第13話 ガルプテン王国軍を迎え撃て その3

 ガルプテン王国最強の男『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロは、己が率いる軍の半数を失ったにもかかわらず冷静だった。


 (やはり悪い予感というのは当たるものだな……)


 そんな事を考えながら、彼は長い一本道を猛スピードで駆けていた。


 彼が体力を浪費するにもかかわらず猛スピードで駆けているのには理由がある。


 彼はガルプテン王国軍の中の誰よりもこの迷宮の事をよく見ていた。


 国の英雄であり、一流の戦士でもある彼は、ダンジョンの完全制覇を成し遂げた事も何度かあった。


 そんな彼がダンジョンの様相を見てダンジョンマスターに抱いた印象は、冷静で情報の大切さを知っていて、確実性を好み保険をしっかりと掛けるタイプだ。


 このタイプの魔王は、力任せの魔王や後先考えず数に頼る魔王より数段厄介と言えた。


 だからこそ彼は、先ほどの三つに分かれた階段は最終的には全て魔王の元に繋がっていると予想した。


 なぜなら、もし進んだ先が行き止まりであれば、自軍が劣勢になった時に援軍を送る事も、戦力差を見て自軍の兵の位置取りを変える事も出来ないからだ。


 そう、驚くべき事にヴォルフガングは、階段を降りた先に今まで一切いなかった魔物がいることも予想していたのだ。


 彼がその事に確信を持ったのは、階段前で思索に耽る中、迷路に仕掛けられていたトラップを思い出した時のこと。


 彼はあの大量のトラップが敵の実力を測るための物だと見抜いていた。


 あの迷路は非常に入り組んでいた。それこそ必要以上にだ。まるでこちらの戦力を分断させ、各個の実力を測る事が目的かの如く。


 ならばいるのだろう。その情報を渡すこれから戦う"何か"が。


 これらの予測と情報を踏まえて、これ以上被害を増やさないために彼が選んだ作戦は、自分一人で三つの道のうち一つを進み、いち早く部屋に到着することでそこにいる魔物を蹴散らし、他の部屋にいる魔物や魔王が控えさせている援軍を自分に引きつけることだった。


 そして彼は自分にはそれが可能だと予測した。


 全員で一つの道を進むより、数的有利が取れなくなっても三手に別れ、自分は一人で進み攻略した方が確実かつスムースだと判断したのだ。


 今頃他の道を進んでいるだろうフェリックスとカールはヴォルフガングの目から見ても優秀な部下だ。他の部下を任せても問題は無い。何より自分が一人でダンジョンを攻略して魔王の首を討ち取ってしまえばいい話。自分にはそれができるという自信もある。


 彼の考えは恐ろしいほどに正確だった。


 しかし、二点ほど考慮できていない点がある。


 一点目は魔物がいる部屋までの距離だ。

 これは、ヴォルフガングも階段を降り、道を駆ける中で気がついた。さすがに魔物がいるであろう部屋までの距離が遠すぎると。

 もしかすると、他の道も同じくらい部屋までの距離は遠いのかもしれない。しかし、それは楽観的な観測と言わざるを得ないだろう。戦闘が始まる時間をずらすことで、三つのグループを同時に相手取らないようにしていると考えるのが妥当だ。

 そうなると、既に他の道では戦闘が始まっている可能性が非常に高い。

 それでは彼の作戦は意味の無いものとなってしまう。

 無論、それは考え過ぎという可能性も無いわけではない。


 だがしかし――。


 (俺の悪い予感は当たるからな……)


