を……この私の邪魔をオ……! どいつもこいつも! だが死者が怪我人になったところでなんだ! またすぐに殺し尽くしてやる! ライザ、貴様も……貴様は殺してはまた能力を使われては面倒だからな。そこで大人しくしていろ!」

「ライザ!」


 びゅっとハインリッヒから黒いヘドロが飛び、ライザを絡めとってねちゃっと壁に引っ付ける。あれじゃあ能力は使えない――いえ、もうライザは限界みたいだった。能力を使う必要はない。後は私が。


「死人が蘇る? 能力に目覚める? 土壇場で助けが入る? ご都合主義も大概にしろよ!」

「逃れられぬ道筋、人は時にそれを運命と称します」


 私の中にかつてシュルツが言った言葉が蘇る。


「……なんだ?」

「ライザは選んだのよ。あんたみたいな欲望の権化はのさばる世界をよしとしないで、この選択肢を選んだ。逃れられぬ道筋、運命を乗り越えたのよ。!」



 紅蓮の公爵令嬢 第293話


  『ご都合主義とは言わせない』



 そうよ。ご都合主義なんかじゃないわ、因果がそうなった。そうしてきたのはライザであり、私であり、私たち自身だ。運命を乗り越えてきたんだ。


「ハインリッヒ、今ここであんたを完全に消滅させる!」

「無駄だというのがわからないか! 奇跡はそう何度も起きない!」

「いいえ違う。世界を愛する者にこそ魔法は力を貸してくれる。私は世界を愛している。超愛しているわ。だからこそ、何度だって必然の奇跡は起きる! そうでしょ、シュルツ?」

『そうねえ~。あんたの愛にかかれば世界も力を貸しまくるかもねえ~?』


 操縦席に風が吹いた気がした。騎馬の様にまたがる操縦席の背中から、声が聞こえた。感じる。確かに存在する。おとぼけ女神こと風の女神シュルツだ。


「馬鹿な、女神だと!? 確かに消滅したはず!?」

「確かに消滅したのかもね。でも女神や精霊ってのはつまり魔力の塊なんでしょ? だから魔力をぶつけて消滅させられる。?」

「まさか……本当に奇跡だとでもいうのか……!」


 あら、私のマギキン愛にかかれば奇跡のバーゲンセールなんて朝飯前よ。それに今の私はみんなが無事に帰ってきて絶好調。一日に三回、時には五回奇跡なんてのも当たり前なんだから。


『あんたやるわね~』

「まったく、そう言うあんたは出てくんのが遅いのよ」

『あらごめんなさ~い。お化粧に時間かかっちゃってえ~』

「微妙にムカつく冗談ね。まったくこのおとぼけ女神は……。いくわよシュルツ、ご都合主義なんて言わせない、必然の奇跡を見せつけてハッピーエンドに一直線なんだから!」

『了解よレイナ、必殺なんとかパワーを見せつけてあげましょう!』

「『オーホッホッホッ!』」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る