Track.8-45「じゃあね、芽衣ちゃん」

 黒く束ねられたいくつもの死の奔流に、魔術士たちは果敢に立ち向かい、受け止め、ひなむーの異術で以て無力化させていく。

 すごい連携だ。ひとつひとつの歯車が見事に噛み合って凄まじい戦果を齎している。


 それを成し遂げたのが、この“結実の魔術師”スレッドワークス――糸遊愛詩、いとちゃんだ。


「大神さん、右から三つ来ます。間瀬さんは上空に広域魔術を――リニさんっ、触手で木場さんをっ!」


 皆の中心で指揮を取るのは、わたしみたく芽衣ちゃんにご執心の確か――鹿取心。右眼に装填した邪眼で未来を見通して、白い魔女となった芽衣ちゃんから溢れる死を効率よく捌いている。並列的に思考を回しているわけでも無いのに――方向性は違うけれど、才能の度合いで言えばいとちゃんみたく化け物レベルだ。


 ひなむーの異術によって吸収した膨大な霊銀ミスリルは、いとちゃんが張り巡らせた弦を伝って最終的にアッキーが無消させている。本当、奇跡的な連結だ。一体いとちゃんは、いつからこの奇跡を予見していたのか。これも“結実”スレッドの成せる業なのか。


 そしてそんないとちゃんは、わたしの目の前で泣きそうな顔をしている。そんな顔で問い質されちゃったら、正直に答えたくなっちゃうよ、わたし、幻術士うそつきなのにさ。


「教えて。何で、契約が完了してないの?」

「……言われちゃったよ。なんかさー、自然の摂理?真理に刻まれたルール?っていうので、同じ人に二度契約しちゃいけないんだってさ」


 血の気が引くように、青ざめていく可愛らしい顔。


「うん、まーでも屈服させるのは時間の問題だよ。準備整う頃には、本当、」

「嘘吐かないでよ」

「……幻術士うそつき相手に無理言ってんなよ」


 どうやらその様子だと、いとちゃんには分かってしまったみたいだね。まぁそりゃそうだろう。

 解が一つなら、“結実”スレッドはあらゆる疑問を解決できるこの上ない手段だ。


 わたしがどうやって言い逃れようか思案している間に、いとちゃんは解をどんどん得て、そしてわたしが何を考えているのか、どうしようとしているのかにたどり着いてしまう。


「……ねぇ、何で?」

「……何が?」

「折角、あの孔澤流憧を利用して18歳からも生きられる身体になったんだよ!?どうしてそんな選択するの!?」

「あー、やっぱあれいとちゃんの差金か。何となくそんな感じがしたんだよね。そもそもいとちゃんがいるのに、わたしの中にアレが潜んでるとか判らないわけ無いしね」


 いとちゃんには見えていたはずだ。あの場面で孔澤流憧がしゃしゃり出て、わたしから“無”と“無限”、そしてついでに慢性霊銀ミスリル中毒症を奪い取る光景を。そしてそれによってしか、わたしが17歳を越えてそれ以上も生きられる道は無かった、ってことだ。


 いや本当、すごいと思う。

 当の本人ですら諦めていたそれを、この子は逢って数ヶ月しか、成って数ヶ月しか経ってないって言うのに導き出した。筋肉もびっくりするくらいのワンストップソリューションだ。


