Ⅸ;眩 耀 と 原 風 景

Track.9-01「あなたの名前は?」

 ゴォー――――ン――――

 ゴォー――――ン――――


 時計台の頂上、鐘楼に吊るされた大きな鐘が啼いた。

 それを見上げていた俺の身体は8歳で、見上げたそこは中庭だった。


「――何が、起きた?」


 分からない。解らない。判らない。ただ、何かが在って、何かが起きて、何かが変わった。

 つまりは何も分からないのだが、ただそのこたえはどうやら、俺の胸の奥深く――深層心理すら超えて遥か深淵、“虚数座標域”ブラックボックスに込められたこのに秘められているらしい。


『おい復讐者クローマーク、力を貸せ』


 滲む意思。この声の主を知らないし、“復讐者”クローマークという名称もよく分からない、そもそも何故こんなモンが俺の虚数座標域に捻じ込まれていたのかは知らないけれど――


「――今度こそ、アイされるんだろうな」


 虚数座標域そことは違う場所から沸き起こった想いを、俺はそのまま言葉に出した。

 この盟約はきっと、すごく大事なものだ。

 頭では理解できなくても、心がそう頷いている。


「……分かった。だからその日まで待ってろ」


 秘匿とざされた記録きおくに向けていた視線を切り替え、瞼を開く。

 眩しい太陽に手を翳した俺は、踵を返して庭園から城内へと戻る。


「コウ様、どうなされたのですか?」

「クロィズ――訓練をするぞ、ついて来い」

「はぁ――何があったかは分かりませんが、今日はいつになく意気込まれてますね。いいことです」


 もう、俺は8歳のヤンチャ王子に戻ってしまった。クロィズも同じだろう。

 ケイだってまだ3歳だし――――ケイ、って誰だ?

 レンカも――――俺、レンカとそんなに仲良かったっけか?


 それでも。


 失われた記憶の中で、俺たちは劇烈な冒険をしまくった。その果てには、悲劇と惨劇とが待っていた筈だ。

 そしてそれはまだ終わってない。これは、それを覆す物語だ。

 悲劇を喜劇で塗り潰す、そのための――――まごうこと無き、復讐劇だ。




   ◆



げ ん と げ ん


   Ⅸ ; げん 耀 と げん 風 景



   ◆




 あたしがその病院に救急搬送されたのは3月の終わりのことだった。

 119番通報で駆けつけた救急隊員があたしを連れて来たのだそうだ。

 目を覚ますともうカレンダーは4月になっていて、あたしはことの経緯を全くと言っていいほど覚えていなかった――――なんてことは無く。


「調子はどうですか?」

「どう、?……はい、大丈夫です」

「そうだよね、どうって言われても分からないよね。ひとまず声が聞けて良かった」


 白衣を着た物腰の柔らかそうな壮年の医師は、病室のベッドに横たわるあたしにそう言うと、手に持ったボードに挟んだカルテか何かに胸ポケットから抜き取ったペンを走らせ、「うん」とひとつ頷くとあたしに再び微笑みかける。


「取り敢えず手術は成功しました。君が助かってくれてよかった」


 カタン、とベッドの傍の椅子を引いて腰掛ける男性はにこやかな表情で自己紹介をした。


 あたしの手術をしたというその医師の話を、未だ微睡まどろみの中にいるあたしはうまく聞き取ることが出来なかった。

 それでもどうにか、あたしが心臓の手術を受けたことと、少しの間目を覚まさなかったことは耳に入れた。

 そしてその医師が只管ひたすらに微笑みを絶やさずにいたことと、しきりに「助かってくれて良かった」「生きていてくれて良かった」と繰り返したことだけは何故かはっきりと覚えている。


 5分ほど話すと医師は病室から去っていった。

 あたし以外に人のいない病室で、徐々に鮮明になっていく脳裏は、意識を失うまでにあたしがしでかしたことを反芻してあたしの“死にたい気持ち”を甦らせた。


 自殺なんかしておいて。

 事切れる寸前で怖くなって119番とか、本当――――死にたい。死んでしまいたい。


 でもそんな気持ちを吹き飛ばしたのは。

 ガラリと開け放たれたスライドドアから入って来た――全身を包帯に包まれたおそらく少女。


「――間違えた」


 ぽつりと呟かれたその声音は甘く、それでいて地獄から聞こえる呻きのように重めかしい。

 包帯に隠れていない右の、淡い琥珀色の目があたしを貫く視線を投じて、そして彼女はゆっくりと踵を返した。

 白い病院の壁には、およそ腰から腹にかけての高さに手摺りが設けられている。それを掴み、弱弱しいけれど確かな足取りで立ち去ろうとする彼女の姿に、どうしてだかあたしは呼び止めたい衝動に駆られ――――声を、掛けてしまった。


「――あの!」


 ぴたりと停まる背中。ぎちぎちと錆び付いたロボットの駆動みたいな緩慢さで振り向いた包帯少女。そのおぞましくうとましい目つきに戦慄し、一瞬言葉を失ってしまう。


「……何?」


 やはりその声は怨嗟そのものだ。どうしてだか解らないけれど、彼女はきっと世界の全てを恨んでいる、そんな声音だ。

 そしてやはりどうしてだか解らないのだけれども――あたしは、その理由を知りたがっている。

 彼女が何に傷つき、何に憤り、何を呪っているのか。その全てを、出来れば彼女の口から明かしてもらうことを望んでいる。


「……あたし、森瀬モリセ芽衣メイ

「……あ、そ。で?」

「あなたの名前は?」

「何で教えなきゃいけないの?」

「知りたいから、じゃ、駄目?」

「は?――――バカじゃないの」


 ぷい、と振り返った首を戻して。再び背を向けた彼女はゆっくりと去っていく。

 ベッドの上に下半身を預けるあたしは――――それを、まじまじと見届けるなんて出来なかった。


「――っ!?」


 飛び跳ねるようにリノリウムの床に下りて、裸足のままで駆け寄る。

 手を伸ばし、立ち去ろうとするその手を掴んだ。勿論、手摺を握っていない方の手だ。

 引き戻し、強制的に振り返らせる。

 再び対面した包帯に包まれた顔は、驚愕と困惑に塗れていた。


「そうだよ。自分を殺そうとしたくらいバカなんだ、あたし」


 彼女が視線を落とし、引っ張るあたしの左手を見た。

 彼女には負けるも、立派に包帯ぐるぐるの腕先――何が立派かって言ったら、多分巻き立てで真っ白なところだろうか。


「――四月朔日ワタヌキエミ


 ばつっと手を振り払った彼女は、視線を合わせずにそう答えた。

 そしてそのまま、呆然としていたあたしを余所に扉の向こう側へと去っていってしまった。


 あたしと言えば。


 聞いたことの無い筈のその聞き覚えのある名前を。

 何度も、何度も何度も。

 頭の中で繰り返し、反芻していた。

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