第14話 ライナス最初の一歩

 前書き

 今回はライナス視点です。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ボク――ライナス・ラステラは、幼い頃から美術品、芸術品という物が好きだった。

 美術品に触れていると、国や時代を超えて制作者アーティストの心と対話しているようで不思議な気分になる。その時の喜び、悲しみ、あるいは怒り。芸術はその一瞬を記憶する。


 そんな美術品の中でも特に絵画かいがが好きだ。素敵な絵画は何時間でも、いつまででも見ていられる。


 ボクの父であるラステラ伯爵が美術品に造詣ぞうけいが深く、幼い頃から家のギャラリーで目が養われたことも大きいだろう。


「ライナスは本当に絵が好きだな。自分では描かないのかい?」

「来年は挑戦してみようと思います。王領のひまわり畑、あれを題材にしようかと」

「そうか、楽しみにしているよ」


 我がラステラ伯爵領近くのひまわり畑。夏になると見られるあの美しい光景を最初に描くんだと心に決めていた。


 ――果たしてその時が来ることはなかった。

 冬の間にそのひまわり畑は、魔導機の演習場になったからだ。



 ☆☆☆☆☆



 年が明け、ボクは激しく落胆していた。

 今年は大事な会議が我が領で開催されるのに、元々引っ込み思案だった性格がさらに悪化した気がする。


 かといって他の物を描く気にはならず、いよいよ西部諸侯会議の日となった。

 その初日、レンドーン公爵家のご令嬢から到着そうそうに挨拶をしたいとお申し出があった。


 レンドーン家のご令嬢レイナ様と言えば確かボクと同じ年だったはずだ。もしかしたらボクと友達になってくれるかもしれない。そう思ったボクは、会うので待ってもらうようにと使用人に伝えた。


 噂によるとレイナ様のご勘気をこうむった者は魔法で吹き飛ばされると言う。少し怖いな……。



 ☆☆☆☆☆



 心の準備をするのに手間取ってしまった。

 ボクは深呼吸をするとコンコンとドアをノックし、中から「どうぞ」と返事が聞こえたので入る。


「あ……、あの……、初めましてレイナ様。ライナスです」

「名乗る時はちゃんと名乗りなさいな。私はレイナ・レンドーン、レンドーン公爵の長女です。年は十歳」

「は、はいぃ! ボクはライナス・ラステラ。ラステラ家の嫡男で、年はレイナ様と同じく十歳です」


 これがレイナ・レンドーン様か。お美しい。それが偽りざる最初の感想だった。


 やや高圧的であるように感じたが、貴族の子弟にありがちな傲慢さとは違う。自信と誇りに満ちた態度だ。


 そう、僕が目指している貴族像のような。


「年も一緒だし、あの……、仲良くしてくれると嬉しいのですが……」


 そうだ。こんな素敵な人と友達になれたら、ボクも変わることができるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていたら――、


「――じゃない」

「え?」

「違うじゃない! もっとこうグイグイこないと!」

「うわああああ!」

「お嬢様!? おやめくださいレイナお嬢様!」


 ――ボクはレイナ様に首根っこを掴まれて、激しく揺さぶられていた。



 ☆☆☆☆☆



 事件から二日、会議は三日目。

 あれからすぐにレイナ様のお父上であるレンドーン公爵や、その弟である叔父のレオナルド様が謝罪に来られた。


 あの王国の金庫番レンドーンがラステラ伯に弱みを握られたと噂も立ったけど、ボクの父上は今回の事件を政治的に利用するような人物ではない。


 すると今度は、ラステラはレンドーンの軍門に下ったという噂が流れた。

 人は勝手だ。ボクの心を癒してくれるのは美術品だけだ。


「レイナ様のあれは何だったのだろうか……?」


 ボクの態度が気に入らなくて癇癪かんしゃくを起された?

 それは違うと思う。あの聡明そうなお方がそのようなことをするわけがない。ならばなんだ?


 ――ボクの貴族としての自覚に不満を持った?


 レイナ様は普段、あの優秀なディラン第二王子や魔法の天才トラウト家のルーク様と交流を持っているという。彼等と比べて貴族として不適格なボクに喝を入れようとしてくれたのではないか?


