第173話
「それじゃあクラリスさん、書類はここに置いておくよ」
「ありがとうございます、シリウス様」
「……無理をせずに休んだ方が良いんじゃないか?」
「お気遣いありがとうございます。けれど何かしていないと悲しみに押しつぶされそうなんです。それに辛いのは私だけではなく、大切な生徒を失ったあなたもでしょう?」
「……そうだ。必ずエンゼリアに返すと約束したんだがな」
二人の間に沈黙が流れる。戦いが終わって――レイナお嬢様がこの世からいなくなって二週間、もう何度も繰り返されてきた会話だ。
「お互いに落ち込んでいる暇はありません。この後も仕事でしょう?」
「ああ、帰国前最後の実務関係の打ち合わせがな。それじゃあまた夜に。くれぐれも無理はしないようにな」
もう一度私に念を押して、私――クラリスの最愛の男性――シリウス様が去っていく。
戦いは終わった。けれど私たちはいまだドルドゲルス帝都ロザルスにいる。様々な外交的な交渉、僭称者ハインリッヒによる蛮行の究明。力を失ったドルドゲルス軍に代わって、一時的な治安維持を行うなどでだ。
「レイナ……」
一人になった私は、閃光の果てに消えた最愛の主人にして妹であるレイナの名前を口にする。
天を飛翔する王宮と共にレイナが消えたと報告を受けた時は嘘だと思った。けれど時間が経つにつれ様々な証言がそれを裏付けると、私の心は深い悲しみに包まれた。レイナは戦争を終わらせた。その身を犠牲にして……。
王宮が消えたのを確認したとたん、シリウス様と交戦していた敵将“慎重なる”ブルーノ・トゥオマイネンは即座に降伏。一部の抵抗の意思を示していた部隊も、“絶対最強”クリストハルト・ベルンシュタイン殿による説得で武装解除に応じました。
これは余談ですが、ブルーノはその二つ名の通り慎重な男だったようで、情報を流すなどして事前に我が王国と渡りをつけていたようです。王国と帝国、二つの国を
ともかく、レイナ様の犠牲によって戦いは終わりました。
ですが私は正直、勝利よりもレイナ様が無事でいてくれればそれで良かった。あなたが死んだなんて信じられない。一体どこをほっつき歩いているのですか? また私を出し抜いて、庶民の料理に舌鼓を打っているのですか?
旦那様はレイナ様の件を報告されると、「そうか」とだけ言って政務に戻られました。今グッドウィン王国の政治シーンにおける旦那様の重要性は大きい。穴をあける為にはいかないからです。レイナ様を
その旦那様から手紙で報告を受けた奥様は、ナイフでご自身の首をかき切ろうとして、執事長のギャリソンらによって取り押さえられたそうです。今は厳重な監視の下、寝込んでおられているとか。心を落ち着かせるには時間がかかることでしょう。
みんなみんな悲しんでいます。悲しむ人々の心を映すように、しとしとと雨が降り続いています。死して名誉なんていりません。英雄ではなくただのレイナでいいからどうか戻って来てください。嗚呼神様、どうか私に大切な妹をお返しください――。
紅蓮の公爵令嬢 第173話
『お嬢様がいない世界』
「レイナ様……」
いくら呼んでももう帰ってくることはない、私――エイミー・キャニングを友達と言ってくれた方のお名前だ。
私が心血を注いで完成させた魔導機は、結局彼女を救うことはできなかった。困難な道を歩む彼女に相応しい剣と鎧をと思って造ったのに、結果的には彼女が死へと道を歩むおぜん立てをしたかとさえ思える。
この二週間、私は何度もごくわずかな可能性にかけて爆心地の調査を行った。しかしそれは魔法的にも科学的にも彼女の消失
レイナ様、あなたに友と呼ばれあなたを友と呼ぶことができて幸せでした。いいえ、これからも友達でいてください。だからレイナ様、またいつもの無茶苦茶をして帰ってきてください。
☆☆☆☆☆
「お嬢……」
壇上に立つ前、誰にも聞こえないようにポツリとつぶやく。私――リオ・ミドルトンを救ってくれて今度は世界まで救ってしまった彼女を、私は親しみと敬意をこめてそう呼んでいる。
ホールに集まった生徒たちのすすり泣く声が聞こえる。お嬢は自分に人望だとかカリスマはないと言っていたけれど、身分関係なく接していた優しいお嬢は多くの人間から慕われていたと思う。
私が最後に彼女に会ったのはいつだったか。……ああそうだ、まだ寒かった今年の初め頃、彼女が大陸へと向かう前だ。お嬢は私にエンゼリアをよろしく頼むと言った。だから私は必死に生徒会長の役目を果たした。