 彼自身、自分の予想が当たっていることを半ば確信していた。


 余計な思考をせず、全員で一つの道に進むべきだったかと少しの後悔を滲ませながら彼はその大きな体に似合わないスピードで駆ける。


 そんな力だけでなく、知性にも優れたヴォルフガングであったが、彼は考慮できていないもう一つの点を未だ見落としていた。


 それは――。



 進んだ先にいる魔物が彼よりも強い場合だ。




 □



 ヴォルフガングは長い長い通路を抜け、漸く部屋に出ることができた。


 その部屋の様子を見たヴォルフガングは己の予想を裏切られることとなる。


 彼は、この部屋には無数の魔物がいると予想していたのだ。


 しかし、実際にいたのはたったの一体。


 雪のように美しい白い毛を持つ巨大な狼のみだった。


 予想外の光景に少しの間唖然とした後、ヴォルフガングは白狼に声をかけた。


「この部屋にいるのはお前だけか?俺も舐められたものだな。どうやら俺はここの魔王を過大評価してしまっていたらしい……」


 哀れみと嘲りの気持ちを込めて言った。それは決して返答を期待してのものではなかったが、この発言に応える声があった。


『舐めているだと?ふざけるな。主は貴様のことを最も警戒していたぞ。だから我が出てきたのだ。

 貴様の方こそ目の前に敵がいるにもかかわらず彼我の実力差すら見極められないとは……。どうやら主は貴様のことを過大評価していたらしい』

「これは……念話か!?」

『左様』


 ヴォルフガングは驚きを顕にした。なぜなら、念話を使える魔物など魔物の中でもひと握りしか存在しないからだ。

 それこそ土地神として祀られるような存在ぐらいなものだ。


 彼がかつて倒し、『竜狩り』と呼ばれる所以となったAランク相当の三頭の竜さえ、念話を使うことはできなかった。


 そこで彼は漸く気づく。目の前の白狼が静かに怒っていることを。

 そして、その白狼が放つ自分に勝るとも劣らない強者のオーラを。


 そう、その白狼――アインスは、大好きな主を馬鹿にされて怒っていたのだ。

 怒れるアインスが纏う雰囲気はまさに烈火の如し。


 一人と一匹の間は一瞬にして一触即発の状態になった。


 そしてついに、アインスの宣言を合図として戦いの火蓋が切られた。


『ゆくぞ』

「来い」


『《雷装ドナーリュストゥングナーゲル》』


 刹那、ヴォルフガングは腹部に焼かれるような痛みを感じた。

 事実、ヴォルフガングの腹部は焼かれていた。腹には肌が焼けたことでできた三本の線。その三本の線――爪の跡は微かに電気を帯びていた。


「ぐううううぅぅぅ!」


 一瞬だった。ヴォルフガングはアインスの攻撃を目で追うことすらできなかったのだ。


 先程会話を交した位置に再び戻っていたアインスは、美しい白い毛を逆立て、身体中に稲妻を纏っていた。

 纏った稲妻が放つバチバチという大きな音は、まるでヴォルフガングを威嚇しているかの様だった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

『ふむ、どうした。もう終わりか?たった一度の攻撃で随分と情けない様じゃないか。先程我に向けて張っていたのは虚勢だったわけか』


 ヴォルフガングの顔に悔しさが滲み出る。

 息を整えたヴォルフガングは、自分の相棒である竜の素材を使って作った大剣を眼前に構えると、アインスに向けて飛びかかった。


「舐めるなぁっ!《竜牙》ッ!」

『《雷装ドナーリュストゥングファング》ッ!』


 己の前に立ち塞がるもの全てを砕く竜の牙と、雷を纏った神速の狼の牙が激突した。



 ――ドゴォォォォォン!!



 その激突によって生まれた衝撃は、決して壊すことができないと言われるほど丈夫なダンジョンを揺らすほど。


「まだまだぁっ!《竜刃》!」

『遅いわっ!《雷装ドナーリュストゥングシュヴァンツ》!』


 ヴォルフガングが振るった横払いの剣を、アインスは雷を纏った尻尾で迎え撃った。



 ――ガギィィィィィン!!



