第130話 感じる体温、交わる吐息

 あの激戦から一週間経った。

 あれからしばらくは散発的に、魔導機の絡まない海戦なんかも行われていたらしいけれど、年が明けた今となってはすっかり平穏を取り戻している。


 というわけで私は、戦場で負傷されたアデル侯爵のお見舞いも兼ねて、王都にあるアデル家の屋敷に新年の挨拶へと訪れていた。今年は治療もあり自領へは帰っていないらしい。


「わっはっは! レイナ嬢、心配をおかけしましたな!」

「いえ、アデル侯爵。お元気そうで何よりですわ」


 熊の様に豪快に笑うアデル侯爵だけど、その怪我は痛々しい。激戦の最中さなか、自らも敵と切り結びながら指揮を執っていたというアデル侯爵は、全身に多くの刀傷や魔法による傷を負ったという。


 だからお医者様とパトリックによって絶対安静を言い渡されている。普通の人なら立てない傷とのことだ。とは言え、本人はすこぶる元気そうだけれど。まったく、どんな体力なのか。


「それにしても、この傷でよくぞご無事で……」

「なあに、武人にとって向こう傷は誉れ。パトリックにも傷の一つや二つできんとなあ! わっはっは!」

「僕も僕に傷を負わせることができるほどの武人と手合わせしてみたいものです」

「わっはっは! こやつ言うようになったわ!」


 私的には、パトリックが満足するレベルの強キャラと戦うハメになるのは遠慮願いたい。それに乙女ゲームの攻略対象キャラが、傷だらけの熊の様な巨漢というのもどうかと思います。いえ、そういう趣向の方向けの作品もあると思いますけれど。



 ☆☆☆☆☆



「レイナが来てくれて良かったよ。おかげで父上も元気になった」


 お見舞いも終わり少しお庭を散歩していると、一緒に歩いているパトリックはそんな感じで切り出した。


「それはどういたしまして。けれどアデル候なら私がこなくても元気いっぱいだと思いますけれど」


 私の脳裏のうりにベッドの上で豪快に笑う、褐色で傷だらけの熊の様な大男のアデル候が思い浮かぶ。


「そんなことはないさ。戦闘終了直後は兵たちの手前だから傷は浅いと言ったけれど、思ったより手ひどくやられていてね。さすがの父上も気落ちしていたんだ」


 そう言えば数日寝れば治ると聞いていたけれど、一週間経った今でもベッドの上で絶対安静だ。敵が撤退している最中とは言え、指揮官の負傷はお味方の士気に関わりますからね。


「父上はあの戦いに命を懸けていた、だが命を捨てていたわけではない。だから最後まで万全ばんぜんの指揮を執れなかったのが悔しかったのだと思う」


 そう語る褐色のパトリックの横顔は、お父様であるアデル侯爵の悔しさを代弁するようだった。

 不思議ね。マギキン本編だとパトリックとアデル侯爵の仲はよろしくなかった。でもこの歪められた世界では仲がよろしい。何が良い方向に作用したか私はわからないけれど、親子が反目せずにこうやってお互いを思いやれることは良いことだと思うわ。前世の私は親孝行する前に死んじゃったしね。


「だからレイナが来てくれて良かったよ。“紅蓮の公爵令嬢”は父上のお気に入りだからね」

「ウヒヒ。そう言ってくださるのならお見舞いに来た甲斐がありました。それにパトリックがそう思ってくれているだけでも、アデル侯爵は幸せだと思いますわ」


 そう言えば、“紅蓮の公爵令嬢”の名前を作って広めたのもアデル侯爵でしたわよね。この異名のおかげで護れた命もあるのかしら? そう考えるとパトリックとの決闘も今思えば良い思い出……ではありませんね。


「あー、我ながら色気のない話をしてしまった」

「私は真面目な時のパトリックも好きですけどね」

「そうかい? でも僕はレイナの前では努めてシリアスな雰囲気を出さないようにしているんだけどね」

「オホホ、壁に耳あり障子に目ありですわよ」


 言われてみればこの世界で真面目なパトリックってあまり見たことないわね。エンゼリア入学後はせいぜい一年生の時の卒業式くらいかしら? 普段はおちゃらけた遊び人のパトリックが、いざシリアスな雰囲気となるとそのギャップが強烈にかっこよく感じたのはあくまでマギキンでの話だ。


「もちろん、君が望むのなら僕はいつだってシリアスだろうが野獣だろうがなって見せるさ」

「え? え? え?」


 さっと手をとられて引きつけられ、肩を自然に抱き寄せられる。眼前にあるのはパトリックの憂いを秘めながらも真剣な眼差し。


 う、動きにそつがないわこの子!

