第277話 この道を歩んだ先に
当時の資料、証言、そして何より我が曾祖父バーナビー・エプラーの手記が、“漆黒の聖女”アリシア・アップトンが実在すると物語っている。
“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーンや英明王弟ディラン・グッドウィンらに続いて、六番目にエイミー・キャニング製の特別な魔導機を手にし、王国が為戦場を駆け抜けた平民出身の英雄は確かに存在したのだ。
アリシア・アップトンが当時のバットリー子爵領にあった平凡なパン屋の夫婦の娘として生を受けたということも、平民ながら魔法の才能を発揮して伝統の王立エンゼリア魔法学院に入学を許されたのも、紛れもない事実なのだ。
ではなぜその存在が後世隠されたように知名度を得ていないのか。
平民の活躍が王侯貴族にとって不都合だったから? ――否、今も昔も我が国はそれほど了見の狭い国ではない。それならばそもそもエンゼリアへの入学を認めていない。
確たる理由は別の部分にあるのである――。
エリオット・エプラー著「影に隠れし漆黒の聖女の謎」より抜粋――。
☆☆☆☆☆
「これで……良しと。うん、良い香りね」
美味しく焼けましたー!
作ったのはアップルパイ。ウヒヒ、甘い香りが実にいいわ。
「さすがですレイナ様、美味しそうですね」
「アリシアのも綺麗に焼けているじゃないの」
暇……というわけじゃないのだけれど、作戦開始までずっと肩肘張ったままだと疲れちゃう。だからこうしてアリシアと一緒にお料理をしてストレス発散というわけよ。
アデル将軍が教えてくれたところによると、バルシア諸侯や周辺各国の調整も終わってもう数日以内には作戦を開始するらしいし、それまではね。
「皆さんへの差し入れ分も考えると、もう少し焼いた方がいいでしょうか?」
「そうね。頑張りましょう、アリシア」
「はい! ……あら、どなたですか?」
アリシアが誰かに気がついて、私も振り返った。そこにはクラリスじゃない若いメイドちゃんに連れられて、くせっ毛の男性がいた。
「バーナビーさん?」
「はい。お久しぶりです“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーン様。やっとお会いする許可がとれました」
この人は確か……物書きのバーナビー・エプラーさんだ。
内戦の時にお会いしたし、アラメのガイドブックもこの人の著作だった。
「ほら、ほら、知り合いですって。だからそちらの方、どうかその殺気、静めていただけませんか? 魔力が刺さりそうな程なんですけど……」
「アリシア、知り合いの人よ」
私がそう言うと、微笑みながらも魔力を展開していたアリシアの力がふっと抜ける。いろいろ事件が続いているし敵地の真正面ですし、警戒しているのね。
「はあ、助かった。それにしてもアリシアというと、アリシア・アップトンさんですか?」
「はあ、そうですが……」
「やっぱり! お噂はかねがね。平民ながら“紅蓮の公爵令嬢”に並ぶご活躍だと」
「私がレイナ様に並ぶだなんて、そんな恐れ多いです……」
そう言いながらもアリシアは、まるで恋をしているように頬を染めてチラチラと私を窺う。
「私もそう思うわアリシア。貴女は立派よ」
「まあ、レイナ様まで! すっごく嬉しいです!」
「でしょうでしょう。どうですか? 私は“紅蓮の公爵令嬢”だけでなく貴女も題材にして本を書きたいと思っていたのです。名づけるならそう、“
“漆黒の聖女”……! 聖女というところがアリシアに似合っているし羨ましい。私もどうせなら聖女転生が良かったわ。それでなんか適当に食道楽みたいな話を希望です。
それにしても立身出世物はどの世界いつの時代でも人気あるわよね。後世、アリシアが羽柴関白太政大臣豊臣朝臣秀吉的ポジションで語られたりするのかしら? 天下はとってないけれどね。
「私が本に? そ、そんな恥ずかしい……」
「前向きにご検討ください」
「ところでバーナビーさんは取材をされに戦地まで?」
「もちろんです! その為に妻子を置いてこの地まで!」
ジャーナリスト魂というやつかしら。ご苦労な事ね。というかこの人のお子さんって産まれたばかりだと言っていたような……やっぱり業が深い。
「危険ですわよ。敵は魔王なのか変態なのかわけのわからない奴ですし」
「覚悟の上です。見せてください英雄譚を、伝説を。そして何より“紅蓮の公爵令嬢”、貴女の物語に悲しみは似合わない。きっと大丈夫です」
まーたこの人は夢想家みたいなことを。すっかり懐柔されたアリシアもぶんぶん頭を振って同意しているし、この世界の感性的にはありなのかしら?
