第180話 お嬢様は悶々としている

「ルーク、来たわよ」

「おうレイナ、遠いところ悪いな」


 ルークがお出迎えしてくれたところからも分かる通り、私は王国北方に位置するトラウト公爵領へとやって来ていた。


 その目的は、戦争の間少しなまってしまったお料理の勘を取り戻すこと。そしてルークお得意のアイス系のデザートに関する技術を私も学ぶこと。


 戦いの中で火や風以外の魔法の精度もだいぶ上達したわ。今なら私にも人間氷菓製造マシーンこと“氷の貴公子”の技を盗めるはず!


「ほほ、レイナちゃんお久しぶり」

「まあマーティンお爺様。ご無沙汰していますわ」


 私を見ると嬉しそうに挨拶をしてくれたご老人はマーティン・トラウト様。ルークのお爺様で、もう隠居なさった先代のトラウト公爵だ。


「え!? ちょっと爺ちゃん、魔術の思索に北の塔に一週間は籠るって言っていなかったか!?」

「ほほ、《魔力探知》に感があったから《生命探知》を極大広域でかけるとレイナちゃんの反応を見つけてのう。強化、飛行、その他五つの魔法を並列行使して来てみたというわけじゃ」

「レイナに会うために秘伝の技をポンポン使うなよ……」


 マーティンお爺様はこんな感じに王国の歴史に名を残す魔法使いらしいけれど、私にとっては昔からよくお菓子をくれる優しいお爺様でもある。


 どうでもいいけれどこの世界、年の割に若く見えたりそもそも整った顔立ちの人が多い気がする。あのハインリッヒが実年齢五十くらいなのに二十代の見た目だったことを考えると、魔力が影響しているのかしら?


「七つの並列行使……。すごいですわ、マーティンお爺様!」

「なあに、レイナちゃんならすぐにできるようになるとも。さあ、美味しいお菓子を用意させよう」

「ウヒヒ、ありがとうございます!」

「お、おい。俺達はこれから食うんじゃなくて作るんだろう!?」


 おっと、それもそうね。マーティンお爺様のご用意してくださるお菓子はいつも美味しいから、つい釣られそうになったわ。


「固いことを申すなルークよ。レイナちゃんはしばらく泊まるんじゃろう? 作るのは明日でもいいじゃないか。ワシもレイナちゃんのお菓子を食べたいし」


 そっちも一理あるわね。今日は長旅で疲れているし、お菓子で英気を養いましょう。ルークのお家は物理的に遠かった。


 というわけで、私はトラウト公爵領に一週間程滞在する。お泊りイベントなんて恋愛物の大定番! …そう思うのは甘い。私たち高位貴族のお屋敷はアホみたいに広い。当然私も客間どころか滞在客用の建物に寝泊まりするわけで……。つまりラブコメ的なイベントはまずおきない。


 そう言えばルークのご両親は王都にいるし、お爺様は本来塔に籠る予定だったと言っていたわ。お泊りの日程を指定したのはルークだし、このタイミングを狙っていた? うーん、他にクラリスを始めとしたお付きの人もいるわけだし、恋愛フラグとして見るには弱いかな? 保留で!



 ☆☆☆☆☆



「ありがとうクラリス、今日はもう下がっていいわ」

「かしこまりました。それではお嬢様、失礼します。おやすみなさいませ」

「ええ、おやすみなさいクラリス」


 ルークの実家であるトラウト公爵領に滞在して四日が経った。


 この数日、私の予想通りラブコメイベントが起こることもなく二人して熱心に料理に勤しんでいる。特筆すべきことと言えば、マーティンお爺様が定期的に超魔術を駆使して現れるくらいのもの。


 実際の所どうなのかしら、私とルークの関係……。


 いえ、ルークだけじゃないわ。私と攻略対象キャラの四人の男子の関係ね。彼らの好意は間違いなく私に一定以上ある。それは間違いない……と思う。それが嫌だとか困るだとかと言えば、まったくもってそんなことはない。むしろ逆。冷静に考えると嬉しい。超嬉しい。


 だって私は彼らに恋していたからこそ、この世界への転生を選んだのだから。そして彼らが大好きだからこそもう一度死んだ後もこの世界に戻ってきた。


「な、なんか顔が熱くなってきたわ。あー、熱い。エアコン……は当然ないわね」


 と、誰も聞いてはいないのに言ってみるものの、実際は照れて顔が真っ赤なことくらい自分でもわかる。どうしよう、みんなが私の事を好きって……。ウヒヒ、夢にまで見たラブなワールド来ているじゃないの!