 私はいつの間に抱き寄せられているの!?

 密着、密着、密着。近いです。密です密!

 あわあわあわ……!


「僕はね、つるぎは振るわれてこそ、その美しさを最大限に魅せられると思うんだ」


 なんかポエミーな事をパトリックが言っているけれど、私はそれどころじゃない。彼のチョコレート色のお肌が目に眩しくて、心臓バックバクだ。


「君と闘ったあの日から、僕はその剣の美しさに夢中さ」


 おっけーレイナ、少し冷静になりましょう。これってもしかしてすごく口説かれている? 口説かれていない? 口説かれている!?


 嘘うそウソありえないわ、だってパトリックのヒロインはアリシアじゃない。こ、これはパトリック流の冗談よ……そうよね!?


「戦場を彩る炎の煌めき、困難を切り開く鋼の意思、そして時折見える可憐さ。君は間違いなく最上だ」


 おっけーレイナもう一回冷静になりましょう。今は密着しているパトリックの体温を感じちゃだめ。吸い寄せられる瞳も見ちゃダメ。


 まずパトリックが好きなのはアリシアよ。それは間違いないわ。そしてさっきからパトリックは剣がどうのこうのと言っているわね。そして昔の決闘の事も。つまりこれは遠回しな再戦要求じゃないかしら?


 きっとそうですわ、そうに違いないわ、そうに決まっていらっしゃるのお嬢様三段活用。


 でもマズいわね。お互い専用の魔導機がある今、ルークとの時みたいに模擬戦を申し込まれたら断れない。私的にはあまりしたくないのだけれど……。


「僕はまるで太陽の様な君という光に魅入られた」


 パトリックがまた一段と私を抱き寄せる。二人の吐息が交わりあう。香水なのか、薔薇の様に甘い香りが私の嗅覚をくすぐる。良い感じに鍛えられた胸板のたくましさと、筋肉のしなやかさを感じる。


 あわあわあわ、近い近い近い! 良い匂いがするし体温が生々しい! これは本当に再戦の申し込みなのですか!? そうなのですか!?


「……いいかい?」


 ――何が!?


 近づくパトリックの綺麗なお顔、冬の寒さの中余計に温かく感じるパトリックの体温。バクバク鳴っている心臓の鼓動がパトリックに聞かれていないか心配しながら、私は瞳を閉じた――。


 ……。

 …………。

 ………………あれ?


 想像していた感触が唇にやってこない。というか、なにか近くの木の影から獣のような威圧感を感じるような……?


「父上!」


 パトリックは私を離すと、腰から剣を抜き放ち一閃。木を切り倒した。おお、お見事な腕前。


「何をするパトリック、危ないだろうが!」

「何をなさっているんですか父上!」


 木の陰に隠れて威圧感を放っていたものの正体、それはアデル侯爵だった。どうやら熊の様なその巨漢を一生懸命に縮こまらせて、木陰から見ていたみたいですね。


「パトリック! 男なら接吻せっぷんのひとつやふたつさっさとせんか!」

「そういうことを言うのはやめてください父上! ムードが台無しです!」


 うーん、なんか言い合っているみたいだけれど、私には関係ないかしらね。喧嘩するほど仲が良いってよく言うものよ。


「怪我人はさっさとベッドにお戻りを! 母上との時はどうだったのですか!?」

「そんなもの勢いよ。武門の重鎮たるアデル家に迷いなんぞ不要! わっはっは!」

「父上に聞いた僕が愚かでした……」

「何だと!?」


 親子の言い争いは、アデル侯爵がベッドにいないのに気がついて飛び出してきた使用人たちが止めに入るまで続いた。結局パトリックが実際何をしようとしたかうやむやの内に終わっちゃったけれど、私的には親子の仲がよろしいようで花丸ですわ。オーホッホッホッ!


「わっはっは!」

「あーもう、父上!」

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