Track.8-31「あたしのものだ」

 何で?


 おかしいじゃん――だって、あたし、死んでもいいんだ。

 殺されたって、殺した相手を殺し返して、そして、あたしは生き返る。

 知ってるはずだよね?


 何で?

 何で……あたしのこと、助けたの?


 馬鹿だよ。


 何で――――こんな、――――



 あたしが死ねばよかった。


 死ぬべきなのは、あたしのはずだったんだ。


 いつだって。いつだって。


 死ぬべきなのは、あたしだった。



 だからこの死は――――




 ————



   ◆



「何、これ――」


 素っ頓狂な表情で素っ頓狂な声を上げた夷は、今しがた航を穿って自らの傍に舞い戻ったその霊器なにかをまじまじと眺めた。


 航の死により芽衣が戦意を失ったことで、すでに【自決廻廊】シークレット・スーサイドの効力は失われ、夷は透き通るような澄んだ思考をしかし空回りさせている。


 眺める先の膨張した肉の塊のようなソレを、夷は理解できずにいた。


「だって――おかしい、おかしいよ」


 そもそも。

 RUBYルビを護っていたのが芽衣だったことが露見され、そして芽衣自身が立ち向かうために立ち上がった段階で、“芽衣をRUBYルビに戻す”という夷の目論見はほぼ完遂している。

 後は手際よく夷ら襲撃者が身を退けば脅威は取り除かれ、芽衣たち警護員は勝利を手にした筈だ。


 どこにも、魔女が誕生しなければならない理由は微塵もない。


「何で?わたし、何で?――こんな筋書きシナリオ、知らない――――っ!?」


 突如込み上げてきた激痛を伴う嘔吐感に顔を歪めて落下した夷は、センターステージに墜落すると同時に赤黒く灼けた泥を吐き出した。


(何で?どうして?“阿摩羅識”と接続アクセスして無尽蔵かつ自動的に“罪業消滅”サンスカールラが行使されてるのに、何で霊銀ミスリル中毒が?)


 “阿摩羅識”に認められる前の夷は、一度霊銀ミスリル中毒の症状が現れるとろくに魔術を行使することが出来なくなってしまっていた。

 対象に及んでいる異常な状態を全て排除する【罪業消滅】サンスカールラは、しかし魔術である以上、霊基配列に霊銀ミスリルを通さなければ行使できず、そして魔術を行使するために霊基配列に通した霊銀ミスリルは励起されて暴れ出す。それが原因で引き起こされる霊銀ミスリル中毒や汚染に対する耐性を、夷は極端に欠いていた。


 しかし“阿摩羅識”に認められることで“無限”をも得た彼女は、恒常的に【罪業消滅】サンスカールラを自らに行使し続けるという暴挙に出た。ゆえに霊銀ミスリル中毒が発生する前にすでに正常な状態を維持し続け、それによって魔術士として振舞う刻限をすら克服していたのだ。


 だからこそ彼女は驚嘆し、困惑した。今の彼女に、霊銀ミスリル中毒の症状が及ぶことがそもそもおかしいのだ。

 しかしその疑問はすぐに晴れることになる――吐いた泥が、ヒトの形を取って蠢いたからだ。


「――――素晴らしい」


 降りてきた肉色の霊器レガリスを撫で回す手は白い手袋に包まれている。袖も白く、ジャケットの内に着るシャツだけが鮮血のように赤い。


「新たな世界を拓くのに相応しい鍵だ」

「――――お前か」


 思い返せば。いくつも不自然な点はあった。


 例えば、PSY-CROPSサイ・クロプスの異界で茜にいつまで続けるんだと問われた際に、何故か「未来永劫」などと返したこと――元よりこの周回で終わることを決めていた筈なのに、その答えは確かにおかしかった。

