Track.7-40「嘘だろ、――――何でだよ」

 口を噤み、トリはただただフラマーズの語りを聞き入れていた。

 眼下では剣戟の音が鳴り響き、悲鳴と断末魔が交互に上がる。

 火勢は最たる姿を見せ、戦禍もまた刻一刻と拡がっていく。

 足元から競り上がる熱に照らされ、トリは遂にその乾いた唇を開いた。


「教皇はどこだ」

「地下の秘密通路から逃げたよ――だからここにはもういない」

「邪魔立てをするか」

「それが俺の、全うするべき役目だからだ」


 トリは激昂した。口の端が切れそうなほどに大きく開き、あらん限りの憤怒と憎悪とをその表情いっぱいに宿して。


「何故だ、フラマーズ!どうしてそんな、巨悪を庇うっ!?」

「――――聖天教が絶えてしまえば、多くの民の希望が失われる。信仰は拠り所だ、迷える魂を導く光そのものだ」

「そんな邪悪な光があるものか!」

「ああ、あるわけがない!」


 苦悶に顔を歪ませたフラマーズは、しかし断固とした口調で言い放つ。


「しかし、それでも民は聖天教を求め、縋っているんだ――」

「……教えてくれ、フラマーズ。確かめさせてくれ――我々はかつて、同じ奇跡を願った筈だな?」

「ああ――あの時の言葉に、気持ちに嘘はない。今でも俺は、その奇跡を待ち侘びている。お前が聖女をそうさせたように、俺もまた、お前にそうさせられたんだ」

「それでも――――それでも、刃を交えなければならないのか」

「それでも――――刃を交え、戦わなければならないんだ」


 もう言葉は要らなかった。

 二人は同志と言って差し支えなかった。フラマーズだけではない、今なお武器を振り翳す七人のかつての騎士もまた、フラマーズ同様に同じ奇跡を願う身となった。

 彼らだけではない。聖天騎士団の中には――多数とは言えないが――同じく奇跡が舞い降りる日を望む者もいた。

 異形者は魔獣ではない――そのことを知り、認める者は少なくなかった。

 それでも彼らは、神の教えを護り、民同様に信仰をも守る騎士だ。最も神に近いとされる教皇が断ずるなら、それに背くことは出来なかった。


 フラマーズの握る聖剣が光を灯す――聖蹟スティグマではなく、聖剣そのものが有する聖別された神の力の一端だ。その清廉な白い輝きに、フラマーズの手から流入した青白い光が混じって聖剣は比類なき力をその刃に宿す。

 トリもまた、両腕からいくつもの風切り羽根を生やしたと思ったら、その一枚一枚が金色の輝きを纏った。

 合掌し祈りの姿勢を取ったアリエッタの身体からは湯気のように神聖な翡翠色の輝きが沸き立ち、ナキもまたその捩れた双角が全身に夥しく荒れ狂う霊銀ミスリルの奔流を循環させる。


 大聖堂の屋根の上、はるか高き空の真下。

 聖天騎士団と異形の軍勢テリオ・ストラトスの長同士の決戦は――――死闘という言葉では生温いほどの激烈さを見せ、しかしものの数分にも満たないうちに終焉を迎えた。


 彼らの戦いの終わりとはつまり戦そのものの終わりでもあり。

 息も絶え絶えにトリの首を斬り落としたフラマーズが嗚咽交じりの勝鬨かちどきを上げ、そしてその首が広場の石畳に落ちて騎士も異形者もそれを認めた時。

 騎士団は勝利を、そして異形者たちは敗北を悟った。

 異形の軍勢テリオ・ストラトスの構成員たちの中には、それでも一矢報いようと闘争をやめない者もいたが、大多数の者はその場で自害するか、武器を捨てて投降した。

 ウロコハネヤマネココオリの幹部四人も、彼らの王の死を認めるとすぐに後を追った。唯一ナキだけが、喪失の哀しみに絶叫し怨嗟の言葉を喚き散らかした後で屋根から飛び降りて石畳に紅の大花を咲かせた。


 はらわたを抉られたアリエッタはどうにかフラマーズの傍に這い寄ろうとしたが、その思いは叶わずに事切れた。

 フラマーズも結局は、聖蹟による治療ですらその死闘の傷を塞ぐことなく三日後に息を引き取った。

 かつての八人の中で生き残ったのはグロサリアだけだった。皆、傷を受けて死んだ。グロサリアと共に生き延びたヒリンですら、フラマーズの死後、後を追うように首を吊った。彼女の遺書には、異形の者たちの崇高な精神性はとても悪魔には思えない・見えないと記され、縋る信仰が正しいものだったのかと苦悩する言葉が連ねてあった。


 異形の軍勢テリオ・ストラトスは一夜のうちに壊滅させられ、彼らが王と慕う異形者とかつて心を通わせたことがある騎士のことを語れるのはもはや一人の赤い髪の弓騎士だけとなった。しかし彼女もまた、半年が過ぎる頃、教皇を暗殺しようとして失敗し、事件そのものは権力によって握り潰され、彼女は断頭台に掛けられるのではなくかつて聖女と呼ばれた異形者に用いられたのと同じ毒で殺された。


 十数年後、人々の記憶から聖都を強襲した異形の軍勢テリオ・ストラトスの名が忘れ去られようとしている頃。

 魔獣の群れが聖都を襲った。

 その蹂躙は異形の軍勢テリオ・ストラトスとは関係の無いものだったが、それがそうだと知る者はおらず、聖天教の総本山が崩れたことで人々は縋るべき信仰を失うことになった。


 この物語は、それでお終いだ。

 何ということか――――無念で、無残で、あまりにも無常だ。


 だから問おう。何度でも、私はこの問いを解き放とう。

 真実になれなかった全ては、すべからく嘘になってしまうのか。

 永遠に語られることなく噤まれた物語は、虚妄だと笑われるのか。


 もはやその世界に、彼と彼女とが繋がっていたことを知る者はおらず。

 もはやその物語に、同じ奇跡をともにこいねがった敵同士がいたと知る者はいない。


 しかし。

 しかし確かにそれは在ったのだ。ならば何処に行ったというのか。何処に消えたというのか――――私には、それを知ることが出来ない。


 願わくば――君に、希う。

 教えてくれと、切望をべ、懇願を散らそう。


 真理に刻まれることなく絶えた物語の、その行方を――――。



   ◆



「嘘だろ、――――何でだよ」


 アキラが死んだと――自殺したのだと知ったのは、借りた小説をあいつの家に届けたその日だった。

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