Track.8-21「死んだ人は、蘇るべきじゃない」

 夷は顔を顰めた。

 すっかりとやる気になってしまったはららの動きが、想定していた筋書シナリオからずれてしまったからだ。

 前の周回でははららは自らの捨てきれない嗜好が持つ社会的な重圧に自滅し、それが芽衣にとっての引鉄トリガーになった。

 ここではららが自ら戦線に立つということは、観客の目と関心が彼女に向くということだ。

 それでは駄目なのだ。この状況を打開するのは、芽衣でなくてはならない。


「――“火垂”ほたる


 はららの指先に灯る青白い炎がその色を移ろわせる。

 翠緑の燐光となった炎は細かく千切れてはひとつとして同じではない個々の弧を描いては夷に殺到した。


 骸術ネクロマンシーとは物体や場所に宿った個体情報の残滓――霊と交信し、それを支配・使役する術だった。

 それが時代を重ねるにつれ遺体を異骸へと創り変える技術が生まれ寧ろそちらの方が主流になってしまったが、元より骸術ネクロマンシーとは前述した通り”死体”ネクローシスを介する“占術”マンシーなのだ。だから重要なのは遺体ではなく霊。


 そして古い日本語で霊を表すのは“ヒ”であり、それは“火”に通じる。

 だから骸術士ネクロマンサー炎術パイロマンシーに通じているというのは、この日本という国においては全く不思議ではない。

 また、土師家という家柄が持つ歴史を鑑みれば、彼女が運動エネルギーや角度エネルギーといった“力”を操れるだろうことは想像に難くない。

 土師家は“相撲の神”と称されたあの野見宿禰のみのすくねを輩出した名家だ。まさか相撲に通じているとは思えないが、力そのものを操る動術キネトマンシーにも精通していると考えるべきだ。


 夷は繰り出された【火垂】ほたるの炎撃が飛来する最中で改めて土師はららについての情報を纏め上げた。

 二人は今回のこの襲撃事件のために手を取り合った仲だが、しかし夷ははららの能力や魔術についての詳細を知っているわけではない。

 クローマーク社のスパイとして参加していた大神景がそうだったように、夷は仲間意識をなるべく排除したままで事を進めようとしていたからだ。


 無論。


 そうしなければ、景が揶揄した“糸遊愛詩とのようなズブズブの沼の関係”が築かれてしまうに違いないと自覚していたのだ。


「本っ当、思い通りに行かない――」


 唇を浅く噛み、眉間に皺を寄せて目を細めた夷はセンターステージの床から虹色の絹糸で編まれた毬を浮かび上がらせた。

 先程航が放った【爆震】ブラストによって塵一つ残さず爆散した毬だったが、元よりそれは夷の創り上げた幻だ。夷の幻術によりいくらでも創り出すことが出来る。

 それはやはりしゅるりと回転し、リンと鈴の音を響かせると彼女の周囲に夥しい数の投擲剣ダガーを顕現させ、現れるとほぼ同時に射出されたそれらの尖鋭は片っ端からはららの火弾を貫いて打ち消していく。

 センターステージと花道の間では、極小の花火が咲いては散るを繰り返す光景が広がる。


「そうね、同意する。人生の大半は思い通りには行かない。でもね――最初から全てがうまく行く人生なら、私は達成したいと思わなかった」


 新たな火弾が生まれ、中空で翻って夷を爆ぜんと強襲する。しかし正確無比な投擲剣ダガーの射出によって次々とそれらの火弾を打ち消していく夷には余裕すら見える。


「四月朔日夷。人は、変わるよ――――ここには、あなたが思い描いていたような弱弱しい私なんてもういない」


 左手で犇めくほどの【火垂】ほたるの炎撃を繰り出しながら、はららは右腕に新たな霊脈レイラインを組み上げた。

 二つ以上の異なる魔術を同時に行使する【並列展開】パラレルアクションという技術だ。【二式並列思考】デュアルシンク等の魔術により脳機能を向上させているならともかく、素の状態でそれを実行するはららの能力ポテンシャルには流石の夷も苦く笑ってしまう。


 剰え――異なる系統の魔術を、だ。左手で炎術を繰り出しながら、はららは右手で動術を繰り出そうとしているのだ。


(何だよ、人が悪いなぁ――アイドル頑張ってたんじゃ無いのかぁ)


“月蝕”つきはみ!」


 励起され荒れ狂った霊銀ミスリルが一点に収束し、光すら飲み込む闇の渦となった。

 直径がほんの10センチメートルほどしか無いそれはゆったりとした速度で前方に射出されると、炎撃を打ち消す幻創の投擲剣ダガーたちを吸い込んでいく。


 当然、阻む敵を失った火弾は眼を見開いて睨む夷の身体に次々と着弾し――その輪郭の全てを翠緑の輝きで包むと眩い爆炎を上げた。


「はぁ、はぁ――」


 センターステージの中心に舞い上がる白煙から目を逸らし、藤花に視線を投じたはららの息は荒い。

 そもそも、ほぼ出ずっぱりで二時間強のライブアクトを終えた後だ。加え、魔術を用いた本格的な戦闘。霊銀ミスリルの循環がうまく行っておらず、強い倦怠感がはららの全身を侵していた。

 それでも、やらなければならない――はららは自分に責任があることを自覚している。


「トーカ、ごめん」


 未だ藤花は芽衣スケアクロウに突っかかっている。罵声を浴びせ、生を懇願し、敵意と憎悪とを醜悪な腐肉とともに剥き出しにして。


「私の我儘エゴでトーカを化け物にしてしまったこと――赦してなんて言えない」

「はららさんっ!?」


 芽衣スケアクロウは気付いてしまった。新たな、しかしこれまでには嗅いだことの無い“死”の片鱗。


「――死んだ人は、蘇るべきじゃない。骸術士ネクロマンサーになって一番最初に教わった大事なことなのに」

「はららさんっ!!」


 駆け寄り差し出した右手。その指先が、倒れ込んだ芽衣スケアクロウに覆い被さる藤花の背に触れ――――


「“おやすみ”」


 光が、弾けた。


 藤花を覆った淡く暖かな光は、彼女の身体を白く染め上げたと思ったら細かな粒子となって散る。

 その瞬間、醜悪な生ける屍の腐肉が剥き出しになった異骸リビングデッドの姿から生前の可憐な姿へと戻った藤花は、瞬きにも満たない短い時間の中で意識すら取り戻し、芽衣スケアクロウを見詰めた。そして――――悔しそうに、泣いたのだ。


「――トーカ」


 彼女は最期に何かを言おうとして、しかしそれを出来ないままで死に絶えた。

 芽衣スケアクロウに覆い被さるように倒れ込み、芽衣スケアクロウは沸き上がる様々な慟哭を処理できず、ただその亡骸を抱き締めた。


 一番、仲の良かった人。

 自分を、いつも励ましてくれた人。

 自分を、叱ってくれた人。


 もしも。


 もしも――藤花が芽衣に掴みかからなければ。

 いや――芽衣が、ちゃんとアイドルを全う出来ていたなら。この運命は、変わっていただろうか。


 本当なら。

 あの握手会でも。


 殺される運命は、死ぬべき運命は、自分にあった筈なのに――――

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