 二つの刃が衝突した瞬間、今度はまるで鐘を打ち鳴らしたかのような高く大きな音が部屋に響く。


 ヴォルフガングの全ての攻撃を完璧に相殺するアインスも恐ろしいが、アインスのスピードについていき始めているヴォルフガングも恐ろしい。

 ヴォルフガングは今、正に人間の限界を越えていると言えるだろう。


 それほどまでに、この一人と一匹の打ち合いは速い。


 ガルプテン王国軍でヴォルフガングに次ぐ実力を持つフェリックスですら、この戦いを目で追うことはできないだろう。それどころか、何処で何が起こっているのかさえ分からないに違いない。


「《竜咆》ッ!」

『《轟雷ドナー》ッ!』


 ヴォルフガングは斬撃を飛ばし、アインスはそれを咆哮と同時に放った雷撃で打ち消した。

 その様はまるで、息吹ブレスの衝突のよう。


「ふぅ……ふぅ……」

『ふむ、なかなかやるではないか。もし我が、姿になる前に貴様と相対していたとしたら、負けていたのは我の方だったかもしれぬな』

「はっ……!もう勝ったつもりでいるのか白狼よ!少し気が早いのではないか?俺はまだ負けていないぞ?」

『ふんっ!威勢だけは大したものだな貴様は』

「なに……?」

『この我とここまで戦えたことに敬意を払い、我の本気を少しだけ見せてやろう。光栄に思え』

「ほざけっ!次の一撃でけりを付けてくれるっ!」


 ヴォルフガングが持つ大剣に、今まで繰り出したどの技よりも強い力が集まっていた。


 その様を見たアインスは、構えることも、力を溜めることもせず、ただただ何もせずに佇んでいた。


 ヴォルフガングはそんなアインスを不思議に思う。


「まさか、諦めたのか?」

『そんなわけがあるまい。まあ見ていろ。《加速ベシュロイニング・超越トランツェンデンツ》』


 アインスがそう呟くと、今までアインスの身体にバチバチと迸っていた稲妻は消え、代わりに白緑のオーラがアインスの身体を包み込んだ。


「だろうな、言ってみただけだ。白狼よ、名を聞いておこう」

『名だと?まあ、よかろう。我の名はアインス。のアインスだ。偉大なる主ディロ様の僕である。

 お前を殺す者の名だ。よく覚えておけ』

「本当に傲岸不遜な狼だ……。俺は、ガルプテン王国軍兵士長『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロだ。覚えておくといい」

『そうか、わかった。覚えておこう』


 名乗り合う。


 これは互いを強者と認めた一人と一匹の、静かだが最大限の敬意の払い方と言えよう。


「くらえっ!《滅竜斬》ッ!!」


 ヴォルフガングが放ったのは、彼の前方を埋め尽くすほど巨大にして強大な飛ぶ斬撃。


 これをまともに食らったならば、例え巨大な竜であっても一撃で真っ二つになるに違いない。


 それほどまでの威力を誇る斬撃がアインスの元へ飛来した。





 しかし、斬撃が通り過ぎた後、そこにアインスの姿は無かった。


 では、アインスは消し飛ばされてしまったのか。その答えは否である。


 避けていたのだ。回避不能と思われた斬撃を。


 その速度は先ほどの更に倍以上。


 《加速ベシュロイニング・超越トランツェンデンツ》とは、身体に迸る雷を更に凝縮し、より速さに特化させた状態で身に纏う技法である。


 魔力の消費が激しく、短時間しか持続できないものの、《加速ベシュロイニング・超越トランツェンデンツ》を使用している際のアインスの最高速度は光速に届く。


 それは正しく、神速を誇るフェンリルの本気であった。


『ゆくぞっ!』

「なっ!?」

『《稲妻を纏いしランペッジャメント・爪撃クラッツバウム》ッ!』


 瞬く間に後ろを取られたヴォルフガングに向けて放たれたのは巨大な雷の爪擊。

 その威力と速度は、最初にヴォルフガングが食らったものとは比べ物にならない。


 圧倒的なまでの力を持つ雷を前に、ヴォルフガングは己の死を悟った。


「ふっ、竜より強い獣とは、全く理不尽この上ないな……。すまん……クラウディア…………」


 それが、彼の最後の言葉となった。


 直撃した《稲妻を纏いしランペッジャメント・爪撃クラッツバウム》は、ヴォルフガングの細胞を焼き尽くした。


 こうして、ガルプテン王国の英雄にして超越者でもある『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロの生涯は、名も無き迷宮でその幕を閉じたのだった。


 そしてそれは、ダンジョンに攻め込んだ総勢三百のガルプテン王国軍の兵士が全滅したことを示していた。

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