Track.8-38「……必ず、迎えに行くから」

「では殿下」

「いい加減その“殿下”はやめろって。ここじゃ俺は王子でも何でも無い」

「失礼――では、コウ様」

「様もおかしいだろ」


 もにゅもにゅと唇を蠢かせ、苦い顔でクロィズ――もとい、和泉緑朗は俺を「航」と呼び捨てた。


「コウ兄のことは何て呼ぶべきかなぁ」

「いや、お前の場合はそのままでも通じるだろ」


 ケイ――もとい、景は会う度にだんだんと不思議な言葉遣いになっていった。順応力は高い方だと思っていたけど、変な方向に走り出している感じがあって不安だ。


「航君、私のが会社に興味あるんだって」

「あ、うちの兄貴もっす」

「そういうの全員連れて来い!」


 会社の名前は紆余曲折あり、“クローマーク株式会社”と決定した。

 その名の由来は、この世界に主に使われている言語で『幻獣、異骸、異獣、魔女は、絶対に正しく殺されなければならない』となる文章の、それぞれの頭文字を取って繋げた。奇跡的に『爪痕』という単語を意味する社名になったため、社名の由来は何ですかと問われた際に『魔術業界に爪痕を遺せるように』なんてうそぶくことが出来た。


 そんな物騒な由来を社名に秘めたのは、やはりどうしても時間の経過とともに、俺たちは復讐の念を忘れて行ってしまうからだ。

 社名を仰ぎ見る度に、俺たちは自分たちが“復讐者”だと言うことを思い出す。そして、その後ろ暗い想念とこの世界の恩恵に板挟まれ、どうすればいいのかわからない衝動に駆られる。


 もうあれから三年も経ったんだ。だって言うのに、俺たちはまだ一歩目すら踏み出せていない。

 毎日は楽しかった。この世界の人達は優しくて、暖かくて、まるで俺たちの世界の人達とそんなに変わらなかった。

 だから辛かったとも言える。いっそのこと、全て忘れて、放り出してしまえたら、なんて。


 それを出来なかったのは、連歌が倒れたからだ。


「連歌っ!」

「航、君……」


 原因は、俺が切り取ったあの世界の一片――宝物庫にあった。


「何で言わなかったんだよ!」

「だって……私、何も出来ないから……だから、」


 あの空間は、“世界”として存続するには小さすぎて、またそれが世界のコアを持たないがために、この世界に在り続けることでどんどんとこの世界に吸収されつつあった。

 それにいち早く気付いた連歌は、自らが世界の核となり霊銀ミスリルの供給を行うことで俺たちの世界を存続させていた。

 でもそれは、連歌が俺たちの世界にどんどん飲み込まれていくことと同義だった。


「私だって……私たちの世界の、守り人なの。復讐者クローマークの、一人なの」

「そんなの、当たり前だろ――っ」


 狼狽した俺の代わりに、緑朗が手段を探し出してくれた。

 俺が預けられた四方月家がその答えを持って来てくれた。


「封印する?」

「ええ、そうです。連歌さんの今の状態は、真界に飲まれようとする異世界を繋ぎとめるために一時的にその世界の核となっていることから起こっています。ですから無理やり連歌さんと異世界の繋がりリンクを切れば、連歌さんは助かるでしょうがあなた達の世界はすぐこの世界に飲み込まれ消失するでしょう」

「それが、何で連歌を封印する話になるんだよ」

「連歌さんをあなたたちの世界に封印することで、いえ――連歌さんのを制限することで、連歌さんの身体はあなた達の世界のコアであることに集中します。そうなればその異世界は安定し、また外から手を加えることにも耐えられるようになる」

「……もう、連歌とは会えなくなるのか?」

「それは判りません――あなたたちの世界が、より大きくなり自らコアを取り戻せば、或いは」

「どれだけかかる」

「……人の手を離れた死んだ世界デッドランドが自らコアを生み出すなんてことは聞いたことがありません」


 思わず、殴ろうとした手を止めたのは、連歌のか細い声だった。


「航君……聞いたことが無いってことは、前例が無いってだけでしょ?」

「連歌――でも――」

「大丈夫。私たちなら、出来るよ……だって私、まだ、王様のお妃様になってないよ?」

「連歌……」

「……待ってる」

「……必ず、迎えに行くから」

「うん」


 宝物庫という切り取られた空間、極小の異世界に連歌そのものを封じ込め、その異世界のコアとする――それ自体は、何ら問題なく事が進んだ。

 その世界に精通する一人の俺が方術士キュービストだったのが大きい。

 世界はひとつとして同じ速度スピード規則ルールで時間が進むものは無いらしい。だから、全てが終わって連歌を迎えに行った際――俺はもしかしたらお爺ちゃんになっているかもしれないし、連歌は今この時の姿のままかもしれない。逆かもしれない。


「――連歌、愛してる」

「うん。私も、愛してる」


 唇を重ねた。これが最後じゃないことを祈りながら。


 そうして連歌が封印されたこの宝物庫は、それまでこの真界に飲まれ続けたのとは反対の速度で大きくなっていった。

 これが露見されると感じた俺たちは、急いで組み上げた“転移門”ポータルの転移先にその座標を指定し、その接続アクセスを保ったまま仮想空間に丸ごと引っ越した。


 それは今でも膨張を続け、今では俺たちの王都の王城程度には膨らんでいる。国を象徴する時計台も完全に復元されたし、きっといつか、連歌の故郷であるエゼマキナ領も復元するだろう。それがいつになるかは判らないが。


 時計台の最下層、地下の宝物庫に行けばいつだって連歌に会えた。でもそこにいるのは、国の動力源である霊銀ミスリル結晶と同化して屍蝋人形のようになった彼女の姿だ。

 心はそこには無い――いや、心は、世界を取り戻すという形で存在している。ただ、意思の疎通が図れないだけで。


 心が張り裂けそうになる。この身をずたずたに引き千切ってしまいたくなる。

 もう何度も、何度も、そうしてしまいたい衝動に駆られて、辛くて仕方が無かった。


 それから五年が経った。会社も大きくなり、俺も一応の役職を得ていた。

 20歳になった景は相変わらずわけのわからない方向に染まってしまったけれど。

 クロィズはもう和泉緑朗になりきり、代表取締役常務という役割を全うしているけれど。


 俺たち四人が、復讐者クローマークであることを忘れたことは無かった。だからこそそれが、とても辛かった。

 俺に対して復讐の記憶を、あの世界の記憶を虚数座標域ブラックボックスに封じ込めるよう説いたのは龍月さんだった。確かにあの記憶は、この世界で生きるにはきつすぎた。


 そしてそれをした俺を、景は罵った。

 ああ、そうか。復讐の念に囚われすぎると、人はこうなるのか、と思った。その復讐の念がどんなものだったのか、記憶を封じ込めた俺にはもうよく判らない。

 でも復讐をしなければ、という思いは続いていた。黒い匣を、完全には閉じなかったから。蓋の隙間から滲み出る黒い意思が、俺を復讐に駆り立てた。だから俺は、復讐をしなければならないとは思っていた。


「航。根を詰め過ぎじゃ無いか?」

「常務――――そんなこと無いですよ。新製品の開発が楽しすぎて、ちょっと三徹しちまっただけです」

「……自分を、責め過ぎないでください」

「……常務ってたまに、変なこと言いますよね」

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