幕間 魔王が去った後で その1
時は少し前へと遡る。
ディロとアルファが串焼き肉を対価に冒険者ギルドまでの道のりを聞き出すことに成功し、その場を去ったすぐ後のことだ。
その場に残った薄汚れた身なりの中年の男は受け取った串焼き肉食べ終えた後、「ふう」と一つ息を吐いた。
「まったく、朝早くから随分と珍しいものを見たねぇ。魔族に魔物。あのお嬢ちゃんは一体なんなんだろうねぇ。少なくとも人族じゃあないとおもうんだけどねぇ?」
男は、腰掛けた道の端で自分に背を向けて去っていった三人組が進んでいった方向を興味深そうに見つめながら独りごちた。
「全く……。アレを見逃したことが上にバレちゃあ間違い無く怒られるんだけどねぇ。はぁ、間違いなくバレてるだろうし、おじさんには荷が重いよ……。まあ、随分と心の優しいお兄ちゃんだったからねぇ。それに、あのお嬢ちゃんとやるとなるとおじさんも本気を出さなきゃあいけないだろうし。まあ、しょうがないよねぇ……」
そんなことを呟き、男がわざとらしく「やれやれ」と首を横に振ったその時ーー。
ーーヒュゴオオオオオオオ!
と、まるで飛行機のジェット音のような大きく奇妙な音が遠くの方から聞こえてきた。
その音は段々男の方へ近づいてきたと思うと、丁度男の真上で止まった。
そしてその直後、信じられないことが起こった。
ーードォンッ!
なんと、発達した胸筋が特徴的な白髪オールバックの大柄な中年の男が空から降ってきたのだ。
容姿に見合う豪快な着地を決めたその男は、薄汚れた身なりの男に向かって口を開いた。
「本当だぞ、全く……。"パオロ"、貴様のやった行為は帝国への裏切りと認識されても文句は言えないのだが?」
低い声がその場に響いた。
決して大きくはないが、威圧感のある声だった。
しかし、空から大男が降ってくるという摩訶不思議な出来事が起きたにも拘わらず、街の人々は一切動揺していなかった。
動揺するどころか、「はあ、またか」といったような呆れた様子が伺える。
それは偏に、このルクハレの住人がこの光景に見慣れてしまったからに他ならない。
だが、なんでこんな奇妙な光景を見慣れてしまったのか。
それは、彼こそがこのルクハレを領地に持つ現領主様だからである。
ーーアルフォンソ・フィオリン辺境伯。
それがこの白髪の男の正体である。
ガスマン帝国の貴族は、公爵、辺境伯、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順で階級分けされている。
つまり、辺境伯とは貴族の中でも公爵の次に高い地位と権力を持つのだ。
唯一辺境伯の上の位である公爵も、皇帝の血縁である者がほとんどなのだからその爵位の凄さが伺える。
また、辺境伯には一つ特別な役割がある。
それは、国境の守護だ。
辺境伯とはその名の通り辺境を統治する貴族である。辺境であるということそれすなわち他国と隣接しているということである。
つまり、隣接する国と争いになった際に対応できる武闘派貴族でなければ辺境伯という役割は務まらないのだ。
加えてガスマン帝国に辺境伯は西と東に一人ずつの計二人しかいない。
大陸のおよそ半分を占める領土を持つというのに辺境を守護するものがたった二人である理由、それはその二人が圧倒的強者であるからに他ならない。
実力主義の傾向が強いガスマン帝国において、圧倒的な実力を持つ彼らは時に王族である公爵を黙らせることさえあるのだ。
つまり、権力と武力を併せ持つ大貴族、それこそが西の辺境伯アルフォンソ・フィオリンという男なのである。
「勘弁してほしいねぇ、アルフォンソくん。おじさんはいつだって帝国のためを思って行動しているよ?」
しかし、そんなアルフォンソの問いに対して薄汚れた身なりの男は無礼と言われても文句は言えないほどの気安さで返答してみせた。
それにも関わらず、アルフォンソが機嫌を損ねた様子はない。それどころかご機嫌そうに軽く笑みを浮かべている。
「久しぶりだな、パオロ。相変わらずこんなことをやっているのか」
先ほどアルフォンソが空から飛来した際は一切動揺しなかった街の人々が信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
それほどアルフォンソが気安く言葉を交わすというのは異様な光景なのだ。しかも、その相手は乞食である。乞食と大貴族という正反対の立場の二人が繰り広げる、夢でも見ているのではないかと疑ってしまうほどの光景に誰が驚かないでいられようか。
「そうだよ、アルフォンソくん。いつも言っているけどねぇ、偉そうにふんぞり返って命令しているだけじゃ見えないものがあるんだよ」
だが、彼は乞食であって乞食ではない。
ーーパオロ・パガーノ。
乞食のような薄汚れた身なりをしているが、これでも一応帝国貴族である。
爵位は伯爵。
だが、パオロが貴族としての義務や役割なんかを果たすことはほとんどない。
煌びやかな舞踏会なんて彼には無縁だし、そもそも領地にいることがほとんどない。決して大きくはない領地の運営さえ部下に任せている。
そんなパオロになぜ帝国は伯爵などという高い地位を与えているのか。
それは、彼もまた爵位を与えるに値する強者だからである。
「ふん。貴様の情報は陛下も頼りにしている。それすなわち貴様の奇行も意味のある行為なのだろう。だが、貴様の代わりに領地を運営させられている貴様の部下や、貴様に従っている領民を不憫に思っただけだ。それに俺に難しいことはよく分からん。俺にできるのは弱者を守ることだけだ」