 でもそれってつまり、いとちゃんの優先順位は、わたしのそれとは合致しないってことだ。そして――――


「いとちゃん。何度も言うけどさ、わたしの願いは」

「知ってるよ。森瀬芽衣の笑顔を見届ける、でしょ……」

「……ああ、……そっか。、っていうのは、なんだね」


 その円な目から、大粒の宝石みたいな涙が零れ落ちた。


 わたしですら勘違いしていたけど、わたしの“芽衣ちゃんの笑顔を見届ける”っていう願いは、ひとつのように見えてひとつじゃない。

 その願いは、“芽衣ちゃんに笑顔を取り戻させる”という願いと、“それまでわたしが生き延びる”という願いの、ふたつの願いを包括しているんだ。

 そしていとちゃんは“結実”スレッドを頼ってその願いを成就させるためにどうすればいいのかを訊ね、そして知った。


 その二つの願いは両立しない。


 だからいとちゃんは――わたしが生き延びる方を取った。だから、わたしの思惑通りにはことが進まなかった。


「いとちゃん、だったらわたしは芽衣ちゃんを選ぶよ」

「……三つ目のボタンは?」

「三つ目のボタン?」

「夷ちゃん言ってたでしょ……全員助かる、三つ目のボタン……」

「あー――――あれね」


 いつかいとちゃんに出した、2つのボタン問題。

 目の前に2つのボタンがあり、右のボタンを押せば大切な一人が死に、左のボタンを押せば知らない他人が100人死に、押さなければ10秒後に家族が死ぬ。

 その状況で、“結実”スレッドは単純に死ぬ人数の少ない右のボタンが正解だと導き出した。

 でもわたしは――全員が助かる、三つ目のボタンを創るんだって息巻いたんだっけか。


「ボタン――――創るよね?」

「当たり前じゃん。それよりクローマーク」


 静観を決め込んでてくれたのはありがたかった。そのモジャモジャ頭のイケメン王子様が訝しむ目をこちらに向ける。


「何だよ」

「力を貸して」


 イケメン王子が自慢のモジャモジャ頭を掻き毟る。いや、自慢かどうかは知らないけど。


「どうすりゃいい?」

「あんたの国の時計台――それを起動させる」

「はぁ?」

「細かいことは後!アリフ、状態は?」


 呼ばれたインドネシア人が呆れた溜息を吐きながらひとつ頷いた。


「コウ様の命令があれば、いつでも稼働できる状態です」

「だってさ。モジャモジャ、動かして」

「ちょっと待てよ、時計台を動かすって何だよ、俺、そんなの知らねぇぞ!?」


 おいおい。自分の国の秘宝だろがい――王子様が何で知らないんだよ。


「あー、端的に言えばあんたんとこの秘宝である時計台は、その内に時術の秘奥を込められてる。大方、戦争とか侵略とかでやばくなった時に発動できるようにしたんじゃない?」

「マジか?」

「大マジだよ。術の効果は“時流逆行”――あとは、言わないでも解るよね?」


 そう――――もう一度、時を遡って世界を過去に戻す。

 この17周目を最後にするつもりだったけど、四の五の言ってらんない。

 今度こそ完璧な形で、エンディングを迎えるんだ――――そのために邪魔なものを、除去する。


「おい、四月朔日夷」

「何でフルネーム呼び?」

「ちゃんと、お前の幸せも勘定に入れてんだろうな?」


 ああ、何でこいつらはこんなに――


「そのために信念とか吐いた言葉曲げてもう一周やろうって言ってんじゃん。くだらん手間取らせんなよ」

「……信じるぞ」

「煩いよ、自分の役目に集中しろ」


 漸く術から解放された流憧がぎゃあぎゃあ喚き出してきたけど、もう時間だ。


「――――“阿摩羅”、契約を交わそう。“無限”を頂戴」


 接続アクセスされた希薄な繋がりリンケージから流出する果てのない膨大な霊銀ミスリルの質量。わたしはそれを、起動し始めた時計台に流し込む。

 時計台は稼働し、モジャメン王子の唱えた起動式ブートワードによって秘めたる時術を解放していく。


 文字盤を模したような魔法円が展開され、歯車のような小さ目の魔法円がいくつも重なり、溶けていき――


 わたしは花道の中央で座ったまま、ただただ死をあふれさせている最愛の人を振り返り、眺めた。


 目が合う。視線が交差して、彼女は何かに気付いて、何かを言おうとした。

 でも距離が遠すぎて――そして発動した術が世界を巻き戻し始めたから、それは聞こえない。


「――――っ!」


 いとちゃんの、わたしの思惑に気付いた糾弾も。

 時計台の秘術が歪める世界の時流に飲まれた皆の苦悶も。

 術を発動させたわたしたちに追い縋ろうとする流憧の怨嗟の声も。


 何もかもが聞こえなくなり――――




 ――――そして世界は、18周目を始める。




 四月朔日夷わたしという存在を、欠いた状態で。




   ◆



げ ん と げ ん


   Ⅷ ; げん 滅 と げん 凶 ―――――Episode out.


