Track.7-23「……後悔、すると思うよ?」

「へぇ。もしかして――――鹿取暁君のことかな?」


 小早川春徒――通称、“コバルト”さん。

 この久遠会常盤総合医院に務める放射線検査技師であり、オレの二度目の初恋の相手だ――二度目、っていうのは、一度目のは同性相手で、異性を相手にしたのは初めてだから、ってこと。まぁ、この辺はどうでもいいな。


「……暁はここにいるんですか?」

「そんな怖い顔しないでよ。ちなみに情報源ソースは何処かな?何となく目星はついてるけど」


 コバルトさんはいつもの優しく柔らかい笑みを崩さない。その言葉の抑揚も、何もかもがいつも通りだ。

 だから、その“いつも通り”が怖かった。


「ああ、勘違いしないでほしいんだけど――僕たちは別に、本人の意思をガン無視して施術なんかしてないからね?勿論研究の一環ではあったけど、彼の施術はあくまでも彼の意思、要望に従ってやったことだから」

「……コバルトさんがやったんですか?」

「僕が?まさか。僕もまた被験者だってのは知ってるでしょ?やったのは僕じゃないよ」

「じゃあ誰がやったんですか」

「だから――そんな怖い顔しないでよ。そんな顔している人、先生のところには連れて行けないよ」


 先生――オレはまだ、その人を知らない。

 だって言うのに。

 何故だろうか――――脳裏に描いたシルエットは、女性の形をしていた。



 っずきん。



「――――っ」

「……どうしたの?」


 幻視と幻痛。眩暈と動悸。

 突如として沸いた訳の解らなさに身体が拒絶反応を示す。


「ああ、そうか――――僕も初めての時はそうだったの、すっかり忘れてたよ」


 何が、と言おうとして――枯れるほど渇いた喉は言葉を吐いてくれなかった。


「因みに僕は4周目なんだけど――――アッキーの1周目はいつ、どうだったのかな」

「4……周、目?」


 頭に蔓延した幻痛ははげしさを増して荒れ狂っている。

 それに倣うように呼吸もその回数を増したが、酸素を取り込む深度ははるかに浅くなっていく。

 視界は段々と色彩をうしなうとともに狭くなり――ひたひたと、コバルトさんは何気なく歩み寄ってくる。


「吸うことをまずめな。まずは吐き切ることを意識して」


 片膝をつき、頭の高さを合わせたコバルトさんのしなやかな手が頭に振れる。

 言われた通りに肺の中の淀みを腹筋の操作で排出する。


「腹筋を緩める。吸い込むんじゃなくて、腹圧の解放で肺を膨らませるんだ。自然と空気が流れ込んでくるだろう?」

「……っ」


 はい、とは言えず、ただ首を縦に振った。


「大丈夫――――大丈夫」


 優しく、ただ優しく。

 オレの背中を、コバルトさんはさすり続ける。

 次第にオレの呼吸も鼓動も落ち着いていき、気が付いたら謎の頭痛も鳴りを潜めていた。


「立てる?」

「……何とか」


 コバルトさんの手を借りながら立ち上がると、やはりまだ身体は本調子じゃないらしく少しだけ眩暈めまいがした――が、それを踏ん張って堪えると、コバルトさんはとても優しい笑みを向けてくれる。


「どうする?先生のところ、行く?」


 二つ返事で肯定しようと思った口が、しかし子音を吐く前に噤んでしまう。

 考えあぐねる理由も解らずに、でもオレはおそらく人が”恐怖”と呼ぶその感情を嚙み殺して両頬を自らの両手で張った。


「行きます。連れて行ってください」

「……後悔、すると思うよ?」


 ひとつ頷き、コバルトさんは「おいで」とオレの前を歩く。

 アトリエから出て階段を降り、そして医院の西館へと――――先程から、やけに既視感が酷い。西館は研究棟で、オレは勿論一般用の北館にしか行ったことが無いって言うのに、オレはここに来たことがあると錯覚している。


 ずきりずきりと、頭の幻痛が再び蠢き始める。

 そんなことに構わず、コバルトさんはすたすたとオレの前を行く。

 そして。


「失礼しまーす」


 がちゃりとドアを開け、西館6階の研究室へと入っていく。

 ドアプレートに刻まれた名前は“常盤トキワ美青ミサオ”――――やっぱり、オレはこの人物を知っている。



    ◆



 結論から言うと、少女に戦いは無理だった。

 勿論トリの教えが悪かった、というのもある。トリ緑狐ロッコが狩りを行う様子を見て、その全てを自ら会得した。しかしそれはトリが物心ついた頃から野生の中に生きてきたからこそ出来たことであり、何一つ決定権を持たないまま鳥籠の中で生まれ育った少女にはできるよしもないだけのこと。


 そもそも――少女はトリが、路銀を集めるために人間を襲う必要があるが故に教えた戦いの目的を、よく解ってはいなかった。金が無いから日々の食事を郊外の野獣や魔獣を屠って集めるのだと、そう考えていた。


 嚙み合わない筈だ――トリはそう独り言ち、倒木に尻餅を衝くようにどすんと腰かけ、そして頭を抱えた。

 抱える腕の肘から先には、戦闘訓練のために生やした剣のように鋭く硬化した羽根の残骸が抜け切れずにいた。


「……お前は、一体何が出来るんだ」


 顔を覆う手の指の隙間からじろりと睨んだトリの視線に、少女はバツが悪くなって顔を伏せる。

 少女自身、自分には到底特別なことなど何一つ出来ないことを知っていた。それも当然だ、その存在自体が特別とされてきたのだ――だから誰も少女にはそれ以上の特別な何かを求めなかったし、少女も勿論選べなかった。


「……解った」

「え?」


 訥々と自分がどうやって過ごしてきたかを、まるで懺悔するように言葉にした少女の物語を聞き収めたトリは、抱えていた頭を解く。

 その表情は険しいものだったが、しかし状況を打開しようとする真摯な眼差しとも取れた。少なくとも少女は、その表情に恐怖や不安を感じなかった。


「狩りは俺がやる。お前には買い出しや情報収集を頼むことにする」

「……はい、解りましたっ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る