Track.6-25「あの虫、私前に見てる」

「さっき言った件、何とかなんないですか?」


 夜勤明け、しかも直後異界に飛ばされ、強敵を相手に実力を発揮できなかった茜は療術士による治療の後で航に対して打ち明けた。

 彼女の要望とは、チームFLOWで話し合う機会を持ちたい、というものだ。

 しかし現在チームメンバーは全員がばらばらに動いている状態になる。勿論、RUBYルビの魔術警護のためだ。


「何について話し合うんだ?」

「……敵と、これからについて」

「……確かに、必要か」


 しばらく考えを練った後で航は溜息混じりに頷いた。


「あと、できれば間瀬さんたちもいてほしいです」

「――分かった」


 そして航は各方面に打診すると、返ってきた答えをまとめて勤務スケジュールを一部差し替え、それを通達した。

 現状交代要員がいない警護員は換えが効かない。だから航や冴玖、景や恒親が合間の時間に身体を張ってずらしていくしかない。


 そうやってチームFLOWの5人――航、芽衣、茜、心、そしてオペレーターの望七海は12月10日の木曜日、夕方18時より魔術学会スコラより出向している監視・助言役の奏汰、葛乃、初、鈴芽、リリィの5人と打ち合わせをすることにした。


 時間はしかし巻き戻り、12月6日――横浜赤レンガ倉庫にて異界侵略、埼玉紅陽大学にて比奈村ヒナムラ実果乃ミカノの襲撃が起きたその日の昼。

 治療を終えて自宅に戻った芽衣のスマートフォンがひとつの通知を灯した。


 夜勤明けのぼんやりとした頭でメッセージアプリを開いた芽衣は、しかしその送信者――星藤花の名前を確かめると目を見開き、その文面を食い入るように見つめる。


『電話していい?』


 逡巡。

 何と送ればいいのか指先を迷わせていると、返答を待てずに藤花からの着信が入る。

 びくりと身体を震わせた芽衣は、やはりそれを取るべきかどうか迷ったが、6コール目にして漸く画面の緑色の丸印をタップした。


「……もしもし、トーカ?」

『――ごめんね』

「ううん、……大丈夫」

『ねぇ――――リセ、だよね?』


 息を呑む自分の喉の音が、芽衣にはまるで雷鳴が轟いたかのように聞こえた。

 その問いの意味――彼女が何を訊こうとしているのか、何を確かめようとしているのかはすぐに分かった。

 それでも、芽衣にはそれをすぐに肯定することなど出来なかった。


「――何が?」


 搾り出すようにして漸く出てきたのがその3音だ。

 それに対して、幾許いくばくかの間を置いて藤花もまた、搾り出すようにソレを告げる。


『……うちらの魔術警護。あのガスマスクの女の子って、リセでしょ?』


 ドクン――心臓の鼓動は、まるで爆ぜたよう。


「――何で?」

『――――あの虫』


 虫――それが意味するのは、当然芽衣の行使する異術【自決廻廊】シークレット・スーサイドの赤い蜉蝣だ。


「虫?」

『あの虫、私前に見てる』

「……え?」


 芽衣は驚愕した。その驚きのあまり、訊ねてしまった。


「見たって、いつ?」

『……否定しないってことは、正解ってことでいいのかな?』

「あ……」

『ごめん、誘導尋問みたいだったね。でも、見たってのは本当だから』


 そして藤花は、のことをゆっくりと話し出した。

 何もいきなりその日のことを口に出したのではなく、RUBYルビ二期生のオーディションが始まって、第三次審査で初めて互いに顔を見せ合った頃から言葉を紡ぎ、受かり、同郷ということで接すること・言葉を交わすことが多くなった藤花と芽衣の2人のことを語っていった。