 いえ、でも本当にみんなが私の事を好きだと仮定しても、少なくとも一つは懸案事項があるわ。それはマギキンの正ヒロインであるアリシアのことよ。


 ――クラリス曰く、アリシアには好きな人がいる。


 あの言葉の感じなら、その意中の相手とは私の知っている人ということになる。それはつまり妥当な考え方をすると、あの四人の内の誰かでしょうね。


 私はアリシアの事が好きだ。マギキンのヒロインとして応援したいし、何よりも彼女はいい子だ。私は友人として彼女の事を全力で応援するし、想い人を横取りするなんてことはしたくない。


 となると、まだしばらくは情報戦をしたほうが良いわね。恋愛は一に情報、二に情報よ。相手のプロフィール、好み、意中の相手、そして周囲との人間関係も考慮して事を進めないといけないわ。


 がんばるのよレイナ、悪役令嬢脱却して恋愛サクセスストーリーまであと少しなんだから! アリシアの想い人を略奪する悪女ムーブだけは避けて、私も幸せ掴むのよ!


「はあ……、でもなあ……」


 どうなんだろう。例えば四人の内の誰かから強引に迫られたりして、私はアリシアの事を考えて思いとどまることができるのかしら?


 例えばこんな感じの夜のベッドルームに四人の内誰かがやってくる。そして好意をぶつけられていいムードの中キスをする。そのままベッドにぼふっ。


 ……うん。最後までしちゃうわね。もう十九になるものね。むしろそっちの方が健全だわ。わかる。


「ああー、アリシアの事もあるし私はどうすれ――うっひゃあっ!!!」


 ――コンコン。

 めくるめく妄想に花を咲かせていた私を、静かに二回響いたノックの音が中断した。

 え? だれだれ? こんな夜更けに誰かしら? クラリス?


「俺だ。こんな夜遅くにすまない。起きているか?」


 ルークの声だ。その声はなんだかいつもと少し違って……。

 え? もしかしてもしかする?


「え、ええ起きていますわ。どうぞ」

「あ、ああ。失礼する」


 夜のベッドルームに二人きり……。つい流れに身を任せて部屋に誘ってしまったわ。ここは扉越しに用件を聞くというワンクッション挟むべきだった。


「こんな夜更けに乙女の寝室を訪れるなんて、何のご用事ですか?」

「すまない。どうしても……、言いたかったことがあるんだ」


 そんな事を言うルークの横顔をランプの炎の光がゆらゆらと照らしていて、なんかこう……とってもムーディー。いつもは私の精神年齢的なこともあって弟と接している気分だけど、今のルークの顔は男だ。


「聞かせて……、くれますか?」

「レイナ、俺は……」


 そう言って、真剣な眼差しで私の肩を掴むルーク。綺麗なブルーの瞳が私を覗き込む。


 ダメよレイナ! キスすればぼふっ。キスすればぼふっ、になっちゃうわよ!


「俺は……の前に、《氷弾》!」


 と、ルークは部屋の片隅に魔法を撃ちこむ。撃たれた魔法は見えない壁に阻まれるように静止し――


「ほほっ、やるようになったのルーク」

「マーティンお爺様!?」


 ――影から現れたのはマーティン様。全然気がつかなかったわ。


「ルークの生命反応が移動しているからと思って来てみれば……。ほれルーク、早よしろ」

「何をだ!?」

「そんなもん決まっとるじゃろう。大丈夫。事が始まったらワシは部屋を出て、屋敷中――いやトラウト領中に安眠魔法をかけるから邪魔は入らんぞ」

「規模がデケえよ!?」


 なんというお爺様のアシスト。失敗していらっしゃるようですけれど……。


「俺はただ、レイナに“お帰り”って言いたかっただけだ! 言いそこなったから!」


 なるほど。それであの憂いを秘めた表情だったのね。


「言え! そして抱け!」

「クソっ、少しは自嘲しやがれ色ボケ爺いっ! 《絶対凍域ぜったいとういき》!」


 あ、あれはNINJYAニンジャ軍団を屠ったというルークの最強魔法……! 相手は凍るそして死ぬ!


「なんの! まだまだ孫には負けんぞ!」


 そんなルークに対抗して、負けじと秘術を披露するマーティン様。かくて、恐ろしい魔法の応酬は朝まで続いた。


 結局、トラウト領滞在の一週間で、これ以上のラブコメ的イベントは発生しなかった。ただこの翌日、凍り付いた私の部屋が代わったことをお知らせしておくわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る