 PSY-CROPSサイ・クロプスの前もそうだ。どうしてだか、芽衣と殺し合える永遠に満足しているなどという感慨を抱いたことも、今考えればおかしい。


 そう――おかしいのだ。

 何度も何度も、夷は永遠を望んでいた。17周目にあたるこの周回を最後だと決めていたにも関わらず。

 確かに本心では、宿願が成就されるまでずっと繰り返したい葛藤はあった。しかしそれはあくまで、理想が実現されるまでの話だ。

 まるで自分が、理想を棄てて永遠を望んでいたように――


 そもそも。

 何度も書き変わっていた筋書きシナリオも――――


「ええ、そうです――私ですよ」


 孔澤アナザワ流憧ルドウは悪魔のような笑みを湛えて答えた。その狂気に塗れた表情は、彼の持つ“惨劇の魔女”クルーエルウィッチの二つ名に見事に合致している。


「あの術をしたあの時から、ずっと心を奪われていました――」


 あの術とは言わずもがな、夷が咲の霊基配列を改造して創り上げた異術【我が死を、彼らに】メイ・モリ・セである。

 夷は彼が保有する百を超える異界欲しさに襲撃し、彼を異界ごとその術で以て殺し切ったと思い込んでいたのだ。


「――ありがとう、脆弱な魔術士。夢を見せていただけるという点では、確かにあなたは幻術士イリュージョニストでした」

幻術士ミスティファイアを、幻術士イリュージョニストと呼んでんなよ」

「ほう、ほう――随分と誇りを持っていらっしゃる。しかしその誇り高き幻術とやらで、あなたは一体何が出来たのでしょうか」

「じゃあもう一度味わわせてやるよ――――え」


 そこで漸く、夷は気付いた。

 無いのだ。

 契約通り確かに接続アクセスされていた、“阿摩羅識”との繋がりリンケージ。それが綺麗さっぱり無くなっているのだ。


「お前、まさか――――」

「ええ、ええ――誠に素晴らしい力です。本当にありがとう、ミス・ワタヌキ。お礼と言っては何ですが……あなたを、私の至高で究極の芸術の一部にして差し上げましょう。いえいえ、礼には及びません。礼をするのはこちらですし、芸術のテーマはあなたもきっと気に入るはずですから!」

「――――ふざけてんなよ、返せよ……“阿摩羅”を返せ……っ」

「もう――私のものですから」


 倒れ伏したまま白いスーツ姿の魔女を仰ぎ睨む夷の身体に力は入らない。当然だ、霊銀ミスリル中毒にやられ、本来そうなった彼女は人よりも長い休眠を要するのだ。

 そして頼りの綱だった“阿摩羅識”を奪われたショックもまた大きかった。性分から強気な言葉を吐くも、その胸中にはすでに絶望が広がりつつあった。


 こんな最後なんか認めてんなよ――という渇望と。

 でもどうしようも無いことくらい解ってる――という慟哭で。


 痛みすら感じないほど、四月朔日夷は参っていた。


「――御覧なさい」


 促され、夷は花道を細めた目で見詰めた。

 項垂れた芽衣もまた、航の遺体を弱弱しく見詰めている。


「――何、あれ」


 微弱と言うにはかすか過ぎるが、しかし霊銀ミスリルの輝きは滴る血を伝っていく。


「私の望んだ、永の始まりです――」


 そして。


「――――だからこの死は――――


 芽衣がそう呟いた瞬間。

 航の胸に空いた空洞から、蜉蝣の群れが舞い上がり、宙をぐるりと旋回しては、芽衣の身体に殺到した。


「知らない――――あんなの、わたし、――――」

「本当にそうでしょうか?だとするなら、勉強不足も甚だしい――――ラテン語の特性を、よぅく理解しておくといいですよ。あの言語は少しばかり特殊で、語順を入れ替えると全く変わった意味になることがあるのです」

「語順?」

「ええ――――我がメイ死をモリ彼らに――でしたっけ?入れ替えると、ほら――――彼らへの死はモリ・セ我がものメイ

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