お嬢は無事に帰ってくる約束だっただろ? 約束破ってんじゃないよ。
「“紅蓮の公爵令嬢”レイナ・レンドーンは、世界を救った英雄であり、敬虔な神の信徒であり、そして何より私たちの大切な学友でした」
お嬢が死んだなんて私は認めたくない。あの子はそんなにやわな女じゃない。私が知る限り世界で最も強い女だ。どこかで生きていて、またひょっこり顔を出すんじゃないかと思う。
「彼女の魂が安らぎを得ることを共に祈りましょう」
安らぎなんて言葉はレイナ・レンドーンに最も似合わない言葉だ。また私やエイミーと一緒に貴族令嬢らしくないバカな事をしよう。だからお嬢、またいつもの破天荒な感じで帰って来てくれ。
☆☆☆☆☆
「レイナ様……」
私――アリシア・アップトンは、最後にレイナ様と分かれた地であり彼女が消えた地でもある王宮の跡地で跪き、彼女の名前を呼ぶ。レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様レイナ様。
信じられない。レイナ様は私の全てだった。どうしてあの時連れて行ってくださらなかったのですか? レイナ様のいない世界なんて私は――、
「アリシア、やはりまたここにいましたか。風邪をひいてしまいますよ?」
「……ディラン殿下。それに皆さん……」
振り返るとそこにはディラン殿下を始め、ルーク様、パトリック様、ライナス様と勢ぞろいされていた。
「どうしてこちらに?」
「今君から目を離すと不安だからね。まあ僕の直感だけれど」
「パトリック様……」
「から元気を出せと言うわけじゃないけれど、あまり下を向いていると可愛い顔が台無しだよ」
冗談めいた言葉で励ましてくれるが、やはりパトリック様も悲しみを隠し切れない表情だ。
「みんな後悔や負い目があるんです。僕だって“万能の天才”だなんだって持て囃されながら、結局レイナに頼りきりだった。おかげで好きな女の子の一人も救えなかった……」
ディラン殿下が――というより、ここにいる全員がレイナ様を愛していたことは周知の事実だ。さすがにレイナ様も私の気持ち以外には気がついていたみたいだけれど、なぜか私に遠慮するように殿方とは決定的なところで距離を置いていた。
「ねえルーク様、魔法でどうにかならないんですか?」
「……何度も答えたが無理だ。魔法で死者を蘇らせることは出来ねえ」
例えば“臆病な”コリンナ・ファスベンダーがやって見せたように、死体を動かすことはできる。けれど死者を蘇らせる魔法なんてこの世には存在しない。
「俺だって寝ずに探したさ……。だけどどこにもないんだ、方法が……」
ルーク様は悔しそうに拳を握りしめる。
王宮は消滅したけれど、別の所に保管されていた禁書の類を調べてルーク様は方法を探された。けれど発見できなかった。王国の蔵書ならあるいはと思うけれど、望みは薄いでしょう。
「ところでライナス様が持っているのは?」
「これか? オレが描いたレイナの絵だ」
そう言ってライナス様は手に持った絵を見せてくださる。そこには彼らしい大胆でありながら繊細なタッチで、レイナ様が描かれていた。
ちょっと怖く見えてしまう釣り目がちの目。燃える炎の様な赤い瞳、透き通るような白い肌。瞳にあわせた紅のドレス。そしてレイナ様曰く、ツインドリルと称されていた特徴的な髪型をした金色の髪。在りし日のレイナ様の姿そのままだ。
「いつも底抜けに明るいレイナならオレ達にきっとこう言うだろう。前を向けと」
「……そうですね」
レイナ様が残してくださった世界を護る為にも、私は前を向こう。空を見上げると長く続いていた雨があがり、雲の合間から日が差しこんできた。まるでレイナ様が優しく微笑んでいるかのよう。私はレイナ様を奪った世界に対する復讐心を、心の奥底へと静かにしまった。
☆☆☆☆☆
「――なさい!」
ん? 私の事を呼ぶのは誰?
お母さん? あれ、クラリスだっけ?
実家に帰った記憶はないのだけれど……。
う~ん、……あと五分……。
「――きなさい!」
あれ? お母さんはお母様とは違って、実家にクラリスはいなくて?
混乱してきたわ。そもそも私は誰だっけ? 何か大変なことがあったような……。
「いいかげん起きなさい! 仕事が進まないじゃな~い!」
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