Track.5-25「君に、それが出来るの?」

 一方で愛詩は、鬱蒼と生い茂る紫色の森の中でその響きを耳にした。

 しかしその音の発生源に目を向けられないのは、相変わらず冷ややかな視線をこちらに突き刺す褐色肌の少女と対峙しているからだ。

 そして迂闊に動けないのは、その少女の後方で、やぐらのような組み木の台にはりつけにされた三人の人物のせいだ。

 そのうちの二人は知らないが、真ん中にいるのが絲士であることから、左右の二人は両親だろうことが伺えた。


「――邪魔しないでよ」


 リニの格好はいつものメイド服とは異なり、赤黒い布地を身体に巻きつけたような衣装を身に纏っている。黒髪も下ろし、その顔にも化粧が施されている――とは言っても、おそらくそれは呪術用のものなのだろう。褐色肌の少女の顔は髑髏を模ったように丸く白く塗られ、目の周りは眼窩のように広く黒く塗り潰されていた。上下の唇には縦に何本も細く小さい線が引かれ、対峙する愛詩はその姿に言いようの無い不安を感じた。


「攻撃したら、彼らが死ぬだけだから」


 転移したその直後から【霊視】イントロスコープを発動させていた愛詩は、その目で確かに視ていた。

 磔にされている三人の体内には、いくつもの細長い破片があった。霊銀ミスリルで編まれたそれは今はまだ完全に実体化していないが、実体化すれば肺や心臓を突き破って即座に彼らの命を散らすだろう。


「君に、それが出来るの?」


 しかし問われた少女は、眉根を寄せて愛詩を睨み付けた。

 確かに彼らの体内の金属片は、実体化すれば彼らを殺すだろうが、少女がその実行権を持っていないことを愛詩はすでに知っていた。


 睨み付けるリニは、しかし愛詩の身体から迸るいくつもの細い霊銀ミスリルの弦を見遣ると、目を見開いた。

 初めて弓削邸に訪れた時からまだ3週間も経っていない。それなのに眼前の敵は、恐るべき速度で成長を遂げている。


 リニは激しい怒りを顕わにした。

 彼女は到達してしまう。今はまだ辛うじて届いていないが、確実に“結実の魔術師”スレッドワークスへと成ってしまう。

 そうなれば弓削邸にとってどちらが必要とされるかなど明白だ。何故なら自身は呪術士であり、彼女は弦術士なのだ――それも、真理の一端に、やがて届きそうな。


「――赦せない」


 白く塗られた異貌を歪めて呟いた言葉は呪詛に違いない。激昂は周囲の大気を、霊銀ミスリルごと震え上がらせると、俄かに紫の森は騒めき始めた。


「“弦創スピンナウト――”」


 愛詩の両手から溢れ出る弦は瞬時に弓と矢の輪郭を象り、そして色を備えた。愛詩は弓を構え矢を番えたが、その瞬間、5メートルほど離れていた筈のリニはまるで爆ぜたように肉薄していた。


「――っ!?」


 射撃技術を主軸に戦う弓使いアーチャーも、そして遠隔攻撃を得意とする弦術士も。そのどちらも、敵と接近しての白兵戦は得意ではない。

 だから愛詩は、咄嗟に後ろに倒れこむと同時に、重心を置いていた踵で地面を蹴ってバックステップを刻もうとした。当然、背中から伸ばした弦は遥か後方の木の幹に接着しており、弦の収縮は対峙する二人の間に隔たりを生むはずだった。

 しかしマントのように被った黒い布地に隠れていたリニの双腕があらわになると、愛詩は眉を持ち上げて目を見開いた。


 一閃。


 再度作られた3メートルほどの距離など問題にしない、恐るべき右腕の内から外へと薙ぎ払う一撃が愛詩の右脇腹に直撃してめり込むと、肉を潰し骨を砕いてその身体を“く”の字にひしゃげさせながら吹き飛ばす。


 その直前に愛詩が目にしたものとは――異形としか表現できない長大な


 暗紫色にてらてらと照り返る、両生類めいた皮膚。細かく親指大の突起がいくつもその表面から隆起してはうごめいている。

 腕の太さはリニが備えていた腕のおよそ4倍であり、長さは2倍だ。関節は無いが中腹から先は8本に枝分かれし、その先端は杭のように太く尖っている。

 その枝分かれした1本1本が、のた打ち回るひるのように不規則な蠕動ぜんどうを見せていた。


 それを見据えながら10メートル側方の木の幹に叩きつけられた、拉げた愛詩の身体は。

 樹皮を巻き散らかしたその瞬間に幾本もの弦に、そして霊銀ミスリルに分解されて霧散した。


「っ!?」


 その様子に驚愕を隠せないリニの横っ面に、尖鋭の矢が飛来する。

 上体をあり得ない角度で捩じってそれを躱したリニ。射角から射手の方角を割り出すと、地面と木々とをジグザグに蹴って突き進んだ。


 瞬きをも許さない速度で、前方から後方へと向けて二の矢、三の矢が通り過ぎていく。

 次々と射出される矢にえぐられることなく、リニは実に複雑な機動で縦横無尽に森を駆け巡る。

 両腕だけではなく、その下肢さえも形は違えど異形だ。水棲の無脊椎動物を思わせる上肢に対して、下肢は羚羊アンテロープのそれだ。スカートのようにたなびく黒い布から覗く力強くも細い獣脚は、しかし隠れた付け根に強大な大腿四頭筋を有しており、それがこの跳躍力と突破力のもととなっている。


 そして木々の合間に、遠く弓を構える愛詩の姿を赤く光る双眸で捉えたリニは、再三飛来する矢を叩き落としながら直進した。

 身に纏う黒い布は豪速にはためき、その姿は黒い流星さながらだ。


(――殺してやる。邪魔者は皆、殺してやるっ!)