アルフォンソの言うパオロの奇行、一応は帝国貴族であるパオロが何故乞食のような身なりをしているのか。それはパオロの考え方に理由がある。
パオロは「高い地位にいてはかえって見えなくなる闇がある」と考え、自分の領地に屋敷まで持っているにも拘わらず、乞食として帝国各地を放浪する変わり者なのだ。
大きな権力を持ちながら、低い身分の人々に混ざって生活するパオロのことを蔑む貴族も当然いるが、帝国皇帝であるサヴェリオはそんなパオロの帝国の平和を願う思いを信頼している。実際、パオロが手に入れた情報によって解決した問題も少なくないのだ。
「そうだねぇ。いくら陛下の視野が広いとはいえ、見落としはあるからねぇ。こんなおじさんでもあの方の助けになっているなら本望だよ。それと、アルフォンソくんはそのままでおじさん良いとおもうよ?アルフォンソくんが弱者を守ってくれているおかげで今日も帝国は平和なんだからねぇ」
パオロの言葉にアルフォンソ顔をしかめた。
「一応礼は言っておく。しかし、貴様に褒められてもそれほど嬉しくはないな」
「ひどいねぇ」
やり方は違えど帝国を支えている二人の会話は続いていた。
だが、ここで突然パオロは纏う雰囲気をそれまでのヘラヘラとしたものから真剣なものへ変えた。
「それでどうなんだい?"帝国十傑第九席"『巨砲』アルフォンソ・フィオリン殿。どうせ陛下には見られていたんだろう?」
そう問うパオロに、アルフォンソもまた真剣な眼差しで向き合う。
「当然だ。だが、とりあえず聞かせろ。貴様は
それだけで人を殺せてしまえそうなほどの眼光で問い返すアルフォンソとは対照的に、パオロは雰囲気を少しヘラヘラとしたものに戻して答える。
「"これ"をくれたから、それだけだよ。おじさんはねぇ、恩には恩を、仇には仇を返すべきだと思っているんだ。彼は魔族だけど、こんな醜い姿の乞食にも優しくしてくれた。仮にそれが偽善だったり、何か目的があったりしたのだとしても、その事実は変わらない。だからおじさんも、今回は無暗に攻撃するような真似は避けたんだよ。もちろん、彼が帝国にとって本当の意味で害になった時は容赦なく殺すからそこは安心してほしいねぇ」
パオロは手に持っていた串を指差して答えた。
アルフォンソはパオロのその返答を聞いて、少しだけ表情を柔らかいものに戻した。しかし、やはりどこか気に食わなそうな顔のまま口を開いた。
「俺にはわからんな。あの魔族も今は人間に化けていたが、裏ではどれだけの人間を殺しているのか分かったものではない。そもそも、陛下に魔族は全て殺せと言われているのだからそれに従えばいいではないか。だがまあ、貴様は元々そういう奴だったな。それを陛下が許している以上、俺がとやかく言う筋合いはないか」
アルフォンソは、「はぁ」とため息を一つ吐いた後、真剣な眼差しはそのままに言葉を続けた。
「さて、"帝国十傑第五席"『餓狼』パオロ・パガーノ。今回の沙汰を言い渡す。………………今回はお咎めなしだ」
パオロはそのアルフォンソの言葉に、思わず驚愕の表情を浮かべて聞き返していた。
「それはどういうことだい?流石に何かしらあるとは思ったんだけどねぇ……」
パオロの問いに、アルフォンソは淡々と答える。
「ああ、殲滅命令が出ている魔族を見逃した貴様には本来なら何らかの罰則が下るはずだったんだがな。今回は特例だ。最近話題になっている"殲滅"の迷宮を知っているか?『竜狩り』を討ち取ったあの迷宮だ。貴様が見逃したあの魔族はそこの迷宮主らしくてな」
「ほうほう……。結構彼は大物だったんだねぇ」
「そうだ。まあ本来なら一刻も早く殺すべき相手なんだが、奴は"新入り"の復讐相手だからな。"新入り"が力を渇望する目的としてもう少し生かしておけとのことだ」
パオロはそこで、納得の表情を見せた。
「なるほどねぇ。"新入り"というのは"クラウディア・ナルディエッロ"のことだよねぇ。彼女はそれほどの逸材なのかい?」
「ああ。潜在的な能力で見れば父である『竜狩り』を超えるらしいぞ。ずっと空席だった"第八席"が埋まるかもとのことだ」
「それはすごいねぇ」
"帝国十傑"。
たった一人で一軍に匹敵するほどの力を持つ百戦錬磨、一騎当千の豪傑達。
まさに、帝国の武力の象徴である。
パオロとアルフォンソも"帝国十傑"の一員である。
"帝国十傑第五席"『餓狼』パオロ・パガーノ、"帝国十傑第九席"『巨砲』アルフォンソ・フィオリン。
人は二人をそう呼ぶ。
「それじゃあ、俺は仕事があるから戻るが……一つ伝えておこう。近いうちに帝国は本気で魔族の殲滅に動くはずだ。恐らくだが、"クラウディア・ナルディエッロ"の成長がトリガーになるだろう。"十傑"全員の招集もあるかもしれん。貴様も何時でも動けるようにしておけよ」
「ついにかい?なるほどねぇ……。おじさん了解したよ」
人間種族最大にして最強の国ガスマン帝国。
その最高戦力である"帝国十傑"の一人と遭遇していたことを幸か不幸かディロはまだ知らない。
そして、ダンジョンから出ている間の様子を視られていたことも。
帝国は既に動き始めているのだ。
魔族の完全な殲滅を目指して……。
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