Track.7-38「謝るのはオレの方もだ」

 実果乃はオレが万が一の時の保険、というのが最たる目的であったことは嘘じゃない。でも、アキラの怒りの矛先をオレから逸らすための“囮”デコイとしての役割も用意していたこともまた事実だ。


「出し、って?」


 困惑する実果乃の顔を見ていると、煮え切らない腹立たしさが込み上げてくる。


「多分だけどさ、あいつの次の標的、お前だった」

「えっ?」


 すっとぼけているのか、それとも忘れてしまったのか――どちらにせよ、その反応が苛立たしかった。いや――オレが苛立っているのは、そんな実果乃コイツをそれでもまだ大切な友人として認めているオレで、そしてそんなオレが実果乃のその罪を看過することも断罪することも出来ずにいるってことだ。


「お前さ――――中学の時、RUBYルビのオーディション受けたって言ってたよな」

「……うん」

「そのオーディション、んじゃないのか?」

「――――っ、」


 思い出したのだろうか、それとも隠しきれないと悟ったのか——別にどっちだっていい。

 煮えくり返るはらわたが肉の内側でせり上がって気道をくびっているようで息がしづらかった。

 違う。実果乃が嫌なんじゃない。本当に、自分が嫌なのだ。


「受けたんだよな?」

「……受けたよ」

「で、お前だけが落ちた」

「……そう、だね」

「一緒に受けた友達は受かり続けて、見事RUBYルビの二期生として加入した」

「……」

「それが、――森瀬芽衣なんだよな」


 実果乃は俯きがちに目を伏せ、両手で顔を覆った。オレはそれを気にしないようにしながら、静かに深く息を整える。震えそうな言葉をしっかりと吐き出せるように、空手の“息吹”に似たやり方で。


「お前、いじめたろ」


 顔を覆う両手に力が込められ、まるで自らの顔に爪を突き立てたような実果乃は崩れて砂地に膝を着いた。

 途端に嗚咽の声が聞こえてきたから、オレも両膝を畳んでしゃがみ込み、正面から抱き締める形で実果乃の背中をさすった。逆の手で頭を撫でてやると、顔を覆っていた手はオレのシャツの胸元を掴み、ぎゅうと握る。しゃくり上げる声は大きくなり、熱を持った顔がオレの肩に押し付けられる。


「根回ししてハブにして、学校から居場所を奪った後でSNSでも誹謗中傷を差し向けた、って聞いてるけど――合ってるか?」


 泣き喚くような嗚咽の中にくぐもった懺悔の言葉があった。それは明らかに肯定であり――でもオレの腹立たしさは徐々に鳴りを潜めていく。


「世の中には、いじめられる方にも原因があるなんて説もあるらしいけどさ、オレはやっぱいじめた方が悪いって思う派閥なんだわ。それでも、お前のやり口は汚いし下衆ゲスいし最低だなって感じだけど、……それでもやっぱ、……お前のその感情は間違ってないんだと思う」


 肩に押し付けられた顔が持ち上がり、離れてはオレと対峙した。


「誰だって負ければ悔しいし、苛つくし、しかもそれがぽっと出の抱き合わせバーターだろ?ありえねえよな、何なんだよって感じだよな――友達同士なら尚更、きっついよな」


 涙に塗れた赤い顔が小さく頷いた。


「実果乃はさ、その感情の矛先を間違っただけだ。オレだって自分のちゃちぃ正義感に酔っぱらって周りに盛大に迷惑も心配もかけた。その頃に比べたらちょっとはマシになったかなぁって思ってたけど、肝心なところじゃ駄目だ。根幹は全く変わってなくて――だからオレはさ、実果乃を、お前を責められるような人間じゃないんだよ。それでも聞いてほしいっていうか……聞いてくれるか?」

「……うん、……聞く」


 涙を拭ってオレと対面する実果乃は、まだ小さく嗚咽を噛み殺しながら真摯さを眼差しに宿している。


「オレはお前を、きっとゆるせないと思う」


 新たな一筋が、赤く灯った頬を滑り落ちた。


「だから、実果乃のことをずっと赦さないでいる。そう決めた」


 ゆっくりと、真剣な表情がぐわぁと歪んでいく。涙が溜まり、鼻水が落ち、正直見ていられない。


「だからお前も、オレを赦さないでいい。友達ダチを出しに使って、窮地ピンチになったら矛先逸らして体勢立て直そうなんて考えてたオレを、一生恨んでていい。オレはそういう人間だし、きっと根っこの部分は変わらない。何なら、もう友達じゃなくなっても——」


 友達じゃなくなってもいい、と言おうとして、言い切る前に押し倒された。号泣する実果乃が両手を突き出してオレを拒絶したのだ――いや、それは拒絶では無く。直後に飛びついて抱き締めるその行為で、それが哀願だっていうことに気付いた。