 不等な間隔で乱列する木々から飛び出したリニ。眼前、12メートル先に見据える愛詩は矢を弦創しようとするがリニの方が明らかにはやい。


 最後の木の幹を蹴って、旋条弾ライフルのように旋回して中空を突き進むリニは、衝突に備えて両の触腕を振りかぶった。

 先ほどは弦に騙されたが、今度こそは実像ほんものだと【霊視】イントロスコープを備えた双眸が自らに教える。

 触腕の先端で幾つもの孔を穿ちながら叩き潰して見るも無残な肉塊へと変えてやる――そう、攻撃意志を固めたリニはしかし、突如として後方へと自らを引き留める強い力によって前進を阻まれた。


 薙ぎ払おうと繰り出した触腕すらも空中で固定されている。リニの体勢は天地が逆さになり、その反転した視界の中心には5メートル先で冷ややかな視線を突き刺す愛詩が映っている。


「ごめんね。こうするのが一番良かったから」


 見遣ると、周囲の木々と自身の間には万を超える弦の群れが。目を凝らして漸く気付くほどの極細の繊維と化した弦は、リニが飛び交った木々のそれぞれから伸び、飛び交う毎にリニの身体に絡みついていた。

 リニがそうとは気付かずに跳躍と前進を繰り返したのは、その時点では弦に伸縮性を持たせて圧力をかけないようにしていたからだ。しかし最後の跳躍と同時に絡みついた全ての弦を張りつめさせたことでリニの前進を止めたのだ。

 触腕の突起ひとつひとつですら動けないほど全身を覆いつくした弦はもはや繭だ。

 どれだけ叫ぼうと、足掻こうと、藻掻こうと。或いは引き千切ろうと力を振り絞ったとしても。

 リニはその繭を、どうにも出来なかった。


「私、行くね。弦は、終わったらちゃんと解くから」


 魔術士同士の戦いは命を賭けるに値する。それがどのような経緯いきさつであれ、それがどのような種類の戦であれ、魔術を交わして戦うのなら敗者に命があってはならない――これまでリニはそんな環境に身を置いてきたし、これからもその価値観は変わらないと思っていた。


 だからリニは許せなかった。

 真下を通り過ぎて行った愛詩が加えた手心が。

 そして。

 命の遣り取りをさせてはもらえなかった、無力な自分の力が。




「急がなきゃ――」


 思考は不意を衝いて声となり、摘まみ上げた記憶の切れ端を技術へと昇華させた。

 それまで両脚で駆けていた愛詩は徐に手を伸ばすと、遠く見える木と掌との間に弦を張った。

 弦を凄まじい速度で収縮させると、愛詩の50キログラム程度の身体は浮かび上がったと思ったらその木へと向かい墜落するかのように前進する。

 衝突の寸前、今度は新しくまた遠くの木との間に弦を張った愛詩は軌道を変える。


 かつて深夜アニメ“進撃の巨人”で見た“立体機動”のイメージを応用した推進法だ。

 ちなみに先の戦闘で見せたリニの突進を阻んだ弦の包囲網ですら、映画“スパイダーマン2”でトビー・マグワイア演じる主人公・ピーターが両手首から網を放出して列車を止めたシーンと、漫画“ワールドトリガー”で主人公・三雲修が新しく習得した“スパイダー”という武器トリガーを使って罠を張ったシーンとを組み合わせて応用した技術だ。


 弦によって思考ですら解決策へと即座に導ける愛詩は、そうやって自身の“娯楽”ですら“戦術”へと昇華できた。

 夷に言わせれば、それこそが彼女が“結実の魔術師”スレッドワークスへと到達しかけている証左だ。実際に愛詩は、夷との夢での実践訓練においてこのような“娯楽を戦術に昇華した技術”を幾つも見せつけている。

 見せつけられた当の夷はと言えば、半ば呆れかえりながらも、その型に囚われない自由奔放なアイデアとそれを実行して見せる胆力に感嘆して褒め称えた。


 その夷の細い首にクリスの波打つ刀身を叩きつけて屠り去ったアリフは、弓削家の三人がはりつけになったやぐらの麓まで来ると、そこにいるはずのリニがいないことに顔をしかめさせた。


「リニ――まさか、」

「いやそのまさかだよ」


 声は後方。

 咄嗟に振り返りながらクリスで薙ぎ払うも、柄を握る右手に手応えは無く。

 ただ、先ほど屠り去った筈の白い少女が、悪魔めいた破顔でそこに立っていた。

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