Track.7-16「へぇ、――――」

 曰く――怪我しても、学校が休みだから大丈夫でしょ、と。

 曰く――一応、シンさんには許可取ってるよ、と。


 そのふたつの言葉に、結局オレは受け入れてしまう。

 いや――もうひとつだけ、理由を挙げるなら。


 結局オレも、誰かを殴りたい欲求フラストレーションが溜まっている、ってことだ。


 床板に直接ペンキで引いた開始線に立って向かい合う。

 片方は空手、もう片方は八極拳の異種格闘技戦だ。正直、分が悪いという気持ちはある。

 オレは喧嘩以外で空手以外の武とぶつかり合ったことは無い。喧嘩にしても、大抵の奴は我流・自己流で、極稀にボクシング齧ってる奴とか、総合やってる奴とかいたけどそれでもそいつらのレベルなんて高が知れていた。


 本格的に、空手以外の格闘技に精通している人とり合うのは初めてなのだ。でもコバルトさんは空手を相手にすることなんて多々あっただろう。無論、オレの空手とは何度もぶつかり合っている。

 対するオレは、コバルトさんの空手は知っていてもコバルトさんの八極拳は知らない。確かに、空手対空手でバトった時もその体捌きや足運びとかに若干の違和感を覚えなかったわけじゃない――思えばそれは、空手以外の格闘技を知っている、ということだったのだ。


「じゃあ、行くよ?」

「はい――お願いします」


 互いに礼をし合い、互いに構える。

 オレは初めてコバルトさんと会敵した時から変わらない、前羽の構え。対峙するコバルトさんもまた、あの夜に見せたきりの、左の手刀を突き出して右手で額を守るはすどころか完全に真横を向く構えだ。


 ああ、試されているな――そう本能が理解する。

 1年をかけてどれほど変わったのか見せてみろと言っているんだ。


 ならば――――シンと静まり返った道場の中に、瞬間的な地響きのような重い音が拡がった。


「――――っ、」


 堪え切れずにオレは後方に吹き飛び、尻を着いて背中で転がった。しかしすぐさまふたつの足で立ち上がり、構えを取り戻す。


 眼前には。

 “く”の字に折れ曲がった左腕を突き出したままの、コバルトさんが微笑んでいた。


 頂肘ちょうちゅう――オレが食らった、その技の名だ。

 何てことは無い、技といってもそれは実に単純シンプルなものだ。肘を使った――それが、頂肘という攻撃の中身だ。

 コバルトさんは細身だが長身だ。たぶん70キログラムくらいはあるんじゃないだろうか――いやあの筋肉量だから実際にはもっとあるかも知れない。その重量が、肘という一点に凝縮されてオレの鳩尾みぞおちを衝いたのだ。衝撃が背中どころか全身に突き抜けては爆ぜ、オレの身体も見事に吹っ飛んだのだ。


 牽制のつもりで繰り出した追い突きは突き出された左手によって上方に弾かれ。

 そのまま懐に接近したコバルトさんは、床板を踏み抜くかってくらいの震脚とともに頂肘を繰り出した。


 成程。殺人拳と称されるのも頷ける、防御と攻撃が一体になっている非常に効率の良い技だ。

 しかし感嘆している暇なんて無い――オレは短く息を吸うと、前羽の構えを崩しながら前に踏み出す。


 前羽の構えとは、オレの中では手で受け・捌きを行い、足で攻撃するものと、そういう認識になっている。と言うよりも、組み手の大会ではそれを主としたスタイルでやって来た。

 毎日の柔軟を欠かさずに積み重ねてきたおかげで、オレの足尖蹴りは密着状態からでも相手の顎を蹴り上げることが出来るし、Y字バランスもI字バランスも出来る。

 だからオレが得意とする中距離ミドルレンジよりも内側に密着したとしても、自慢の蹴りで再度突き放すことが出来るし、密着よりも近く肉薄したとしても。

 この前羽の構えで空けた両の手は、オレにとって最良の盾となる。


 それではダメなのだと気付かされたのが、およそ1年前の会敵だ。

 あの時は長くても3分程度の手合わせしか出来なかった。何故なら騒ぎを聞きつけて警察官が臨場したからだ。

 それから何度となくオレはコバルトさんと手を合わせ、技を競った。いや、競った、じゃないな。格下のオレが一方的に、“確かめられた”と言った方が妥当だ。


 だから、蹴りに拘ることは捨てた。そのために突きに代表される手技も磨いてきたし、勿論足技だって。


 前羽の構えを崩す。

 五指を揃えて手刀を形成していた掌は丸く、空気を握るように中途半端な拳を作る。

 一歩踏み出せば蹴りの届く距離――でも俄かに視界に飛び込んできたコバルトさんの予備動作が、それは悪手だとオレに教えてくれる。


 そう。


 だから。


 あと。


 もう。


 一歩。


 踏み込む。



「へぇ、――――」


 優しい微笑みが深く、そのかげに一層の本気度を強めて刻まれる。

 そうだ、コバルトさんは本気だ。言ってたじゃないか、本気でぶつかる、って。

 それなのにオレは実に平和ボケした敵愾心で“様子見”という名前の追い突きを放った。鳩尾に頂肘は授業料だ、ありがたい。


 コバルトさんは肉薄しようとするオレに対し、額を防御ガードしていた右手を大きく外に放り出した。手の形は手刀では無く五指が開いている。恐らく、遠心力を活かした掌打をオレの左耳辺りを狙って撃つつもり――と見せかけて、本当の狙いは鉄山靠てつざんこう――超至近距離に入り込んでの背中を使った体当たり、とでも言えばいいか?――だろう。


