第31話 もう一人のオレ

 前書き

 今回はライナス視点です。 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 絵を描く時に、最後の一筆いっぴつが一番緊張する。その一筆で失敗すると、絵全体がダメになったような気がする。まるで、それまでの努力が否定されるように――。


「――よしっ。これで完成だ」


 完成したのは次のコンクールに応募する絵。


 十歳の時に初めて絵を描いて以来、オレの絵は数々のコンクールで受賞してきた。オレ――ライナス・ラステラの経歴は、絵を描くものにとって申し分ない経歴と言えるだろう。だが――。


 部屋の一番良い所に飾ってある、オレが初めて描いた絵に目をやる。オレは成長したはずだ。だが、あの絵に及ぶものをオレは描けていない。


「気分転換に王都にでも行ってみるか」


 普段画材は出入りの御用商人から買っている。だが、王都には多くの画材をそろえた専門店が並んでいる。たまには自分の目で目利きして手に入れるのもいいだろう。



 ☆☆☆☆☆



「あっ! ライナスじゃない!」

「レ、レイナ!?」


 いくつか画材屋を回ったところで、思わぬ人物に遭遇した。てっきり自領にいると思ったが、王都に来ていたのか。


「ここで何していたの?」

「ああ、画材を買いに来たんだ。レイナはどうしてここに?」


 ここは画材を始めとした職人が使う道具をそろえた店の多い通りだ。レイナに会うのは正直意外だ。


「暇でね! ついでにお料理の道具を見とこうと思って。あっ! エンゼリアの推薦状きたの?」

「ああ、きたぞ」


 もっとも、魔法よりも芸術の特異性を加味されてだがな。ライナス“も”と聞くあたり、当然レイナにも推薦状がきたのだろう。まあ当然の話だ。彼女の魔力は想像を絶する。


 オレは君に相応しい立派な貴族に成れただろうか? 君はいつも一歩先を歩んでいる気がする。


「レイナ!」

「ひゃ、ひゃい!?」


 いつだったかと同じように壁にドンと手をついてレイナを見つめる。

 正直結構恥ずかしい。でも、時には強引に……。


「今からお前を描くから一緒に湖に行くぞ」

「はい、行きましょうライナス。ちょうど暇だったんですの」


 あ、あれ? 今回は普通に誘っても良かったのか?



 ☆☆☆☆☆



「わー! 王都の近くにこんなに立派な湖があったのね! これは絵になるわね」

「そうでしょう! きっとここなら素敵な絵が……このオレが選んだのだから当然だろう」


 レイナの前だとどうしても昔の“ボク”が出てしまう。弱い自分から変わったはずなのに。


「土よ! 《造形》せよ!」

「まあ、土が椅子の形に。そう言えばライナスの得意属性は地だったわね」

「そうなんで……そうだ。土や岩で形作る《造形》の魔法だ。さあ座れ」

「はい! 可愛く描いてくださいね」



 ☆☆☆☆☆



 湖の青、空の青、そこに映える輝くようなレイナ。描くべき線は? 使うべき色は? キャンバスという広大な海の中をオレの筆は彷徨う。この美しさを、世界の美しさを表現したい。だから絵を描いている。なのに、どうして……。


「――ナス」


 オレはどうすればいい。スランプというやつだろうか? 最近のオレは迷っている。まるで暗い海の底の様だ。


「――イナス」


 受賞はしている、だがオレは納得してはいない。彷徨う筆は答えをくれない。このキャンパスを泳ぐすべを教えてはくれない。オレは本当に強くなれたのか?


「ライナスってば! 聞いているの?」

「――っ! あ、ああすまないレイナ。考え事をしていた」


 思索の海におぼれていたオレは、レイナの声で現実へと戻った。レイナは心配そうな顔でオレを見つめていた。


「深刻な顔で一体何を考えていたの? 何かお悩み? 絵の事は私にはわからないけれど、ちょっと話してみてくれない?」

「いや、これはオレの問題――」


 確かにこれはオレ自身の問題だ。だが、オレ自身の手でこの問題は解決できるのか? レイナはかつてオレを変えてくれた。彼女に相応しい男になるために、ここはもう一度彼女の意見を聞くべきだろう。オレはそう決断して、彼女に尋ねた。


「なあレイナ」

「なんですか、ライナス?」

「オレは昔から少しでも変われたか……?」

「ええ、変われたと思うわ。あなたの思い描いていた強い貴族にあなたは成れたわ。ただ――」


 ――ただ?


「ただ、私は昔のライナスも良いと思っていたわ。確かに最初は驚いたけれど、あの丁寧で真面目なライナスにも良い所はいっぱいあったもの」


 彼女にそう言われて、ハッと気づく。オレは弱かったころの“ボク”を封印しているんじゃないか、と。


 オレが最初に描いたレイナの絵は、「可憐さの中にも力強さがある」「優しげであるが明るくもある」といった二面性が評価されていた。オレは力強さにこだわりすぎるあまり、いつのまにかボクの中の優しさを封印していた。半分の人間じゃ自分が納得できる物を描けない、描けるはずもない。


「レイナ、どうやらオレは大事なことを忘れていたよ」

「でも、今は思い出せたのでしょう?」

「ああ、レイナのおかげさ」

「大丈夫。きっと素晴らしい物が仕上がると思いますよ。自信を持ってください」


 あの時と同じようにレイナはボクに前へと進む勇気をくれる。もうキャンバスの海で筆が彷徨うことはない。オレは心に従って、オレが美しく感じたものを表現するだけだ。



 ☆☆☆☆☆



「自領に帰ってしまうのですか? 明日も暇だから一緒にお出かけしようと思いましたのに」

「すまない。今のオレの感性を仕上げたいんだ。時間が惜しい」


 夕方。湖を夕日が照らし世界をオレンジ色に染め上げる。レイナと明日会えないのは残念だ。けれども彼女がもう一度くれた勇気をオレは――ボクは形にしなければならない。


「ねえ、ライナス」

「なんだ、レイナ?」

「これって私たちの初デートかしらね?」

「――っ! デ、デート……!」

「ウヒヒ、照れて赤くなっちゃって。やっぱりあなたはあなたよ、安心しなさい」

「ち、違う。これは夕日だ!」


 彼女はいつもオレの一歩先にいる気がする。だが今は、そうオレをからかって笑う彼女の顔も赤いことに満足した。


 王子でもなく、他の貴族でもなく、必ずオレが彼女の隣に相応しい男になってやる。



 ☆☆☆☆☆



☆魔法

 世界や神に働きかけて超常的な力を行使する――とされている。火、水、地、風、光、闇の六つの属性があり、その中から一つが得意属性となる。

 先人たちによりある程度体系化されており、初級、中級、上級、そしてそれ以上に分類されている。なお闇は単なる一属性で、ノットイコール邪悪な魔法である。

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