Track.8-30「――――悪ぃ」
「
空間が捩じられ、引き戻され、爆ぜ、縮み、境界線が引かれては隔たれ――それでも尚、夷の薄ら笑いを剝がすことすらままならず。
「うおおおおおおっ!」
茜の乱撃もまた、夷の身体から迸る
「――っ!?」
ぐらりと歪む視界、そして平衡感覚。空中で膝をつくと言う奇怪な状況に陥った茜は頸部から頭蓋にかけて走る激痛と全身を巡る倦怠感に歯噛みしながら夷を睨み付ける。
しかし。
「――
飄々と言い放つ夷の言葉すら、理解が追いつかない。
「だってアッキー、どーせろくに訓練もしてないんでしょ?そりゃそうなるよ、って話でさ――異術士は普通の魔術士に比べて、決まった術しか使わないから
「――は、ぁ?」
「“無”を根源としている以上、その力を使えば失われていく。まさか知らなかった?減るんだから継ぎ足さないと。ラーメン屋ならどこでもやってるよ?お店潰す気?」
「う――――ぐ――――」
全てが無に帰す以上、茜が行使のために意思を通した
魔術が行使されると、そのために意思を通された
茜も遺伝的要因の強い
ゆえに、彼女は“無”を行使しすぎて、体内の
しかし逆に疑問も生まれる。
四月朔日夷はどうだ――彼女もまた生まれつきの体質により
同じく“無”を根源とする力を行使するなら、夷もまた茜のように
「わたしはさぁ、きみと違って――――“無”だけじゃないから」
そう――夷が行使するのは“無”と、そして“無限”だ。前者は同じでも、後者を茜は持ち合わせていない。
簡単な話――先程彼女がそう言ったように、“減るのだから継ぎ足す”のだ。そしてそのために“無限”をも手に入れたのだ。
「いやー、それにしても思った以上に時間喰っちゃったな」
ザシュッ――ザシュザシュザシュザシュッ!
航の放った
「いいとこだからさ。ちょっと、黙ってて?」
「っ――!?」
四方八方から沸き上がった波動にたじろいだ航は、目を見開いたままで静止した。その薄皮一枚隔てた体内ではあらゆる時の流れが
時が流れない以上、航には動くことも考えることも出来ない。
「ようし――ああ、みなさんお待たせしてごめんなさいね。そろそろ魔女誕生させますんで」
にへらと観客一同を見渡して意地汚く微笑んだ夷は、そうしても尚可憐な表情のまま改めて上空へと舞い上がった。
地球の引力による影響を全く無視してふわりと浮かび、拍動を続けるもはや肉の塊のようになった
「うん――上出来上出来っ」
にこやかな笑み――しかしそれは、瞬く間に色を失っていく。
「――――は?何してんの?」
対照的に、彼女を包む空間は夥しいほどの赤色に染まっていた。
「
花道には、隠密の闇から這い出た芽衣の佇む姿があった。もはや痛みを感じないほど傷つきだらりと垂らした両腕からは、目を背けたくなるほどの流血が床に滴っている。
そしてそこから生まれ出た赤い蜉蝣の軍勢が夷を包囲し、一気に蹂躙したのだ。
「――は?――は?――はぁ?」
もはや“無”で払い去ろうという考えすら抱けないほどに昂った憎悪に駆られ、親友であり最愛である筈の人物を見下ろした夷は、先程まで表面を撫でていた右腕に力を込めて芽衣へと伸ばした。
「何してくれてんの!?」
ぐ――――
「っやめろぉっ!」
バキンッ――夷の行使した“無限の停滞”を
だから、いくら航本体の時間が停まっていようと。
方術
バチンッ――そして、音が弾けた。
弾けて、戦慄し目を見開いた芽衣の眼前に、大きな背中が立ち塞がる。
それと同時に強大な風圧が芽衣の身体を押して、メインステージのすぐ手前まで吹き飛ばした。
「ぐ――っ」
顔を上げて見た、大きな背中。
その背中から、射出された
相当な質量だ。血だけではなく、肉すらも爆ぜた。
しかし航は、その巨大な砲撃をその身体で食い止め、決して後ろには――芽衣には、届かせなかった。
ごぽ。
夥しい赤色が、航の口から溢れ出た。
それはどう目を凝らそうとも血以外の何ものにも見えず、俄かに状況を飲み込めない芽衣は我を忘れて叫びながら駆け寄ろうとして、三歩目で躓き、前のめりに激しく転倒した。
顔を上げる。
膝をつき、航は苦い顔をしながら胸部に手を当て、べとりと濡れた自らの掌を見下ろす。
嘘みたいに、紅い。
「――ゃだ」
最早痛みすらしない胸部の空洞に顔を顰めながら、航は芽衣に振り向いた。
「嫌だ――、――――っ」
ぼろぼろと大粒の涙を流しながら立ち上がった芽衣は、よろりと一歩、右足を踏み出したが、やはり前のめりに膝をついた。
空を切った、航に向けて伸ばされた左手は航のように紅く濡れている。
しかし、そこから赤い
「――――
最期にそう呟くと。
航は、全身の力を失ってその場に倒れこんだ。
倒れ伏したその後も、まだ血は流れ続けていた。
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