 対するオレの狙いは――実は、無い。

 オレとコバルトさんとでは相手の予備動作モーションを見てからの反応・反射の精度に開きがある。言うまでもなく、劣っているのはオレの方だ。


 だから予め組み立てた攻撃だと、そのを捉えられて即座にいなされ・反撃されてしまう。それは、これまで幾度となく手を合わせてきた経験から導き出された結論だ。


 予測よりも予知めいている、予兆を導く予言のような予防――それが、コバルトさんの防御性能だ。

 それを上回ろうとするのなら、“考えるよりも先に手を出せ”とオレの闘争本能が叫んでいる。


 互いに一歩の間合い。

 外から大きく回された掌打が来る。そのままの軌道で入れば、ちょうどオレの左耳の内側で衝撃が爆ぜ、三半規管は一時的に機能を失うだろう。


 ――構うか、行け。


「おおおおお――――」


 掌打の軌道の内側へ。オレの踏み込みを見たコバルトさんはさらに笑みを深める。

 前に出した左足がオレの踏み込んだ左足の内側、奥へと入り込み、掌打を小旋回させて引っ込めると同時に突き出した左の手刀を内側へと薙ぐ。

 コバルトさんの右手が、オレの中途半端に握った左腕を掴んで外側へと払う。

 そしてそのまま、腰を落として内旋する上体が肩を向け、背中を向け――


「――――おおおっっっ!!!」


 払われた左腕とは逆向きの捻る力で、オレは踏み出した足で床板を蹴った。

 身体の両側方が、まるで内側へと包まるようなイメージ。遠心力ではなく、求心力。

 その力で以て、右膝を思い切り背骨へと叩き付ける――狙いは少しだけ逸れて、鍛え抜かれた強固な背筋に僅かだが食い込む感触。

 その直後、胸部に背中が強襲する。軸足は絡まれていて避けようが無い――いや寧ろ、避けようとしていたら膝蹴りなんか繰り出していない――そのままその鉄山靠てつざんこうによりオレの身体はやはり宙を翻り、オレは道場の床に半回転して背中から落ちる。


 でもそれで、終わりじゃない。

 倒れたら号令がかかって交戦が中断するなんて試合の中だけの決めごとだ。実戦じゃ倒れた相手なんて恰好のサンドバッグかサッカーボール。

 受け身を取る余裕を与えてくれなかったから、背中が接地したと感じたと同時に右掌で床を叩き、地面を引き寄せるようにして距離を取る。そのまま半回転して足を地に着け、痛みを感じる前に立ち上がって駆け出す。


「りゃぁあああっ!」


 考えるよりも前に手を出し、足を出す。

 とにかくそれだけを心に決め、思考は全て遮断して脳を知覚と反応・反射にのみ特化させる。


 コバルトさんは基本的に受け専だ。自分からは攻めて来ず、反撃と追撃に比重を置いたスタイルを貫いている。

 オレもそうだった。中距離ミドルレンジでの蹴りの差し合いが本分だった。


 同じスタイル同士がぶつかり合ったら、より洗練された方が穿つに決まっている。

 だからオレの受けは通じない。それはこれまでの交戦ですでに知り得ている。


 攻めろ。


 腕を捻らない、縦拳による追い突き――放ってから、そう言えば開始と同時にそれをいなされて頂肘を食らったことを思い出し、慌てて引っ込める。

 しかしそれは巧い具合に虚となって、右の足尖蹴りがコバルトさんの上体を反らした。だからそのまま蹴り足を着地させずに、踏みつけるように急降下させるとコバルトさんは反らした上体に捻りを加え、旋回しながらオレの蹴りを避けて肉薄してくる。


 下方から振り上げるように繰り出された拳、それを落し受けで阻むどころか、手首を壊すように強かに打ち付けてやった。


 上地流は、石を投げられたらそれを叩き落とす流派だ。

 攻撃は最大の防御という言葉はあるけど、防御だって立派な攻撃だ。


 そうだ、防御だ。攻めるつもりで守ればいい。

 廻し受け、落とし受け、上段、中段、下段。

 受けを全て、相手の四肢や攻撃部位の打破に使え。


 突いて来たなら腕や手首を。

 蹴って来たなら腿や脛を。


 武器を削れ。削り取って無くなれば、もう攻撃は来ないのだから――

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