Track.8-30「――――悪ぃ」

“進撃する波動”リープインパクト!――“爆震”ブラスト!――“距離を見失う次元牢”ゼロ・ディスタンス!――“空間固定ソリディファイ物見櫓”スカッフォルド!」


 空間が捩じられ、引き戻され、爆ぜ、縮み、境界線が引かれては隔たれ――それでも尚、夷の薄ら笑いを剝がすことすらままならず。


「うおおおおおおっ!」


 茜の乱撃もまた、夷の身体から迸る霊銀ミスリルの奔流を食い止めることが出来ずにいる。


「――っ!?」


 ぐらりと歪む視界、そして平衡感覚。空中で膝をつくと言う奇怪な状況に陥った茜は頸部から頭蓋にかけて走る激痛と全身を巡る倦怠感に歯噛みしながら夷を睨み付ける。

 しかし。


「――霊銀ミスリル欠乏症。いやそれ、わたしのせいじゃないんだけど?」


 飄々と言い放つ夷の言葉すら、理解が追いつかない。


「だってアッキー、どーせろくに訓練もしてないんでしょ?そりゃそうなるよ、って話でさ――異術士は普通の魔術士に比べて、決まった術しか使わないから霊銀ミスリルの循環にあんまり気が回ってないんだよね。なまじ霊銀ミスリル汚染に強いってのもあって、呼吸が足りないんだよ」

「――は、ぁ?」

「“無”を根源としている以上、その力を使えば失われていく。まさか知らなかった?減るんだから継ぎ足さないと。ラーメン屋ならどこでもやってるよ?お店潰す気?」

「う――――ぐ――――」



 全てが無に帰す以上、茜が行使のために意思を通した霊銀ミスリルすら、無へと還るのだ。

 魔術が行使されると、そのために意思を通された霊銀ミスリルは普通、励起されて暴れ出す。それが蓄積されると起こるのが霊銀ミスリル中毒や霊銀ミスリル汚染であり、しかし異術士というのはすでに霊気配列に霊銀ミスリル汚染が置き、配列が固着してしまった成れの果てだ。

 異獣アダプテッド異骸リビングデッドがそうであるように、一度霊銀ミスリル汚染が発生した個体に新たな霊銀ミスリル汚染が及ぶことは極めて稀だ。無いことは無いが、そもそもその個体には霊銀ミスリル汚染に対する一定の耐性がつくからだ。


 茜も遺伝的要因の強い霊銀ミスリル汚染によって【空の王】アクロリクスという異術を受け継いだ。またその特性により非常に強力な霊銀ミスリル汚染耐性を有する彼女は、魔術士の呼吸によって霊銀ミスリルを循環させる、という訓練をしたことが無い。


 ゆえに、彼女は“無”を行使しすぎて、体内の霊銀ミスリルが枯渇してしまうという状態に陥った。普通の魔術であれば起こり得らないはずの状態だ、一体誰がそんなことを予測できただろうか。


 しかし逆に疑問も生まれる。

 四月朔日夷はどうだ――彼女もまた生まれつきの体質により霊銀ミスリル中毒に侵されているが、茜とは違って耐性はほぼ無く、また呼吸器系をやられているために魔術士の呼吸を実践できない。

 同じく“無”を根源とする力を行使するなら、夷もまた茜のように霊銀ミスリルの枯渇という状態に陥ってもおかしくは無いのではないだろうか――いや、それは違う。


「わたしはさぁ、きみと違って――――“無”だけじゃないから」


 そう――夷が行使するのは“無”と、そして“無限”だ。前者は同じでも、後者を茜は持ち合わせていない。

 簡単な話――先程彼女がそう言ったように、“減るのだから継ぎ足す”のだ。そしてそのために“無限”をも手に入れたのだ。


「いやー、それにしても思った以上に時間喰っちゃったな」


 ザシュッ――ザシュザシュザシュザシュッ!