 Last Episode in ――――― Ⅸ ; げん 耀 と げん 風 景



   ◆



「それがあなたの、三つ目のボタン?」


 ぐるぐると目まぐるしく遡っていく様々な光景を背景として。

 17周目を最後だと決めたあの時のように、彼女はわたしの前に現れた。


 常磐トキワ美青ミサオ――“時空の魔術師”クロックワークスにして、“羅針の魔女”クロノス・ウィッチ


 そして、わたしと芽衣ちゃんの、お医者さんせんせい


「救った未来にあなたの姿がどこにも無いじゃない」


 嘲笑う年齢マジ不詳魔女――あのさ、美魔女ってそういうことじゃないから。


「煩いなぁ――っていうかあんたら一体何やってたのさ」

「え?ちゃんと四方月家も久遠家も、何なら魔術学会スコラも聖天教団も総動員で溢れた死を抑えていたわよ?あのまま続けてても日付変わる頃にはどうにかなってたんじゃない?」

「うへぇ、マジぃ?」


 やっぱり上には上がいる。わたしたちにとっての驚異は、こいつら天上人にとってはちょっとした事件ぐらいなもんらしい。ああ本当、嫌になる。


「で?そこまでしたからには次はちゃんとうまく行くんでしょうね?」

「……うまく行くよ」

「あなたは手を出せないのに?」

「そう。だから、うまく行く――――だって邪魔なのは、わたしだったから」


 そうだ。

 わたしがいなければ、わたしの愛しい妹は死ぬことも無かった。

 そしてわたしがいなくなった後の一人分の座席には、芽衣ちゃんが居座る。

 わたしがあれこれ手を出さなくても――いや、手を出さなければ、何もかもがきっとうまくいく。


「……先生、あとよろしくね」

「私はあくまで医者として、彼女がまた運ばれてきたら面倒見るけど……そんな他力本願でいいの?」

「ははっ――先生、うち、仏教徒なんですけど?」

「浄土宗系じゃないんじゃない?」


 そして17年という時を逆行した世界は、徐々にその速度を緩め、停止し、再び順転し始める。


「もう行くね」

「行くって、どこに?」

「知らないよ。でも、真界ここにはいられないからさ」


 “阿摩羅”と二度目の契約を交わすための抜け道――わたしが四月朔日夷わたしである以上、同じ対象とは二度の契約を結べないと言うのなら。

 じゃあ、わたしは四月朔日夷わたしであることを棄てるだけ。わたしが誰でも無い誰かわたしになるなら、新しい契約を結ぶことが出来るってわけだ。


 だからわたしは、もう真界にはいられない。そこにわたしの居場所は何処にも無い。

 世界からわたしの記録は消える。誰もわたしを覚えていることも、思い出すことも無い。だってわたしはそこにいないのだから。


 それが、ただひとつの解。


「……先生、って何だろうね」


 きらきらと霊銀ミスリルで編まれた情報だけに分解されていくわたしの身体は段々と透き通っていく。


「異性を愛することが正しいこと?目が二つあることが正しいこと?生きている人を好きになるのが正しいこと?失敗したら諦めるのが正しいこと?」

「――――真理の全てに到達したら、解るかもね。誰もまだ、成し遂げた人はいないけれど」

「うっわ、きっつ」


 輪郭が失われ、色彩も無くなった。

 いつか視た“阿摩羅”みたいに、無の輪郭と無の色彩、無の質感を纏った無そのものになったわたしの表情は、ちゃんと笑顔でいられているだろうか。


 振り返るそこには、わたしがいないまま一人娘として生まれた咲の産声を上げる姿と。

 そして、わたしの代わりにちゃんと0歳から生まれてきてくれた芽衣ちゃんの姿。


「じゃあね、芽衣ちゃん――――咲と仲良くしてあげてね」


 嘘みたいに、嘘になっていくわたし。

 何もかもが、全部無くなっていく感覚。


 大丈夫。


 この感覚なら慣れている。

 寂しくなんて無い。全然平気。これまでも何度も味わった。


 ああ、消える。

 全部無くなる、無かったことになる。


 わたし、頑張ったよね。

 すごくすごく、頑張ったよね。

 誰も褒めてくれないけど、ちゃんと、やりきったよね――――






『本当にあなたは――――勝手にいなくならないでください。あなたの命を貰い受けるという、僕との契約はどうなるんですか』

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