 そうだ。そうに違いない。

 ならば話は早い。レイナ様にお会いしなければ。


 ☆☆☆☆☆



 夜に淑女の部屋を訪れるのは不作法ぶさほうだと思うけれど、いてもたってもいられなかった。

 部屋の前に着き、一先ひとまず深呼吸。コンコンとノックする。


「こんな夜更けに、何か御用でしょうか?」


 出てきたのは鋭い美貌のメイドさんだ。


「こんばんは、ライナス・ラステラです。レイナ様に取り次いでもらえますか?」

「――! ええ、少々お待ちください」


 ボクの姿を見て驚いたメイドさんはレイナ様と二言三言やり取りした後、ボクを部屋の中に招き入れた。


「こ、こんばんはレイナ様。ライナス・ラステラです」


 レイナ様はボクの姿を見てひどく動揺された。そんな彼女に、ボクは貴族としての心構えの指導をお願いした。レイナ様はしばし考え込んだ後、了承してくれた。


「わかりましたわライナス様、このレイナ・レンドーンにお任せください。ライナス様をきっと力強い貴族の男に変えて見せますわ」

「……はい! よろしくお願いしますレイナ様!」



 ☆☆☆☆☆



「おはようございますライナス様。では、さっそく講義を始めたいと思います」

「はい。よろしくお願いしますレイナ様!」


 翌日から早速レイナ様のご指導は始まった。

 それはボク――いやオレの意識改革を強く求めるもので、言葉遣いや態度をがらりと変える必要があった。


 慣れない事に悪戦苦闘するオレを見かねたのか、レイナ様はお散歩に連れ出してくれた。

 レイナ様のエスコート、ボクに務まるだろ――いやこのオレが務めて見せる。



 ☆☆☆☆☆



 散歩の中でオレは、レイナ様をギャラリーにご案内することを決めた。そこはラステラ家の中でオレが一番気に入っている場所だ。レイナ様も気に入ってくれるといいな。


「うわあ! これは立派なギャラリーですね!」


 彼女はその破天荒なお噂に反して、芸術を嗜む教養と知性を備えた方だった。やっぱりボクの見る目は正しかった。


「ところでライナス様は絵を描かれないのですか?」


 彼女の質問に僕はドキリとした。自分でも今一歩、踏ん切りがつかないことだったからだ。


「ねえライナス様、絵を描いてみてくれませんか?」


 続く彼女の提案はボクを驚かせた。

 彼女が言うには、これも指導に関係があるという。ボクは心の中が見透かされている思いだった。


「レイナ様がそう仰るのなら……。でも題材は何にしましょう?」


 あのひまわり畑ほど心が揺さぶられる題材をボクは見つけてはいない。

 ――少し考える。目の前のご令嬢は、あのひまわり畑に勝る題材ではないかと。

 この気高さ、美しさを絵で表現できるなら、きっと素晴らしい物になる。


「そうだ、レイナ様を描くというのはどうでしょう?」

「私をですか!?」


 レイナ様はすごく驚かれていた。謙虚なお方だ。


「レイナ! オレが描いてやるんだから感謝して受け入れろ。お前に拒否権はない」

「ひゃ、ひゃい!」


 なるほど。時には勇気を出して強気に出るのも大切なんだな。

 こうしてオレの絵画挑戦が始まった。



 ☆☆☆☆☆



「動かないで」

「は、はい!」


 レイナ様は素晴らしい絵の題材だが、この方はじっとしておく事が少し苦手のようだ。……そこがまた愛らしいのだが。


 四日目、五日目、そして六日目。一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、オレとレイナ様は打ち解けていった。初日の行き違いが、まるで何かの冗談のようだ。