「嫌だっ、嫌――だって、だ、って――ぎだもん」

「――――オレも好きだ」


 重なる。

 ふたつを隔てる境界線を壊したくて、思わず力を入れた。

 赦せないの気持ちと、赦したい気持ち、そして赦されたいと言う気持ちが混ざりあって、オレたちは互いを抱き締めるという選択をした。


「ご、っご、ごべん、ごべんなざいっ」

「悪い、……謝るのはオレの方もだ」

「ごべっ、――っ、きで、ごべんね」

「ごめんな、ごめん――好きなのに赦せなくてごめん」


 その“好き”という気持ちが好意に留まらないことを、オレは薄々気付いていた。実果乃はどうなのだろうか。同じ気持ちなんてこの世にひとつとして無いんだろうけど、八割くらいはいっててほしい。

 いつか、答え合わせ出来る日は来るのだろうか。

 赦せない相手を、赦せない自分が、赦したいと、赦されたいと願うことの是非を。

 正しさと、愚かしさのそのどちらであるかを。



   ◆



「敵襲!敵襲ぅぅぅううう!」


 避難を呼びかける鐘が都中で鳴り響き、通りを往来する人々は慌てふためいて駆け出す。

 聖都中央の大聖堂からは、赤い十字の意匠を施された白銀の鎧に身を包んだ騎士たちが剣や盾、槍や斧鎚、或いは弓を手に飛び出してくる。


 聖天騎士団――“神”の聖名みなのもとに神意と神罰の代行者として機能する、大陸最強の武装集団だ。

 もとよりその多くは大陸各地に派遣されその全てが集結しているわけではないが、それでも教団の総本山たる聖都を守護する任を帯びる彼らは、騎士団の中でも選りすぐりの集団だ。

 そしてその中には、かつてトリと対峙した八人の銀騎士も――全員では無いが――武器を構えて臨戦態勢を取っていた。


「グロサリア!敵はどこだ!」

「お前の目は節穴か、ギュスト。見れば分かるだろう」


 赤髪の弓騎士グロサリア短髪の大柄騎士オーギュストに吐き捨てるように告げた。確かに大通りを北門から大聖堂へと歩む、黒い外套を着た者たちの姿が見える。


「民衆に危害を加える気は無い。ただし教団は別だ、命を散らしてもらう」


 覆いフードを取った男は奇妙な顔をしていた。その皮膚全体が、蛇を思わせる漆黒の鱗となっていたのだ。その双眸も縦に刻まれた瞳孔を据え、両手に握る黒い短剣は建物から吹き出す火勢に濡れたように照り返る。


「あのツラぁ――“異形の軍勢”テリオ・ストラトスか」


 オーギュストが顔を顰める。後ろのグロサリアも同様だ。何故なら彼らは、その集団の長が誰なのかを知っているからだ。

 その頃の“異形の軍勢”テリオ・ストラトスは義賊紛いの集団、という風に認識されていた。人里に致命を与える魔獣の討伐を勝手に行ったり、行商を襲った賊から金品を奪い返して届けたことで民衆から尊敬を集めることもあれば、異形の者を助けるために人間ヴェルミアンを襲うこともあった。

 だから民衆には彼らの目的が何なのかよく判らなかったのだが、かつて彼らの長と対峙した八人だけはそれを承知していた。


 彼らは待ち続けていたのだ。彼らがこいねがった奇跡が舞い降りる日を。

 そのために、人に振る災いを遠ざけ、異形に振る理不尽をねた。いつの日か人に虐げられてきた異形者も、同じく人であると認めてもらえるように。


退けぇ――!」


 オーギュストが声を轟かせた。その気勢に、彼の前を塞いでいた騎士たちが海を割ったように道を作る。


「俺は聖天騎士団近衛大隊第二中隊のオーギュスト=バラン!――お前らのトップとは顔馴染みだ」


 掻き分けられた人垣の先頭に立った武人の振舞いに、黒鱗の襲撃者もまたそれに倣う。


われウロコ――空の王の命に従いその意志を代行する一人。オーギュスト殿、我らは戦いを望まぬ命を奪うつもりは無い、投降し信仰を捨てるのなら何処へでも逃げおおせ」

「そいつは出来ねぇ相談だ」


 ぼりぼりと顎の無精髭を掻き、肩に担いでいた斧槍ハルバードをよっこらせと構えるオーギュスト。それを認めたウロコもまた、両の短剣を交差させるように構え臨戦態勢となった。


 俄かに緊張は高まり、そして一陣の風が火の粉を散らす。


「戦場で情けなんかかけられてたまるかよ――敵なら敵らしく、ひとつ残らず刈り取れよ!」

「それが望みだと言うのなら――――いざ!」


 剣戟の音が高く響く。

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