Track.7-35「もうやめようぜ?」

ぶっちゃけて言うと、オレはその――聖女と別れたトリがその後どうしたのか、最後にどうなったのかを読んでいないんだ。

 だから帰ったら、じっくりとその続きを読もうと思う。そして借りてたその小説を返しながら、感想談議に花を咲かせようと思う。

 アキラと、また、笑って。


「来いよ、暁――――っ!」


 三階の廊下を折れ曲がったオレは一目散に昇降階段を目指す。

 背中の遥か後方で盛大にガラスがぶち破られる轟音が鳴り響き――化け物アキラがオレを追って来たのだと悟る。


 そりゃあいつにしてみれば、オレが何を考えているのか判らないはずだ。オレはオレで運動場グラウンドを目指しているけれど、どこに何があるか知り及んでいるこの校舎には、オレが行きそうな場所はいくつも目星がつくだろう。例えば、様々な化学薬品がある理科準備室とか――まぁ、鍵が無いから入れっこないだろうけど。


 突如、オレの右耳に鋭い痛みが走る――オレを追い抜いて前方へと風切り羽根が飛んで行った。化け物アキラが射出したんだろう、オレはすぐに振り向いて次弾の二枚を視認すると即座に校舎の壁に向かって跳ねた。


 七色の銀色線はオレの味方だ。この力が何なのかは一切不明だけれど、思った場所に思った通りに足場として固められ、それを踏んだオレは長細い廊下を実に立体的な機動で走り抜けることが出来た。

 実際、校舎の中を走るのはかなりリスクの高い行動だった。何せ直線が多く、あんな風に後ろから追いかけられると先程みたいに風切り羽根のいい的になる。

 しかしそれも、階段まで到達してしまえば終わりだ。上りならともかく、下りは全ての段差を抜かして跳躍ジャンプしてしまえばいい。特に今のオレはアドレナリンがどぱどぱで、12段を抜かして落下した着地の衝撃など痛みのうちに入らない。


 そして階段を下りてさえしまえば正面玄関がすぐ目の前で、さらにその目の前には運動場グラウンドが広がっており――その向こうの正門近く。実果乃ミカノは待っていてくれた。


 オレは実果乃に目で合図をし、実果乃はそれを受け取って確かに頷くと塀に身を隠す。

 運動場グラウンド中央まで来たオレは荒げる息を整えるために立ち止まり振り向く――正面玄関のガラスをやはり盛大にぶち破りながら、化け物アキラはやって来た。


アカネぇぇぇえええ!!」

「お前、頭の中身まで化け物になったのか?」

アカネぇぇぇえええ!!」

「……マジでそうみたいだな」


 もう言葉すら通じない正真正銘の化け物が両翼を広げて飛び上がる――目を凝らせば、その巨躯は何となく先程よりも一回りほど大きくなっていることに気付いた。

 更なる獣性の獲得の代償が、理性の喪失なのだろうか。それともやはり、化け物アイツを侵す霊銀ミスリルに飲まれ、どんどん化け物になっていっているのだろうか。


「いいぜ、来いよ化け物アキラ――オレを殺してみろ」

アカネぇぇぇえええ!!」


 遥か上空に浮かび上がった巨躯は大きくそして真っ直ぐに広げられた両翼が風を切り裂いたことにより急降下し、墜落の寸前でまた羽搏はばたきにより上空へと飛び上がった――実に垂直的バーティカル一撃離脱の戦法ヒット・アンド・アウェイだ。

 速度も速ければ、その巨躯の重量もすごいのだろう。しかしそれはいくら何でも直線的過ぎた。起こりさえ見逃さなければ躱すのは容易い。


「どうした化け物アキラっ!?そんなんでオレを殺せるのかよっ!!」

アカネぇぇぇえええ!!」


 それに、三階の廊下で試運転を終えたオレの“銀色線の能力”をオレはある程度使いこなせていた。

 まるで階段や飛び石を駆け抜けるように足元に収束させた線を踏み、化け物アキラよりも遥かに自在に中空を走り回る。その場に立ち止まることも、足場を解消させて落下することも意のままだ。


『空の王よ。我ら馳せ参じ、共に戦う』


 また、あの声が頭の中で響く。


『我、飛翔に至らずしかし跳躍を超える者――“飛躍者”ヴォールトなり』

「ああ、頼むぜ――“飛躍者”ヴォールト!」


 心で呟いた筈の言葉は口を衝いて出て来ていた。その盟約が元々は誰と誰の間で結ばれていたものかは一切判らないが、とにかくオレの中で呼びかけているんだ、たぶんオレの前世とかそういう感じだろう――前世論者じゃないんだけれどなぁ、なんて、今はまぁどうでもいい。


 風を切って進む化け物アキラを追い、風を蹴ってオレは駆ける。

 どうやら飛び上がっている間はあの風切り羽根は撃てないらしい――そりゃそうだ、羽搏きとも滑空とも違う翼の使い方だからな。

 とは言ってもオレも何か遠隔攻撃が出来るわけでも無い。銀色線はオレの身体から離れると途端に固さを失ってほぐれるからだ。

 ただ、化け物アイツが空を飛び回っている間はオレが寧ろ追う側になれる。そして今化け物アイツが地に足を着こうものなら、化け物アイツはオレのサンドバッグに成り下がる――それを本能で判っているから化け物アイツも空中戦を、制空権を譲ろうとはしないのだ。