 芽衣はそこに時折相槌を打ちながら待ち侘びた。


『リセはさ、もしかしたら思い出したくないかもしれないけど、』

「……うん」


 その言葉で、芽衣はついに来たなと心で身構えた。

 ――藤花が、芽衣に手を挙げた日。それはリーダーの土師はららが偶々間に入って未遂に終わったが、芽衣にとっては居場所を失った決定的な日だったと、そう思われている。

 芽衣自身、その時はそう思ったし、自宅に帰り着いてからは二度と立ち上がれないほどに憔悴した。その日々はやがて自殺へと向かうほど陰鬱で、どうにもならないものだった。

 その、引鉄トリガーだ。

 とは、そういう日だ――出来ることなら、やはり思い出したくはない。


『あの日――私がさ、リセに……手を挙げた日。その直前にね、』

「……うん」

『ほら、リセが振りのおさらいしている時に、躓いて顔面から倒れた時あったでしょ?』

「ああ、うん」

『それで鼻血出したじゃん、覚えてる?』

「鼻血?――――あ」


 そうだ、そうだった――芽衣は独り言ちた。

 曲を流しながら振りをさらっている途中、振りを間違えたのを無理やり修正しようとして足がもつれ、バランスを崩して顔面から倒れ込んだことがあった。

 鼻を強打したことで鼻血を出し、その直後に藤花はそんな不甲斐ない自分の姿に憤慨したんだったっけ、と芽衣は思い返す中で、もしかして、と思い立った。


『その鼻血がさ、――今朝見た、赤い虫になって飛んできたんだよ』

「――――え?」


 芽衣が自らの異術を自覚したのは、【我が死を、彼らに】メイ・モリ・セによって白い魔女を殺害した後からだ。

 つまり今年の4月の話で、それ以前は意識的にも無意識的にも、自覚的にも無自覚的にも異術を放ったことは無かったし、無いと思い込んでいた。


 しかし藤花の話が本当であれば――それ以前に、芽衣は【自決廻廊】シークレット・スーサイドを行使できていたことになる。

 そうなると、今度はまた新たな疑問が浮かび上がってくるのだが――


『ねぇ、リセ――今晩もまた、私のこと護ってくれるの?』


 芽衣の担当は藤花であり、勤務時間帯は夜勤だ。

 そして芽衣は自分だとメンバーたち――土師はららを除く――に露見されないよう、ガスマスクをつけ“スケアクロウ”という偽名を使っていた。その姿・存在はかなり目立っており、藤花も自分の担当だと認識していた。


「……そうだね、20時に引き継いで、警護開始だね」

『そっか……夜、私の部屋に来ない?いつも、お家の外から監視してるでしょ?寒くない?』

「それは……上長に確認しないと」

『あ、そうだよね――でも、私、リセに話したいことがあるから』

「話したいことって?」

『うん――あ、ごめん、もう行かなきゃ』

「あ、うん」

『ありがとう。また今夜ね』

「うん、また、今夜――――」


 通話が終わると、新たに浮かび上がった疑問が芽衣の頭の中でぐるぐると回り始めた。

 自ら回転しながら、その疑問は脳内を周回する。まるで月や衛星みたいだ。


 芽衣はベッドに身体を預けると、ぼんやりとした表情で天井を見上げた。

 その視界には見慣れた天井が映ってはいるが、芽衣が脳に映しているのは紐解いた自らの記憶、そして四月朔日夷と咲の記憶だ。


 その記憶によれば、森瀬芽衣という人物は四月朔日咲の弔いのために四月朔日夷が幻創した架空の人物であり。

 芽衣に宿る霊基配列が組み上げる異術の術式は、四月朔日咲の霊基配列を四月朔日夷が弄って作り上げたもののはずで。

 そして芽衣と夷が邂逅し、芽衣がその霊基配列を獲得するのは今年の4月だ。


 それ以前に森瀬芽衣が異術を行使できる理由は無いはずなのだ。


「あたしを幻創した時にはすでに霊基配列が宿ってた?――んー、何かしっくり来ない」


 芽衣にとって、看過できない疑問は増えていくばかりだ。


 ひとつ。森瀬芽衣という人物は、一体何者なのか。

 ふたつ。森瀬芽衣は、異術で白い魔女を殺したがその白い魔女とは一体誰なのか。

 みっつ。その白い魔女を殺した時の記憶は何故すっぽりと抜けているのか。

 よっつ。どうしての時点で異術を行使できたのか。


 記憶は紐解かれても、どうやら全てを思い出せてはいないから――何とも厄介で不愉快極まりない。まるで手の届かないところにある痒みだ。


 しかし身体は正直なもので、夜勤明けでしかも勤務終わり直後にフルの戦闘行為を行ったことで蓄積した疲労は、泥濘よりは安寧に近い眠りへと芽衣を誘った。

 ものの5分と経たないうちに、笑うことのないその顔からは静かな寝息が聞こえてきていた。

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