Track.9-17「やめてください、可愛くないです」

   ◆



「もうすぐ……もうすぐだ……もうすぐ、あれが私のものになる……」


 その世界の最奥――心臓とも言える異世界のコア、それと同化した男は自らの世界が飲み込んだ情景を観測しながら呟いた。

 ガリガリと噛んだ爪はぼろぼろになっており、しかし噛み足らずに指先までをも尖った牙が穿つ。

 空いた傷口から溢れるのはどす黒く変色した、もはや血液とは呼べぬ何かだ。


「痛い……痛いぃぃひひぃ……だがぁ……これは糧。に至るための必要な犠牲ぃぃぃひひひひぃぃいひ」


 毒に侵されたように変色し瘦せ細って罅割れた皮膚は妖しく蠢く。

 それはもうただヒトの輪郭カタチを留めているに過ぎない。彼をもう、誰もヒトだとは断定できない――それほどに彼は変質してしまっていた。


 奪ったがゆえに侵された、霊銀ミスリルの拷問。それが彼の罪に対する罰。


「早く――早く、はやくはやくはやくはやくぅ――――」


 もうどれだけ待ったのか判らない。とは明らかに違う時の流れ、歴史の在り方に焦燥だけが積み重なった。


 真理の一端に触れ、届き、そして魔術師ワークスホルダーとしてその名を真理に刻まれた者は。

 たとえ時が戻ったとしても、必ず魔術師ワークスホルダーに返り咲く運命にある。


 だから彼は、このでは繰り返された直後にそうなった。

 引き戻された17年前が開始された直後に魔術師ワークスホルダーとなり、そして霊銀ミスリルに侵されたのだ。


 だから以前までのように、人の命と悲劇・惨劇を材料に芸術に勤しむことも出来ず。

 ただ自らが生み出した異世界と同化して他の世界を喰らうことで自らを永らえるしか無い――――そんな日々も、遂に終わりを迎える時が来た。


 森瀬芽衣と、四月朔日咲。


 その二人を喰らいさえすれば――


「ひひ……ひひひひひ……いひ、ひひっ、いひひひひひっ……」


 に想い焦がれる愉悦は痛みを凌駕する。

 彼は――――“無幻の魔術師”ゼフィラムワークスにして“惨劇の魔女”クルーエルウィッチたる孔澤アナザワ流憧ルドウは。


 飲み込んだ13人の命を喰らう為、異世界を操作して誘い込む。

 彼が待ち受ける、この世界の深淵へと。



   ◆



「――ちっ、分断されバラけたか」


 瞼を開いた芽衣の目に飛び込んで来たのは、まさしく“退廃”という表現が相応しい、朽ちた街並みだった。


 さらさらと堆積した白亜の砂地が本来そこにある筈の地面を覆い尽くし、所々から存在理由を失ってかしげた信号機が光を灯さないままに突き出ている。

 巨大なビル群の崩壊具合はまちまちで、ほぼ崩れ去って鉄骨の錆びた骨組みと化しているものもあれば、コンクリートの壁や天井を失っていないまま聳えるものもある。

 草花も、鳥も鼠も、そして人も。

 命と呼べる者は今しがた降り立ったばかりの彼らを除いて何一つない。


「どこかで合流できると良いが――俺たちは、二人か」


 コーニィドは未だ地面に下半身を預ける芽衣の傍まで歩み寄ると、優しく手を差し伸べた。

 わけが解らぬままその手を取り、引き上げられるがままに立ち上がった芽衣は改めて周囲を――ごくりと唾を飲み込みながら――観察した。


「……瞳術、行使できつかえるのか」


 その双眸に宿る霊銀ミスリルの輝きを察知したコーニィドは自らもまた【霊視】イントロスコープを両目に施すと、芽衣に倣い霊銀ミスリルの動きを把握する目で見渡す。


「……危険な世界だ」

「やっぱり、危険、ですか?」

「ああ――活性度ほぼ最高マックス霊銀ミスリルが半ば飽和し切ってる……常人なら一時間も持たずに異獣化アダプタイズってところだよ」

「……っ」


 コーニィドは芽衣の不安な表情にどうしたもんかと溜息を吐く。


(魔術はある程度使えるが、この様子じゃ魔術士じゃない――素人同然だ)


 思案するまでも無く、優先すべきは同じく飲み込まれた残り11人との合流――しかしそれまでにこの少女を単身守り切れるかと考えると、コーニィドは続く嘆息を我慢しきれない。


「あの、」

「ん?」

「……あたし、どうすればいいですか」

「どうすればって……」

「あたしに、今ここで出来ることを教えて欲しいです。あたし、異術士です。瞳術は“霊視”イントロスコープしか出来ないですけど、躰術なら【瞬発力増強】ジャッカルアジリティ【治癒力増強】ディーアヒーリング【跳躍力増強】ガゼルジャンパーは使えます」

「……異術は?」

「え?」

「君の異術は、どんな術か教えてくれ」

「え、あ、はい……」


 芽衣に告げられた【共鳴廻廊】シークレットシンパシーの能力を聞き終えたコーニィドは、思考を巡らせるために顎に当てていた手を解くと芽衣に正対して険しい顔つきのままで告げる。


「――何も無い」

「え?」

「今の君の能力から推察できる君に出来ることは、ここには何一つ無いよ。異世界侵攻に抗うっていうのは、それくらい残虐なもんだ」

「何一つ、無いんですか……」

「ああ。ただ、それでもある程度自分の身を守ることは出来る。俺のことは気にせず、俺を頼って、利用して、自分を危険から遠ざけるんだ。大丈夫――君は必ず、生きて元の世界に送り届ける」


 交差する視線。しかしコーニィドのそれに込められた力強い想いは芽衣には届いていなかった。

 芽衣はただ、その直前に言われた自分は無力だという突きつけられた事実に打ちのめされ、立っているのがやっとだった。


 無論、それが判らないコーニィドでは無い。しかし嘘を伝えれば傷つけ、最悪死なせてしまう結末もある。

 事実は事実としてきちんと捉え、そこから現状を打破する手がかりを探す――異世界攻略に何度も赴いているコーニィドはそれを知っているからこそ、残酷だろうと芽衣に事実を伝えたのだ。しかしそれすらもきちんと説明できるほど、コーニィドは理論的な人間では無く、どちらかと言えば感覚を重視する派閥だった。


 見方によってはモジャモジャしていると言える髪越しに側頭部をボリボリと掻いたコーニィドは、しかしふっと笑うとその微笑みを芽衣に見せつける。


「不思議な話、してもいいか?」

「え、あ、はい……」

「君のこと、?」

「えっ?……何で、ですか?」


 両手を腰に落ち着け、どこか懐かしむような目を虚空に泳がせたコーニィドは連ねる。


「……自分でも不思議だと思ってるんだ。でも、苗字で呼んだ方がしっくり来るんだよ――こう、森瀬、って」

「何ですか、それ」


 溜息交じりだが芽衣はほんの少し、ぎこちなく笑った。


「……可愛い笑顔だな」

「やめてください、可愛くないです」

「いや、正直な感想だよ――――それで、森瀬」

「……はい」


 呼ばれたなら呼ばれたで、芽衣もまた不思議な安堵感が胸に広がっているのに気付く。

 まるで、ずっと一緒に肩を並べてきた戦友と再会したような、命を預けられる信頼感。

 会ったことも無いのに再会したと思えたようなあの不思議な感触と同質の不思議な感情だ。


「残酷なことを言うけど、事実だから知っていてくれ」

「……わかりました。聞かせてください」

「……この異世界は、君と、そして君の友達を狙ったものだ」

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