 めき。びき。


 遂にその顔貌までもが猛禽類のそれへと歪み、羽毛に覆われた。もはや人間の言葉を発さない其れはただの化け物となった。

 それを酷く冷めた視線で眺めるオレは自分に恐怖する。でも今はその感情を切り捨てる。


「ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

「知らねえよ」


 じぐざぐに走り回り、その旋回を先読みして死角から上空に回り込んだオレは、上下逆さまになった足元に作った足場を蹴って墜落を超えた速度スピード化け物アキラの背中に衝突した。

 瞬間、働いた防衛機能は全身の羽毛を硬化させて俺の左手に無数の針が突き刺さったけれど、逆にそれを握りしめて離さないように、そして振り落とされないように細かく足場を作っては身体を制御した。


 その時に、その羽毛を絡めるように足場を作ることで、その足場を解消させない限り自分自身も化け物アキラでさえもその場に縫い留められることを知った。化け物アキラは急激に停止した身体をぶんぶんと振り回し慌てふためていたが、オレは新たな足場を自分の体表全面に纏わせた。

 そして5秒が経過すると、左手を貫いていた羽毛は途端に硬さを失い――――その時を待っていたオレは、全身を覆う銀色線の一部を解除して、地面に対して水平という奇妙な姿勢のままで中段正拳を繰り出す――それは化け物アキラの脊髄に食い込んで、化け物アキラくちばしから涎を撒き散らした。

 その身体を留めていた足場は羽毛が柔らかくなった時点で解消したから、化け物アキラは墜落し、運動場グラウンドに浅く砂煙が舞った。

 そしてその上に、またも逆さまに足場を蹴ったオレは身体を反転させながら強烈な踏みつけストンピングを見舞い――何か硬いものに亀裂が入った感触が足裏にあった。


「ガボッ、ギュバァァアアアッ!」


 新たに撒き散らかした涎には血が混じっていた。

 ざくざくと砂を踏み、オレは横たわる顔に生えた嘴を蹴り上げる。


「ギュルッ!」

「おいおいどうした正義のヒーロー?ほら、悪はまだぴんぴんしてんぞ」


 ごろごろと巨体を転がしながら砂に塗れた化け物アキラはしかし立ち上がる。どうやら、身も心も化け物に染まってしまったとしても、その根源はどうしても正義感らしい。


「ギュオ、ボギュワ……」


 嘴の上下の隙間からだらしなく舌を垂れ下がらせた化け物アキラを、オレはどうしてだか滅多打ちにした。一撃目の反撃カウンターで発動する羽毛の針化は地面から拾った適当な小石を投げることで無効化させた。そこから5秒待てば、だいたい10秒くらいは殴りたい・蹴りたい放題だった。


「どうしたよ正義のヒーロー。悪が栄えんぞ」


 化け物アキラは倒れなかった。オレと化け物アキラの間には逆転した体格差と重量の開きがある。きっとオレの拳や蹴りは軽く感じられるのかもしれない。

 だからこそ滅多打ちにした。15秒置きに距離を取って砂利を投げた。身体を捩じるのでさえもう儘ならない敵の死角に入り込んで拳を・肘を・膝を・足尖を・踵を捻じ込んでやった。時折、化け物アキラの胸部から何か硬いものに亀裂が入るような音がしたけれど、もしかしたらそれが常盤さんが埋め込んだ霊珠オーブなのかな、ってまるで他人事のように俯瞰している自分もいた。


「ギュブ、……ズギュルバ……」

「いやだから判んねーんだって」


 もう200くらいは打ち込んだだろうか。気が付くと俺の両拳は皮がズル剝けて真っ赤に染まっていて――そう言えば途中から面倒になって砂利投げるのやめたんだったっけ――化け物アキラの全身もまだらに赤く染まっていた。特に血を吐いた口元と首、胸あたりはどっぷりと浸かったように赤かった。


「……アキラ

「……グ」

「もうやめようぜ?」


 化け物アキラは何も答えずに立ち尽くしている。


「痛いんだよ。右手も左手も、右足も左足も全部痛い――」


 かじかんだように感覚を失った両手両足に目を遣ると、きっとオレの代わりにそいつらは震えていて。

 でもそれすらも、何の感慨も沸かずにただ見つめているオレを、やっぱりオレは映画館で映画を見ているみたいに俯瞰していて。

 そんなオレが眺めるオレは、持ち上げては震える両腕をだらりと放るように垂らして、もう持ち上げる気なんて起きないみたいだった。


「何でかな――――でも全然、胸が痛くないんだよ。アキラ、お前が変わったみたいにさ、オレも変わったんだ。こんなんならさぁ、変わらなくて良かったのにさぁ――」

「……ヴ、ヴァ、……ギュア、ヴェ……」

「オレ、お前の言う通り全然悪者だよ。こんなになるまでぶん殴って、全っ然、……心が痛いとか思って無いんだぜ?」


 気が付いたらオレの隣に実果乃がいて、泣きながら背中をさすってくれていた。もう動かないオレたち二人の様子を見て、隠れていた塀から出て来たんだ。

 実果乃は化け物アキラの項垂れたような猛禽類の顔を見上げて、鼻を啜りながら小さく「暁くん」と呟いた。


 そこで、声が響いた。






『我、あまねすべてを奪い去りて絶望を齎す者――“簒奪者”ランペイジなり』

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