Track.8-40「ちょっくら頑張ってくる」

   ◆



「クロィズ、魔を排す聖剣イゾルキスタを斬り込めるか?」

「結果は見えていますが……やってみましょう」


 鞭のようにしなって襲来する黒い奔流の一本に、和泉緑朗クロィズは斬りかかった。

 彼の持つ白い軍刀サーベルは煌めく軌跡を残して奔流を一刀両断にし、断たれた箇所から黒い奔流は霧散していった。


「駄目ですね……随分と刃がこぼれてしまいます」


 死をも断った聖剣は、しかし同時に死により刀剣としての寿命を縮められた。クロィズの見立てでは、あと数回斬り込めば聖剣は折れてしまうだろうと思われた。


「実果乃?」

「茜君……私、生き返っちゃったみたい」

「安芸さんっ!再会の喜びは解りますが後にしてもらえますかっ!」

「いや――オレ、そもそも今戦えねぇよ」

「大丈夫――その分、私が頑張るから」

「はぁっ?」

「生き返ったけど、死んでた時のことは無くなって無いみたい」


 芽衣の放った黒い奔流により過去を遡って死を覆された実果乃は、しかしその身の内に改竄されたままの霊基配列を有していた。それに意思を込めて霊銀ミスリルを流す方法もまた、その記憶の内に留まっている。


「すぅ――――こう、かな……“非実在性傷念”ファルスムファブラっ!」


 顔以外の表皮を黒く染めた実果乃は飛び出した。茜たちに向かい黒い奔流の一本が牙を剥いたからだ。

 両腕を交差させて奔流のその先端を受け止めた実果乃は、それらの“死”を触れた傍から霊銀ミスリルへと分解して吸収する――しかし、異骸リビングデッドであった頃ならいざ知らず、生きている存在である今はその行為は致命的だ。実果乃は魔術士で無いために、吸収した霊銀ミスリルはやがてその身を異形へと変質させる。


「ぐ、ぅ――っ!」


 その前に膨大な質量故に弾き飛ばされてしまったのは寧ろ僥倖だった。その身体を、咄嗟に立ち上がった茜はその身で抱き留める。


「やっぱ、ちょい、きついか……」

「無理すんなよ」

「するよ。だって私、ちゃんといけないから」

「実果乃――」


 茜も霊銀ミスリル欠乏により戦いには耐えられない状況だが、先程の天井上の戦いで急性の霊銀ミスリル中毒となっていた心は、しかしそんな身体に鞭打って動き続けていた。


「先輩っ!今、助けますっ!」


 降り注ぐ黒い奔流の嵐の中を掻い潜って肉薄しようとする機動はけれど精彩を欠き、漸くセンターステージへと降り立った頃にはそのあしが棒のように感じられた。


「くっ!」


 そこに目掛けて落下する脅威の奔流。避けきれないと歯噛みした彼女の身体を抱き締めて大きく跳躍したのは――大神景だった。


「大神さん!?」

「あんま突出すんなって。レディーファーストってそーゆーことじゃねぇじゃん?」

「ケイ!来てんならさっさと顔出せよ!」

「へいへい、人使いが荒いんだから……」


 そうしてセンターステージで合流した“復讐者”の三人。

 景は確かに魔術学会スコラに移送されたが、和泉緑朗クロィズが四方月家を通じて根を回していたのだ。


「――――ギャラリーが多すぎますね」

「お前、何をするつもり……?」


 夷から奪った“無”の力で存在感を無くし隠匿されていた流憧ルドウは、今度はその“無”を収束させて解き放とうと手を翳し――その肩口から寸断された。


「なっ!?」

「夷ちゃん、これ飲んで?」

「いとちゃん……」


 いつの間にか夷の傍にいた愛詩は、その手に載せた二粒の丸薬を夷の口に押し込んだ。吃驚した夷だったがどうにかそれを灼けた喉の奥に飲み込むと、丸薬は食道で溶けて即座に夷の身体中に染み渡る。


「これ……」

「うん。夷ちゃんがいつも飲んでたお薬を、無駄が無いように纏めてしたの。もう、大丈夫だと思う」


 夷が飲んでいた薬とは、朝食時にまるでシリアルのように深皿にじゃらじゃらと注いでいたアレに他ならない。愛詩の言葉をそのまま受け取るなら、あれだけの量が必要な薬を、たった二粒に凝縮させたということだ。


「大丈夫、って……え?」


 そこで夷は自身の身体の異変に気付いた。しかし同時に、喪失した右腕を復元させた流憧が憤怒の形相で嗤い上げる。


「小娘!私の狂宴を邪魔するなぁっ!」

「いえ、邪魔をしているのはあなたですよ」


 しかし愛詩は一切顔を向けず、興味が無いとでも言うように夷の介抱を続けている。その言動のひとつひとつは、確実に流憧の怒りを買っていく。


「でも、感謝はしています、“惨劇の魔女”クルーエル・ウィッチ。あなたがいなければ、夷ちゃんをこうして救うことも出来なかったから」

「はぁ?貴様、何を言って――――うごっ!?」


 唐突に湧き上がる嘔吐感に堪らず吐き出したのは、赤黒く灼けた泥のような土塊。夷の中にずっと潜んでいた流憧はそれを知っている。それが、霊銀ミスリル中毒により変質した自らの体細胞の成れの果てだと言うことを。


