第288話 シニモドリ

「旦那様、あれを!」


 航空艦の舵をとるギャリソンが何かに気がつく。というのは前方に見える捩じれた巨塔スパイラルタワーだ。海や森や大空が歪み搾り上げられたような六色の塔。レイナ達が攻める敵の本丸だ。


「空のエリアが剥がれていく……?」


 見れば捩じれた巨塔のうちの空の様に見えるエリア――塔の壁に空があるというのもまた随分と妙な話だが、こう表現するほかない――が、パラパラと剥がれるように消えていく。消えた後は材質不明の黒い塔へと変わる。


「あなた、また!」


 今度は愛する妻のエリーゼが声をあげた。彼女の言うように次は海の様に見えるエリアが、続いて森の様に見えるエリアがパラパラと消え去っていく。それから間を置かずして六色全てが消え去り、捩じれた巨塔はただの歪んだ漆黒の塔へと変わった。


「どういうことでしょうか?」

「わからない。だが……この光景は歪みが正されたように見える。きっとレイナ達が頑張っているんだ。そうに違いない」


 女帝レオーノヴァと会戦以来――というよりも捩じれた巨塔から雷の様な閃光が走って以来、どうにも世界がおかしな方向に進んでいるようだった。だけど今、その何とも言えない不安が少しばかり取り除かれた気がした。


「旦那様、偵察部隊より報告! ロザルス市街を覆っていた謎の障壁の消失を確認したとのこと!」

「おお、そうか! ではこれより本艦は、ロザルス上空へ侵入し味方の援護を行う! 危険な作戦だが、皆力を貸してくれ!」

「当然です。我ら一同、レンドーン公爵家と共にあります」


 ギャリソンの嬉しい言葉に、皆一様に頷いてくれる。腹はくくった。ここが勝負の賭けどころだ。


「〈ゴッデスシュルツ号〉、全速前進!」


 私たち夫婦の下に娘を遣わしてくれた、女神の名に願いを込めてそう叫んだ。



 ☆☆☆☆☆



神級魔法紅蓮領域――」


 瞬間、世界は炎に包まれた――。

 漆黒の宇宙空間に太陽が生まれたように、世界がくれないの炎に彩られる。


「《紅蓮領域》……ですって……? な、なによこの炎は……!?」

「あら、素で喋ると案外可愛らしい女の子言葉ですのね。そんなあんたに説明してあげるわ、この炎は溢れる私の魔力そのもの」

「魔力……そのもの……!?」

「そうですわ。あんたを叩き潰すにはこれくらいはしないといけないと思って使っている大技なんだから、感謝しなさいな」


 空間は紅蓮の炎に満ち、〈ブレイズホーク〉はさながら炎のドレスをまとったように炎に包まれている。私は空間に満ちた炎の様に見える魔力を剣へと変換して握る。この炎は私にとって武器であり鎧よ。どんな形にでも瞬時に自在に姿を変えるわ。


「そんなこけおどしを……! 私は不死身だ!」

「不死身ではないでしょう? だからちゃんと死ぬ。確かに殺すことはできないのかもね。

「どういう意味よ……?」

「あんたの精神を――ってことよ!」


 福岡での戦いで魔法制御の重要性を身に染みた私は、二人の師匠に教えを乞い、短い時間でスパルタに叩き込んでもらった。その究極の形がこれよ。私の中に溢れる無限とも言える魔力をあえて放出し、空間を私の魔力で満たして戦う。これが私の世界との付き合い方。私がたどり着いた領域魔法。マギキンという世界にどっぷりと漬かって愛す私だけの魔法。


「さあ挑みなさいライザ。あなたの前に立つのは、この世界を最も愛していると自称している女“紅蓮の公爵令嬢”でしてよ。世界をどうこうしたいのなら、まず私を超えなさいな。オーホッホッホッ!」



 ☆☆☆☆☆



 心を折る? 馬鹿にして。私がこの世界に転生して前世の記憶を取り戻して以来、どれだけ苦労をしてきたのか知らないからそういう事を言えるのよ。


 どんな強敵でも疲労する。何度もやっていれば癖がわかる。付け入る隙が出てくる。私の死に戻りの前に敵はいない。それはドルドゲルスの“第一の剣”だって同じだった。“紅蓮の公爵令嬢”だって同じだ。


 そもそも私はなにも死に戻りの能力だけで昇りつめたわけじゃない。剣だって魔法だって、血のにじむような努力をして鍛え上げてきた。そうしないと極寒のバルシアでは生き残れなかったからだ。