 航の放った【氾濫する隔絶の奔流】シェイヴ・ディメンジョンが夷の身体を薄くスライスしていくも、夷は全く怯まず、そして全く留まらない。切り離された傍から癒着をして無傷に戻ると、天使を思わせるようなやわらかい笑みで遠くの航を眺めた。


「いいとこだからさ。ちょっと、黙ってて?」

「っ――!?」


 四方八方から沸き上がった波動にたじろいだ航は、目を見開いたままでした。その薄皮一枚隔てた体内ではあらゆる時の流れが停滞ストップしてしまったのだ。

 時が流れない以上、航には動くことも考えることも出来ない。


「ようし――ああ、みなさんお待たせしてごめんなさいね。そろそろ魔女誕生させますんで」


 にへらと観客一同を見渡して意地汚く微笑んだ夷は、そうしても尚可憐な表情のまま改めて上空へと舞い上がった。

 地球の引力による影響を全く無視してふわりと浮かび、拍動を続けるもはや肉の塊のようになった霊器レガリスの傍へと寄っては、その肉肉しい表面をざらりと撫でた。


「うん――上出来上出来っ」


 にこやかな笑み――しかしそれは、瞬く間に色を失っていく。


「――――は?何してんの?」


 対照的に、彼女を包む空間は夥しいほどの赤色に染まっていた。


“自決廻廊”シークレット・スーサイド


 花道には、隠密の闇から這い出た芽衣の佇む姿があった。もはや痛みを感じないほど傷つきだらりと垂らした両腕からは、目を背けたくなるほどの流血が床に滴っている。

 そしてそこから生まれ出た赤い蜉蝣の軍勢が夷を包囲し、一気に蹂躙したのだ。


「――は?――は?――はぁ?」


 もはや“無”で払い去ろうという考えすら抱けないほどに昂った憎悪に駆られ、親友であり最愛である筈の人物を見下ろした夷は、先程まで表面を撫でていた右腕に力を込めて芽衣へと伸ばした。


「何してくれてんの!?」


 ぐ――――霊器レガリスが傾き、魔剣の刀身であった矛先を芽衣へと向け――


「っやめろぉっ!」


 バキンッ――夷の行使した“無限の停滞”を抵抗レジストした航は吼える。


 固有座標域ボックスとは、魔術士の霊的座標に紐づけられた仮想空間に存在する。そこは現実では無い以上、現実とは異なる時間軸で物事が進む。

 だから、いくら航本体の時間が停まっていようと。

 方術【四式並列思考】クアッドシンクで複製した固有座標域ボックス内に存在する思考は魔術に対する抵抗レジストを続けていたのだ。


 バチンッ――そして、音が弾けた。


 弾けて、戦慄し目を見開いた芽衣の眼前に、大きな背中が立ち塞がる。

 それと同時に強大な風圧が芽衣の身体を押して、メインステージのすぐ手前まで吹き飛ばした。


「ぐ――っ」


 顔を上げて見た、大きな背中。

 その背中から、射出された霊器レガリスの矛先が貫き、巨大な空洞を穿った。

 相当な質量だ。血だけではなく、肉すらも爆ぜた。


 しかし航は、その巨大な砲撃をその身体で食い止め、決して後ろには――芽衣には、届かせなかった。



 ごぽ。



 夥しい赤色が、航の口から溢れ出た。

 それはどう目を凝らそうとも血以外の何ものにも見えず、俄かに状況を飲み込めない芽衣は我を忘れて叫びながら駆け寄ろうとして、三歩目で躓き、前のめりに激しく転倒した。


 顔を上げる。

 膝をつき、航は苦い顔をしながら胸部に手を当て、べとりと濡れた自らの掌を見下ろす。


 嘘みたいに、紅い。


「――ゃだ」


 最早痛みすらしない胸部の空洞に顔を顰めながら、航は芽衣に振り向いた。


「嫌だ――、――――っ」


 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら立ち上がった芽衣は、よろりと一歩、右足を踏み出したが、やはり前のめりに膝をついた。

 空を切った、航に向けて伸ばされた左手は航のように紅く濡れている。

 しかし、そこから赤い蜉蝣かげろうは生まれない――戦意を、喪失したからだ。


「――――わりぃ」


 最にそう呟くと。


 航は、全身の力を失ってその場に倒れこんだ。

 倒れ伏したその後も、まだ血は流れ続けていた。

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