「これは――まさか!?」

「ええ、そうです。あなたは夷ちゃんの“阿摩羅”アマラとの繋がりリンクを奪ったつもりかもしれませんが、それと同時に、夷ちゃんの根源的な霊銀ミスリル中毒症をも奪っていたんです。だから夷ちゃんは同時に、長く苦しんでいた霊銀ミスリル中毒症から解放された」

「……本当に?」


 泥を撒き散らしながらも立ち上がった流憧に、センターステージの復讐者クローマーク三人や茜たち、そして怯える観客たちも気付き出す。中毒症により流憧が隠匿の魔術を維持できなくなったからだ。


「あなたがいなければ、夷ちゃんの18歳で死ぬ運命を変えられなかった。だからありがとうございます、孔澤さん。でも、それとあなたが赦せないのとは別問題です」


 しゅるしゅると糸が巻かれる音がして、気が付けば流憧の身体は複数の弦に絡めとられていた。


“天擁の繭”コクーンキャプチャー――」

「お、お前に、私が殺せるものか――いいぞ、この身を滅ぼしたなら、中毒になど侵されていない真っ新な身体で生まれ変わって、お前を私の作品のひとつにしてやろう」

「……私、あなたの殺し方なんかもう知ってるんです。現存する108の異界、その全てにあなたの等分された心臓がコアと融合して存在している。それら全てを、ひとつ残らず同じタイミングで潰せば――あなたは死ぬ。間違ってますか?」

「貴様、何故それを――っ!?」


 雁字搦めに囚われた流憧に向き合い、弓を構える愛詩は笑わない。


「――――答えがなら。“結実の魔術師”わたしには何だって解ります。さようなら、“異界表現者”。出来るだけ早く忘れますね」

「やめろ、やめろぉぉおおおっ!!」


 ダズッ――――異なる座標に位置する孔澤流憧の全ての異界で、同じ音が響いた。愛詩の弦により編まれた矢が、異界の核と融合した流憧の心臓を射抜いたのだ。

 それと同時に事切れた流憧の身体は脱力し、しぼんでいく――――一同が驚愕したのは、その“死”をも覆そうと、黒い奔流が立ち込めたからだ。


「マジかよっ!?」

「夷ちゃん、危ないっ!」


 倒れ伏す華奢で軽い身体を無数の弦で引き起こして飛び退いた愛詩は、遠く離れた柱ステージに降り立った。ゆっくりと地面に夷の身体を下ろすと、再動した流憧をキッと睨み付ける。


「まさかここまでとは思いませんでした……」

「いとちゃん、」

「夷ちゃん、大丈夫ですか?」

「……うん、身体は多分、大丈夫。今までみたいな気持ち悪さも、重さも無い。初めて自分の身体を得た、って感じ」

「うん、それなら良かった」

「でも、いまのわたしは本当に役立たずだよ。流憧あいつに全てを奪われた……“阿摩羅”アマラとの繋がりが無くなるくらいなら、霊銀ミスリル中毒なんて据え置きでも良かったのに……」

「大丈夫。無くなってなんか無いよ」

「え?」


 愛詩は夷の手を握る。夷の冷え切った指先に、愛詩の温もりが灯る。


「私が、送り届ける」

「――待って。それって、もう一度“阿摩羅”アマラと契約しろ、ってこと?無茶だよ、“阿摩羅”アマラの力が無い状態で、どうやって“阿摩羅”アマラと渡り合えって?」


 しかし見詰めるその顔は真剣そのものだ。夷は気付く。それしか方法が無いのだと。


「ごめんね、夷ちゃん……私にも、その方法は。でも、弦はそれでも、この選択を私に強いるの」

「――――なら、やるしか無いや」


 嘆息して、しかし夷は笑った。いつもの意地の悪い笑顔だ。悪事を企む悪魔のような――それでいて、天使のように可憐な笑顔だ。


「いとちゃんにそこまで言われたら――出来る気しかしない」

「うん。大丈夫、夷ちゃんなら出来るよ」

「でも、ちょっち時間は欲しいかなぁ――お願い、してもいい?」

「勿論――私、頑張るよ。だから、夷ちゃんも」

「うん、ちょっくら頑張ってくる」


 そして夷はその場に腰を落ち着け、結跏趺坐の形を取った。半ば目を閉じ、意識を虚空の彼方へと放り投げる。

 それを微笑んで見送った愛詩は真剣な眼差しを取り戻すと、振り向いてホール内を蹂躙し続ける黒い奔流の中心を見据えた。


 夷のように白く染まった、森瀬芽衣がそこにいる。ただただ佇み、死を奪っては死を増幅し続けている。


「――――もう少し、待っていて下さい。必ず夷ちゃんを、届けるから」


 告げて、弓を構えた。


 世界の終焉は、すぐそこまで来ていた。

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