☆☆☆☆☆
バーナビーさんが他の所へと取材へ行った後の午後、私とアリシアは作ったアップルパイを差し入れすべく、分担して各所を回っていた。
「えーっと、ここにパトリックはいるはずよね」
やって来たのは練兵場として使われている一画。中からは気合の叫び声が轟く。
「お邪魔しまーす、と……」
さっそく見つけた。パトリックだ。彼は剣を振るうのではなく兵たちの指揮をしている。
「右翼、遅れているぞ! 左翼、そこで前に! すかさず攻勢陣形に!」
きびきびと采配を振るう姿に、思わず見とれてしまう。真剣な表情の彼のチョコレート色の肌には、玉の汗が浮かんでいた。
「よし、本日は終了! 身体を休めてくれ!」
「終わったみたいね。……パトリック!」
「ん、レイナ? どうしたんだい?」
「これ、差し入れですわ」
「ありがとう、君の作ったものなら何でも美味しいけれど、これは特別美味しそうだ。香りからして素晴らしい」
うん、流石はパトリック。褒め方を心得ているわね。そして後日味の感想と共にお礼の花束なりお菓子なりを持ってくるまでがセットなのが彼よ。
「てっきり剣を振るって励んでいると思っていましたけれど、采配を?」
「ああ。父は元気だがだいぶ年だ。そろそろ僕も前線での武名よりもっと大局的な事をと思ってね。練兵を任していただいた」
「パトリックならきっと良い将軍になれますわ」
「ありがとうレイナ。兵の損耗を抑えるような采配ができたらと思うよ」
確かマギキンでのパトリックもそういうスタンスだったわね。
マギキンだとスパルタなアデル将軍に反発して親子の対立が――的な感じだったけれど、この世界では上手く分かりあえているのか親子仲は良好。良きかな良きかな。
「そうだレイナ、一つお願いがあるんだ」
「なんですかパトリック。ウヒヒ、
「そう言ってくれて嬉しいよ。だったら僕と決闘してほしい」
☆☆☆☆☆
どうしてこうなった? どうしてこうなった?
いえ、確かに
あのまま流されるがままに始まった十年ぶりのパトリックとの決闘。立会人は私についてきた護衛のマッチョな隊長さんだ。
正面に立つパトリックは、真剣な表情で木剣を構えて開始の合図を今か今かと待っている。一方私は、ガクブルしながら必死に動かない頭を働かせている。
「試合開始!」
「アレクサンダー・アデルが子パトリック・アデル、いざ参る!」
――来た。
速い。これは強化魔法――それもかつてのそれより数段上だ。けれど――。
「せいっ!」
「来るとわかっていれば受けることはできますわ!」
私だって何度も実戦をくぐり抜けてきたのよ。ただ早くてただ強い攻撃なだけなら、受けるくらい造作もないわ!
「ならば――《閃光》!」
「――ッ!?」
目も明けていられないほどの輝きだ。
これは光魔法の目暗まし。昔のパトリックなら使わなかった手ね。だとしたら次は――。
「《光の矢》! ――かわした!?」
「魔力を読めば見えなくてもかわせますわ」
視力を奪われた――だから何だ。私はアリシアも使っていた闇属性の探知魔法で敏感に魔力をキャッチして、射線を読んで回避する。
精密操作、そして魔力を読む力。どちらもマッドン先生とマーティン先生のスパルタ教室で強化されたわ。私だって変わっていましてよ!
「今度はこちらから! 《火球》!」
「なんの! 《光子剣》!」
「斬り裂いた!? でも一発だけじゃなくってよ! 《火球》!」
三、四、五、次々に放つ火球を、パトリックは容易く斬り捨てる。そしてそのまま接近――。
「てやあああっ!!!」
来る。そのまま上段だ。避ける――いいえ、迎え撃つ!
「《レイナドリルアタック》!」
パトリックの剣は強い、鋭い、早い。私の剣じゃまともに太刀打ちできないわ。
だから剣に螺旋状に風をまとわせ、ドリルの様に力を受け流しつつ突く!
「くっ……!」
「ここまででよろしいですわね、パトリック」
パトリックは剣を持っていられず手放し、勢いそのままに体勢を崩して地面に落着する。
十歳のあの時と同じように、私の木剣が彼の鼻先につきつけられた。
「そこまで! 勝者、レイナ・レンドーン様!」
☆☆☆☆☆
「今回は奇策ではなくて正面から負けてしまったね。完敗だよ」
「そういうパトリックこそあの手この手で手ごわかったですわ」
勝負の後、アップルパイをつまみながら二人で談笑だ。
内心はすっごく悔しいんだろうけれど、パトリックは少しもそれを表に出さない。
「ねえ、どうしてまた突然決闘だなんて」
私の質問にパトリックはふと空を見上げた。けれどすぐににこやかに私の方に向き直った。
「男の子の意地ってやつだよ。負けっぱなしじゃ終われないだろう?」
そういうものか。ルークもそうですし、そういうものなのかしらね?
「それに――」
「ん――」
チュ、と軽く私の口が彼によって塞がれる。
「わわっ、パトリック!?」
「それに勝ったらご褒美を貰おうと思っていたんだけれどね。隙があったから今させてもらったよ。嫌かい?」
「嫌とかじゃないです。でも貴方はもう少しムード重視の方と思っていましたわ」
「時には強引さも必要なのさ。ね?」
今度は長めに塞がれる。リンゴの味だ。パトリックとの初キスはリンゴの味だった。
ま、二人ともアップルパイを食べているから当然ね。
「何度も言っているけれど、君のことが好きだレイナ」
「……ありがとうございます。けれど……」
「答えを急ぐ必要は無いさ。僕はパトリック・アデル。音に聞こえしどころかその音を追い抜く“神速の貴公子”パトリック・アデルだ。君に相応しいのは僕しかいない。きっと君は僕を選ぶだろう」
「自信満々ですのね」
「自分を売り込むのに自信のない男がどこにいるんだい? 自分を卑下していたら売れる物も売れないよ」
「ウヒヒ、言えてますわね」
パトリックはモテる。だから断る辛さも知っている。これはきっと彼なりの気づかいだ。
まだどういう選択肢を選ぶか私にもわからない。けれどパトリック、あなたは出会った時の真面目一遍同よりもずっと素敵で魅力的な男性になったわ。そんな事を考えながら、微笑みあった。
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