「きっと素晴らしい物が仕上がると思いますよ。自信を持ってください」

「気休めでも嬉しいよ、レイナ」


 彼女の言葉はいつもオレを、いやボクを勇気づけてくれる。

 完成まであと少し。彼女の笑顔の為、そしてボクが変わるためにがんばろう。



 ☆☆☆☆☆



 七日目。会議は最終日。もう完成までは見えている。レイナには午前中まで付き合ってもらって、午後からはオレ一人の闘いだ。


「……まだ足りない」


 絵は一応の完成を既に迎えている。だがオレが描きたかったレイナはこんなものじゃない。

 もっと、もっと彼女を表現するのに手を加える必要があるだろう。


 刻一刻と時間は過ぎていく。一筋の汗が、額から頬を伝って落ちる。


『きっと素晴らしい物が仕上がると思いますよ。自信を持ってください』


 彼女の言葉が筆を振るう勇気をくれる。

 そしてボクは、ボクの人生の第一歩を踏み出す――。



 ☆☆☆☆☆



「――これで!」


 ついに自分が満足のいく物ができあがった。布をかぶせ、急いで晩餐会の会場である広間へと向かう。


「扉を開けて!」


 急ぐオレの言葉に、広間の入口にいた使用人が驚きながらも扉を開け放った。


「遅くなって申し訳ありません」


 そう言いながら乱れた呼吸を整える。伯爵家嫡男とあろう者、いかなる時も不作法はならない。


 真っすぐに前を見据えると父上と目が合った。貴族達の視線を感じるが不思議と怖くはない。今のオレを支配しているのは高揚感だ。


「ライナス、随分と遅かったようだが何か弁明はあるかい?」

「はい父上。皆さまに酒肴をと思い、これを完成させていました」

「では、それを皆さまに見せてくれるかな?」

「わかりました。ライナスの成果をご覧ください」


 振り返ってレイナを見つける。このサプライズの仕掛け人なのに少し驚いている様な表情だ。


(見ていてくれレイナ。君から感じた全てを注ぎ込んだ)


 意を決して、オレは話を始めた。


「ご挨拶遅くなりまして申し訳ありません。ラステラ公爵家嫡子、ライナスでございます。今宵私は、皆さまにお見せしようと一枚の絵を描きました」


 できることは全て行った。後は評価を受け入れるだけだ。


「私が初めて描いた絵です。忌憚きたんなき評価をお願いいたします。それでは」



 ☆☆☆☆☆



 宴の終わった大広間。

 先ほどまでの喧噪が嘘のような静けさの中、ラステラ家の使用人達が後片付けを行っている。


 果たして、オレの描いた絵は最大限の称賛をもって迎えられた。

 これほどの達成感はオレの――いやボクの人生で初めてだ。

 父上は一言、「素晴らしかったぞ」と言ってくれた。その一言に万の言葉を感じた。


「ライナス殿!」

「レンドーン公爵! お忘れ物ですか?」

「いいや。君の絵を直接称賛してはいなかったと思ってね。素晴らしい絵だったよ、思わずグラスを手から落としたほどさ」

「お褒めの言葉ありがとうございます。レイナを描くにあたって、不手際があってはいけないと思っていましたので」

「君の絵はレイナをよく描いていたよ。ところで……」

「はい、なんでしょう?」

「あの可愛いレイナの絵、いくらで譲ってくれるんだい?」


 そう問いかけてきたレンドーン公爵の顔は興奮していた。

 あれはオレの処女作だ。レンドーン公爵には悪いが譲るつもりはない。


「言い値で買い取ろう。うちの一番良い所に飾ることを約束しよう」

「公爵閣下、お譲りするつもりは……」

「くっ……! ならば鉱山の利権なんかはどうかな?」

「はぁ、公爵様……」


 ……王国の金庫番も娘には大層甘いようだ。



 ☆☆☆☆☆


 翌朝、もうレイナは自領に帰る。帰ってしまう。


「レイナ!」

「ライナス! どう? もう自分に自信はついた?」


 うん。君のおかげで人生の一歩を踏み出せたよ。


「レイナ……」

「何、ライナス?」


 名残なごり惜しい。ずっと側にいてほしい。でもそういうわけにはいかない。今は――


「レイナ、お前はオレの物だってことを忘れるなよ!」


 今はこれが精いっぱいだ。恥ずかしさに赤くなるけれど、今はこれが精いっぱいの思いだ。


「ウヒヒ。ライナスったら私を驚かせようとして言ったけれど、自分が恥ずかしくなったのね!」


 レイナには軽くあしらわれてしまう。


「それじゃあね、ライナス。今度はレンドーン領に遊びにいらっしゃい。お菓子を作っておもてなしするわ」

「必ず行くよレイナ! 近いうちに、必ず!」


 必ず行くさ、君に会いに。必ず成るさ、君に相応ふさわしい立派な貴族に。

 そう静かにボクは、オレは心に誓った。

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