 私が前世の記憶に目覚め、の能力に気がついたのは今から十年前、十歳の時のことだった――。


 母親だと思っていた人間はある日男を作って出て行き、酒に狂って暴力を振るうだけだった父親も死んだ。私は残された幼い弟を食わせるべく、盗みを働いていた。


 ある日、盗みをしくじった私は追われていた。追手の男は太い棍棒を持っていて、私の頭を叩き割ろうと血眼になって追って来ていた。


「あっ――」


 神に祈りながら走っていた私を嘲笑うように、突然の突風が吹いて私は氷に足元を滑らせてこけてしまった。そして追手の男が近づき、その手に持つ棍棒を――思い切り振り下ろした。


 そうして私は死んだ――。


 いや、少なくともその時の私は死んだと思った。

 次の瞬間私は、脳天に棍棒が直撃し頭蓋を割られる生々しい感触は残ったままに走っていた。後ろには棍棒を構えた追手の男。「ガキが消えた……?」とか意味のわからない事を言いながら、私を見つけて追跡を続行する。


 私は生きている……? 夢か? 何が起こったかわからない。けれど追われる以上必死で逃げる。その不思議な出来事が功を奏して、私はまんまと逃げおおせることに成功した。


「一体何が……うっ……」


 少し離れた路地裏に隠れていると、途端にひどい頭痛がした。呻く私の脳内に知らない情景、知らない記憶が流れ込んできた。


 日本の事、故郷が北海道である事、学校の事、ゲームやアニメの事、家族の事。魔法なんて存在しない、そんなものフィクションの世界。この世界とはまるで違う科学の世界。その世界で私は生を受け、暮らし、そして事故に遭って死んだ。つまり――前世の記憶。


「はあはあ、これは……転生……? そしてさっきのはまさか…………?」


 確信は持てない。けれどそうかもしれない。それならさっきの現象にも説明がつく。そうだったらこの苦しい生活を抜け出すことができるかもしれない。


「はっ! 帰らなくちゃ!」


 目が覚めた時には、既に辺りはすっかり暗くなっていた。早く帰ってお腹を空かせた弟に戦利品を食べさせないといけない。


 家に帰った私を迎えたのは、飢えと寒さで冷たくなった弟だった。



 ☆☆☆☆☆



 それから私は何度も死んだ。何十回も死んだ。何百回も死んだ。


 蘇った前世の知識も、この暴力が支配する世界ではろくに役に立たない。前世の家庭科で習ったマヨネーズの作り方? そんなもの何の役に立つの? 自分より大きな男を効率よく殺す手段の方がよっぽど役に立つわ。


 だから私は死ぬことで経験し、前に進んだ。


 レオーノヴァに取り入る時も苦戦した。私は最初、本来の姿で仕官を願い出た。すぐに殺された。


 情報を集め、レオ―ノヴァは美貌を保つことに腐心し、若い男を囲っていると知った。そこで私は、死に戻りを使って手に入れた秘蔵の魔道具を利用して男へと変装した。レオーノヴァはロマンという偽名を使った私を気に入り、いろんな意味で重用した。


 私はこの世界に恨みがあった。恨みしかなかった。私が望む世界は、誰からも殺されず、何からも侵されず、暖かい食事を得、安心して眠れる世界だ。今は社会的地位を得、平穏を手に入れている? いいえ――。


 もし願いが叶うなら、この憎むべき世界を壊したかった。弟を飢えと寒さで殺したこの世界を壊したかった。そうしないと私は真なる平穏を手に入れることはできない。だからハインリッヒの残滓に協力した。別にあの男を信頼しているわけじゃない、ただ利害が一致しただけだ。


 痛みはあるし、辛く苦しい死に戻りの力。けれどこれがあれば無敵だ。気の遠くなるような試行回数を経れば、きっと目的地に――私の願った楽園へとたどり着ける……!



 ☆☆☆☆☆



「なのに……なのになんで!」


 三手、私は〈クロノス〉の操縦席を炎の剣に貫かれ絶命する。

 五手、私は〈クロノス〉の操縦席を炎の槍に貫かれ絶命する。

 二手、私は〈クロノス〉の操縦席を熱線に貫かれ――。


 もう何度この瞬間を繰り返しているか分からない。それぐらい私は“紅蓮の公爵令嬢”に殺されている。


 私の死に戻りは自分だけだ。未来の自分が消失し、過去に出現してほんの少し前をやり直せる。つまり“紅蓮の公爵令嬢”は絶え間なく出現する私を殺し続けている。


「もう何回殺したかしらね? 私の感覚としては三百回くらいなんだけれど、そこんとこどうかしら?」

「うるさい! 《竜舌りゅうぜつ》ッ!」


 ドルドゲルスの“第一の剣”に百回は殺されたことで覚えた剣技だ。これなら――。


「そんな剣技ちょいと受けて、反撃の《大火球》! はい、残念」

「そんな……!」


 必殺の剣技を炎の剣でさらりと受けられ、反撃の魔法で焼き殺された。こんなにも簡単に……? なんで……!?


「なんで勝てないのか不思議かしら? それは私が“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーンだからよ。さあ、まだまだかかってきなさいな。オーホッホッホッ!」

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